第103話 アデスの御許へ(三人称視点)
牧島国母に従うオペレーターたちもまた、自身の顎に銃口を向ける。
「え、なに?」
「自決って?」
「い、意味、なくない? どうせブラックアウトで復活するだけだし」
正常性バイアスというものだろうか、広報職員たちが気休めを口にしたが、今回は本当の自決だろう。
東京圏内、つまり冒険者システムの影響圏内であっても、ブラックアウトシステムの恩恵を受けられるのは冒険者登録をしている人間だけだ。
モンスターと戦えば死に、勝っても報酬は得られないのでメリットは全く無いが、信教上の理由や東京大迷宮の管理を受けたくない、などの理由で冒険者登録をせず活動する人間も、少数ながら存在する。
牧島国母とその直属部下はそれだったらしい。
このままでは、『夏、もしくは梅雨の馬鹿騒ぎ』の最中に、集団自決の死体が転がることになる。
「では参りましょう。アデスの御許へ」
「アデスの御許へ」
牧島国母とその部下、あるいは狂信者たちが無造作に引き金を引く、その一瞬前に。
ぺふ。
『彼女』は指を打ち鳴らし損ねた。
にゃ(指を鳴らす才能がないな)
(あんたはスルーの才能がないわね)
フィンガースナップに失敗した右手を平静を装って降ろした『彼女』は金縛り状態に陥った牧島国母らを見渡した。
「筋肉への電気信号を遮断したわ。デスゲームをやりたいなら東京の外でやって頂戴」
『彼女』の所有クラスは、電気使い(エレクトロ)、魔女、錬金術師。いわゆる電撃魔法はもちろん、他者の生体電流に直接干渉するというインチキじみた芸当も可能である。
ついでに呼吸も一時的に止めて窒息させ、失神させた。冒険者登録をしていないのは事実らしい。
(アホみたいに簡単)
だった。
あとは他の冒険者に任せて姿を眩ませてしまうつもりだったが、相方である灰色の猫はなにを思ったが、白目を剥いて倒れた牧島国母の顔にてしてしと前足を当てて起こしにかかる。
「あんた、なんか、いらないことしようとしてない?」
気がつけば、周囲の時間も止められている。静まり返り、瞬きもしなくなった職員たちの前を横切り、『彼女』はせんべいをくわえる。
にゃ(この状態のまま身柄を拘束させても大して盛り上がるまい)
灰色の猫はてしてしてしてしと牧島国母の額を連打する。
ようやく意識を取り戻した牧島国母は目を見開いて身を起こした。
ペットボトルの炭酸を飲む『彼女』を見据えた牧島国母は、少しの沈黙のあとは口を開いた。
「こんなところまで、他所の工作員が入っているとは思いませんでした。三帝の方ですか?」
「もう少し下のほうになるわね」
地位などでなく位置的に下。まだ牧島国母の足元にいる灰色の猫を視線で示す。
にゃ(彼女は私の友人になる。『迷宮王の調整者』だよ)
灰色の猫がそう告げる。
「アデス様の使徒ということですか?」
牧島国母は表情を輝かせる。
神や天使の声に触れた乙女、あるいは聖女のような表情だった。
「この時をずっと待っていました。どうか私をアデス様の元へお導きください。非才卑賤の身ではありますが、より多くの精神の熱をアデス様のもとにお届けできるよう粉骨砕身いたします」
(うわ、やっぱりアデス・カルトじゃん)
アデス・カルト。
東京大迷宮の支配者である超越存在、迷宮王アデスを信仰し、供物や生贄を捧げることでアンデッド時代の終焉、あるいは個人的な幸福や救済などを願う信仰である。
アデス・カルトという統一組織があるわけではないが、東京大迷宮の出現に衝撃を受けすぎた人間の間で同時多発的に発生。『アデス神社』くらいの比較的可愛げのあるものから『アデスに精神の熱を捧げる』ための苦行、あるいは動物や人間を使った生贄の儀式を行うという邪教めいたものまで存在した。
「おいばかやめろ」ということで東京圏内では規制の対象となり、各地の要塞都市にも禁教が申し入れられ、表立った活動を続ける組織は一応姿を消したが、一部のカルトは地下に潜り、東京大迷宮的には迷惑行為、風評被害の発生源でしかない信仰と宗教儀式を繰り返していた。
牧島国母とその部下の行為と発言は、過激なアデス・カルトのものだろう。
冒険者登録をせずに活動をしているのも『真実の死』と向き合いながら生きることで、より高い精神の熱量をアデスに捧げるという宗教的奉仕行為の一環らしい。
事前に情報収集は済ませていたので、予想外ではなかったが、思った以上の異様さだった。
「この願いが叶えられないなら、せめてこの場で私を打ち殺してくださいませ。私の絶望という熱をもって、アデス様への供物といたしましょう」
(どうすんのよアデス様)
灰色の猫に、皮肉っぽい思考を投げかける。
にゃあ(やれやれ)
灰色の猫アデスはため息のように鳴く。
にゃー(残念だがこの東京大迷宮は、死や絶望の熱は欲していない。受け入れられるのはせいぜい困惑や羞恥くらいまでだ。東京大迷宮のFAQにも書いてあるはずだ)
「そんなものはあくまでも運営の見解に過ぎません。アデス様のお言葉そのものではありません。この東京大迷宮が、希望や幸福といった表面的な力だけで維持できるはずがありません。アデス様は必要としているのです。絶望や不幸、恐怖といった、濃く深い熱量を」
(公式が勝手に言ってるだけだってさ)
にゃ……(ふぅ……)
げんなりした様子で尻尾を動かした灰色の猫は、改めて狂信者の姿を見上げる。
にゃー(運営の言葉はアデスの言葉だよ。私がアデスだ)
予が迷宮王アデスである。
旧時代の時代劇のような展開だが、発言者は猫である。
さすがに想像外過ぎたのだろう。
牧島国母は「……はい?」と呟き、表情を凍りつかせた。
「アデス様は……猫?」
にゃ(その通りだ)
その回答と同時に、アデスは周辺の空間を切り替えた。時間が止まった潜水艦の中から、上下の境のない、どこの星系かもわからない宇宙のような領域へと。
にゃん(アデスは無数無限の並行宇宙に、無数無限に存在し、無数無限のバリエーションを持つ。私のような猫の場合もあれば、人の場合もある。あるいは君自身がアデスであるパターンもあるかも知れない。実際に観測はしていないがね)
宇宙空間に無数の猫、無数の人間、無数の動植物、無数のモンスターのイメージが浮かび上がり消えていく。
にゃおん(君が夢見ているような死と苦痛に満ちた東京大迷宮を運営しているアデスも、実のところは存在する。だがこの宇宙のアデスは私であり、私が構築した東京大迷宮はネガティブな精神の熱は必要としない仕様となっている。君が捧げようとしている精神の熱は、この東京大迷宮では無価値だ。役に立つとすれば噛ませ犬程度だろう)
再び空間が潜水艦の中に戻った。
アデスの正体、アデスの意志を告げられた牧島国母はしばしの沈黙のあと、糸が切れたように膝をついた。
「……それでは、あまりにも、手ぬる過ぎはしませんか。人類は愚かです、なんの苦痛も代償もなく、救済を得られるなど! 罰も犠牲も、血もない救いだなんて、そんなもの、そんなもの……なんの価値もありはしません……っ!」
にゃー(それは君の贖罪信仰だろう。個人の妄想や願望を私に押し付けられても困る)
灰色の猫は怒る様子もなく、ただ興味なさげに応じると後ろ足で頭を掻いた。
その様子を見下ろした牧島国母は頭を抱え、金切り声をあげた。
乾いた唇から血を流し、かすれた喉で言葉にもならない叫びを繰り返す。
神がかりになり損ね、ただ正気を失っただけの、出来損ないの巫女のように。




