第53話 わさび田の異変
大富豪で少し夜更かしをして寝床に入り、目を覚ますと七月二日。
蟹座イベント二日目がやってきました。
夜中はまた雨でしたが、朝には晴れていました。
今日の仕事は農場の手伝いと、群馬ダークが配信で行うオムライス販売となります。
一応の名目は販売ですが、影の目的はボランティアで農場周辺の警戒活動を行っているオフライン弁慶団への差し入れです。
「普通に持ってってもあの人らは遠慮するから」
ということで半額チケットを配り、配信販売を行うことで自主的に手を出させる作戦になります。
私が手出しをしすぎると必要以上にレアリティや倍率、販売価格があがってしまう危険があるので料理への関与は最低限に控え、農場周辺に散らばったオンライン弁慶たちのところにバーネットを走らせ、大判のキャロットクッキーを焼いて誘い寄せます。
「ひ、ひとついただこうか……」
「ありがとうございます。よければこちらも」
キャロットクッキーを買ってくれた弁慶には一緒にチケットを渡し、誘導できなかった弁慶にはバロメッツたちが飛んでいって直接チケットを押し付けてゆきます。
メェ (よければこれを)
メエェ(ドンレミ農場の割引券だ)
メメェ(イベント期間限定になる)
レゾナンスシステムを使えば全員誘導できたかも知れませんが、今回の目的はクッキーの販売ではありません。本番前に弁慶たちの懐を削りきってしまっては本末転倒ですので、使用は控えることにしました。
今日のオフライン弁慶は約二〇人、五グループに分散して農場周辺の監視と警戒にあたっています。
さすがに毎日張り付いているわけにはいかないのか、昨日のゲイボルグ弁慶などの姿は見当たりませんが、全体の人数は変わっていないようでした。
メェ (ローテーションを組んで回しているようだな)
メエェ(本当に組織規模が読めんな)
メメェ(中小規模の冒険者団くらいにはなるのではないか)
バロメッツたちが感心したような、呆れたような声をあげていました。
最後のグループとなる東京玩具流通センター近くに陣取る弁慶たちにチケットを配り終えると、手元に小さなウィンドウが展開しました。
ドンレミ農場わさび田のセンサーに反応あり
というメッセージが表示されます。
ドンレミ農場の支場にあたる薬師院エリア付近のわさび田に仕掛けた防犯・防衛用のセンサーから、農場長の群馬ダークに送られたメッセージですが、イベント期間中は私のほうにも通知がくるようにしてもらっています。
ウィンドウを操作し、わさび田のカメラの映像を確かめると、鮫の頭をした白い大蛇のモンスターが入り込み、威嚇の声をあげるマンドラゴラたちと睨み合っている様子が見えました。
体長でいうと一〇メートルくらいはありそうです。
群馬ダークに音声通話をつなぎ、バーネットを出して移動を開始します。
「ソルです。わさび田のほうにモンスターが」
「うん、こっちも今確認したところ。今から現地に向かうつもりやけど、ソルちゃんも来てもらっていい? たぶん、私とマンドラゴラだけじゃ手に余ると思う」
「はい、バーネットで移動をはじめています。群馬さんとどちらが早くなるかはわかりませんが」
車格が大きすぎるので最終的には群馬ダークの馬のほうが早くなる可能性もありそうです。
「わかった。追いつきそうならそこで拾う。とにかく現地でまた」
「はい」
通信をつないだまま、まずはわさび田方面へとバーネットを急がせます。
運転を担当するのは私ではなく、魔法生物であるバーネット自身となります。自動車というよりは低空を飛ぶドローンめいた挙動で滑るように動いて行きます。
五分程度で薬師院エリアまで到達しましたが、最後は木々に進路を塞がれて降車、アルフォンスを出し、自分の足で走ってゆきます。
わさび田が近づくと、
サメラドーンッ!
そんな奇妙な咆哮が轟いてきました。ゴゲー! ゴゲゲーッ! というマンドラゴラの威嚇も聞こえるので、例の鮫頭蛇の声のようです。
サメ、ではなくサメラドーン。
サメはともかくラドーンの意味がわかりませんでしたが、ともかく走ってゆくと、鮫頭蛇がわさび田の外に這い出してきている様子が見えました。
ウィンドウの表示によると
モンスター情報:
サメラドン×1
だそうです。
名前をそのまま叫んでいたようです。
アルフォンスの銃口をあげ、攻撃に移ろうとした瞬間。私から見て斜め前方、サメラドンから見ると真横から飛んできたレーザーのような光が、脳を撃ち抜くような角度で、サメラドンの頭に突き刺さりました。
光は強力な熱線だったようです、サメラドンの巨体はその一撃で灰になり、そのまま粒子の群となって消えてゆきました。
光線の軌道を目で追うと、見覚えのある巫女服にNJMのマーク付きポンチョ、黒縁眼鏡の少女の姿がありました。
黒縁セルロイド。
イベント限定の助っ人冒険者としてNJMと契約を結んだと言われるエピッククラス保持者で、冒険者センタービルの常設PvPスペースであるバトルフロアのトップランカー。
PvPをふっかけられはしないかと少し警戒してしまいましたが、そういう意思はないようです。
熱線魔法の発射に使ったらしい古代風の銅鏡を巫女装束の懐に収めた黒縁セルロイドは、ゆっくりしたペースでこちらに走ってきたと思うと
「こちらのわさび田の方でしょうか?」
と質問してきました。
私の正体に気付いていない。もしくは、昨日会った相手だという認識がないようです。
そういえば「眼鏡をしていない相手の区別がつかない」と言っていました。
昨日もらったサングラスをかけたら認識してもらえそうな気がしますが、NJMのほうから「ソル・ハドソンを倒せ」という指示、依頼を受けている可能性も考えられます。
とりあえず「いえ」と首を横に振っておくことにしました。
「オーナーでしたら、今こちらに」
ちょうど後方から群馬ダークの愛馬前橋号と、マンドラゴラのゴゲー! という声が近づいていました。
それに気付いたのか、わさび田のマンドラゴラたちも騒ぎ出しました。
ゴゲー! ゴゴゲー!
メェ (助けを求めているな)
メエェ(中に人が落ちてきたらしい)
メメェ(目を回している)
バロメッツたちが通訳をしてくれました。
その間に群馬ダークが追いついてきます。
「ごめん、お待たせ! どういう状況?」
「モンスターのほうはこちらの方が」
そこでNJMのロゴ入りポンチョを着た黒縁セルロイドに気づいたようです。群馬ダークはやや警戒するような表情を見せました。
一方の黒縁セルロイドは、落ち着いた調子で「こちらの農場のご主人でしょうか?」と確認しました。
悪意も敵意も感じさせませんが、何を考えているのかはよく分からない、独特の響きのある声です。
群馬ダークは少し戸惑い気味に「そうですが」と回答します。
「私は黒縁セルロイド。実は、私の同行者がモンスターに追われてそちらの農場に転げ落ちてしまいまして。恐縮ですが救助に入る許可をいただけないでしょうか」
昨日に比べると言葉遣いが丁寧なのは「やらかした」という意識があるせいでしょうか。ゴーシュ駒人のような「大物」を相手にしていたときより下手に出ているようです。
「NJMの方、ですか?」
「はい」
黒縁セルロイドが淡々とうなずくと。
ゴゲゲゲー。
わさび田のマンドラゴラたちがまた声をあげました「たすけてー」と言っていたそうです。
「……わかりました。ついてきてください」
ここで敵対的な態度をとっても仕方がない、と判断したようです。感情をおさえた表情で言った群馬ダークは前橋号を降りると、わさび田のフェンスを開き、黒縁セルロイドと私を中に入れました。
そこでは、
ゴゲー (だいじょうぶかー)
ゴゴゲー (しっかりしろー)
ゴゲゴゲー(おいこらー)
全身泥に塗れ、なにかそういう怪物のような姿で横たわった人影にマンドラゴラたちがバケツリレーで水をかけ、救護作業をしていました。
わさび田の上の斜面に人が滑り落ちてきた痕跡が残っています。
「呼吸は大丈夫そうです」
命に別状はなさそうですが、とにかく泥汚れがひどい状況です。
「それやったら、先に水場まで運ぼか、足のほう持ってくれる?」
群馬ダークの指示で要救護者を三人で井戸へと運び、泥を洗い流していくと、鬼のような角が出てきました。
衣装は着流しの和服。
微妙に見覚えがあります。
メェ (爆神暴鬼だったか)
メエェ(アンバサダー冒険者が何故こんなところに)
メメェ(取材にでも来ていたのか)
昨日の公式配信に出ていた蟹座イベントのアンバサダー冒険者、爆神暴鬼のようです。
「爆神暴鬼、さん?」
群馬ダークの言葉に、黒縁セルロイドは「はい」と頷きました。
「密着取材ということで、私に同行していました」
取材中の事故だったのでしょうか。




