聖女追放
十話程度で完結します。
誤字報告、助かります。
*** プロローグ ***
大陸の南西部にある三国、グランデ、ミーシス、ペキーナは、複合国家である。
国ごとに自治権を持つが、宗主国は中央にあるグランデ国であり、グランデの国王が三国を統治している。
通関税はないものの、人間の足で越えるには、高い山々が国境に存在する。
今から十数年前の冬のこと。
グランデからミーシスへと国境を越えていく、一組の母子がいた。
母親は流浪の民。
グランデ国に拘束されていた。
乳飲み子は娘。母と同じの黒い髪。
母の胸に抱かれていた。
山を越えたところで行き倒れとなった母子は、ミーシスの、とある貴族に保護された。
***
「聖女ジェシーヌ! 貴様との婚約を破棄することを宣言する!」
それがミーシス国公爵子息、ラクーヌ・リーブの言葉だった。
この日はジェシーヌも通っている、公立学園の卒業式だ。
式典後のパーティ会場での挨拶がそれだった。
ラクーヌの隣で薄く微笑む義姉の顔。
その表情でジェシーヌは諦める。
婚約破棄は、今更どうでも良い。
しかしラクーヌの次の言葉で、ジェシーヌは絶望した。
「偽りの聖女よ。我が国を謀った罪、軽くはない。ミーシス国、議会筆頭公爵家は、貴様に即刻、国外追放を命じる!」
その日の夕刻、ミーシス国首都の第三外壁西側に、ジェシーヌは放りだされた。
右足を引きずっているのは、腱を切られているからだ。
それだけではない。
咽喉を薬で焼かれ、両手は魔力封じの縄で縛られ、左目を深く切られていた。
破邪の呪文詠唱も、神への祈願奏上も叶わない。
――なんで、なんで私がこんな目に……
ミーシス国の西側には、深い森が続いている。
森の遥か向こうは、宗主国グランデの領地だが、徒歩で辿り着くには二十日でも足りない。
しかも夜ともなれば、人を喰らう獣が跋扈する。
上手く歩けないジェシーヌは転び、そのまま路上に横たわる。
猫の爪ほどの月が浮かんでいる空は、間もなく真っ暗になるだろう。
闇が、落ちる。
起き上がることすら出来ないジェシーヌの意識も、徐々に飲まれていく。
そうか。
あれは、陰謀のか。
漆黒の闇の中、外壁を越える高さに浮かぶ、二つの光。
ジェシーヌは近づいてくる光を見上げる。
獣の双眸、だろうか。
しかも、大きさからいって、ありきたりな獣ではない。
魔物?
それとも……
生温い風がジェシーヌの全身を包む。
ぬるりとした何かが、ジェシーヌに残っていた僅かな感覚を遮断した。
『あらあら、可哀そうに。まだ十五か十六でしょうに』
『聖女だろ? この娘』
『治癒の法術かけた相手が死んだとさ。それで放逐。しかも傷だらけ』
闇の中、炎が揺れている。
話し声が聞こえる。
二人、いや、三人か。
可哀そう? それは自分のことかとジェシーヌは思う。
確かに少し前まで、彼女は三国一の聖女と言われていた。
それゆえに、宗主国王族の血を引く、ラクーヌと婚約にいたったのだ。
だが、長らく療養していたジェシーヌの義母へ、快癒祈願をした翌日、義母は亡くなった。
祈願した日、顔色が良くなった義母は涙を流し、ジェシーヌに頭を下げた。
『あなたには、言わなければならないことがあるの』
義母の葬式後、ジェシーヌがなさぬ仲の義母へ、呪術をかけたのだと噂されるようになる。
噂を流したのは、きっと義姉のマルリーだ。
いや。マルリーだけではない。
しばらく前からマルリーとの仲を深めていた、ラクーヌが騒いだのだろう。
しかし、ならば婚約破棄だけで、いいではないか。
国外追放など、本来宗主国への周知と許可が必要だ。
そこまでの準備を、していたというのだろうか。
ジェシーヌの意識は遠くなる。
不思議と痛みは少なくなっていた。
もう。
このまま死んでしまうのかな。
そうしたら、本当の母に、会えるだろうか…………
眠りに落ちたジェシーヌを、三体の者たちが見つめていた。
意外にも、慈愛を感じる眼差しである。
いずれもヒトでは、ない。
『当代一の聖女殿か……エフィア家所縁の』
『資質は十分だ』
『狙い撃ちされたのさ。三国一の呪術者に、な』
三体は、それぞれが、ジェシーヌへギフトを贈る。
ジェシーヌの傷は、みるみる塞がった。
体の傷だけは。
遠くから見ると、三体の姿は、大きな蛇と白い狼と、海亀のようであった。
***
ジェシーヌは、エフィア伯爵家の一人娘である。
十年前、ジェシーヌの母は亡くなった。
母の遺品を受け継いだ時に、ジェシーヌは光に包まれた。
光の中、母に似た女神を見たように感じた。
暖かい、柔らかい波動だった。
そのまま宗主国の神殿で、「聖女」の認定を受けた。同時にラクーヌと婚約した。
自国へ戻り、基礎的な学業と平行して、聖女としての修行を続けた。
父は寂しがったが、なかなか自宅へは戻れなかった。
ジェシーヌが十歳になった頃。
一定の修行を終えたジェシーヌが、ようやく家に戻れた時、いつの間にか父は後妻を迎えており、後妻には連れ子がいた。
それがマルリーである。
最初は良かった。
ジェシーヌも義理とはいえ、姉ができたことを喜んだ。
艶やかな黒髪と、柘榴石のような瞳のマルリーは、宗主国でもなかなかお目にかかれないほどの、美少女であった。
だが。
「あなたは聖女様なんだから、こんなドレスは不用でしょ!」
マルリーのその一言を皮切りに、次々と物品を奪われた。
母の形見の宝飾も、当然の如く取り上げられたのだ。
「あなたは聖女なんだから」
義母からは、侍女と同じかそれ以上の、家事労働を言いつけられた。
「お前は聖女なんだから」
父の執務を押し付けられた。
エフィア家の邸には父と義母とマルリーだけが住み、家事やら執務やらを終えたジェシーヌは、別邸で寝起きした。食事も自分で用意するしかなかった。
聖女の認定を受けるまで、父はジェシーヌを大層可愛がっていたのだが、今では目を合わすこともない。
週に一度、神殿でのご祈祷と、治癒の施術を行う時だけが、唯一ジェシーヌのほっとする時間であったのだ。
それなのに…………
***
鳥の声が聞こえた。
光が射している。
朝を迎えたのだろうか。
それともこれも夢なのか。
ゆっくりとジェシーヌが体を起こすと、どこかの小屋の中だった。
ふらふらと、此処まで一人で辿り着いた?
ワンワン!
犬の鳴き声と共に、小屋の戸が開いた。
真っ白な塊が、ジェシーヌに飛んできた。
塊は、ペロペロとジェシーヌの顔を舐める。
白い、ふわふわした毛皮の犬だった。
「よお! 目が覚めたか!」
ビックとしてジェシーヌが声の方を見ると、見知らぬ男性が立っていた。
皮の装備と腰に剣を差している。
冒険者か、下級兵士のいでたちだ。
この人が、ジェシーヌを運んでくれたのだろうか。
ふと手を見ると、縄は解かれ、足の痛みもない。
左目には布が当てられているが、瞼は動く。
「あの……」
恐る恐る、ジェシーヌは男性に声をかける。
「ああ、済まない。ビックリさせたかな。俺はライキス。森の管理者だ」
森の……
やはり、ジェシーヌは森に迷い込んでいたようだ。
「私は、どうして此処に?」
ライキスは指で鼻を擦って言う。
「夕べは俺、夜の担当でさ、森の中を歩いていたら、真っ白い蛇がチョロチョロ這っていて、珍しい蛇だから追っかけて行ったら、あんたが倒れていたんだ」
ジェシーヌは座り直して、深く頭を下げた。
「助けて下さったのですね。ありがとうございました」
ライキスは、ジェシーヌの所作に、しばし見とれていた。
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