「弱い」「邪魔」だと幼馴染みから言われてパーティーを追放された僕が、強くなって、幼馴染みに言ってやりたいこと。
僕とバスターは幼馴染みだ。生まれは、争いとは無縁の平穏な村。親の仲がよかったことから、僕たちは兄弟のように育った。
幼い頃のバスターは泣き虫だった。朝は虫が怖いと言い、昼は小さな子犬が怖いと言い、夜はお化けが怖いと言って泣いてばかり。
そんな彼を慰めるのは決まって僕の役目で、同い年ではあったけれど、僕は勝手に彼のことを弟みたいだと思っていた。僕も兄のように振る舞うのは楽しかったし、年齢の割には大人びいている僕のことを親たちも褒めてくれた。
僕はお兄ちゃんで、だから弟のことを守る。バスターは弟で、庇護しなきゃいけない存在。そう思っていた。
平穏な日常は崩れたのは、突然のことだった。
村が魔物に襲われたのだ。
辺り一面、血の海が広がっている。家は燃え、家畜も燃え、人間は無惨に食い殺されたり、生きたまま焼かれたりしている。
聞こえるのは、耳を塞ぎたくなるような悲痛な悲鳴と、魔物たちの不快な笑い声。殺されていく。村の皆が。
僕は母に抱き締められながら、目の前の信じられない光景を見て絶句していた。
「大丈夫よ。大丈夫。必ず…ノアのことは私が守るから。大丈夫…」
母は、その細い身体は幼い僕のことを守ろうとしてくれていた。
大丈夫、と何度も繰り返す彼女の肩は震えている。僕たちの横には、既に死体となった父がいた。母は父の代わりに、一人で、僕だけでも守ろうとしてくれていたのだった。殺されるという恐怖に自分も震えながら。
僕は何もできなかった。恐怖から勝手に身体が震えて、歯がガチガチとなる。目からは涙がこぼれ落ちて、足は動かない。
どうして。どうして、魔物なんか。
もう何百年もこの村は魔物に襲われていないと聞いている。不作もなく、食べ物はたくさんあって、村は豊かで、困りごとといったら時々作物を食い荒らす獣に手を焼いているくらい。そんな平和な日々がずっと続くのだと信じて疑っていなかったというのに。
「あ…」
魔物と目が合った。母は僕を抱き締めているから、魔物に背を向けていて気付いていない。僕は「お母さん…」とか細い声で彼女を呼んだ。
その声で母は全てを察したのか、一瞬だけビクリと身体を震わせた後、僕をぎゅっと抱き締めた。
愛してるわ、と掠れた声で言われた。そして、彼女は僕を突き飛ばした。
「逃げなさいっ!! お母さんが時間を稼ぐから! 貴方はどこか遠くへっ!! 行ってっっ!!」
そう言って、母は魔物の方へと走っていく。魔物の巨大な体躯に体当たりをして、弱々しい拳をぶつけて泣き叫んでいた。
どうして、と彼女は叫んでいた。そして、お前たち魔物なんかっ、とも叫んでいた。魔物は母の精一杯の抵抗に痛がる素振りも見せず、小首を傾げて、そして母の頭を掴んだ。
そのまま、力を入れて頭蓋骨を押し潰そうとしている。
「お母さん…」と僕は呼んだ。魔物の大きな指の間から、母と目が合った。
逃げて。彼女は口の動きだけで、そう僕に伝え、そして悲しげに微笑んで…ぐしゃりと頭を握り潰された。だらんっ、と彼女の手から力が抜ける。
魔物が僕の方を向く。
逃げて。頭に母の声が響いた。僕は叫びながら駆け出した。
◆◆
肺が悲鳴を上げて、足はもはや感覚がなかった。それでも僕は必死に逃げていた。頭を潰された母の姿が頭から離れない。
殺された。母を。コイツらに殺された。憎悪の感情が胸に沸き上がってくるのに、僕は逃げることしかできない。
憎かった。殺したかった。仇を討ちたかった。だけど、それ以上に死ぬのが怖かった。
「あっ…」
足元の小枝につまづき、僕は地面に倒れた。魔物は嫌な笑いを浮かべて、僕に近付いてくる。あぁ殺されるんだ、と僕が思った時だった。
その魔物は急に立ち止まり崩れ落ちた。魔物が立っていたところには、代わりに目を血走らせて別人のようになっているバスターが立っていた。
「返せよぉっ…!! 俺のお袋と親父を返せよぉぉおお!!!」
バスターは叫んで、手に持っていた剣で、何度も倒れている魔物を刺した。腹を裂き、目を潰し、喉を切り裂いても。止まらなかった。
血だらけの剣は、彼の父のものだった。バスターもまた僕と同様に両親を失ったのだと分かった。
夜明けになって、漸く王国の兵隊がやってきた。生き延びていたのは僕とバスターの二人だけ。他の村人は全員悲惨な死を遂げていた。
平穏で豊かだった村は一夜にして、血の匂いが染み付いた場所となって、多くの家は撤去されて代わりに無数の墓が建てられた。
僕たちは真っ白の墓石の前に立ち尽くす。僕は泣いていた。バスターは何を考えているのか分からない無表情で、空を眺めていた。
「これから…どうしようか?」
僕が言った。
「魔物を殺す」
妙に落ち着いた声で、バスターは言った。
彼の両親は死体の中でも、最も酷い状態と言ってもよかった。身体の原型を留めていないほどに、食い荒らされた後の姿で発見された。
そうか、と僕は返事をした。僕も彼と気持ちだった。魔物への憎悪は僕の心の中にも渦巻いていた。
「一緒に、仇を取ろう。村の皆の分も」
僕はそう言って涙を拭った。あぁ、とバスターは短く返した。
◆◆
バスターはその日を境に変わってしまった。まず泣かなくなった。弱音も吐かず、そして笑いもしなくなった。
バスターはあっという間に強くなった。僕の助けなんか必要ないくらいに。
何年か経って、僕たちは冒険者になった。バスターは王国の軍隊から入隊するように、熱心に誘われていたようだったけれど、軍隊よりも冒険者の方が魔物を狩る機会が多い。
仇を討つため。そのためだけに冒険者になったのだ。
僕たちはパーティーを組み、そして一年もしない内にパーティーは国一番の強さを持つようになっていった。全てはバスターのおかげだ。
彼は強い。一人だけで、何体もの魔物を相手にできるくらいの強さを持っている。パーティーのメンバーは彼を頼りにして、まるで救世主や英雄か何かのように彼を特別視し始めた。
僕がメンバーたちに違和感を感じ始めた頃には、既に遅かった。パーティーの空気はおかしなものになっていった。
誰もがバスターを頼りにした。誰もがバスターに期待した。誰もがバスターは完璧な存在で、何でもできる人なのだと思いたがった。
ほとんどの人間がバスターに寄り添わなくなった。バスターの心配をしなくなった。
バスターなら大丈夫だよね、としか言わなくなった。
彼だって、ただの人間のはずなのに。
「君は最近働きすぎだ」
目元には深い隈。顔は青白く、疲労が溜まっているのは明らかだ。そんな彼を見て、僕は思わず声をかけた。
バスターはじろりと僕を睨んだ。
「…この間にも、誰かが魔物に襲われてるんだ。寝てられるか」
「だからってやり過ぎだ。冒険者は君だけじゃない。君ばかり無茶をする必要は…」
最後まで言うことはできなかった。バスターが、隣にあった酒を僕に頭から浴びせたからだ。冷たい液体を浴びせられて、僕は驚き、思わず口をつぐんだ。
「弱くて、パーティーのお荷物にしかなってないお前が、何を言ってるんだ」
はっ、と嘲笑するように言われた言葉に、僕は何も言えなかった。
うつ向く僕を見て、バスターは舌打ちして去っていく。その背中を見つめながら、僕は呟いた。
「どうして、そんなに変わってしまったんだよ…バスター」
◆◆
メンバーの一人が死んだ。リリー。回復魔法を持つ魔道士で、花が咲いたみたいに明るく笑う、優しい少女だった。
バスターのことを心配してくれる、貴重な一人だった。
自ら先陣を切って魔物の群れに突っ込むバスターは怪我も多く、彼女はいつも「こんな戦い方は駄目。自分の身体をすり減らす戦い方なんて、私は許さないんだから」と説教をしながら、彼を治癒していた。
治癒されている立場のためか、バスターもリリーには頭が上がらない様子で、彼女の言葉には比較的素直に耳を傾けていたように思う。
心配し、協力し合う。本当の仲間だったのだ。その仲間が死んだのだ。
他のパーティーが魔道士が足りないと言ってきて、リリーがその代わりとして参加することになった。
数日で終わる任務のはずで、「お土産話、期待しててね」と笑って彼女は出発していった。しかし、強い魔物の群れに襲われ、パーティーは壊滅。
帰ってきた彼女は、変わり果てた姿になっていた。
彼女の葬儀でもバスターは泣かなかった。ただ、更に暗い目をするようにはなった。
そして、傷を負うことを気にしなくなった。叱って、心を痛めてくれる人はもういなくなったからだ。
◆◆
そんな日々を過ごしている内に、魔王という存在を聞いた。魔物の王。どうやらそんな存在がいるらしい。
この十数年、魔物の動きが活発化したのは王が生れたからで、魔物たちはその王のもと、力を蓄えて人間たちを根絶やしにする計画を練っている。そんな噂を耳にした。
「魔王…か」
その噂を知ったバスターは、憎しみが滲む声で呟いた。
魔物が活発化したことが本当にその王の誕生が原因であるならば、自分たちの真の仇は、魔王ということになる。彼はそう考えたのかもしれない。
周りのメンバーたちは、バスターならば大丈夫だ、君ならば倒せる、と興奮したように励ましている。その光景を見ながら、僕は嫌な胸騒ぎを感じていた。
魔王の情報は少なく、まだ噂話だけの存在だ。しかし、確かな情報を知ったら…バスターはどうするんだろう。そんな胸騒ぎだった。
◆◆
「人殺し!!」
ある任務のことだった。かなり強い魔物の群れが森に住み着いているという噂で、それを討伐して欲しいという依頼。ただその場所は距離があって、一週間ほどかけて移動しなければならなかった。
そして、目的地の村に着いた時。そこはもう焼け野原になっていた。まるで僕たちが住んでいた、かつての村のように。魔物たちによって壊され、血の匂いが充満する場所へと変わり果てていたのだ。
僕たちは急いで、まだ村にいる魔物たちを退治し、生存者の保護を行った。
特に動いていたのはバスターだ。魔物を殺し、人を助け、魔物を蹴り、怪我人を運ぶ。血だらけになりながらも、休みもせずに動く彼の姿は、僕には酷く痛々しく見えた。
…僕はバスターほど強くないから、あまり役には立てていなかった。自分の無力さを歯がゆく思う。何もできない。弱い、自分が悔しかった。
そんな中のこと。僕は偶然、その場に居合わせてしまった。
人殺し。村の子供が、バスターに向かって言った言葉だった。子供は叫んでいた。
どうしてもっと早くに来てくれなかったのだと。あと少し早ければ、父と母は死ななくて済んだのに、と。冒険者は強いんだろう、どうしてもっと早くにきて、両親を救ってくれなかったのだ、こんなのお前たちが殺したようなものだ、と。
理不尽な、子供の癇癪だった。
悪いのは魔物で、僕たちに非は一切ないはずだ。道中はできる限り急いで来たつもりだし、村が襲われるタイミングなんて僕たちは知る由もない。責められることなんてないはずだった。
「返せよっ!! お母さんとお父さんを返してよぉ…」
それなのに、その子供の泣き声は、僕たちの心に酷く突き刺さった。
その晩。僕は久しぶりにバスターに話しかけた。聞いている僕でさえ傷付いたのだ。暴言を直接浴びせられた彼にはもっと思うところがあったに違いないと思ったからだった。
そして、暗い、死人みたいな目をしている彼を見て、僕は言ってしまった。
「君は何も悪くない」
カッとバスターは目を見開いて、僕の肩を突き飛ばした。固い壁にガンっと頭を打ち付けられ、僕は呻き声を上げる。
「悪くない…? 何様のつもりだよ!!」
「本当のことだ!! 僕たちは最善を尽くした! あの子だって本当は分かっているはずだ! 何でも自分のせいだと抱え込むのは止めろよ!!」
「知ったような口をっ…!!」
「神にでもなったつもりか?! 君は人間だ! 救える命には限りがあるし、できないことだってある! バスター、君は最近おかしいぞ!! リリーのことだって君が責任を感じる必要はない!」
俺は胸倉を掴まれ、そして殴られた。口に血の味が広がる。
「お前にっ…お前に俺の何が分かるってんだよ…」
弱々しい声だった。その声を聞いて僕は漸く、彼が余裕なんてないくらいに追い詰められていることを知った。
強い力には責任が伴う。それは理解していたつもりだった。だけど、強いからといって、救えなかった命に対してこれほど罪の意識を感じていたなんて。
「バスター。君は一度、パーティーのメンバーたちと距離を置くべきだ。彼らは君を称賛するばかりで、止めてくれることはない。このままでは君は壊れてしまう。…幼馴染みからの、最後の頼みだ。頼む。少しは休んでくれ」
バスターは、吐き捨てるように言った。
「お前、パーティー抜けろよ。弱くて話にならない。邪魔なんだよ。…お前なんか、幼馴染みでもなんでもねぇ」
◆◆
僕はパーティーを追放された。
リーダーであるバスターが決定したことに異を唱えるメンバーはいない。僕たちは他人になって、その日からは話しかけてもバスターは僕を無視をするようになった。僕たちは完全に決別したのだ。
僕は旅をすることにした。このままバスターの後を付いていっても、彼はもう口をきいてはくれないだろう。…僕たちはもう赤の他人なのだから。
一年ほど、僕は各地を回り自由に旅をしていた。冒険者の一人旅というのは想像よりも過酷で、どれほど追い詰められたとしても助けてくれる味方はいない状況は、少しではあるが僕の実力を上げてくれた。けれど、それでもバスターには遠く及ばない。
「僕が強ければ…君の隣に立てるくらいに強ければ、結果は違っただろうか…」
パーティーを追放され、一方的に縁を切られて。苛立ちを覚えなかったと言えば嘘になる。
しかし、たった一人だけの幼馴染みだ、最後の、同郷の人間なのだ。そう簡単に忘れられる訳がなかった。
そんな悶々とした気持ちを抱えて旅をしていると、僕はある老人と出会った。
彼もまた一人旅をしているらしい。森で出会い、孤独な夜の話し相手になって欲しいと言われて、断る理由もなかった僕はその誘いに頷いた。
酒を飲み交わす内に交流を深め、僕は自分の話を彼に語った。故郷が魔物に襲われたこと、幼馴染みと二人だけ取り残され、共に冒険者を目指したのに仲違いをして、パーティーを追放されたこと。
彼は僕の話を聞いて、「…その幼馴染みは幸せ者だな」と言う。
「幸せ者?」
「そこまで思ってくれる奴がいるんだ。強くなっても、自分を人間として見てくれるってのは救いになるもんだ」
老人はそう言って、自分の過去を語り始めた。
彼も無能だとパーティーを追放されたことがあるらしい。自分を無能だと決めつけた奴らを見返してやりたくて、血を吐くような努力を重ね、ついには国でも名の知られた冒険者までなったそうだ。
「私の噂を聞いて悔しがる奴らの顔は傑作だった。…まぁ、楽しかったのはそこまでだな」
「そこまで、とは…」
「『最強』と言われるところまでたどり着いて、パーティーの奴らにも一泡ふかせることができた。私は目的を見失ってしまったんだ。力のためには何でも犠牲にした。不必要だと思うものを切り捨てて、力を求めてきたからな。気付いたら周りには、打算でしか近付いてこない人間ばかりになっていた」
自分は何のために強くなったのか。その意味を見失ってしまった彼は、その後に酷く苦しむことになる。
自分の力目当てではないか、自分の財産目当てで言い寄ってきているのではないか、と周りを人間を疑い始め、疑心暗鬼に陥った。彼は孤独だったのだ。
「『最強』ってことは、『最も強い』ってことだ。つまり隣に立ってくれる奴は誰もいない。『最強』は孤独なんだよ。寂しいもんだ」
彼はそう言って酒を飲み、僕を見て目を細めた。
「その幼馴染みの奴を、嫌いにならないでやってくれ。追いかけ続けて、気にしてやってくれ。それが救いになる。ソイツもいつか気がつくさ」
僕は一晩、老人の言葉について考え続けた。僕は弱い。だから、彼やバスターの苦しみなんて分からない。強ければ孤独だという言葉も腑に落ちなかった。
…けれど。
僕は、昔のバスターを思い出す。泣き虫バスターとよく近所の子からはからかわれていた。
そうだった、彼は誰よりも傷付きやすくて、優しい子供だったんだ。怖いと言っていた子犬が怪我をした時は、泣きながらも塗り薬を塗っていたし、虫の死骸を見た時も可哀想だと泣いていた。
彼は、誰かのために泣ける人だった。
それはきっと今も変わっていない。復讐に取りつかれてしまっただけで、リリーを案じる気持ちも、村を焼かれた子供を心配する気持ちも彼には残っているんだろう。
だから、全て自分のせいだと抱え込んでいるんだ。
自分が強いから。自分が全て何とかしなければいけないと思っている。
そして、一杯いっぱいになって、自分のことを気にする余裕さえなくなってしまっているんだ。
「…僕に、何ができるだろう」
僕は自分の手を、星空へと伸ばした。
◆◆
僕は翌朝、その老人に頭を下げた。弟子にしてくれ、と頼んだのだ。今の僕にできるのは強くなることだ、それが僕が一晩考えて出した結論だった。
弱いから彼は耳を傾けてくれないというのなら、僕は彼と同じくらい、いや彼以上に強くならなければならない。
彼の苦しみを理解できるくらいに強く。そして、彼が間違った道を歩いている時のなら、殴ってでも止められるくらいに。
老人は、じっ…と僕を見つめていた。
「何故、強さを求める?」
「バスターを『最強』にしないために」
「今の彼は、きっとそんなことを望んでいないぞ」
「はい。彼なら、余計なことをするな、と怒鳴るでしょう。でも他でもない僕がそうしたいんです」
だって、と僕は続けた。
「たった一人の幼馴染みなんですから。彼が孤独で苦しむと分かっていて、黙って見てなんかいられませんよ」
僕は凡人だ。バスターみたいな才能を持ってもいなければ、物語の英雄みたいに立派な志を持っている訳でもない。
きっと彼が立っているところまで行くには、僕は文字通り血反吐を吐くような苦労をしなければいけないだろう。
それでも。このまま彼を一人にすれば、僕は一生後悔することになる。そんな確信が僕にはあった。
老人は僕を目を見ていた。やがて頷いて、「…厳しいからな」と呟く。
僕は深く頭を下げた。
◆◆
三年が過ぎた。僕は老人を師とし、修行を積んだ。
彼はなかなかに容赦がない。丸腰で魔物の群れへ放り込み、死にかけるまでは助けない、大怪我をしたくなければ死に物狂いでどうにかしろなんて言う時もあった。何度死を覚悟したことだろう。
しかし、その努力も実って僕は着実に力をつけていった。
その噂を聞いたのは、僕が墓参りのために久々に故郷へと帰っていた日のことだった。魔王の居場所についての噂だ。その噂は随分と具体的で、その場所へと向かったパーティーは皆、消息不明となっているらしい。
そして、国で一番のパーティーがつい最近、そこへ向かったと。
バスターだ、とすぐに分かった。彼はずっと魔王のことを憎んでいたようだったから。
僕は師に掛け合い、行かせてくれと懇願した。今の実力で魔王を相手にできるのかどうか、正直に言えば不安しかなかった。しかし、いても立ってもいられなかったのだ。
師は、今の実力では死ぬかもしれない、それでも行くのか、と言った。
「それは、お前たちの問題だ。私は手を貸さないからな。やるのなら一人で向かうんだ」
僕は頷いて、三年間育っててもらった彼に別れを告げた。
◆◆
死ぬのが怖いかどうか。僕とバスターの一番の違いはそれだろう。
故郷を失ったあの日、バスターは自分の命を守ることよりも魔物を殺すことを優先し、僕は魔物を殺すことよりも自分の命を守ることを優先した。
バスターは復讐に自分の人生を捧げ、僕は魔物を憎みながらも自分をすり減らすことはしなかった。
バスターが正しかったのかもしれない。故郷の皆のためには、死に物狂いで仇を討とうと戦い続けるべきだったのかもしれない。
僕はただの腰抜けで、バスターこそが正義なのかもしれない。
それでも僕はバスターには人間でいて欲しかった。だから、僕は今、自分の命を賭けようとしている。死ぬのは怖い。生きていたい。それが本音だ。
でも、たった一人の幼馴染みの横に立つために、僕はそうしたかった。
なぁ、バスター。僕は君に言いたいことがあるんだ。これを言うためだけに強くなったんだよ。隣に立って、対等な立場になってから言ってやりたかったから。
◆◆
噂の場所へと着いた時、そこには既に死体がいくつも転がっていた。まだ息をしている者もいるが、ほとんどが重傷者だ。中には見知った顔もいて、僕は駆け寄った。
「バ、バスター…なら…英雄の…アイツなら…きっと…だから、…俺たちは…助か…」
伸ばしかけていた手が止まった。
「…君たちがそんなことを言うから、バスターは追い詰められたんだよ。ずっと強い人間なんている訳ないだろ」
僕はぎりっと歯を噛みしめた。
奧へと進むと、二人の人影が見えた。一人は明らかに異形の姿をしていて、もう一人は満身創痍で今にも倒れそうな人間だった。魔王とバスターだ。
「なかなか粘るな。下等生物のわりにはよくやった方じゃないか」
「うるせぇっ…!!」
「仲間を庇わなければ、もっと動けただろうに。あのような者たちなど捨て置けばよかろう」
「…嫌なんだよ。もう…俺は誰も…!!」
バスターの身体がバランスを崩す。しかし、彼の身体が地面へと崩れ落ちる前に、僕は駆け寄って彼を支えた。「お前…」とバスターは僕を見て目を丸くした。しかし、すぐに我に返って僕を睨む。
「何しに来た?」
「助けに」
「帰れ。お前なんか役に立たねぇよ。足でまといだ」
「それはやってみないと分からないだろ」
「帰れって言ってんだ!!」
僕は彼の目を見つめて言った。
「バスター。僕のことは守らないでくれ」
「は…?」
「僕がパーティーにいた時、君は絶対に僕を前に出さなかった。僕はいつも安全な後方にいて、その代わりに君が戦っていたよな。気付いてたんだ。本当は。君がいつも後ろの仲間たちを気にして、戦っていたって」
「…」
「それでも、その時の僕には守られていることしかできなかった。君は暴力的な物言いをするようになっていたし…昔のバスターはもういなくて、変わりきってしまったんじゃないかって疑った。けど」
僕はバスターを前に立ち、魔王を見据えた。腰に下げた鞘から剣を抜く。
「離れてみて分かった。君は何も変わってない。不器用で、優しい君のままだ」
バスターはもう僕の弟じゃない。神でもない。英雄でもない。…ただの人間だ。
「君にずっと言いたいことがあったんだ。泣き虫バスターのくせに何、格好つけて抱え込んでるんだよ。…背中くらい守らせてくれよ」
魔王へと刃を向けて…そして、僕は駆け出した。
◆◆
魔王は強かった。純粋に戦闘能力が高いのは勿論のこと、会話ができることから察してはいたけれど知能が高い。
最初は小手調べという風に、攻撃力が低い魔法を多く仕掛けてきたが、僕がそれらをかわして見せると、すぐに別の手段に移ってくる。
準備時間が必要ない中級魔法と体術だ。中級魔法といっても、元々の魔力量が桁違いに多いから、人間が使う上級魔法よりも威力が大きい。まともに当たれば即死だろう。
僕は宙を飛び回る火玉を避けながら剣を振るった。修行の成果もあってか、当たるには当たる。けれど、腕や足といったところばかりだ。胴体には浅くでしか傷をつけていない。
決定打に欠ける攻撃を繰り返していると、魔王は不敵に笑い始めた。
「何だ、先ほどから全く傷をつけられていないじゃないか。他の人間どもよりはマシだが、お前もそこの小僧と同じだな。お前では私を倒せまい」
「…っ」
「惜しいな。せめてあと十年、いや五年鍛練を積んでいれば、まだやりようもあっただろうに。挑む時期が早すぎだなぁ」
「…五年じゃ、遅いんだよ」
確かに師のもとであと五年修行をしていれば、僕も一人でそれなりに戦えるようになったかもしれない。でも、その五年後にバスターが死んでいるのなら意味がないんだ。
負ければ僕たちは殺される。もう後には引けないのだ。だから今、仕留めなければ。たとえ、僕の命と引き換えになったとしても…。
「何、弱かった奴が意気がってんだ」
そんな声と共に、僕の横を通り過ぎていく影があった。その影は魔王へと飛びかかる。不意をつかれた魔王はそのまま右腕を切り落とされた。
「バスター…」
魔王の右腕を切り落とし、バスターはニィと笑った。
「昔じゃねぇんだ。俺だって守られてんのは性に合わねぇ」
怒り狂った魔王は、バスターに向かって残った左手を振り下ろす。しかしその前に、僕が魔王の目玉へと手持ちのナイフを投げつける。目玉は潰れ、「ぎぃぁあ」と魔王は痛みに悲鳴を上げた。
僕の動きを見たバスターは眉を上げ、感心したような顔をした。頭からは血を流し、今にも倒れてしまいそうな身体だというのにバスターは力強く笑って言った。
「強くなったじゃねぇか、ノア」
強くなった。他でもない彼にそう言われて、僕は涙が込み上げてきた。ぐっ、と我慢して袖で拭う。バスターは「泣き虫バスターねぇ…どっちが泣き虫だか」と呆れた声で言った後、魔王に向き直る。
「いいぜ。俺一人でも駄目、お前一人でも駄目ってんなら…共闘といこうじゃねぇか」
「バスター…」
「背中、任せたぞ」
「…あぁ!」
僕たちは、共に剣を構えた。
◆◆
何時間経っただろうか。その屈強な体躯から力が抜けて、魔王が倒れた。血を撒き散らし、右腕、左足を欠けた悲惨な死体だ。
仕留めた。そう理解した瞬間に、どっと疲れがやってきて僕は咳き込みながら地面に崩れ落ちた。
ろくな休憩もなしに動き回っていたいか、心臓が嫌な音を立てて暴れ回っている。肺はまるで毒を飲んだみたいに、息を吸い込む度に鈍く痛んだ。
疲労しきった身体は思うようには動かない。どうにか眼球だけ動かすと、バスターもまたすぐ近くで倒れているのが見えた。
「ノア…生きて…るか…」
「どう…にか…」
息も絶え絶え、といった状態で言葉をかわし合う。本当に生きているのが不思議なくらいにギリギリの状態だ。
それ以上動くこともできず、僕たちは暫く地面に寝転がり、美しい青空を眺めていた。
「お前…なんで、来たんだ」
僕の方を見ず、空を眺めながら、独り言のようにバスターが呟いた。
「君を『最強』に…一人にしないためだよ」
「はっ…何だ、それ」
「あのままだと、君は何でも抱え込んで、一人で死んでしまいそうだったから。それが許せなかったんだ」
空には穏やかに雲が流れている。風は心地よく僕たちの頬を撫で、疲労が溜まった身体を癒してくれる。
「約束しただろ。…"一緒に"仇を取ろうって」
僕の言葉にバスターは一瞬だけ驚いた顔をする。しかし、すぐに何のことか思い出したのか、目を細めて言った。
「あぁ、そうだったな」
そして、青空の下、僕たちは笑い合った。