第116話 一応の故郷
施設の名前は宝強院。
私が物心ついてから奨学兵になるまで、約十年を過ごした一応の故郷ということになります。
出資者はMIYACOの構成企業の一つ、牧島農産。運営は、その傘下にある慈善団体・宝強会が担っていました。
宝強会の実態は禅宗の流れを汲む、と自称する仏教系新興宗教で、アンデッド災害の発生前からある種のカルト教団として批判を受けていたそうです。
ですが、組織の解体前にアンデッド災害が発生し、独立武装教団、あるいは武装農業コミュニティとしてその命運をつなぐことになりました。
さすがにMIYACOの中核組織に入るほどの規模にはなりませんでしたが、牧島農産の協力団体となることでアンデッド時代を乗り切り、ダンジョン時代の慈善・農業団体としての生き残りに成功しました。
その具体的な活動内容は、アンデッド災害遺児の保護育成と教育、就職斡旋。
孤児を集め、年少時には農場の労働力として運用。成長後には奨学兵という名目で武装企業の尖兵として斡旋するというビジネスです。
宝強院という施設がなかったら、物心付く前にアンデッドになっていた可能性が高いという現実もあります。ですので、一概に非人道的と切り捨てることもできませんが──。感謝しろと言われても反応に困る、というのが率直なところでしょうか。
農場経営や奨学兵の斡旋事業で安定経営が成り立つだけの利益は出していたようですので、差し引きゼロということで良いのではないかと思います。
かつての新興宗教団体の本山を利用した施設は、大規模アンデッド群の襲来によって周囲の集落、農場ごと放棄され、残っているのはアンデッド化した施設関係者や、普通に繁殖した鳥獣、昆虫などです。
特に施設の奪還や救助などが目的ではありませんが、実験がてら救世光のパンをばらまきながら進んで行きます。
今回の目的地は施設の一角にある『出版部』の倉庫。
私が施設にいた頃には『聖典庫』と呼ばれていた場所になります。
内側から封鎖された扉をカルキノクラストで破壊して踏み込むと、中には餓死した人間、もしくはアンデッドの死体がいくつか転がっていました。施設の職員が立てこもっていたのでしょう。完全に動かなくなってしまうと、救世光でも手遅れです。そのまま周囲を見回しました。
メェ (旧時代の出版倉庫か)
メエェ(保存状態がいい)
メメェ(初版はアンデッド災害前か)
そこに並んでいたのは、金属のラックに積み上げられた無数の段ボール。
ラベルには書籍とその筆者名が並んでいます。
『光のために 著:献身俊英』
『魂を磨く日々の実践 著:宝強会青年部』
『愛される器となるために 著:宝強会婦人部』
『巡礼への第一歩 著:献身俊英』
献身俊英というのは、宝強会という教団の開祖の名前になります。
アンデッド災害の中で信徒を守る大祈祷のために地下に籠もり、即身仏として大往生、その祈りに応えて遣わされた救い手こそが迷宮王アデスなのだ、と施設の職員に教え込まれた覚えがあります。
まぁそれはそれとして、段ボールの中や、ラックの中から怪しげな本を一冊ずつピックアップ。さらに奥のほうから、ノートに手書きで写された聖典を回収してゆきます。
ノートのあたりからはアンデッド災害発生後や東京大迷宮の出現後の内容が入ってくるようです。
『大いなる試練の時代 著:献身俊英』
『アンデッドという灯火が照らすもの 著:献身俊英』
『アデス 最後の試練、黄金時代の幕開け 著:献身俊英先生を偲ぶ会』
そんなタイトルが目につきました。献身俊英という人物はアデス出現前に亡くなったらしく、最後のテキストは献身俊英のフォロワーたちが書いたもののようです。
めぼしい所を一通りピックアップし、背脂所長から借りてきたスラコンの分体に預け内容をスキャン、チェックしてもらいます。
テケ、テ、テケテケテケテ……。
スラコン的にも『変な情報』なのでしょう、胸焼けを起こしたような声をあげるスラコンにラングドシャクッキーを食べさせて応援し、なんとか分析を終えてもらいます。
テケ!
スラコンの頭上にウィンドウが開き、東京の研究所にいる背脂所長の姿が表示されました。
近くにタヌキがいるのは前の救世光実験で回復した個体がそのまま研究所に居着いたものだそうです。
あの実験以来すっかり味をしめてしまったとのことでした。
下駄サイズのフロランタンをぼりぼりばりばりと噛み砕いた背脂所長は、面白くもなさそうな顔で口を開きます。
「君の指摘通りだな。いわゆるアデス・カルトの教義の96%が、宝強会の教義に一致する。宝強会の教義をアンデッド災害や東京大迷宮の出現に合わせてローカライズしたものがアデス・カルトだ」
メェ (ほぼほぼ既存カルトの教義の使いまわし……?)
メエェ(カルトのリノベーション……?)
メメェ(牧島国母は、どこまでわかっていたのだろうな)
バロメッツたちがため息をついたそのとき――。
“嫌っ! 嫌っ! 嫌あああああああーーーーっ!”
まるで返事のように、そんな悲鳴が聞こえて来ました。
アクアヘーラー、ではなく、牧島国母の声のようです。
虚空にウィンドウが開き、独房のような部屋に閉じ込められた牧島国母の姿が映し出されました。
縞模様の囚人服を着たヒュドーラとカルキノスも同じ独房の中に映っています。
“嫌と言っても現実は厳しいチョッキン”
“東京大迷宮とは罪深い人類の選別と救済の為に迷宮王アデスがもたらした大いなる試練の場♡”
ヒュドーラは教義ノートらしきものを読み上げます。
スラコンが読み取ったデータを勝手に拾ってでっち上げたレプリカだったそうです。
“アンデッド因子感染症の発生は罪深い人類の選別と救済の為に神仏がもたらした大いなる試練の場♡”
“大震災は罪深い人類の選別と救済の為に八百万の神々が……一体何十年前から同じフレーズを使いまわしてるチョッキン! せめてもうちょっと真面目にやれチョッキン!”
怒りの声をあげたカルキノスが『緊急出版! 試練の大震災を乗り越えよ! 著:献身俊英』と題された、ハードカバー本のレプリカを左右の鋏で真っ二つに引きちぎり、バンバンと床に叩きつけました。
メェ (アデス・カルトの正体を把握していなかったか……)
メエェ(宝強会の信徒が牧島農産に入りこんで妙な化学反応を起こしたのかもしれん)
メメェ(ちなみに牧島国母から、我々のこちらの様子はみえているのか?)
“みえているチョッキン”
カルキノスが返事をしました。
勝手にこちらの調査の様子をモニターし、拘束中の牧島国母に見せているようです。
メェ (では、面白いものをご覧に入れようか)
メエェ(献身俊英のご尊影だ)
メメェ(君たちアデスの使徒の高邁な思想はこの男の脳髄より生まれた)
バロメッツたちは段ボール箱の中から『献身俊英先生B2ポスター』を引き抜いて前方にかざしてみせました。
献身的な生活をしていたとは思えない雰囲気の、五〇歳ほどの法衣姿の男性が仏像のようなポーズを取っていました。
紙燭円山と黒縁セルロイドがうっ、というような表情を見せます。
「見た目と思想は別、なんですが、これは、ちょっと……」
「信じてついていきたくなるタイプじゃないわね……」
“あ、あぁ……あああああぁぁぁぁ……”
ウィンドウの向こうで、牧島国母の目が光を失って、その顔が真っ白になっていくのが見て取れました。