第119話 ゴースト温泉街(その2)
『松梅館』という温泉宿のロビーで、プロフェッサー新巻と落ち合いました。
「ご足労ありがとうございます。こちらです」
プロフェッサー新巻の車椅子の先導を受け、支配人室に足を踏み入れると、ワイシャツ姿のアンデッドが一人掛けのソファーに座り、窓から中庭を見下ろしていました。
ミイラ、という単語を思い出しましたが、機能停止はしていないのか、サイドテーブルに置かれた空の湯呑を手に取り、口元に運ぶのが見て取れました。
休憩中、なのでしょうか。
「A温泉観光協会会長、ホテル松梅館の支配人、楓正博です」
プロフェッサー新巻が紹介してくれましたが、外部からの刺激には反応しなくなっているのか、楓正博というアンデッドは動きを見せません。
「生前は私と同世代の冒険者で、冒険者として活動しながら、時折この温泉街に戻り、施設の復旧、維持管理を行っていました」
群馬復興活動をしている群馬ダークを思い出しました。
「同世代、ですか」
プロフェッサー新巻にも駆け出しの頃があったのか、その頃からシャケ仮面だったのか。そんな雑念が脳裏を過ります。
「はい、晩年はA温泉の復興に役立てるため、旅館の運営マニュアルや名物料理のレシピなどの回収、保全をしていました」
プロフェッサー新巻が書類棚を示すと、『松梅館』の他、『越前閣』『グランデ九頭竜』『蒼滝観光荘』といったホテル名の描かれたファイルが並んでいました。
メー (観光案内板で見た名前だ)
開いてみると『松梅館』のファイルには痛み古ぼけた紙の営業マニュアル、それを電子データ化したらしい光学ディスクなどが収められていました。
他の旅館やホテルについてはだいぶまちまちで、きちんとした営業マニュアルがファイリングされているものもあれば、数枚の書類だけのものや、要塞都市に移住した元従業員から聞き取った覚え書きだけのものなどもありました。
プロフェッサー新巻の言葉通り、温泉地の復旧、復興のための資料として収集、保存していた資料なのでしょう。
「施設の整備作業中にアンデッドの襲撃を受けたようで、私が様子を見に行った時には、既にあの状態でした。ですが、他のアンデッドとは異なり、通常の生物を襲撃する代わりに、温泉や旅館の整備を機械的に続ける、特殊な個体となっていました」
「アンデッドが、他の生き物を襲わずにいられるものなんでしょうか」
「休眠、静止状態であれば可能です。ですが温泉地の整備のような活動を続けながらというのはありえません。東京大迷宮の冒険者であったことが作用したものと思われます」
メェ (作用)
メエェ(やや具体性を欠くな)
メメェ(何か妙なアイテムでも持っていたのか?)
バロメッツたちがやや胡乱げな声をあげました。
「おそらくは、迷宮王の力の断片」
「どういうことでしょう」
「少々唐突過ぎましたね。御三方はおわかりになりますか?」
プロフェッサー新巻がそう問いかけましたが。
メェ?
バロメッツたちには聞こえていないようでした。
「バロメッツには伝達できない情報なんでしょうか」
バロメッツたちをパーマネント化したときと同じ現象が起こっているようです。
「情報伝達には一定以上の活動実績が必要なようです」
プロフェッサー新巻は驚いた様子もなく続けます。
バロメッツたちは情報伝達を制限されていることにも気付いていない様子でメェメェ言っています。
あとで確認したところ、話が通じない時間があったことにも気付いていない様子でした。
「ところでソルさんは、東京大迷宮の存在目的はなんだと思われますか?」
「深く考えたことはありませんけれど……精神の熱を集める、と公式サイトに書いてあるのをみた程度です」
「はい、それも真実ではあるでしょう。ですが、私はそれだけではない可能性を考えておりまして……東京大迷宮の存在目的とは、新しい迷宮王の育成、なのではないかと」
「新しい迷宮王?」
「はい、ソルさんの救世光あたりは特に顕著なのですが、冒険者スキルやその産物は高度なものになるほど現実や因果律を書き換えるものに近づいていきます。この能力を突き詰めたところにあるのが、世界の法則や人間のあり方を根本的に書き換える力を持つ存在、迷宮王なのではないかと」
「冒険者として成長するほど迷宮王に近づいていく、ということでしょうか?」
「そもそものところで、冒険者の力そのものが、迷宮王の力の断片ではないかと考えています。冒険者であった楓正博はアンデッド因子に感染し、その自我が喪われる瞬間に、アンデッドという存在のあり様を迷宮王の力の断片で書き換えた。衝動のままに動く、狂った獣同然のものから、生前の仕事をロボットのように繰り返すだけの、センチメンタルなフィクションに出てくるような、無害で、ややノスタルジックな存在へと」
「アンデッド因子への耐性をつける、という方向ではダメだったんでしょうか」
「そこまでの現実改変能力は、彼にはなかったのでしょう。変化がなかったことにするのではなく、変化を少し風変わりなものにするのが限界だったのではないかと」
「新しい迷宮王を育ててどうするんでしょう」
「想像に過ぎませんが、おそらくは他の並行世界への進出のためでしょう。東京大迷宮は多元宇宙、平行世界群に無数、無限に存在し、増殖を続けています。ひとつの東京大迷宮から、新たな迷宮王を排出することができれば、東京大迷宮の増殖速度をより加速することができます」
「ねずみ算式に?」
「はい」
「そんなに東京大迷宮を増やしてどうするんでしょう」
「そこはわかりません、なにか別の、無数無限の東京大迷宮というリソースを必要するレベルの『何か』と戦っているのではないか、と考えたこともありますが、これも想像に過ぎません」
「そうですか……」
ちょっと理解の域を超えすぎています。
情報制限のせいか、バロメッツたちも、ずっと「喋っているつもり」の様子でメェメェ言っていて無気味なので、迷宮王の話はここまでにすることにしました。
「温泉まんじゅうを作れというのは?」
「……こちらのファイルを御覧ください」
プロフェッサー新巻はシャケ魔法で輝くシャケを飛ばし、書棚からレシピと題されたフォルダを取り出しました。
「楓正博は生前、このA温泉で供されていた料理や菓子類のレシピや製法を収集し、東京の料理系冒険者たちの力を借りて、再生を進めていました」
ジュルメェ (カニ鍋)
ジュルルメェ (ソースカツ丼)
ジュルジュルメェ(やき芋メロンパン)
話が食べ物の話になったせいが、バロメッツたちの情報制限が解けました。
「大方のメニューは東京で再現することができたのですが、温泉まんじゅうだけは再現できないレシピだったようでして」
「そんなに難しいものなんでしょうか?」
「レシピそのものは特別なものではないのですが、饅頭を蒸す工程で温泉の蒸気を利用しています。それと生地にろ過した温泉水を」
「そうですか」
だいたい同じものを作るだけなら東京や安全確保がされた他の温泉地などでもやれそうですが、この場所で作ることに意味があるのでしょう。
「再現が難しいこともあって、生前の楓正博が最もこだわっていたものです。並行世界のA温泉産の温泉まんじゅうを食べても納得が行かないとぼやいていました」
プロフェッサー新巻は苦笑するように言いました。
「彼のアンデッドとしての寿命は、そう長くないようでして。二度目の終わりが来る前に、それなりのものを作って見せてやりたいと思っていたのですが、場所柄料理系冒険者を連れて来るのも難しく。どうしたものかと思っているところに貴女がやってきたというわけです」
メェ (プロが小麦粉を積んでやって来たというわけか)
メエェ(しかし完成させても)
メメェ(喰えるのか)
「作っても、食べることはできませんよね?」
「ええ、見せるだけですね。単なるセンチメンタリズムに過ぎないのですが」
「そうですか」
それだけ答えて、レシピのファイルを確認します。
工程的に『ベーキング』の範囲に入らない気がしますが、やれないことはなさそうです。
「ご依頼はわかりました。やってみようと思います」
急ぐ旅でもありませんし、断る理由も思いつきませんでした。




