2日目夜:
全員、茫然としていた。
ヒバナの行動は、あまりにも唐突だった。
バカは、手渡されてしまった炎の日本刀を持ったまま、ただ、茫然とヒバナを見下ろしていた。
……腹から血を流すヒバナが、バカを見上げていた。だが、バカは、動けない。あまりにも、現実味が無くて。
「貸して」
これにようやく反応を示したのが、ビーナスだった。
ビーナスはバカの手に握られっぱなしだった日本刀を掴むと……ヒバナの首に向かって、振り下ろしていた。
「……いつまでも苦しませるわけには、いかないものね」
ビーナスは炎の日本刀を床に放る。すると途端に、日本刀は炎になって消えていってしまった。
それを見届けたビーナスは、そのまま急に力を失って、その場に座り込む。
ヒバナの血が溢れた床の上、ビーナスは座り込んだまま、じっと、ヒバナの死体を見つめている。
「……ビーナス」
ぽつ、とバカが名前を呼ぶが、ビーナスにはまるで届いていないように感じられた。
……もう、ビーナスに言葉は届かない。それがなんとなく、バカにも分かってしまった。
「……こいつがこうやってケジメつけるっていうんなら、私だって、そうね。あーあ……」
更に、ビーナスはそう言うと……その背後に、ゆらり、と彫像の姿が生まれる。
大理石の彫像だ。ビーナスに似た姿の、その彫像は……ビーナスの後ろに立つと、じっとビーナスを見下ろして……。
「命令よ。私を殺して、自壊なさい」
ビーナスの命令を受けた彫像は、その手でビーナスの首を、絞め始めた!
「だ、駄目だ!」
咄嗟に、バカは動く。動いて、彫像を殴りつけ……そのまま、メシャア!と彫像が砕け散る。大理石くらいなら、バカの拳で粉砕できてしまうのであった。
「駄目だ、ビーナス!駄目だ、こんなの、駄目だって……」
バカは今まで動けなかった分、必死に動いた。助けなきゃ、助けなきゃ、と思って、動いた。だが……『助けられてない』ということも、なんとなく分かっていた。
そうだ。助けられてない。
……バカには、ビーナスの心を救えない。ヒバナだって、そうだった。彼らの心はもう、決まってしまっているらしいから。
「……悪いけれど、私はこうするべきなのよ」
ビーナスはそう言うと、ゆっくりと顔を上げて、バカを見上げる。
「『蜘蛛の糸』なんて、あっちゃいけないわ。千の罪が一の善行で帳消しになっちゃいけない」
その目は、いっそ穏やかだった。どう考えてもおかしなことをしているビーナスであるのに、随分と落ち着いてしまっている。
「ヒバナはビーナスに生きててほしいって、言ってたぞ……?」
「そうね。でも私はあいつと一緒じゃないなら生きている意味も無いのよ。あの馬鹿、知らなかったみたいだけれど」
バカが止めようとしても、ビーナスは笑ってそう言って、立ち上がると、そのままひらりと手を振って、歩いて行ってしまう。
「だから、地獄であいつの横っ面、引っ叩いてやらなきゃ。そのついでに……ま、置き土産ってことにしておいて」
「お、おい、どこ行くんだよ」
バカがビーナスを追いかけようとすると、そんなバカの肩を、海斗が掴んだ。
「海斗……」
「……もう、駄目だ。そっとしておいてやれ、樺島……」
そうしてバカが海斗に引き留められて、1分程。
パァン、と銃声が一発聞こえて、そして、それきりだった。
……大広間には、重苦しい空気が漂っていた。
バカにはもう、どうしていいのか分からなかった。ただ……きっと、次の夜には、カンテラに浮かぶ炎が3つになっているのだろうな、ということだけは、ぼんやり分かった。
「……どうすれば、よかったんだろ」
バカは、ぽつんと呟く。
どうすれば、ヒバナは死ななかったのか。どうすれば、ビーナスを守れたのか。
考えて、考えて、考えてみるが……それでもどうにも、答えが見つからない。
「……願い事の話、しなければよかったのかな」
「いや……だとしても、ヒバナの心はもう、決まっているようだった。3日目のゲームが終わって、ビーナスの無事が確定した時点で、ヒバナは自殺していただろうな……」
海斗がそっとバカの隣に来てくれた。こういう時、隣に居てくれる誰かの存在が、とてもありがたい。バカはそう思って……それから、そっと、ビーナスが向かっていった部屋へと進む。
銃とヤギのぬいぐるみの部屋はバカにとって怖い部屋だ。だが、うじうじせずに中に入って……そしてそこで案の定、拳銃自殺していたビーナスの亡骸を見つけた。
もう動かないビーナスの体を、バカはそっと抱き上げて、そっと、ガラクタ置き場にあったベッドの上に乗せた。
「隣同士が、いいよな……」
それから、大広間のヒバナの遺体を、やはりそっと抱き上げて、ビーナスの隣に寝かせた。
……死んでしまった2人を見ていると、バカは益々分からなくなってくる。
ヒバナはビーナスに生きていてほしかったし、ビーナスはヒバナに生きていてほしかった。なのに、どうして2人とも死んでしまったんだろう。
バカには分からない。『蛇原会』とやらに所属していた2人がどういう風に生きてきて、どういう風な罪を重ねてきたのかなんて分からない。その上で2人が罪を清算しようとしたんだろうな、ということだけは、ぼんやりと、なんとなく分かる。
……きっかけは、ミナの言葉だったのかな、とも、思う。ミナが、『蛇原会』の間接的な被害者であることを知って、その願いを知って……それでヒバナとビーナスは、余計に『ケジメ』を付けるべきだと、そう思ってしまったのかもしれない。
それに元々、2人は……悪魔に頼らなければならないくらい、追い詰められていたのだ。だから、だから……。
悲しい。
バカは只々、悲しい。
守ってやることができなかった2人を見て、バカはぼろぼろと涙を零していた。
……悲しいことばかりだ。タックルでドアに負けるし、銃を片結びして失敗するし、木星さんはいつの間にか死んでいるし……そして、バカが守ろうと頑張っていたのに、ヒバナとビーナスまでもが死んでしまった!
「……樺島。もう、やり直すか?」
「うん……」
だから、バカはやり直すしかない。この悲しい現実を捻じ曲げるために、次こそ。次こそは……バカは、上手くやらなければならないのだ!
「少し、いいかな」
だが、決意したバカが光りはじめるより先に、土屋がそっと、バカと海斗に声を掛けてきた。
「ああ……勿論」
「いや、すまない。どうにも……その、気分が落ち込んでしまってね。あのまま大広間に居たらどうにも、息が詰まりそうで……少し話していたいんだ」
土屋は疲れた顔でそう言うと、そっと、椅子に腰かけた。……さっき、バカがヒバナとビーナスと一緒に座るために出した椅子だ。丁度3脚あるので、バカと海斗も座る。
「どうにも……『あの時ああしていたら』という考えが、止まらなくてね」
そうして土屋は、そんなことを話し始めた。
土屋は複雑そうな顔をしていた。
多分、自分で『あの時ああしていたら』と言いつつも、『そんなことに何の意味がある?』と思っているのだ。そんなことを考えても空しいだけだ、とか、もっと別のことを考えるべきではないか、とか、そういう風にも思っているのかもしれない。
だが、土屋はやっぱり、いい奴だった。ちゃんと一緒に考えてくれるらしい。
「……その、2人とも、反社会勢力に属する人達だったんだろうと思う。そして2人とも、『加害者』だった。少なくとも、そういう意識があったんだろうな」
どうやら、土屋にはヒバナとビーナスの素性がなんとなく分かっていたようである。土屋はいい奴である上に、すごい奴だったらしい!
「ああ……。2人とも、『蛇原会』に所属している、と言っていた。そして、その組織を足抜けしたい、とも」
「『蛇原会』!?な、なんということだ、よりによって……そう、か。なら、ミナさんの言葉を聞いて、余計に罪の意識を強めた、のか……」
海斗の言葉を聞いて土屋はショックを受けたような顔をして……それから、ちら、と大広間の方を見た。
今、大広間に居るはずのミナは、どんな顔をしているのだろう。
「実は……その、ミナさんから、聞いていてね。どうやら、彼女の先輩にあたる人が開いていた小料理屋が、焼けたらしい。そしてそこに巻き込まれて、ミナさんの先輩も亡くなったとか。その火災の原因は、近隣で起きた『蛇原会』と対抗組織の抗争であったとも聞いている」
土屋もそう言って、それから、ふう、と息を吐いた。
「だがまさか、ヒバナとビーナスがその『蛇原会』の組員だったとはなあ……。しかも足抜けしようとしていた、となると……ううむ、確かに、悪魔の手を借りたくもなるだろう」
「そういうもんなのか?」
「ああ。ヤクザというものは、裏切りを許さない。抜けようとする仲間が居れば、そいつは『裏切者』だ。制裁を加えようとするだろうし……特に、ビーナスは恐らく、組長の娘だとか愛人だとか、そういう立場だろう?なら、そのビーナスと一緒に抜けようとしたヒバナには、当然、死より酷い制裁が待っているだろうな」
土屋はそう言って……それから、ふと、迷うように視線を揺らした。
そして。
「私に相談してくれれば、なんとかできたかもしれないんだ」
そう、悔やむように言った。
「え?」
「……多少、その手のことに詳しくてね。内部告発してしまう、というのも手だったろうな。後は、社会復帰できる職場をうまく見つけつつ、暴力団関係者との連絡を絶ってしまえばいい。その手伝いは、私にもできたと思う。今となっては、もう遅いが……」
土屋はそんなことを言うと、俯いた。
「そう、できていたら、ヒバナもビーナスも、悪魔の力に頼ることも、自死することも、無かっただろうか」
「土屋ぁ……」
真剣に悩み、悔やむ様子の土屋を見て、バカは、なんだか救われるような気がした。
自分と同じように考え、苦しんでいる人がいる。その存在は、バカにとって心強く……希望を思い出させてくれるものであった。
「俺の職場にヒバナとビーナスが来てくれたら、絶対に守れたと思う」
バカはそう、力強く言う。
「だから……あいつらをもっとちゃんと、うちに勧誘しなきゃいけなかったんだ!」
そう!バカは、『社会復帰できる職場』に心当たりがある!
キューティーラブリーエンジェル建設!キューティーラブリーエンジェル建設こそが、ヒバナとビーナスを悪魔の力無しに救い出す方法となるかもしれない!
だが。
「いや、樺島君のせいじゃあないさ。もし君の勧誘がもっと上手かったとしても、ヒバナもビーナスも……もう、『諦めて』しまっていたようだからな」
土屋はそう言って、バカに優しく笑いかけた。
そう。土屋にとって、バカの宣言は『次はこうする!』という希望の宣言ではなく、『俺ができなかったせいでヒバナとビーナスが死んだ!』という自責の告白に聞こえるのだ!
「諦めて……?」
そして土屋の言葉に、バカは、はっとする。
そうだ。バカはヒバナにキューティーラブリーエンジェル建設フローラルムキムキ支部への就職を勧めたのだ。その結果、『絶対に嫌だ』と断られてしまったのであった!やっぱり駄目であった!
「ああ……まずそもそも、彼らには助かるつもりが無かったように思える」
おろおろ、としたバカに、土屋は優しく、それでいて寂しく、笑いかけてきた。
「彼らの心が、もう決まっているように見えた。警察の厄介になる気はないようだったし、何より……自分達の罪を、許せなかったんだろう。『蜘蛛の糸』を掴む気は、もう彼らには無かったんだ」
「自分達の、罪を……許せな、かった?」
「ああ。心を改めたところで、罪は消えない。自分達の罪によって苦しむ人が、居る。彼らはそれを知っていた」
バカが、そっと確かめるように呟けば、土屋はまた、寂しそうに頷く。
……そして。
「だから……彼らの罪を許す誰かが居れば、間に合った、のかもしれない。もう、遅いが……」
土屋の目が、そっとミナの方を向いた。
「……つまり、ミナが、ヒバナとビーナスを助けられるんだな」
バカはそう、結論付ける。
「い、いや、その可能性があったかもしれない、というだけだ。ミナさんが悪いということじゃあ……」
「うん。ミナは悪くない。悪いのは……うちに就職してくれねえヒバナとビーナスだった!」
バカは元気を出して立ち上がる。
……そうして最後にもう一度だけ、ヒバナとビーナスを見る。
2人とも、案外安らかな顔をしていた。だが、こんな悲しい2人の姿はもう二度と見たくない。
勝手に満足して勝手に死なないでほしい。2人とも、ちゃんと、幸せに生きていてほしいのだ。バカは必ずや、その未来を掴み取る。
なのでそのために、次に掴むべき手は……。
「土屋のおっさん!」
「お、おお?」
バカは、土屋の手を、きゅ、と握った。
絶対に握り潰さないように。けれど、絶対に、離さないように!
「俺……俺、頑張るから!だから、一緒にヒバナとビーナスを、助けてくれ!」
土屋はぽかんとしていた。ついにバカの気が狂ったか、と思ったかもしれない。けれど、バカは真剣だった。そしてその真剣さだけは、土屋に伝わったらしい。
「……そうだな。私も、そうしたい」
「そっか!なら決まりだ。あとは……!」
土屋の同意を得たところで、バカは振り返り……。
「ミナ!」
バカは、どどどどどどど、と大広間へ戻っていき、ミナに声を掛けた。
ミナは疲れ切った様子で俯いていたが、バカが声を掛けると顔を上げてくれた。
そして。
「俺……俺、絶対にミナのことも幸せにするから!」
「へ?……えっ!?」
バカの言葉に、ミナは混乱し始めた。それはそうである。色々と吹き飛びすぎである。
だが、バカは気にせず笑うと……ミナの手を握った。
「えーと、だから……『次』は、一緒にがんばろうな!」
……そうして、ぽかん、とするミナの目の前で、バカは発光し始める。
それを見た海斗が『おいバカ!勝手に戻るな!ああああああ!せめてもう少し作戦会議を……!あああああ!せめて!せめて、最初は僕に声を掛けろ!あと、そのまま急いで土屋さんとミナさんのところに向かって三人一緒に説明を……!』と叫び、それにバカが『うん!よく分かんないけど分かった!』と返事をしたところで……。
……またもや、世界は光に飲み込まれたのであった!
<バカカウンター>
第三章に出た『バカ』という単語の数:大体1020件




