前編
表紙絵/相内充希さま
――――絶対に、捕まるわけにはいかない!
アリスは息を潜めながら、ベンチの後ろにある深い茂みの中に身を隠していた。
制服の赤いリボンはよれよれだ。高い位置で結い上げられた薄桃色のツインテールもすっかり崩れてしまっている。15歳の乙女としては由々しき事態であるのだが、そのことに気を留める余裕もないほど今のアリスは追い詰められていた。
遠くから足音が聞こえてくる。バタバタと大きな音を立ててこちらにやって来るのは、同じ学園に通う幼馴染のルディだ。彼は今朝からずっとアリスを探している。アリスに、愛の告白をするために。
ルディは休み時間ごとに逃げるアリスを執拗に追ってくる。
さっきも、ランチタイムを告げる鐘の音が鳴ると同時に教室から飛び出したアリスを、隣の教室から現れたルディが颯爽と追いかけてきた。
落ち着いたブラウンの髪に、深い蒼の瞳を持つルディ。彼は感情の起伏が少なく、学友たちからはクールで淡白な人だと認識されている。そんな彼がアリスを熱烈に追う姿を見て、周囲も驚きを隠せないようだ。
あちこちから冷やかすような視線を感じる。
「待ってくれアリス、話があるんだ!」
そう言われて、アリスは全力で逃げ出した。ルディのことは好きだけど、告白なんて冗談じゃない。彼の話なんて聞きたくもない。
――――もう、いい加減に諦めてよ!
しつこいルディをあの手この手でどうにか撒いて、親友のリズと毎日一緒にランチをしているこのベンチまで辿り着き、ホッとしたのも束の間。彼のものらしき靴音が聞こえてきたので、とっさに身を隠したというわけだ。
どんどん近づいてくる足音に、茂みの中でアリスは華奢な肩をぎゅっと竦ませた。運命に祈るように、水色の大きな瞳をきつく閉じる。
このまま上手くやり過ごせないものか。必死に願うアリスをあざ笑うかのように、足音は無情にもベンチの前でピタリと止まった。
「あれ、アリスは一緒じゃないのか?」
息を荒げながら発するルディの声には、明らかに落胆の色が浮かんでいる。罪悪感がちくりと胸を刺すものの、だからといって彼の希望通りに姿を現すつもりはない。
「今日は用事があるんですって。先に食べてって言われたわ」
「そうか……」
草むらは背丈が高いとはいえ、注視されればすぐに気付かれてしまうだろう。とっさに機転を利かせてくれたリズに感謝しつつ、アリスはドキドキしながら2人の様子を伺う。
「じゃあ、ここで待つとするか」
アリスはぎょっとした。不穏なセリフと共に、どさりとベンチに座る音がする。冗談じゃない。そんなところに居座られたら、アリスはここから出られないではないか。
「待っても来ないと思うわよ。それよりも、先生に呼ばれていたから職員室に行けば会えるんじゃないかしら?」
「職員室か。分かった、ありがとうリズ」
リズの言葉に反応して、ルディがベンチから立ち上がる。ありがとう、リズ! ルディのセリフにアリスが大きく息を吐き、ホッとした次の瞬間。
すっかり気が抜けてしまったのだろう。アリスのお腹が盛大な音を鳴らしてしまった。
ぐううぅぅぅぅぅぅぅ。
ベンチの周囲に静けさが走る。
――――ギャー! ちょっとわたしのお腹、空気読んで!
内心焦るも鳴らした音は取り消せない。ざっ、と土を踏む音がして、息を詰めるアリスに暗い影が伸びてくる。びくびくしながらそっと見上げると、そこには青い空を背景に満足そうに微笑む彼がいた。
「こんなところに隠れていたのか」
酷く嬉しそうなルディの声に、ぶるりと身体を震わせる。
「やっと、捕まえた」
◆ ◇
アリスは知っていた。
ルディが必死でアリスを探しているのは、なんとしても今日中に、アリスに偽りの告白しようと思っているからだ。
そう、偽の告白。ルディがしようとしている告白は、本物の告白ではなく、まがい物なのだ。
ことの始まりは昨日の放課後。アリスが忘れ物に気付いて教室に戻ったら、中から声が聞こえてきた。
「決まりだね。明日、アリス・レーベル嬢に告白しなよ!」
告白という単語にどきりとする。ドアノブに伸ばしかけていた手を、アリスは慌てて引っ込めた。アリス・レーベルとは紛れもなくアリスのフルネームである。
今の発言は一体どういうことなのか。アリスは聞こえてくる会話にじっと耳を傾けた。どうやら教室の中には数人の男子生徒がいるらしい。
「……本当にやるのか?」
「もちろんだよ。これは決定事項だからね」
「往生際が悪いぞ、ルディ。覚悟を決めろ」
「くっ、おまえら他人事だと思って……」
――――えっ、ルディ?
続いた会話にアリスは目を見開いた。話の流れから察するに、どうやらアリスに告白するのはルディのようなのだ。いつもクールな彼が珍しくもうろたえている。
思わぬ展開に、アリスの頬が桃色に染まった。ルディがアリスに告白をする。それはつまり、ルディもアリスのことが好きだということになる。
――――え、まさかの両想い?
ルディとは長年の付き合いだが、今まで一度もそんな素振りを受けたことはない。好意を寄せられているどころか、むしろアリスは彼に呆れられていたと思うのだが。
ドキドキと期待に胸が高鳴る。しかしふわふわとしたアリスの思考は、なおも続く会話に瞬時に霧散した。
「負けたやつが告白する、そういうゲームの約束だろ? 今更降りるなんて言うなよ」
「それにしても、まさかルディが最下位になるとはね。チェスは鬼のように強いのに、カードはめちゃくちゃ弱いだなんて。ははっ、驚いたよ」
「アリスちゃんの反応が楽しみだな~。オレたちみんなで見守ってやるから、しっかりやれよ!」
アリスは表情を曇らせた。これは告白は告白でも、罰ゲームの告白というやつではないだろうか?
そういえばリズから聞いたことがある。カードなどのゲームで最下位だった人物が、指定された人物に嘘の告白をし、その様子を勝者たちが物陰から覗いて楽しむ遊びが一部の生徒の間で流行っているというのだ。
そう考えると全てに合点がいく。
さっきまで熱くなっていた頬が、すっと冷えていくのを感じた。おかしいと思ったのだ。ルディがアリスに告白するなんて、冷静に考えたらありえないのだから。
騒がしくて邪魔なやつ。
そんな風に思われていることくらい、分かっている。
「大丈夫。アリス嬢ならきっと瞳を潤ませて、頷いてくれるよ」
「どうだろな。こいつ愛想ゼロだから、さすがのアリスちゃんでもお断りするんじゃね?」
「俺はOKする方に賭けるな。男慣れしてなさそうだし、甘いセリフでも囁いてやれば簡単に落ちると思うぞ」
皆が楽しそうなのは罰ゲームだから。
そしてルディがアリスに告白するのも、罰ゲームだからで。
「分かった。明日、アリスに告白するよ」
――――嘘の告白なんて、いらないのに。
ずきずきと痛む胸を押さえて、アリスはその場から逃げ出した。




