悪役令嬢なんていなかった
デコイっていう単語を使いたかっただけなんです。
男爵令嬢アリエッタ・ブラムズとシモンズ第一王子が身分を越えた恋愛関係にある、というのは既に学園ではすっかり知られた事実であったし、また学園に通う多くの令嬢や令息たちの口から家族へとその話は流れ、国王夫妻にもそれは知られる形となった。
ついでに言うのなら、シモンズ王子の婚約者でもある公爵令嬢カタリナ・フォレッティオの両親にも。
まるで娯楽小説にありがちな三角関係ではある。パッと見は。
であれば、アリエッタはヒロインでシモンズはヒーロー。カタリナは悪役令嬢か……となると。
全然そんな事はなかった。
周囲がそんな噂を口にするような事もなかった。
カタリナが悪役令嬢? とんでもない。
カタリナを悪役令嬢だなんて言う者は他国の者か、余程の馬鹿か。
この国の平民ですらカタリナが悪役令嬢になどなりようがない事を知っている。
むしろ平民からするとカタリナという少女は聖女にも等しい存在ですらあった。
孤児院への寄付といった貴族にありがちな事から始まり様々な慈善事業を行っているのだ。二年前に流行り病が起きた時も、ありったけの薬をかき集め多くの貴族を救い、それどころか平民にまで薬が行き渡るようにと尽力したのだ。カタリナに救われた者たちは数えきれない。
カタリナ様が王妃になるのならこの国は安泰だ、と平民たちからも絶大な人気を誇っているのだ。
そんな彼女を冗談でも悪役令嬢だなんて言えるわけがない。そんな事を言う恩知らずがいたのなら、貴族が処分する以前に同じ平民たちが不届き者に罰を与えていただろう。
アリエッタとシモンズの恋愛関係は学園ではもう知らない者などいないし、もっというのなら街でデートしてる二人を見かけた平民たちも数多くいるので直接見た事がない平民ですら噂で知っている始末。
シモンズ王子の言い分がどんなものであれ、多くの貴族も平民たちもこの二人の恋を祝福しようとはとてもじゃないが思わなかった。
それに不満を抱いているのはただ一人、アリエッタである。
彼女は王子と恋に落ちた時、婚約者がいるというのはまぁ王子様だものね、と仕方ないと諦めてはいた。いたのだけれど、だからといってこの恋を捨て去る事もできなかった。
二人の婚約は政略で愛なんてそこにはない。なんて可哀そうなシモンズ様。
そして、そんなシモンズ様を諦めきれない私ってなんて愚かなのかしら……
と、悲劇のヒロインぶっていたのである。
噂が流れに流れまくった結果、アリエッタの親である男爵夫妻はそれはもうこっ酷くアリエッタを叱責した。貴族に生まれたのなら政略の意味を考えなさい、常識をきちんと理解しなさい。シモンズ殿下の事は潔く諦めなさい、どう足掻いたところで貴方が彼と結ばれる事はないのですよ!
そんな風に叱られたところで、親は私の気持ちなんてわかってくれないんだわ、とますます悲劇のヒロインぶるだけだった。
そもそも年齢が年齢である。
思春期も反抗期も訪れてしまうような年齢。
要するに、親が駄目だと反対すればするだけ燃え上がってしまったのである。
それに、周囲が反対しているこの状況ってなんだかとっても恋物語みたいじゃない、と叱られているのに能天気にもそう思ってしまったので。
自分がヒロインだと思えば思うだけ、シモンズの婚約者であるカタリナの事をアリエッタは物語のような嫌がらせや虐めを受けたわけでもないのに、勝手に彼女を悪役令嬢に仕立て上げていって見てなさいよいつかシモンズ様を助け出すんだから……! と燃えていたのである。
とはいえ、現実は物語とは違うので。
アリエッタに対する嫌がらせのような事はなかった。
一応注意をする人物はいたけれど、口頭での注意だけで暴力をふるってくるだとか、アリエッタの私物をズタボロにするだとか、そういった典型的な嫌がらせは何一つ起きなかった。
おのれやるじゃない悪役令嬢……そうやって自分が悪くないと思わせる作戦ね、なんて思った事もあったけれど、単純にアリエッタとカタリナは学園でもクラスが離れているので関わる事がないだけだ。
カタリナと仲の良いご令嬢たちも基本的には高位貴族が多く、男爵令嬢でもあるアリエッタと関わる機会はほぼない。
カタリナの友人には低位貴族の者もいないわけではないが、下手にカタリナと関わりがあるなんてアリエッタに知られたら面倒な事になりそうだわ……と思われているので遠巻きに関わらないように、アリエッタはカタリナの交友関係など知る由もないし、そもそも顔を合わせる事がなかった。
頭の中身が大層おめでたいお花畑娘、というのが周囲のアリエッタへの評価である。
それに、当たり前の注意をしても何故だか勝手に脳内変換して酷い事を言われた、と受け取るようなのでもう既に周囲の者たちはアリエッタと関わろうともしていない。
面倒ごとなんて頼んでなくてもやってくるのだから、自分からわざわざ触りにいくなんて真似、するはずがないのだ。マトモな思考回路を持つ者は。
シモンズもアリエッタと出会うまではまだ多少マトモな部分があったはずなのに、すっかり身分違いの恋に溺れて頭のねじが緩くなられてしまわれた。
シモンズの側近たちはそれでもどうにか彼を真人間へと戻そうと奮闘したが、こちらも周囲に反対されればされた分だけ意固地になり、しまいには側近たちを鬱陶しがり遠ざける始末。
すっかりアリエッタとシモンズは二人だけの世界に閉じこもってしまったのである。
とはいうものの、シモンズに婚約者がいるという事実はかえられない。
このままではアリエッタとの仲を引き裂かれてしまうかもしれない、と判断したシモンズは今までアリエッタばかりにかまけていたものの、ここらでいっちょ腹をくくってカタリナに婚約解消宣言でもしておこうかと決意したらしい。
わざわざそんな事をアリエッタにも宣言して、ではこれから二人でカタリナ様の所へ向かいましょう、とアリエッタも二人の愛を見せつけて諦めてもらおうという気持ちでシモンズに言った。
二人が出会って二年と半年。
つまりは、卒業まであと半年といった時の話である。
とはいうものの、アリエッタは低位貴族たちで構成されているクラスにいるのでカタリナとの接点はない。
ではシモンズはどうなのか、と言えば高位貴族が集められているクラスにいるものの、クラスは言うまでもないがいくつかに分けられている。
高位貴族たちの中でも成績上位者と普通、低いと大まかにわけられたクラスの中で、シモンズは成績の低いものたちのクラスである。カタリナは優秀なので別クラスだ。
アリエッタと出会う前であったなら、普通の成績から頑張れば上位クラスに入れたと思うが、恋にすっかり溺れて色んな事をすっ飛ばしたシモンズの成績は低下するばかりであった。
卒業まであと半年だというのに高位貴族の中でも成績が悪いとされているクラスにいる時点で色々とマズイという事にも気づいていない。
そんななので、シモンズもまたカタリナに会おうとしてもすぐに会えるわけではない。同じクラスであったならもっと気軽に声をかけられただろうけれど、クラスが異なる。教室もやや離れているので、授業中は当然教室にいるのは知っているが、それ以外だとカタリナが普段どこで何をしているか、というのをシモンズはもちろんの事アリエッタもわかっていなかった。
なので、二人がカタリナに声をかける時と場所というのはかなり限られていた。
授業中に教室に乗り込むわけにはいかない。
そんな事をすればアリエッタもシモンズも教師に叱られ挙句家に連絡されて親からも大目玉である。
散々親に叱られているとはいえ、恋に関してではなくこんな事で親に叱られるのは流石に不味いとか、恥ずかしいという感情は持っていたのだろう。
あと授業をサボると成績に響く。成績があまり優秀ではないという自覚はそれぞれあったらしい。
登下校の時間を狙うにしても、うっかりすれ違ってしまえばとっくにカタリナが教室にいるのに気づかず待ちぼうけをくらう可能性も、とっくに家に帰っているのに気づかず待ち続ける可能性もあったので、そこも却下された。
そうなると残るはお昼。
ランチタイムである。
学園の生徒たちが全員入っても広々としている食堂を利用しない者も中にはいるけれど、一度も利用しない生徒なんてのはいない。学園内にはサロンもあってそちらで食事を済ませる者もいるけれど、サロンは基本的に使用申請をしないと使えない。
食欲ないから今日はお昼いらないわ……なんて事にならない限り、大半の生徒はランチタイムに食堂にいるので。
「カタリナ・フォレッティオ公爵令嬢はいるか!?」
和気藹々と賑わいを見せている食堂へ、シモンズとアリエッタはやって来たのだ。
声高にそう言ってやってきたシモンズたちを、生徒たちは嫌でも注目するしかなかった。
これがそこらの令息ならあまり気にしなくてよかったけれど、仮にも第一王子である。王族をガン無視は流石にマズイ。
食堂の入り口付近にいた生徒たちは嫌でも黙るしかなかったし、そうなるとそこから徐々に何があったんだろうとばかりに沈黙は広がっていく。
そうして最終的にわいわいがやがやと賑やかだった食堂は、すっかりしんと静まり返った。
「これはこれは第一王子殿下。妹に何用です?」
名を呼ばれたはずのカタリナではなく、やって来たのはカタリナの兄であるオリバーだった。
その隣にはシモンズの弟でもある第二王子、コリンズがいた。
オリバーは既に学園を卒業している。制服を着ているわけでもなかったので、妙に目立った。
「一体何故ここに……」
とシモンズが問えば、
「僕に用があったみたいです。急ぎの用事だからと先程まで話をしていました」
コリンズが答えた。
かつての生徒とはいえ卒業生がわざわざ学園に足を運ぶ程の急ぎの用とは……? と思ったが、そんな事よりも自分の用事が先だと思ったのだろう。
「カタリナはいるか?」
そう聞けば、オリバーはあっさりと答える。
「本日は城に呼ばれておりますゆえ、学園に来てはおりません。
かわりに用件を窺いましょうか」
まるでこれから何を言われるかわかっているとでも言うようにオリバーがあまりにも軽い口調で言うものだから。
シモンズは少しばかり面食らって、それでもここで引き下がるのもな……と思ったのかもしれない。
「実はカタリナとの婚約を解消したい。私はこのアリエッタ嬢を真実の愛として妻に迎えたいのだ」
シモンズがそう言った瞬間だけ、周囲が一度ざわりと騒めいたが、シモンズにとってそんな事はどうでもよかった。アリエッタもカタリナ本人に自分たちの愛を認めてもらいたかった気持ちはあれど、この場にいないのであれば仕方がないし、何よりカタリナの兄とシモンズの弟でもあるコリンズがいるのなら……と気を取り直していた。
大勢の前で自分を妻に迎えたい、と言われたアリエッタは頬を赤く染め嬉しそうにはにかんでいたが、周囲は静まり返ったままだ。
誰も、祝福するような声をあげたりしなかった。
「解消も何も、そんなんとっくにされてますよ」
「なにっ!?」
「えっ?」
誰も祝福するような声は出さなかったが、かわりにどこまでも冷めきったオリバーの声。
寝耳に水とばかりにシモンズもアリエッタも驚いた。
「一体いつ」
「半年前には既に。陛下から言われていたでしょうに。知らないとは言わせませんよ、その時うちの父もいましたからね、その場に」
「半年前……?」
つまりシモンズが最終学年に進級した直後という事か。
そう思って記憶を手繰ってみたが、それより少し前からカタリナという婚約者を蔑ろにするな、アリエッタという娘を側妃になど許さぬし、しても愛妾、それもカタリナを尊重する事が最低条件だと父にガミガミ言われていた頃だったので、うんざりしていた記憶しかない。
そういや半年前からはあまりうるさく言われなくなったが、最後にガミガミ言われた時は確か両親だけではなく他にも人がいたな……
シモンズの記憶ではその程度の事でしかなかったし、その時が婚約解消した時だと言われてもピンとこなかった。
「まて、解消されたならではカタリナは既に婚約者ではないという事か……?」
「そりゃそうでしょう解消されているんだから」
「だが、カタリナからは何も」
「言う必要あります? 国王陛下から殿下に既に通達されているというのに、何故またわざわざ妹が殿下に言う必要があるというのですか。そこまでしないと理解できないからですか?」
「なっ……」
「それ以前にクラスも違う婚約者ですらなくなった相手に一体何を話せと。用もないのに会う必要などないでしょう」
あまりにもその通りではあるが、言い方に若干の悪意を感じてシモンズは咄嗟に何かを言おうとした。
「あれから半年、どうやら殿下は陛下のお言葉をとても軽く考えていた、というのがハッキリしたとなりましてね。そちらの男爵令嬢とどうせ本日も放課後に遊び歩くのだろうと思われたからこそ、先に伝言を伝えにきたのです」
「伝言? 私にか?」
「いえ、コリンズ殿下に」
「私の帰りが遅くなるから学園に来て伝えにきた、ととれるのにコリンズに?」
「えぇ、正式な発表は後程行われるかと思われますが、コリンズ様が正式に立太子すると」
「――は?」
「え? 将来の国王陛下にはシモンズ様がなるのでは?」
きょとん、とした様子のアリエッタにオリバーは嘲るような笑みを浮かべた。
「自分の言葉の責任も取れないような者を陛下は将来の王に相応しくないと決断なさった。ただそれだけの話だよ」
「自分の言葉……? 責任? 一体何の話をしている」
「あぁ、本当に憶えていらっしゃらないのですね。恋は人を変えると言うがこうも悪い方に変わるとは……学園に入学するまでは誰も思わなかったでしょうに」
まるでにアリエッタと出会った事が悪い方向へ転がったかとばかりに言われ、シモンズは反論を試みるが底冷えするような目を向けるオリバーに気圧されて上手く言葉が出せなかった。
それ以前に、何を言おうとしたのかもシモンズ本人も上手く理解できていなかった。
ただ、アリエッタとの出会いは決して悪い事ではない、とただそれだけを伝えるにしても。
周囲の生徒たちの誰一人としてこちらを祝福する気配がないのも拍車をかけたのかもしれない。
いつもの学園のいつもの食堂。それなのにいつもと違うように思うのは――
「お二人は身分違いの恋により真実の愛を見つけたと思っている。
まるで物語の主人公にでもなった気分なんだろうね。
でも、現実はその逆。
君たちこそが想い合う者を引き裂いた」
「何……?」
「オリバー、正確には引き裂いたのは兄上だけですよ」
「あぁ、そうだった」
「どういう事だ」
シモンズのその言葉に。
オリバーは眉間に皺をよせていた。
「本当に憶えていないのですか……はぁ、殿下には失望しましたよ。
お忘れですか? 我が妹のカタリナには婚約者がいました。シモンズ殿下ではなく、別のお相手が。
しかしその婚約を発表する前にシモンズ殿下がカタリナを気に入って親に頼み込んだ。是非カタリナを将来の妻に、とね」
「えぇっ?」
次に声を上げたのはアリエッタだ。
聞いてた話と違う……そんな顔だった。
実際アリエッタがシモンズから聞いていたのは、シモンズとカタリナの婚約は政略で親が決めたものだという事だ。
王族の結婚を個人で勝手に決めるわけにはいかないし、そりゃあ政略結婚なのだろうとはわかっている。そういう意味で親が相手を決めたというのは間違ってはいない。
けれどもシモンズの言い方はまるで望んでいない相手と婚約を結ばされたようなものだった。
アリエッタはシモンズの言葉を素直に信じてしまっていたのだ。
けれどもオリバーの言い方ではシモンズが親に頼み込んで無理矢理結んだ、まるでフォレッティオ家が望んでいないかのようなもの。
実際現在王家とフォレッティオ公爵家が縁付いても特にこれといった旨味はないので、オリバーの言い方は無駄に棘があるわけではなく、ただひたすらに事実でしかなかった。
「妹の本来の婚約者殿とはお互いに相思相愛だった。正式発表されたあとは堂々と恋人として振る舞えると妹はとても楽しみにしていたというのに、あぁ、それなのにあの日、殿下が妹を見初めたせいで横恋慕野郎に奪われる形に……ッ!!」
「そうですよ、しかも相思相愛の恋人を引き裂いて自分の婚約者にしておきながら、学園に入学した直後に別の女と真実の愛なんて。あぁ、なんてお可哀そうなカタリナ嬢……兄上のせいでフォレッティオ公爵家と王家の仲は危うく断絶するところだったのに本人はそんな事は知らぬとばかりに公務を放り出し、学園の成績も女に現を抜かしてばかりで下がる一方……
そんなだから王太子には私が選ばれてしまったんですよ、わかっていますか兄上」
悲劇の主人公のように、演劇役者がやるようなややオーバーな仕草で語るオリバーとコリンズに、周囲の生徒たちも、
「お可哀そうカタリナ様……」
「お慕いしていた相手と引き裂かれた挙句、蔑ろにされて……」
「しかもあのお二人、自分たちが恋愛小説か何かの主役にでもなったみたいに、カタリナ様を悪者扱いしようとしていたでしょう……?」
「カタリナ様だって好きで殿下と婚約などしたくはなかったでしょうに……」
「それでも貴族であるという意味を理解していたカタリナ様、なんて気高く健気で美しいんだ……」
などとひそひそし始める。
そう、大半の生徒たちはカタリナの事情を知っていた。
だからこそ、シモンズとアリエッタが恋仲になっても婚約者に蔑ろにされる哀れな令嬢など間違っても口に出さなかったのである。
慕っていた相手から引き離されて、シモンズになど恋情を一切持ち合わせていないのだから蔑ろにされればされるだけ、哀れではあるがそれは逆にシモンズの酷さに拍車がかかるだけだった。
カタリナがシモンズを想っていて強引に彼の婚約者になったのであれば、その上でシモンズがアリエッタとの仲が深まる一方であったなら、カタリナもシモンズへ縋るなりアリエッタに対して悪感情を向ける事もあっただろう。そうして二人の恋のスパイスになっていれば、周囲も惨めに縋りつく捨てられそうな婚約者として質の悪い劇を観る感覚で笑いものにしたかもしれない。カタリナの性格が悪ければ、ではあるが。
しかし前提からして既に異なっているのだ。
確かに哀れではあるけれど、公爵令嬢カタリナは高位貴族であるからといって下の者を見下すような事などせず、困っている者へ手を差し伸べる事を厭わない心優しき娘である事を学園の生徒に限らずこの国の貴族たちはよく知っているのだ。
なので婚約者に蔑ろにされているとなっても、哀れは哀れだがこのまま婚約者有責で婚約破棄になってしまえばいいのにね……という方向性。あんなのに関わって無駄な時間を費やしてなんてお可哀そうなカタリナ様……可哀そうの方向性が完全にそちらに傾いている。
「まぁでも半年前に婚約は解消されているんだ。
カタリナは本来婚約するはずだった相手と無事に婚約を結ぶことができた」
オリバーのその言葉を聞いて、周囲はわっと盛り上がった。
おめでとうございます! という言葉があちこちでする。
「本来ならそちら有責での破棄にしようかと思っていたのだけれどね。
こちらに一切の瑕疵がないと勿論皆も理解はしてくれているだろうけれど、それでも破棄となった場合慰謝料だとかが発生するだろう?
その場合シモンズ殿下の個人資産からになるのは言うまでもなくて、そうなるとまたカタリナに心を入れ替えるだのなんだのいって縋りつかれても迷惑だからね。
穏便に解消となって、本日我が国へ帰還してきた本来の婚約者との顔合わせを城でしているというわけだ」
「えぇ、兄上がそちらの令嬢に夢中になっていたからこそ半年の間カタリナ嬢も何事もなく過ごす事ができていましたからね」
「あぁ、本来なら婚約者のいる異性に近づいて危うくその婚約を壊そうとしかねない事をしでかした相手というのはタダでは済まないのだが……
勝手にカタリナを二人の仲を引き裂く悪役のような立場に置こうとしていた事は許しがたい気もするけれど、ブラムズ男爵令嬢がいた事でシモンズ殿下の注意を引き付けてくれていたわけだから、我が家からは不問としよう。
いいデコイだったよ」
「そうですね、陛下も真実の愛とまで言うのだから兄上は臣籍降下させてそちらの家に婿入りさせることを決めたみたいですしね」
「婿入り先が男爵家かぁ……歴代の臣籍降下した王族の中で初じゃないかな。でも愛し合う二人の前に身分なんて些細なものだよね」
「えぇそうですとも!」
にこやかに言われる言葉に口を挟もうにも周囲も祝福たっぷりに拍手喝采しているので、タイミングよくオリバーとコリンズの言葉の合間に割り込めない。良かったですね、お幸せに、なんて周囲からの声もシモンズが会話に割り込もうとするのを防ぐかのようなタイミングで上がっているので余計にだ。
「まぁ、あれほど駄々をこねてカタリナを婚約者にしたくせに別の娘にすぐ気を移すような相手だ。きみより魅力的な女性に目移りされないよう気をつけなさい。
ちなみに二人の結婚も既に決められているから、逆らうのなら首を落とされる覚悟で挑みなさい」
「あっ、はい……」
オリバーがまっすぐにアリエッタを見つめてくるものだから何かと思えば、そんな事を言われて。
意味を理解するよりも先に頷いて、それから一拍遅れて意味に気づく。
好きでもない相手と無理矢理婚約を結ばされたわけではない。
自分で望んでおいて他の相手に目移りした。
そんな相手だから、また同じような事があるかもしれない。
けれど真実の愛と大勢の前でも宣言してしまった以上、今更取り消すわけにもいかない。
じわじわと今まで聞いた情報が脳内で纏められていって、アリエッタは今後を悟る。
アリエッタは元が平民だとか、そういう生まれではないけれど。
幼い頃より病弱であまり外と交流する事がないまま育ってきた。
貴族としての学習もしてはいたけれど、それでも人より若干遅れていた事は認めるしかない。
そのせいで他の令嬢たちよりも更に世間知らずであったのは否定できない。
ようやく得られた健康は、アリエッタの世界を広げてくれた。
そこで出会ったシモンズが世界に彩りを与えてくれた。
だからこそ、今まで苦しい思いをしてきた分、この恋は運命だとすら思っていたのだ。
病弱であったが故に幼い頃は色んな事を我慢させられてきた。そうするしかなかった。わかってはいる。わかってはいるけれど、その枷が消えて今までの分も合わせて自由になったのだと……そう信じていたからこそ両親に何を言われてもシモンズとの仲を、恋を、諦めるなんてできなかった。
結果それで破滅するかもしれなくても。
一生で一度の我儘だった。もしそれで親まで罰する事になるかもしれなくても、幼い頃より様々な事を諦めていたアリエッタは、ここでどうしても諦めたくなんてなかったのに。
けれどオリバーの言葉が、シモンズはアリエッタより魅力的な人が現れたらそちらへ簡単に靡くのだという可能性を示唆してしまった。そんな事はない、と言えなかった。
だって、カタリナ様が望んだ婚約ではなかった。シモンズ様が望んだものだった。それなのに、シモンズ様はそれを簡単に無かった事にして蔑ろにしていたのだ。
きっとカタリナ様こそが私たちの恋の壁になるのだと思っていたアリエッタの幻想はここで打ち砕かれてしまったのである。
それでも、既に二人が結婚することは国王によって定められたと言われてしまえば。
今更嫌だなんて言えるわけがない。
アリエッタはまだシモンズが好きだけど、同時に不信感も芽生えてしまった。
夢から覚めたような気持ちになったけれど。
残念ながらこれは現実である。
シモンズはアリエッタと結婚し自分が王になるつもりでいた。
けれどその道は無いのだと言われ、反論したい気持ちでいっぱいだったけれど。
ここで言ったところで意味がないのだ。
オリバーは城で伝えられた情報をいち早くコリンズに報せにきただけでオリバーに何を言ったところでここでその決定が覆る事はない。泣いても喚いても無様を晒すだけだ。
自分がカタリナを一目見て惚れて、どうしても欲しいと思った日の事をここで今更になって思い出す。
だが、自分の婚約者になった事で、これでカタリナは自分の物だと信じてしまった。思い込んでしまった。その結果アリエッタと出会った後でカタリナを疎ましく思っても、自分の物なのだからどう扱ってもいいと無意識に思い込んでしまっていた。
その結果がこれだ、と突きつけられて。
恋物語の主役にでもなった気持ちでいたけれど、実際は自分たちこそが悪役であったというのが大勢の認識だったと知って。
これから城に急いで戻って父に縋りついたところで、決定は覆らないだろう。
今になってカタリナをどうしても婚約者にしたいと駄々までこねた事を思い出す。忘れていたのは、そんな駄々までこねた事が恥ずかしかったからだ。その部分だけはある意味で忘れたい黒歴史だった。
けれど、そこを忘れてしまった事で自分の中のカタリナという存在まで軽くなっていた事に、シモンズはこれっぽっちも気付いていなかった。
城に帰れば間違いなく特大の雷が落ちるだろう。
幸いにもそれを理解できる程度には、シモンズの理解力はあったので。
これから先、思い描いていた未来からは確実に外れてしまうけれど。
それでも。
「アリエッタ」
「シモンズ様」
「その……これからも私についてきてくれるかい?」
「……シモンズ様の御心が変わらないのであれば」
アリエッタはシモンズの言葉にすぐさま「はい」とは言えなくなっていた。
それは今しがたオリバーに言われた事が確実に影響している。もしシモンズにとって自分より魅力的だと思う相手が現れた時、果たして本当に自分は愛されたままでいられるのか……
ここではいと素直に答えた上で、もしそんな事になったなら。
シモンズはカタリナが婚約者になった時同様に、自分の存在も何をしても絶対傍にいてくれるものだと思いこんだりしないだろうか……?
そんな不安がどうしても消えなかった。
だからこそ、貴方の心が変わるようであればその時は……という返事しかできなかった。
けれど。
それでも構わない、とばかりにシモンズは頷いた。どこか困ったように眉を下げていたが。
まぁそうだろうね、とばかりにオリバーとコリンズはシモンズを見ていた。
なお授業を終えて帰れば両親からそれはもう盛大に叱られたのは言うまでもない。
ちなみにオリバーが割とシモンズに対して辛辣な態度と言葉ではあるけれど、彼は事前に国王陛下に許可をとっているので仮にシモンズが後から親にその部分を訴えたところでお咎めはありません。
むしろそのくらいで済ませてくれて良かったね、とか親に言われる始末。
次回短編予告
世界がピンチだから異世界から聖女召喚しようぜ! からの失敗する話。