1話
木々の生い茂る山道を進むとグルルルと獣の様な呻き声がする。秀はその正体が獣では無いと何となく感じていた。獣にしてはいささか人間くさい、規則正しい唸り声。何かに飢えた人だろうか
「人間なのは解ってます。何の要件ですか?」
秀は足を止めずに木々の方に居るなにかに尋ねる。足を止めないのは何時でも走り出せるように、そして一定の距離を保つ為だ。木々の隙間からはただ唸り声だけが響くのみで返答などない。現地の人間か?その場合はきっと今のままだと埒が明かない、何せ今はお互い他言語で話し合っている状態で意思疎通なんて無理だ。一刻も早く現地の言葉の理解というのを買わないと話にならないなと秀は思いその場から走り出す。
体力には自信がある。昔から父親の使いっ走りやその他の理由から走って息が切れるなんて事は早々ありえない。
走り出して数分、息が上がり秀の呼吸が浅くなる。山道の出口と思われる所まであと少し。そんな時だった。秀の身体は後ろから来る何かに押され、バランスを崩し倒れてしまう。秀が恐る恐る後ろの何かの正体を見るとそこに居たのは血走った目に長く手入れのされていない髪、華奢な腕、髭面な所を見るに男であろうモノ。それが秀の両腕に膝を置いて押さえる形で乗っかっている
「ヒヒヒヒヒヒ、女だ……しかもお前、俺と同じ日本から来た、やつだろう?」
聞こえてきたのは日本語、つまりこの人も借金に追われてこっちに飛ばされた人か。状況を考えると山賊まがいの事をやって生計を立ててるのかもしれない。幸いなことに男は少し痩せ型と言えるし押さえつけてくる力も父親ほど強くもない。
秀は押さえつけられながらも冷静に状況を分析していく
「貴方も同じ境遇ですよね?ここはひとつ穏便に済ませませんか?」
「ガキが、立場が解って無いみたいだな」
男はフーフーと興奮気味に息を荒らげながら血走った目をさらに赤くして秀を押さえる力を強くする
「なんですか?身体目当てですか?別にいいですよ。それで命が助かるな安いものです。僕は抵抗はしませんよ。でも、ひとつ訂正を。僕は女の子じゃなくて男です」
秀は淡々と答える。その答えを聞いて男は興奮気味に口を開く。こう言えばだいたいの男は引き下がる、秀の経験から来る言葉だった
「野郎の身体なんて要らねぇ!お前の持ってる金か飴玉、それをよこせ!」
「飴玉……ですか?」
「しらばっくれんじゃねぇよ!お前ここに来たばかりだろう!?ならあの女神様がくれた飴玉!!アレ持ってんだろ!?」
「あぁ、あれですか。なんなんですかアレ?」
興奮気味の男など眼中に無いと思わせる程に冷静で、淡々としていた。まるでここでどうなろうが別にいいかと言わんばかりのその姿はまるで全てを諦めた世捨て人と言ってもいいのかもしれない
「アレはなぁ、舐めると気持ち良くハイになれるんだよ。そうだなぁキツめ幻覚作用が無いシャブとかそういうモンだ」
「へぇ、そうですか。じゃあ僕には必要ないですね」
「ならさっさとよこせ!そうすればどいてやる」
「それじゃあ釣り合わないなぁ」
秀は顔を上げ相手を見てニヤリと笑う
「何が可笑しい!?俺はお前をどうとだってできるんだぞ」
「お答えしましょうか?まぁこれは僕の勝手な推測ですけど、お兄さん力弱いでしょ?それで絶好のタイミングを見計らって後ろから僕を襲った」
「だったらなんだってんだ!?状況は変わっちゃいない!お前が下で俺が上!それに刃物だってこっちには有る!」
男は胸元から折りたたみ式のサバイバルナイフを取り出して秀の頬にピタリとナイフの腹を押し当て勝ち誇った様な笑みを浮かべる
「じゃあ最初から僕を殺すなりなんなりしても良かったんじゃないですか?あっ、もしかして屍体性愛とかお嫌いですか?」
煽るようにまたニヤリと秀は笑顔を作る。その表情はとても男とは思えない煽情的だった。その表情に男は一瞬生唾をのみ様な表情をした。男にとってそれが仇となっるとは知らずに。
秀はその表情を見るやいなや力いっぱい起き上がり男を跳ね除け、それに驚いた男からサバイバルナイフを奪い取り男に馬乗りとなり男の首元にナイフをそっと添える
「これで形成逆転です。残念でしたね、飴玉も僕の身体も手に入りませんでした。それにナイフまで奪われちゃって……可哀想ですね」
「退け!くそっ!ビクともしねぇ!」
「制服汚れちゃったしこのナイフはクリーニング代の代わりに貰いますね。あと街への行き方、教えてくれたら解放してあげます」
「誰が教えるか!」
「あーあー、本当に可哀想な人、さよなら」
秀はナイフを両手で持ち自分の頭より上に掲げ男目掛けて思いっきり振り下ろす
「わ、わかった!教える!教えるから命だけは勘弁してくれ!」
「はーい」
振り下ろされたナイフは男の頭より少し上の地面を深々と刺すという形で止まる。
男は恐怖に震えた表情のまま震えた声で聞かれたことに返答する
「この先に大きな石造りの門がある!そこに街がある!これでいいだろ!?」
「ありがとうございます。それじゃあさようなら」
秀は男を足蹴にしてから脱兎のごとくその場を離れ街を目指す。山道の出口からすぐに男の言っていた石造りの門が見え男が言っていた事が本当だったと少しの驚きと安堵を覚えていた
「あっ、ナイフ持ったままだった。まぁいっか。貰うって言ったし。返してあげる義理もないし」
誰が聞いているでもなく自分に言い聞かせるようにそう言う。
しばらく歩くと門の付近に秀をあの女神ヘキロラの元へと連れてきた男と同じ黒服にサングラスの男がいた。
秀は物怖じなくその男に話しかける
「そこの黒服のお兄さん、ここの言語の理解ってここで買える?」
「君、新しい冒険者か。あぁ、ここで合っているよ。習得には720ロラ支払って貰わなければダメだがね」
黒服は丁寧な口調で秀に対応する
「すみません、今お金無くて。でもどうしてもそれが必要で」
「借金して買うということですか?」
「これと交換なんてどうですか?ダメなら借金しますけど」
秀が取り出したのは女神ヘキロラから渡されたであろう飴玉だった
「ただの飴玉じゃあ一銭の価値もないよ」
「これ、舐めると気持ち良くなるらしいじゃないですか。僕は試してませんけどこれが欲しくて暴れる人も居るみたいですし?それだけの価値はあると僕は見ていますが」
「参ったな、それをそんな使い方するのは君が始めてだよ。いいよ、それと交換だ。商人として等価交換が必定だ、今のこれの価格はこの飴玉サイズで1万ロラ、差額分を言語習得後に渡すとしよう」
男が秀の頭を掴むと言語が流れ込んでくる。あまりの情報の濁流に意識を失いかけ、鼻血を出しながらも秀はそれを受け止めた。
こうして秀は現地での言葉が理解できるようになり話すこともできるようになった。黒服の男から差額分の9280ロラを受け取り門の先へと足を運ぶ。
先にあったのは石造りと木造の街並み、噴水広場に四角くい木造家屋、フルプレートの鎧を纏った人、獣の耳や尻尾が生えた亜人と変わった人々が行き交い賑わう街だった