第40話 薬師院
南郷村長と接触し、初めての配信をした夜。
群馬ダークをドンレミ農場まで送り、その日も泊まっていくことにした私は、夕食のあとで背脂所長と通話をしました。
南郷村長に絡まれて消耗した群馬ダークは、今日は早めに休んでいます。
配信の反響はさすがに大きく、問い合わせは一万件近く殺到しましたが、先のエトワールスイーツ騒ぎの時にヒュドーラとカルキノスが用意してくれた問い合わせ対応プログラムが想像以上に活躍し、特に問題なく処理することができてしまいました。
「ばたばたしているところに済まないな」
「いえ、大丈夫です。ぐぜひかりの件でしょうか?」
「別件だが、ついでにそちらも話しておくか。直近の試験で、ぐぜひかりを使ったパンでアンデッドを誘引し、摂取したアンデッド因子を消滅させることができると証明できた。パン職人の属人性もない」
アンデッド用の毒餌めいた運用をされているようです。
有効な駆除方法が増えるのは良いことですが飛行機から爆撃のようにパンを投下していく光景が脳裏に浮かびました。
「潜伏型患者への臨床試験や機械生産、実戦運用のテストも順次実施する。シュバリエの上層部からは法務部を入れて正式な使用契約の話を進めたいと話が来ている」
「法務部ですか」
難しい話になってきました。
「ぐぜひかりについてはとりあえずの経過報告だ。今日明日の話というわけじゃない。本題は蟹座イベントのほうになる」
「イベント、ですか?」
背脂所長が興味を持ちそうな話ではないと勝手に思っていました。
「ああ、蟹座イベントの攻略のため、シュバリエ・ワークスと三帝重工冒険者団を中心とする冒険者連合で薬師院付近に探索拠点を構築することになった。そこの物販エリアに君と群馬ダークに出店をしてもらえないかと思ってな。関心があるなら例のキッチンカーの制作者も」
メェ (薬師院?)
メエェ(文化遺産エリアのはずだが)
メメェ(あんなところに拠点を?)
薬師院というのは高尾山生産村と高尾山山頂の間にある大きな寺社の名前です。旧時代から高尾山の名所として知られていましたが、アンデッド災害によって荒廃、崩壊しかけていたところを人馬宮主キロンが管理モンスターを送り込んで復旧、維持管理をしている文化遺産区画となります。
「薬師院を管轄しているのはバトルフロアを統括している人馬宮主だ。同じ人馬宮主が取り仕切っているバトルフロアで好成績を収めればそこそこの無理は通る」
シュバリエ・ワークス、三帝重工冒険者団のエース級冒険者による混成選抜チームを冒険者センタービルのバトルフロア、つまりPvPスペースに送り込んで暴れ回らせることで人馬宮主キロンの興味を引き、薬師院近辺の山道、山林の利用許可を取り付けたのだそうです。
あくまでも近辺の利用許可で、文化遺産となる薬師院そのものは利用不可だそうですが。
「背脂所長もイベントに参加するんですか?」
「自分で参加するつもりはないが、こちらもNJMの連中が目障りになってきてな。研究活動に悪影響が出る前に排除したい。PvPルールを利用して狩り潰して圧力をかけるようワークスには話を通してある」
背脂研究所が設立されたのは南郷村長ではなく、その前の村長の時代ですが『シュバリエ所有の秘密研究機関』の存在は現村長南郷フミヒコのもとにも申し送られているそうです。
アンデッド因子感染症の研究施設であることまでは知られていないものの、地元の村長という立場を利用して嗅ぎ回っているとのことでした。
「具体的になにをすればいいんでしょうか」
「自由にやってくれていい。君が出入りをしているというだけで、こちらのアドバンテージになる」
「わかりました。群馬さんと相談してみます」
提携先になるはずだった洋菓子店がNJMに乗っ取られてしまっていますので、検討してみる価値はありそうです。
「まずは一度見学に来て欲しい。薬師院の管理者、シュバリエと三帝の拠点責任者にも引き合わせたい」
そんな提案から二日後の朝。
とりあえず見学に行ってみようということになった私と群馬ダーク、ダバイン貴富は高尾山薬師院へ向かう山道に足を運んでいました。
ダバイン貴富は出店がどうこういう話には興味はないものの、単純にシュバリエ・ワークスや三帝重工冒険者団といった大手冒険者団の拠点を見てみたいとのことでした。
天気は霧雨。
ケーブルカー高尾山駅を少し離れた展望台のあたりからは生産村ではなく、薬師院の管理区画となります。
綺麗に舗装、整備された山道とその周辺にはシュバリエ・ワークスと三帝重工冒険者団の建築系、商業系冒険者が入り、仮設店舗の設営や商材の搬入などを進めています。
労働者向けの弁当屋などはもう営業を始めているようです。
「いいね、お祭りの匂いがする」
大きなコウモリ傘をさしたダバイン貴富が楽しそうに言いました。コウモリ傘の先端からは銃弾が出て、布地の部分は防弾、防刃繊維にしてあるそうです。
「なにもなければ生産村の中心地もこんな感じだったはずなんだけど」
メェ (さすがにあの村長ではな)
メエェ (お祭りムードにはなりにくいだろう)
メメェ (NJM以外の冒険者を排除してしまっているのも大きい)
一昨日の配信で名前と顔を売ってしまっているので、だいぶ視線を集めてしまいましたが、特別声をかけられるようなことはありませんでした。
清心門という門を越えてからは殺生禁止の参道です。
冒険者の姿も減って、静謐な雰囲気になってゆきます。
灯籠の並ぶ参道を登り、最後の山門を通って本堂前の広場に入ると、山伏風の衣装を身に着け、背中に黒い羽を生やした天狗系の美少女モンスターと、二メートル近い身長に岩の塊のような筋肉を持つスーツ、髭、モノクルの男性の姿が目に入りました。
一瞬警戒してしまいましたが、敵対的モンスターではなく、男性のほうはそもそもモンスターでもないようです。
「ソル・ハドソンさんに群馬ダークさん、ダバイン貴富さんですね! 高尾山薬師院の管理担当モンスターの皆頃シエルです! お待ちしていました! よろしくお願いするっス!」
ぱたぱたと走ってきた山伏姿のモンスターが元気な声で名乗りをあげ。
「シュバリエ・ワークス法務部所属、ゴーシュ駒人と申します。薬師院探索拠点の拠点長を務めております。よろしくお願いいたします」
モノクルの巨漢、ゴーシュ駒人が優雅な身のこなしで一礼しました。ゴーシュ駒人のクラス構成は見た目通りの筋肉男に法律家、そして音楽家だそうです。立ち振る舞いにはステージ上の音楽家のような風格があります。
皆頃シエルは高尾山エリアのご当地美少女モンスターとして人気があり、ゴーシュ駒人はシュバリエのエースの一角、東京大迷宮全体でも指折りの実力の持ち主として知られる有名冒険者だそうです。
「はい、よろしくお願いします」
「ご足労いただいて恐縮ですが背脂ラードがまだ……いえ、今来たようですな」
振り向くと山門のほうに、スラコンを伴った背脂所長がやってきていました。
「おはようございます。お待たせしてしまったでしょうか?」
ゴーシュ駒人の前では少し気を使うのでしょうか。
初めて背脂所長のですます口調を聞きました。
「いいえ、まだ六分前ですので」
「あとひとりッスね。紙燭さんの場合マジでジャスト五分前に来るはずなんであと三〇秒ッス」
皆頃シエルのコメントから約三〇秒後。
宇宙服をアレンジしたような上着を羽織った小柄な女性が、すっと山門に現れました。
髪は金色、年齢は一七、八くらいでしょうか。
メー (転移スキルか)
いわゆる瞬間移動能力を持っているようです。近づいてくる気配もなく、突然山門に姿を見せました。
「あっ、もう皆さんお揃いですね! すみません、おまたせしましたか?」
宇宙服の少女はふわりと空中を舞うように跳び、私達のほうにやってきます。
重力の影響を受けていないような、不思議な挙動でした。
「三帝重工冒険者団所属、紙燭円山と申します。薬師院探索拠点の拠点長補佐をおおせつかっております。クラスは宇宙人、分析家、忍者です。よろしくおねがいします」
敬礼をし、笑顔で自己紹介をする紙燭円山ですが、ちょっと意味のわからないクラス名が聞こえました。
メェ (宇宙人)
メエェ(実装されているとは聞いたが初めて見たな)
メメェ(瞬間移動はそちらのスキルか)
「宇宙、忍者?」
ダバイン貴富がなにか引っかかったような表情を見せました。
「どうかした?」
「いや、たぶん関係ないね。気にしないで」
ダバイン貴富が苦笑気味に首を振ると、紙燭円山は両手で小さくピースサインを作りました。
なにかのミーム的なメッセージの交換があったようです。ダバイン貴富と紙燭円山は何も言わず「なるほどね」「うふふふふ」というような微笑をかわしました。
もう少しわかってくると「うふふふふ」ではなく「ふぉっふぉっふぉっふぉっふぉっ」という解釈になるのだそうです。
なお、本当に宇宙人になるクラスではなく、重力や空間の操作を得意とする超能力系のクラスだそうです。




