第51話 経験と閃き
「そうだね」と言って酒の瓶を取り上げた華菱瞳子ですが、瓶の中身は空だったようです。
「お酒は昨日飲んだでしょ」
かわりに皆頃シエルがジュースの紙コップを渡しました。そのジュースを酒瓶に移した華菱瞳子はもう一度「そうだね」と続けます。
「南郷たちをやりこめた時、あんたはキッチンカーとカレーパンで相手の統制をめちゃくちゃにして赤っ恥をかかせた。ああいう手口は得意分野かい?」
「いえ」
ああいうことをやったのがあれが初めてです。
「配信も初めてだったんだろう? 交渉や人心撹乱が得意ってわけでもなく、配信も初めての人間にしちゃ、できすぎだと思わなかったかい?」
「そうですね」
南郷村長のやり口に腹を立てて、どうにかやっつけてやろうと思ったのですが、言われてみると上手く行きすぎでした。
レゾナンスシステムの効果がどれくらいのものになるのか、南郷村長たちに対する三角カレーパンの影響力がどれだけのものになるのか、不確定要素だらけの作戦を全部うまくいくという前提で実行に移し、成功してしまっています。
「できすぎだったと思います」
華菱瞳子のいうとおり、できすぎなのでしょう。
「すんなりうなずかれるとかえって話がしにくいもんだね」
華菱瞳子はジュースの盃を傾けて続けます。
「並行世界とか、世界線って言葉を聞いたことはあるかい? この世界と同じような、けどどこかで別の道に進んで、ちょっと違う歴史を歩んだり、違う情勢になったりした別の世界のことなんだが」
「東京大迷宮の公式サイトの説明で読んだことはあります」
東京大迷宮を生み出した迷宮王アデスは並行世界で生まれた超次元的な存在で、バザールなどで提供している食品や資源、生活物資の多くは迷宮王アデスの力でこの世界に持ち込まれた並行世界産アイテムなのだそうです。
「だったら並行世界って概念についての説明は省いておこうか。公式サイトにもあったかもしれないが、並行世界っていうのはそれこそ数限りなくあって、迷宮王アデスってやつはその数限りない並行世界にやっぱりとんでもない数の東京大迷宮を作りまくって『精神の熱』ってやつを集めてる。用途のほうはよくわからないがね。で、数限りなくある並行世界の中には、この世界にいる私やあんたに対応する別の私がいたり、あんたがいたりすることがある。一人二人じゃなく、万単位のレベルでね。ここまではいいかい?」
「はい、まだ大丈夫です」
ちょっと話が想像外のジャンルに行ってしまいましたが。
「私の目は、その並行世界にいる、別の自分たちと経験を共有できる能力を持ってる。別の世界の別の私が、たとえばあんたみたいな料理系クラスを持っていたとすると、作ったこともないはずの料理の経験を利用できる。自由自在ってわけじゃなくて、困った時ふっと頭に浮かぶ、くらいの話だがね。同じ酒呑童子や花火師のクラスを持った自分の経験なら、自分のスキルをより深く理解して使いこなすための閃き(インスピレーション)をもたらしてくれる。そういう能力があると仮定して、これまで自分がやってきたことを振り返って見た場合、なにか思い当たるところはないかい?」
「あるような気がします」
まともな訓練もなしに放り込まれた対アンデッド戦や企業間紛争で妙な戦果をたたき出して生き延び続けたり、東京大迷宮に来た初日にアンデッド因子感染症に有効なパンを焼き、それから一カ月もしないうちに巨蟹宮を陥落させるようなスイーツを作ったりと、実際に踏んだ場数や経験と、実際に出した成果の間との不整合は少なくありません。
パンやスイーツに関してはレジェンダリーベーカーの力を暴走させているだけ、というのもありそうですが、
特に象徴的なのは、華菱瞳子からも指摘されたレゾナンスシステムとカレーパンによる離間作戦でしょうか。
レゾナンスシステムのジャミングモードの実戦使用は初めてだったにもかかわらず、通用するという前提で作戦を組み立ててしまっていました。
暴力に頼らず南郷村長をやり込める手段が他に思い浮かばなかったというのもありますが、あとになって考えると大胆すぎる選択でした。
『やれる』という判断を導く要素がどこかにもうひとつあったと考えたほうが自然に思えます。
ある世界の私が戦いに生き残り、その経験が他の世界の私に共有されることで生き残る私を増やし、生き残った私達が経験を集め、共有し続けることで作り上げた、世界線を越えた経験と閃きのネットワーク。
そういうものとつながっていたとすると、奨学兵としての私の生存能力と、荒事全般に対する自信、パンやレゾナンスシステムの効果に対する自信についても説明がつきそうな気がします。
「他の世界の私の経験を受け取ることで、この世界の私ひとりではできないレベルの状況判断や意思決定をできるようにする能力、ということでしょうか」
「そういう理解でいい。そこまで理解できたってことは自覚もできたかい?」
「ある程度は」
経験や場数に対する過剰で異常な成果。
自分で口にするには傲岸、不遜過ぎるように感じ、言葉にしないようにしていた疑問に、思わぬ方向から答えを渡されてしまいました。
「能力が成長すると、華菱さんのような目になるんでしょうか」
「能力そのものは成長しない種類のもののはずだが、使い続けていけば身体面の変化が起こる可能性がある。猫の耳が生えた奴や尻尾が生えた奴もいるから絶対に目という保証はできないが」
どこかに猫の耳や尻尾の生えている冒険者がいるような口ぶりです。
「どうして猫なんでしょう?」
私の作った料理を食べると宇宙猫が見えてにゃーと鳴くというのも何か関係しているんでしょうか。
「そのへんについてはネタバレ禁止らしくてね」
華菱瞳子は口を動かして何か言ったようですが、なにも聞き取れませんでした。
「情報がロックされているんですか?」
バロメッツたちを従魔化したときと同じ情報伝達の制限があるようです。
「ああ、このあたりの情報は共有して欲しくないようだ。制限されてない情報をひとつ出すと、並行世界の自分と経験を共有する能力ってのは、たぶん、迷宮王アデスが持ってる力に近い」
「アデスの力?」
「ああ、バザールに出てる物資だが、大半の出どころは並行世界。もっと平和で、物資のたくさんある並行世界から運び込まれたものだって話は知っているかい?」
「はい、迷宮王アデスの力だと公式サイトにありました」
「妙なところでぶっちゃけるね公式サイトは」
華菱瞳子は呆れたように呟きました。
「公式サイトにもあるとおり、迷宮王アデスには並行世界と物資をやり取りする能力がある。で、私やあんたは並行世界の自分と経験情報をやり取りする能力がある。近い能力だと言っていいと思わないかい?」
「はい」
方向性は近そうです。
「近いとすると、どうなるんでしょうか?」
「一応私なりの考えはあるんだが……これもネタバレブロックに引っかかるね」
華菱瞳子はまた口を動かしましたがなにも分かりません。
「思わせぶりなわりに役に立たねぇなこの先達」
皆頃シエルがそんな茶々を入れました。
「あんたも運営側だろうに。ブロックしてる側じゃないか」
「あ、やべ、そうだったわ。サーセン」
モンスターの自覚があまりないようです。
華菱瞳子は息をつき、またジュースの杯を傾けました。
「まぁ確かに、思わせぶりなばっかりで実のない話になっちまったね。とりあえず、あんたと同じような能力を持ってる人間は、あんた以外にもいるってことだけ覚えといてくれ。急に猫の目になったり耳が生えたりしても経験者はいる。その能力で困ったり悩んだりすることがあったら、言ってくれりゃあ相談に乗る。実際に役に立つかどうかは別問題だがね」




