ツギハギ
木造の家屋がずらりと並ぶ町中で、夜中に一人でふらりふらりと歩いていた。酒に溺れ女に捨てられ、余りに余った金だけが唯一の友人である。着物の懐に銭を忍ばせ、しんと静まり返った町を踏みしめる。
「そこのお方……」
不意に聞こえたのは女の声。酔っ払った身体は振り返るも、後ろに居た女人を捉えられずに視線が過ぎる。目に映った残像の中には、死に装束のような真白い着物に笠を被った女の姿が残っていた。
「何者だ。身売りの女か」
誰も居ない夜道を、この町で歩く女人など身売り以外になにがあろう。寄った勢いでこのまま抱き込めればきっといい気分で寝られる事だろう。私は何の迷いもなく、女人に近付き肩に触れた。
「いけません……」
「いいではないか、金ならある」
「違うのです……」
「何が違うというのか、教えてはもらえぬか」
女人の笠の下を覗き込む。そこには今まで見たことがない程、美しい女子が顔をしかめていた。
私は顎に手を添えて吟味した。ふむ、これならば吉原に居てもおかしくない。逃げ出して来たのか、それとも駆け落ちか。いずれにしても、この場で逃がしてしまうよりは金をはたいて男女の関係になる方が美味しい想いが出来るというもの。
「私は、その……」
女子は視線を落として俯いた。恥じらうような仕草に男心がくすぐられてしまう。どうせこの真夜中に出歩くような女子であれば、どんな男にも股を開いて喘ぐのだろう。あとは気持ちよくなれればそれでいい。酒に女、金もあるなら十二分。
「さあ、お嬢さん、貴方と一夜を過ごすには、どれほどの金を積めばいいのでしょう」
笠を拭い去り女子の手を取りながら、そっと身体を引き寄せる。若い女子特有の甘い香りが鼻腔を刺激する。
「お代は結構です……」
「なんと……」
これまた嬉しい誤算だった。この町の女人の大半が金を積まねばせぬというのに、この絶世の女子は金も積まなくていいと。
「そうかそうか」
きっとこの女子もそっちが目的で出歩いているに違いない。夜な夜な寂しくなった可憐な身体を、誰かに抱かれようと外に飛び出したのだろう。ならば、抱いてやるのが男というもの。美しい女人とやれるならばこれ以上の男冥利はない。
「では、こちらに」
酒の勢いも乗ってきた。けれど、私は優しく女子の手を引いて家屋と家屋の暗い筋に入り込んだ。ここで叫ばれては身もふたもない。逃げられないように、最初は優しく丁寧に、陶器を扱うようにしっとりと撫で回すべきだろう。行為はそのあと、気分が高揚した女子の声が嬌声へと変わった瞬間を狙えばいい。
家屋の壁に女子を誘導し、まじまじと正面から見つめる。月明りの下、色白の綺麗な肌が見えた。絹のようなさらりつるりとした肌を見つめていると、恥じらう女子の潤んだ瞳が艶めかしく目に映る。
女子の顎に手を添えて、くっと上向きに上げる。赤い紅が唇に塗られ、今か今かと口づけされるのを待っているようにさえ感じた。
「……」
女子の唇に触れた瞬間、何か異様な、異質な臭いが鼻をにじり切らんとした。
嗅いだこともない臭いに思わず後ろへ退く。鼻がもげそうな香りに胃の中のものが込み上げてくる。
「だから、いけませんと、違うのですと言ったのに……」
女子は口元を服で隠して涙を流した。そうかそうか、口臭がきつい女子であったのかと、私は独りで納得し、ならばと着物に手をかける。
「そのようなこと、気にせずともよい。その分、其方は美しかろう」
きゅっと絞められた首元を、胸元を曝け出すために両手で握り締める。
「いけません……」
「いやいや、ここまでさせておいてお預けとはいかぬだろう」
「違うのです……」
「ええい、我慢ならん」
恥じらう女子の胸元を空気に晒した。
「な……」
そこにあるはずの女特有の胸はない。丸めた布切れが二つ詰め込まれているだけの平らな胸。
「お、男……」
「あぁ……見てしまったのですね……」
よく見ればその胸の色は顔の部分とは違い血色の良い肌色である。顔は女子で身体は男。これは夢なのかと女子の顔と男の体をぺたぺたと触診する。
「あっ……んっ……」
胸に触れる度に女子の顔が赤らんでいく様子に、この際、男でもいいのではないかとさえ思えてきた。首筋に接吻をしようと近付く。だが、その白と肌色の境界線は、よくよく見れば糸のようなもので縫合されている。
「おぬし、身体になにかあったのか」
接吻の手前で私は顔を見上げて頬を染める女子を見つめる。顔を見れば美しい女人、見えた身体つきは細身の男。そして、縫合されたような傷痕。気にならないわけがない。
「お兄さん、お名前は……」
「私の名前?」
「はい……」
急な質問に思わず興が冷めていく。興奮しかけていたものも、夜の空気と同じくしんと静まり落ちていく。
「きくち……菊池左之助だ。して、おぬしの名は」
「接ぎ剥ぎと申します……」
「ツギハギ、妙な名前だな」
「よく言われます……」
素性を隠すにしても、身を隠すにしても、「ツギハギ」なんて名前を使う女子は見たことも聞いたこともない。今晩は不思議な夜になりそうだ。
「ツギハギよ、其方は男なのか」
「下を触れば分かるかと」
「ほう……」
白装束を少しはだけさせ、艶めかしい太ももを見せつける。この際、男でも女でもどちらでもいいかもしれん。こんな妙な感覚を与えてくる女子はそうそう居ない。いや、男でも、こんな珍妙な者は居ない。
ニヤけが止まらぬまま、私はしゃがんで太ももの間にそっと手を入れていく。
「んっ……」
少しずつ、太ももに沿って上へ上へと手を這わせていく。すべすべの肌の感触に再び昂ぶってくるが、それよりも、今は目の前の者が男か女かが気になって仕方がない。
「……」
そこには何もなかった。男性のブツも女性の秘部も、何もない……。
「これは一体どういう……」
動揺していた私は右腕と左腕の付け根に違和感を覚えたが、即座に反応することが出来なかった。
「は……」
熱いものが両腕の付け根から溢れ出し始める。それを知ったのは、ぼとりぼとりと重い何かが地面に落ちた時だった。
「な、なんだこれは……」
どろどろと赤い血が流れていく。叫ぶよりも、泣き喚くよりも、状況の判断が付かない私は固まっていた。恐怖、畏怖、動揺……、様々な感情が絡まり合った結果、声は何かよくわからないものに縛られてしまっていた。出そうと思っても出ない。何故でないのか。
「喉も切れていますよ」
ツギハギと名乗った者を見上げると、私の視界の下の方で血が噴き出ているのが確認できた。白装束が赤い斑点に色付けされていく。何が起こっているのか、皆目見当もつかない。いや、つけたくないというのが正しいか。
千切れた両腕を持ち上げたツギハギはゆっくりと立ち去ろうとする。
「接ぎ剥ぎ……人を接ないで剥ぎ取って、新しい血肉で生きていく。性別なんてありゃしません。常に美しく、常に新しく、綺麗な身体で居たいではありませんか」
ツギハギの言葉を聞きながら、私は静かに、その場に仰向けに転がった。
喋れない、腕も無い。血液が地面に染み込んでいく。
「……」
はてさて、何処で道を間違えたのだろうか、少しの間だけでも振り返ろうか。