第104話 自分と違ってね(三人称)
牧島国母は自失状態。
放置しておいても一応の決着はつくはずだが、それではおもしろくないと思ったらしい。
空ろな目で床を見つめる牧島国母を見上げた迷宮王アデスは声で短く鳴いた。
にゃ(折角だ。君に機会を与えよう)
(うわ)
予想通り、余計なことをする気満々だったようだ。
にゃん(君の生み出す精神の熱に、どれだけの価値があるのか見せてもらおう)
灰色の猫が尻尾を振ると、凍っていた時間が再び動き出す。
アデスは前足をあげてしと床を叩く。
どくん。
トキシンアトラス(正式名称グラン・アトラス)に鹵獲、担ぎ上げられた潜広を、鼓動のような振動が駆ける。
潜水艦の外殻、竜骨、モーター、配管などが本来の意味を失い『何かべつのもの』へと変質。生命を持ち、膨張し、脈動し始める。
「ひっ」
「なに?」
「やだっ!」
静止状態から復帰した広報職員たちが悲鳴をあげながら鈍色の肉塊、あるいは内臓のように変化した広報室に飲み込まれ、泣きわめきながら取り込まれていく。
「うわあああああっ!」
「国母様っ!」
「嫌だああぁぁっ!」
牧島国母に従うオペレーター、あるいはアデス・カルトの信徒たちも同様。
にゃー(君たちの望むようなコンセプトで東京大迷宮をデザインするとこういう世界観になる。全員ブラックアウトルールは適用されるから死の危険はない。存分に狂気と恐怖、絶望を楽しむといい)
「本気でキモいんだけど」
宙に浮かせたハンマー型の杖の上に避難した『彼女』も苦情を申し立てた。
意図的に最後に残された牧島国母が後ずさるが、結果的には背中から肉の壁に突っ込んだだけだった。
「……ひっ、嫌っ! 助けて! アデス様! お許しくださいっ!」
にゃ(精神の熱を捧げてくれるのではなかったのか?)
自分の胸の毛を舌で繕いながら応じるアデス。
にゃ(これから君たちには、このイベントのスペシャルボスを務めてもらう。死や恐怖と向き合うことなく、のんべんだらりとした日々を過ごす軟弱な冒険者たちを、君たちが持つ、死も恐怖も恐れない高潔な精神で徹底的に叩き潰し、叩き直してくれたまえ。首尾よく勝利を収めた暁にはこの東京大迷宮の運営方針の見直しも考えよう)
「もう聞こえてなくない?」
牧島国母の姿はすでに蠢く鈍色の肉の中に沈んで消えていた。
にゃ(理解はしてくれているはずさ。では外に出るとしよう)
『彼女』の杖に飛び乗った灰色の猫は、そのまま『彼女』と一緒に潜広の上空、つまり潜広をかついで陸地に向かうトキシンアトラスの頭上へ転移する。
時を同じくして、潜広の外殻部も変質を始める。
鋼鉄の艦体が膨れ上がり、溶けくずれ、伸び、軟体動物の皮膚のように動き始める。
「な、なんですのっ!?」
姫こと毒巻デスロールが悲鳴をあげる。
崩れ落ちた潜広の艦橋部から蛇のような触手が数十本這い出し、トキシンアトラスの機体に絡みついていく。
「おキモくってよ! 離れやがれましっ!」
トキシンアトラスは鉄拳を見舞い、異形化していく潜広を殴り飛ばす。
触手を引きちぎられて吹き飛んだ潜広が着水し、更に変化を続ける。
元々の船体のサイズの数倍、全高三〇〇メートルの巨神に負けないところまで膨張する。
雛が孵るように、船体が裂けていく。
そこから、肌色をした二枚の巨大な羽根がゆっくりと伸びた。
よく見ると、羽根ではない。
右は銃を持った男たち、左は灯火を持った女たちの集合体だった。
取り込まれたオペレーターと、広報職員たちをモチーフにしたものだろう。
「あのランプって、ともしび一号の暗喩かなにか?」
にゃ (そんなところだ)
「なんか、面白がって?」
にゃあ(否定はしないでおこう)
灰色の猫は尻尾を揺らす。
続いて現れたのは恐竜または怪獣を思わせる長い尻尾。
最後に現れたのは、牧島国母とギリシャ神話の女神像を足して二で割って、花嫁衣装を着せたような印象の金属製の上半身だった。
体のあちこちからは潜水艦の部品や配管、異形の怪物風に変異した魚雷やドローンなどが露出している。
東京大迷宮全域に同報メッセージが配信される。
特別レイドイベントのお知らせ
東京湾上にレイド級特別モンスター『アクアヘーラー・パイス』が出現しました。
詳細については公式サイトをご確認ください
「ヘーラー・パイスって?」
にゃん(由来はギリシャ神話の女神ヘラ。ヘラクレスが十二の試練を受けるきっかけを作り、試練の間も苦難を与え続けた。苦行趣味、苦痛趣味の彼女らとイメージが重なって見えてな。パイスは乙女、という意味だ。ヘーラーは女の一生を表す乙女パイス、妻テレイアー、寡婦ケーラーの三つの名前を持つとも言われる)
「ここから二回変身するってこと?」
にゃ(そこは見てのお楽しみだ)
そう答えた灰色の猫の眼の前で、二枚のウインドウが開き、アデスの側近にして東京大迷宮の実際の運営を担う十二迷宮主の一角、巨蟹宮主カルキノスとヒュドーラが顔を出した。
『こら! アデス様!』
『一体何出してるチョッキン!』
『ヘラクレス出す前にヘラなんか出したら台無しじゃないですか!』
抗議のメッセージのようである。
隠しボスあたりでヘラクレスを出すつもりだったのだろう。
にゃ(それは済まなかった。だがこの状況で、このまま解散というのも盛り上がるまい。楽しめたのはソル・ハドソンとアトラスの関係者だけだ。折角集まった冒険者たちの出る幕がないままアクアタルタロスを閉じるつもりか?)
『うーん、そこは……』
『チョッキン』
つつかれると痛い所だったようだ。ヒュドーラとカルキノスは歯切れの悪い返事をする。
にゃ(ステュムパーロスの鳥と、アルペイオスとペネイオスのコントロールもよこせ。この際一気に大会戦と行こう)
『了解しました』
『かしこまりチョッキン』
敬礼をし、鋏を掲げるヒュドーラとカルキノス。
その足元で、巨大ロボ、トキシンアトラスは必殺剣アトラスラッシュを展開する。
「フェイタル・デッドスラッシュですわーっ!」
必殺剣の一撃でアクアヘーラーの胴体を一刀両断。大爆発を巻き起こす。だがその爆発は、アクアヘーラーがまとっていた乙女形態の花嫁衣装を吹き飛ばす以上の意味はなかったようだ。
あっさりと第二形態形態に移行したアクアヘーラーは、女王めいた黄金のドレス、金冠、巨大な黄金の指輪と王笏を身に着け爆炎の中から現れる。
王笏の先端にはまった宝玉から眩い熱線が迸って水面を駆け抜ける。
水蒸気爆発を起こしながらトキシンアトラスの足元に達した熱線は、逆袈裟の角度で巨神の体をなぞり、溶断。その脚部と右腕を完全に切断し、爆散させた。
「オープンアトラスですわ! ダバイン様! ドボロウ様! 」
「シャケウェイブ!」
素早く機体を分離させた毒巻デスロール、プロフェッサー新巻らが爆散した脚部から明智ドボロウを救出。
右腕のライトカイナーから緊急脱出したダバイン貴富を、アクアケルベロスの触手が捕まえ確保していく。
姿は見あたらないが、水面下で接近していたソル・ハドソンの指図だろう。
アクアヘーラーはそのソル・ハドソンを狙い、体に開いた潜広の魚雷管からウミヘビに似た肉塊を連射し、攻撃を仕掛ける。
肉塊が次々と爆発、水柱を上げる中。
シャアアアアアーーークッ!
ソル・ハドソンを乗せたアークシャークが高速航行で回避、そのまま空中に舞い上がり離脱をはかる。
だが、アクアヘーラーもまたそれを追って動き出す。
「ロキに執着してる?」
にゃー(ああ、東京大迷宮に愛された存在だと気付いたようだ)
「自分と違ってね……って、あんたがわかるようにしなきゃわかんないんじゃないの? そんなこと」
『彼女』はジト目をして言った。




