第102話 エウリュステウスの潜水艦(三人称視点)
前方に立ちふさがるトキシンアトラス(正式名称グラン・アトラス)、後方から迫るアクアケルベロス、ついでに背中にソル・ハドソンを乗せたアークシャークもやってきているようだ。
今回のイベントのモチーフはヘラクレスの十二の偉業。
イベント直前に発生したアークシャーク、グレーターグリフォンの暴走事故の隠蔽工作を頼まれたカルキノス・ヒュドーラの蟹蛇コンビの悪ノリでサメやグリフォンの要素が強引に盛り込まれた結果、現状の惨状となっている。
今回のアクアタルタロスダンジョンと、その守護者アクアケルベロスの元ネタはヘラクレスの最後の偉業にあたるもので、目的はケルベロスの討伐、ではなくヘラクレスの主君エウリュステウス王の「ケルベロスを生け捕りにして連れて来い」という無茶振りである。
本当はケルベロスが見たい、欲しいというのではなく、任務の過程でヘラクレスが死ぬことを期待した命令であったが、ヘラクレスは首尾よく試練を乗り越え、エウリュステウス王のもとにケルベロスを連れ帰る。
本当の願いはケルベロスではなく、ヘラクレスの死であったエウリュステウス王は本当にやって来たケルベロスの姿に恐怖し、青銅の瓶の中に逃げ込んだ。
そんな話を思い出した『彼女』は心中で呟く。
(結果的に神話っぽくなったのかしら)
ケルベロスに追われたエウリュステウス王は青銅の瓶に逃げ込み。
アクアケルベロスに追われたNJMは潜水艦で逃げようとしている。
似たような構図といえなくもない。
『魚雷を発射いたします。総員衝撃に備えてください』
運行・戦闘オペレーターのアナウンスが入り、潜広は魚雷を発射する。
通常の潜水艦戦なら外部の様子はわからないが、ここはまだ東京圏内、お祭り騒ぎと動画配信が続いている。
アクアケルベロスに帯同するソル・ハドソンのチャンネルで、仁王立ちしたまま魚雷を受け、無傷で跳ね返す様子がリアルタイムで中継されていた。
Ꮚ・ω・Ꮚメー/まぁ効かんわな
Ꮚ・ω・Ꮚメー/一体何でできてるんだアレ
Ꮚ・ω・Ꮚメー/圧倒的ではないか
「マジかよぉっ……いい加減にしろよ! なんなんだよマジでよぉっ……!」
そんなコメントが流れ、田口映一が泣き叫び、広報室の職員たちが言葉を失っていく。
大型のウィンドウでソル・ハドソンの配信画面が開いた結果。
Ꮚ・ω・Ꮚメー
の顔文字が広報室をジャックしたような雰囲気になっていた。
『EMPパルス、発振いたします』
冷静というよりは、なにかに洗脳されたような響きの声とともに船首から電磁波が炸裂する。
敵機の電子機器を一時的に無力化、さらに配信活動を阻害するはずの装備なのだが。
「なにをなさったかわかりませんが、効きませんことよーーーっ!」
やはりトキシンアトラスはなにごともなかったような様子で仁王立ちを続けていた。
Ꮚ・ω・Ꮚメー/はいはい強い強い
Ꮚ・ω・Ꮚメー/そろそろ仕掛けたらどうかね
Ꮚ・ω・Ꮚメー/作画コストで動けないわけでもなかろう
「では、そろそろ参りましてよ」
トキシンアトラスが水中を飛ぶように突進を開始した。
Ꮚ・ω・Ꮚメー/やっぱり姿勢は不動である
Ꮚ・ω・Ꮚメー/頭突きで決める気か
『緊急回避を実施します』
潜広が急旋回、広報室の職員やデスク、設備をめちゃくちゃにしながらトキシンアトラスの突進を逃れようとする。
「──タッチダウンですわーっ!」
ラグビーボールを捕まえるような格好で、トキシンアトラスの巨腕が艦を捕まえる。
Ꮚ・ω・Ꮚメー/タッチダウンはあかん
Ꮚ・ω・Ꮚメー/潜水艦なんか爆発四散するわ
そんな指摘があったが、そもそも“タッチダウン”の意味をちゃんとわかっていなかったらしい。
トキシンアトラスは、そのまま水中で立ち上がると、捕まえた潜水艦を水面の上まで差し上げた。
「とったどですわーっ!」
Ꮚ・ω・Ꮚメー/魚のつかみ取りみてぇな感覚で潜水艦を獲るな
Ꮚ・ω・Ꮚメー/で、なんなんだその潜水艦は
Ꮚ・ω・Ꮚメー/リリースしてあげなさい
Ꮚ・ω・Ꮚメー/マジレスするとNJMの広報部そのものでござる。中に牧島国母やらその部下やらがいて情報工作やらランタン・ラボの証拠隠滅やらの指図をしていたでござる。詳しくはこちらを御覧いただきたいでござる→リンク
Ꮚ・ω・Ꮚメー/どこの群馬のニンジャでござるか
「どういうこと?」
「どこかにスパイがいるってこと?」
「もう嫌! もうやめてよぉっ!」
完全にパニック状態の広報室の中、帽子をかぶり、ほうきに腰掛けて水平と平常心を維持した『彼女』は無言で配信に貼り付けられたリンクをチェックする。
イベント序盤からNJM内部に潜り込んでいた『忍者』の調査報告書らしい。
『潜広』の存在や、『潜広』からの無線のやり取りまで把握していたらしく、ランタン・ラボに送った自爆命令や収容患者の処分命令のログまで公開されている。
(私以外にも誰か動いてたの?)
にゃ(有志で勝手に動いていた者がいるようだ)
(今に始まったことじゃないけれど、全体的に自由すぎない?)
Ꮚ・ω・Ꮚメー/こいつはひでぇでござるな
Ꮚ・ω・Ꮚメー/もうこのまま海の底に眠らせたほうが良いのでは
Ꮚ・ω・Ꮚメー/迂闊に開くと厄災が吹き出しそう
Ꮚ・ω・Ꮚメー/パンドラの箱の希望抜き
リンク先をチェックしたらしい「Ꮚ・ω・Ꮚメー」たちのコメントが流れてゆく中。
「ど、どうしてだよっ! どぉしてだよぉっ! どうなるんだよこれからぁっ!」
泣きじゃくるような声をあげているのは、室長田口映一である。完全に錯乱した様子で頭を抱えたり、顔を掻きむしったりしていた彼は、やがて超然とした表情を保ったままたたずんでいる牧島国母に目を向けた。
「おいっ! 牧島さんっ! 牧島! 牧島ァっ! 責任はとってくれるんだよなっ! もとはといえば全部あんたの計画だったんだもんな! あんたが全部責任をとってくれるんだよなっ!」
「はい」
駄々をこねるような、現実味のない要求をする田口映一。
牧島国母はそれまで通りに微笑んで答える。
「全ての名誉と責任は、私のものです」
「ハ?」
田口映一は目を剥いた。
他の広報職員達も、声を荒げこそしないものの、困惑したような表情を見せる。
そんな様子を『彼女』は冷静に観察していたが、牧島国母が実際に何を言っているのかまでは理解できなかった。
「名誉だ? なんだそれ、今の俺等に一体どんな名誉があるってんだよっ舐めたこと言ってっとぶっ殺すぞっ!」
完全な狂乱状態らしい。拳を振り上げた田口映一は牧島国母に歩み寄り。
パンッ。
横合いから放たれた銃弾に頭を撃ち抜かれてブラックアウトした。
「えっ?」
「なに?」
「ひっ!」
残された広報職員たちが悲鳴をあげ、田口映一を撃った軍服姿のオペレーターたちが広報室に押し入り、アサルトライフルやショットガン、サブマシンガンなどの銃口を広報職員たちに突きつけた。表情を凍りつかせる広報職員たち、牧島国母は手をあげて銃口を降ろさせた。
「怖がらせてしまって申し訳ありません。田口室長は残念でしたが、混乱を避けるためにブラックアウトをしていただいただけで、四八時間後には復活なさいますのでご安心ください」
(四八時間?)
イベント期間中のPVPでの復活時間は二四時間のはずだ。勘違いしただけかも知れないが、妙に引っかかった。
「これより私と、当艦の運行・戦闘オペレーターは全員自決します。皆様とはここでお別れとなりますが、どうか志を喪わず、日本の未来の為に精神の熱を燃やし続けてくださいますよう」
笑いながら、一方的にそう告げた牧島国母は、近くのクルーから拳銃を受け取り、それを自身の頭に向けた。
(自決って)
東京大迷宮の死には制限がかかっている。
冒険者登録をしていれば、自分の頭に銃弾を打ち込んでもホームエリアに送還され四八時間拘束されるだけだ。
自殺がしたければ東京圏外に出てからやれ、というシステムになっている。
そんな疑問が一瞬浮かんで、すぐに気づいた。
(そういうことか)
冒険者登録をしていると、ブラックアウトルールのために自殺は不可能。
逆にいうと、冒険者登録をしていなければ、ブラックアウトルールの制限は受けない。
田口映一は冒険者登録をしていたが、復活までの時間は通常どおりの四八時間。牧島国母の言い間違いでないならば、イベント期間中のPVPバトルは24時間で復活するという特別ルールが適用されていない。
(ねぇ、こいつら、もしかして)
心の中で問いかける。
灰色の猫が短く鳴いた。
にゃ(全員、非登録者だ)




