第93話 海中『彼女』の視点から(三人称視点)
「えええええ、マジ?」
「あそこにゲートは後出しすぎない?」
「蟹座のえこひいき強すぎっしょ」
東京湾中心部、浦賀水道に潜むNJM所有の潜水艦『潜広』内の広報室。潜水艦の内部にしては清潔で広々とした、洗練されたオフィスのような空間に妙に明るい声が響く。
潜水広報室、略して潜広。
MIYACOの勢力圏、及び東京圏を中心に医療、食糧支援活動、武力介入などを行うNJM医療・広報部の移動活動拠点である。
乗員数は百五十人。
医療・広報部長である牧島国母に忠誠を誓う九十名の潜水艦乗りとMIYACOの中核三社、牧島農産、今西鉄道、八桜技研の門閥、閨閥関係者によって構成された広報職員六十名が乗り込んでいる。
広報職員の男女比は男1に女9。MIYACOの支配階級に連なる若きエリートと、良家の子女たちが日本再興の理想のため、高貴なる者の義務を果たす奉仕の場という名目だが――。
(いくらなんでもキラキラしすぎじゃないの?)
というのが、MIYACOのY、八桜技研の重役令嬢という肩書きで潜広に乗り込んだ『彼女』の印象だった。
他の職員と同様、OL風の制服姿だが、デスクの上には魔女風のとんがり帽子が置いてあり、足下には灰色の猫を丸まらせている。
「はーい、そろそろ集中ー。水の上の対応は我らが今西総監に任せて、こっちはこっちの仕事を進めましょー」
潜水広報室室長、田口映一が世慣れた口調でそう告げる。
「はーい」
「やっぱりソルちゃん怒らせたのまずすぎるよねー」
「いくらなんでも論破神無能過ぎっしょ」
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ! みたいな」
「ま、論破神様が暴れれば暴れるほど、論破神の口車に乗せられてた評議会の老害連中の顔が潰れてやりやすくなるからねー」
そんな話をしながら、仕事に戻る広報職員たち。
広報室の業務はダンジョンネットやインターネットにおける情報収集、情報工作から、他企業に潜入させた工作員へのオペレーション指示、医療支援などによる他企業への懐柔戦略、企業間紛争におけるイメージ戦略の立案など多岐にわたる。
新人である『彼女』の仕事は、今のところ一般的なサイバーセキュリティ業務にとどまっているが、ソル・ハドソンの運営しているBS221Bチャンネル、爆神暴鬼の爆神チャンネルなどで火消しめいたコメントを投下しているのもこの場所らしい。
すべてが潜広発というわけではないが、軽く流れを作ってやれば、承認欲求に駆られた流されやすい人間が集まってきて、勝手に延焼させてくれるらしい。
(……どうしてこんなになるまで放っておいたのよ、本当に)
いくらなんでも東京大迷宮サイドが放置しすぎだろう。
さすがに度を超えた、ということで灰色の猫が動き、『彼女』の出番となったのだが、もう四、五年くらい前には動いて片付けておくべきだった。
そんなことを思いつつ、ソル・ハドソン陣営にあっさり解析されてしまった暗号無線の再設定作業を進めていくと、広報室の業務用チャットに『#秘密厳守で』と書かれた動画のアドレスが貼り付けられた。
発信者は広報室長の田口映一。
広報室のスタッフ全員が閲覧可能になっている。
(うわぁ、絶対ろくでもないやつ)
そう思って放置していると。
にゃ(さぼるな。チェックしろ)
デスクの下に潜んだ灰色の猫が短く鳴いた。
ペットではなく、従魔扱いなので潜水艦内のオフィスへも持ち込みOKである。
(はいはい)
不承不承リンクを開く。潜広の船室で軟禁されている南郷フミヒコの姿が映し出された。
高尾山生産村の元村長であり、政治系配信者。『生産系の有力冒険者が多く住まう高尾山生産村を首長として政治的に支配しMIYACO傘下に収める』というプロジェクトをぶち上げてMIYACO評議会の元老達から支援を引き出して、生産村村長の地位を獲得した人物だが、ソル・ハドソンという理不尽の塊と対立するようになったことでメッキがはげ、村長の座を辞した。
自分たちの人選ミス、局面の変化を認められない元老たちから再起のチャンスをやれ、という要求を受け、つい先ほどまで潜広のドローン制御室で佐々木ユキウサギを主力とした海中偵察・工作チームの指揮をとっていたのだが、偵察ドローンの壊滅と佐々木ユキウサギの離反、そして佐々木ユキウサギに対する非人道的な発言の流出を受けていよいよ命運が尽き、潜広の最高責任者でもある牧島国母から待機を命じられていた。
部屋の扉が開き、その牧島国母が姿を現す。
海軍士官風の衣装の兵士系冒険者たちを伴っている。
「おまたせして申し訳ありません。MIYACO評議会で、南郷フミヒコさんに対する査問会の開催が決定しました。これより本部への移送を実施しますので、ご同行ください」
牧島国母は優しげな口調で処分内容を告げた。
頬をひきつらせていた南郷フミヒコだが、査問会であればまだリカバリーが利くと思ったのか、やや安堵したような様子で「ハイ!」と応えた。
くすくす。
そんな様子を小馬鹿にするような笑い声、スナック菓子の袋を探る音が広報室に響く。
「それではこちらへ」
牧島国母は兵士達と共に南郷フミヒコを潜広の接続ポートへと誘導した。
浮上した接続ポートで南郷フミヒコを待っていたのは、主に物資の輸送や人員の揚陸などに使う潜水ドローンである。
わざわざ接続ポートのカメラ映像に切り替えて録画し、広報室全体に実況中継しているようだ。
「……こ、これに乗れと、仰るんですか?」
『泳ぐ棺桶』めいたサイズ感のドローンの姿に、南郷フミヒコは頬を引きつらせる。
「はい」
牧島国母は悪意や冷たさを全く感じさせない、隙のない微笑みを見せた。
「房総半島沖で提携企業の船にピックアップしていただく手筈となっています。少し窮屈ですが、どうかご容赦ください」
「ご、御冗談を……」
南郷フミヒコは愛想笑いを浮かべ、慈悲を乞うように首を振るが、牧島国母は慈母めいた表情を保ったまま「申し訳ありません」と応じた。
「査問会のスケジュールと、ピックアップの都合上、どうしても他の交通手段をご用意できず。どうかご理解ください」
「そ、そうだ。町田のブラックドラゴンを!」
「時間がありませんので」
「ご理解を」
「ご協力を」
南郷フミヒコの最後の抵抗を押し殺すように、兵士たちが動き出す。もがく南郷フミヒコを潜水ドローンに押し込めていく。
「お、おい! やめろ! ふざけるな! オレを誰だと思っている!」
そんな罵声ごと封印するように、ドローンのハッチがロックされた。
「ありがとうございます。それでは、移送を実施します。無人潜水ドローンC2、準備はよろしいですか?」
「万端整っておりまぁす!」
楽しげな声で応じたのは『彼女』と同室にいる広報室長、田口映一だった。
「では、出航を」
「はい、ドローンC2、出航!」
囃し立てるような声と共にドローンが潜広を離れてゆく。
「いってらっしゃーい!」
「さようならー!」
「ううッ、フミヒコちゃん! 元気で、元気でねっ!」
パチパチパチパチ!
パン! パンパンッ!
広報職員たちもはしゃいだ声をあげ、拍手をし、どこからか出したクラッカーを鳴らす。
警報灯が一瞬だけ赤く点滅し、艦内放送が注意音を流した。
「こらっ! 潜水艦でクラッカーを鳴らすんじゃないよ! バカなの君たちっ!」
妙に朗らかな、どこか狂気めいた空気の中、カメラがさらに切り替わり、南郷フミヒコの顔をとらえる。
「……お、おい……待てっ!……これ、本当に千葉に向かってるのか? なんでこんなスピードで深度を上げてる!」
「暗い! 見えない! なにも見えない! おい、状況を教えろ! 航路を確認しろ! なあ、おい! 誰か、聞いてるかっ!?」
「国母ッ、オレを消す気かっ……!」
「やめろ! 助けてくれ! 窒息死は嫌だ! 助けて、助けてくださいぃぃーーっ!」
泣き叫び始める南郷フミヒコ。
その様子を、田口映一が「たすけてくださいぃぃーーっ!」と物真似し、職員達を笑わせた。
潜水ドローンが東京圏外、ブラックアウトというルールのない「死が本来あるべき死として機能する世界」へと離脱する。
それから約十分後。
南郷フミヒコを乗せた潜水ドローンは、事前に選定されていた深海断層の深層へと降下を続け、圧壊した。
配信画面がブラックアウト。
「潜水ドローン圧壊。乗客の生存は絶望的です」
潜水ドローンを制御していた女性職員が明るい口調でそう告げた。
「ハイおつかれさま! じゃあまた通常業務に戻ろうかー! 残業はなし、ブラック冒険者団の汚名を返上しないといけないからねー」
田口映一が明るく告げた。職員たちは「はーい」と応じる。
(……なんなのよ、ここ)
声を出さずにそう呟く。
にゃ(やれやれ、こんな精神の熱は求めていないのだが)
灰色の猫もまた、面白くなさそうに小さく鳴いた。