第42話 七月一日午前八時
薬師院連合の発足とドンレミ農場・BS221Bとしての出店発表からは、七月からの本番に備えたメニュー作りや調理、接客の練習、薬師院連合の一部冒険者を対象にしたリハーサル営業、それとNJMなどにPvPバトルを仕掛けられたときのための対冒険者戦の訓練などに費やしました。
素性を隠して冒険者センタービルのPvPスペースであるバトルフロアに通い、3対3で行うノーマルマッチに参加。PvPでの格を示すPOWという数値を1,000から2,500まで伸ばしたのですが、少し勝ちすぎて目立ってしまったのでそこで引き上げ、それからはシュバリエや三帝の訓練などに参加して対冒険者戦の感覚を身に着けてゆきました。
POW5,000クラスで、バトルフロアチャンピオンの肩書きを持つゴーシュ駒人、POW4,000クラスの上位ランカーである紙燭円山などとも対戦する機会がありましたが、さすがに勝つのは無理でした。
そうしていよいよ月が明け、蟹座イベント、
雨だ! サメだ! グリフォンだ! 真梅雨は水着で大戦争!
が開幕の時を迎えました。
名前はさておき水没状態に陥った東京を救うという壮大な趣向の大型イベントです。
普通東京が水没したら他の地域や国も大変なことになりそうですが、見えないプールに囲まれたように、東京の水位だけがピンポイントで上昇しているそうです。
イベントの開幕を告げるのは、もちろんプロデュース役兼ナビゲーターの巨蟹宮主カルキノスとヒュドーラです。
イベント開始一時間前となる七月一日午前八時。すっかり下宿人のようになっているドンレミ農場の居間でバロメッツと群馬ダーク、マンドラゴラたちと東京大迷宮TVの配信画面を開いて待っていると、カウントダウンの表示を経て、カルキノスとヒュドーラが姿を現します。
水兵風のセーラー服と帽子に身を包んだヒュドーラと、帽子とスカーフだけをつけたカルキノスは巨大な塔のような建物の上から、水没した市街を見下ろしています。
雨はやみ、大海原に飲まれた市街の上には青空が広がっています。
「フッ、このあたりもすっかり海に飲まれちまったチョッキン」
「ひでぇもんだぜ」
「それもこれもあのヘラ、おっといけねぇ、ネタバレをするところだったチョッキン」
<わざとらしい小芝居やめろ>
<ヘラってなんだ>
<ヘラクレスか>
巨蟹宮主の蟹蛇コンビはギリシャ神話では英雄ヘラクレスに退治されているキャラクターですのでヘラクレスは宿敵になるそうです。
そしてカルキノスとヒュドーラはカメラに向き直ります。
「おまたせしたチョッキン」
「七月イベントのナビゲーター兼プロデュースモンスター、ヒュドーラと」
「カルキノスだチョッキン!」
「港区芝公園、東京レルネータワーからのお送りしています♡ イェーイ!」
「ウェーイチョッキン!」
メェ (芝公園の)
メエェ(東京レルネータワー)
メメェ(東京タワーを乗っ取りやがったな)
カメラが引いてタワーの全体像が映し出されると、確かに東京タワーに多頭の蛇が絡みついたような造形の巨塔の輪郭が浮かび上がります。蟹の造形はないのかと思いましたが、東京タワーの先端部にくっついてハサミを振り上げていました。
実寸でいうと数メートルはある巨大蟹ですが、三〇〇メートルのタワーに絡みつく巨大蛇のおかげで小さく見えました。
レルネーというのはギリシャ神話におけるヒドラと蟹が住んでいた都市の名前だそうです。
「雨だ! サメだ! グリフォンだ! 真梅雨は水着で大戦争!」
「空は残念ながら晴れ模様! しかしサメもグリフォンもおろかな冒険者たちを貪りくらう準備はバッチリチョッキン!」
サメェェェェーッ!
グリィィィィーッ!
水没した市街をサメが泳ぎ回り、水上に顔を出した建物の上に陣取るグリフォンの群の姿が映し出されます。
<わりと普通に恐ろしくて嫌なんだが>
<下手に海に出たら速攻で死ぬ>
「では今回のイベントの概要をおさらいしてゆきましょう」
「今回のイベントの目的はもちろんこの水没した東京の救済チョッキン!」
「この東京のどこかに出現したイベントダンジョンに潜む邪悪なボスを討伐することでこの東京を満たす水は抜け、世界は救われちゃいます!」
<実際にやったのはこのイカれたカニとヘビガキではないのか>
<その怪しすぎるタワーは一体なんだ>
「ちなみにこのタワーはエンドコンテンツとなっております♡」
「イベントボスを倒して時間が余ったら相手をしてやっていいチョッキン」
「いま来てもいいですけどすぐ死んじゃうと思います♡」
ドヤ顔でウィンクをしたりハサミを鳴らしたりする迷宮主たち。
<うわぁ腹立たしい>
<このヘビガキが>
<いつかわからせてやる>
チャット欄がやや荒れてきましたが、巨蟹宮主たちはマイペースに続けます。
「哀れでみじめな冒険者らしく、まずはあちこち這い回って泳ぎ回って探してみてください♡」
「PvP可能エリアもたっぷりあるから醜く争い合うといいチョッキン」
「それと、イベント開始と同時に三体のレイドモンスターを解放します。少人数では攻略困難で、グリーンエリアまで襲撃をかけたりするので要注意です♡」
「では早速紹介するチョッキン!」
「まずは一匹目、鷲獅子ネメアー!」
ヒュドーラが空に両手をかざすと、体長数十メートルにも及ぶ巨大なグリフォンが空中に現れました。
「射撃無効、白兵無効、魔法なんかももちろん無効! 難攻不落の空の王者です。攻略は意外と簡単なほうなのでがんばれ♡ がんばれ♡」
<ネメアーの鷲獅子>
<ネメアーの獅子なら聞いたことがあるが>
<ヘラクレス絡みだな>
<本当にヘラクレスネタで行く気か>
チャット欄がざわめきます。
この場ではよくわからなかったのですが、ヘラクレスの神話に登場する『ネメアーの獅子』に鷲属性をつけてグリフォンにしたモンスターだったそうです。
ギリシャ神話では、ヘラクレスに殺されたネメアーの獅子が星座になったのが獅子座なので、獅子宮から苦情の出そうなモンスターでもあるそうです。
「おつぎはこいつチョッキン!」
ヒュドーラが鷲獅子を引っ込めると、次はカルキノスが左右のハサミを突き上げ、新しいレイドモンスターを登場させます。
「ディオメデスの人喰鮫!」
やはり体長数十メートルクラス、馬のようなたてがみと足を生やした、何か冒涜的なデザインの怪物鮫が姿を現しました。
「強くて早くて人を喰う! 水陸両用の捕食者! もう誰も逃げられないチョッキン!」
<本当はディオメデスの人喰い馬だっけ>
<これもヘラクレス関係>
<もうこれヒントだな>
<ケルベロスもいるとするとたぶんタルタロスがどっかに生えてそう>
<ケルベロスも鮫とかグリフォンにされてるんじゃねぇかこれ>
こちらもヘラクレスの神話由来、ディメデスの人喰い馬というモンスターと鮫を合成したモンスターのようです。
モンスターの名前からの考察が進んでいく中、三匹目、または三組目のレイドモンスターの紹介が始まります。
「最後はちょっと規模が大きくなります」
「ゲリュオンと赤い牛チョッキン!」
最後に空中に浮かび上がったのはギリシャ風の鎧を身に着けた三つの上半身を巨大な下半身に合体させ、背中に翼を生やした異形の巨人と、赤い体をした獰猛そうな雄牛の群でした。
今回はサメ要素もグリフォン要素もないようですが、
キュピメェ (ゲリュオンの赤い牛か)
キュピンメェ (牛系統の最高級食材だな)
ジュルルメェ (思わぬ大物が現れたものだ)
バロメッツたちが妙な反応を示しました。




