前ならえ
小学生の頃、一人で下校していた。周囲にはたまたま誰もいない。電柱には「変質者に注意」の貼り紙がしてある。
早く家に帰ってゲームをしたくて急いでたら、後ろで唐突に声がした。
「気を付け」
「えっ?」
振り返っても誰もいない。おかしいなと首を傾げてまた歩き出す。しばらくいくとまた声がする。
「気を付け」
振り向いても住宅街の道が続いているだけでぞっとした。気を付けを知らないわけじゃない、もちろん知ってる。朝礼や集会の時、一番前のちびが腰に両手を付けるあのポーズだ。
だけど俺はちびじゃないし、むしろクラスで一番でっかい。だんだんむかむかしてきた。何で姿も見せないヤツに命令されなきゃいけないんだ。
むきになって声を無視する。
「気を付け」
「気を付け」
「ねえ、気を付けてよ」
喋っているのは若い女らしい。俺が知らんぷりしても執拗に追ってくる。いい加減うざったくて、わざと反対のことをする。即ち両手をまっすぐ前にのばしたのだ。
道端で前ならえをする俺のすぐ目の前、アスファルトの地面と平行にした腕の中に女が現れた。
「気を付けろって言ったじゃない」
女の身体の幅は俺の腕と同寸。彼女と目を合わせた瞬間、腕がねじれて骨が折れた。
「前ならえ、だよね」
後で知ったが……その通学路では数年前に事故が起き、若い女が両腕を骨折の上亡くなっていた。
亡者にならうべからず。