襲撃
アコを寝かしつけて帰ってきた母が椅子に座るとなにやら周囲が騒がしい事に気付いた。家の外から聞いた事無い金属音がする。なんだろうと思い見に行こうかと言う話をしていると扉が物凄い音を立てた。
夜半を待ち忍び寄る。捕まえた人数とその質で払われる日当が決まる。若い女は見栄え、若い男なら丈夫さが質で、子供は安値で買い叩かれるが将来性から年寄りよりは良い値がつく。年寄りは足が出ることがあるから大体置いていくか殺してしまう。彼等のルールはその程度だ。蛮族を攫って皇国の奴隷商人に売りつけるのが仕事である。
気が向かないな、忙しそうに家に入っていく少女を眺めながらコルチはそう呟いた。通常、遊牧民や異民族の襲撃こそ頻繁にやって来たものの、辺境とは言え決まった領主のいる普通の村落を襲うのは初めてのことであったし元来極めて稀な事である。
「これじゃまるっきり戦争じゃねえか。なあ。」
と部下に話し掛けたが、俺らを攫った時のは戦争じゃねえってか、と言い返されるとそりゃそうだと苦笑するしかなかった。家々の煙突から上がる暖炉の煙がまるで襲撃の狼煙のように立ち上っていた。日はとっぷりと暮れ、雪が音を吸い込む。進撃の旗が上がる。武器の冷たい金属音が村に向かっていった。
コルチはドアを蹴破って家に入り中を見回す。少女と若い女がいる。家の奥から泣き声が聞こえる。
「亭主は居ないのか。」
母親らしき女が今は居ないと答える。女は素早く娘を背に回し
「必要なものなら何でも持っていってください。お金も何もありませんが家族が食べていく最小限の食料以外ならなんでも差し上げます。だから。」
気丈な女だなと思いながら、コルチは鍋の中のスープを覗き込んだり、家の奥を見て回った。
「その必要は無い。俺はお前らを攫いに来たんだ。申し訳ないがあんたたちには奴隷になってもらう。家の外に私の仲間を二人待機させているから子供を殺されたくなければ従うように。」
若い母親と娘に冷たく無情な言葉を放った。
タリアの家は幸運だったと言える。家の外に連れ出されると、村はまさに阿鼻叫喚と言った様相であった。父の名を叫びながら家から引き摺り出される子供、頭から血を流す男、服を引き裂かれて半裸の女、そして見なれた顔をした死体。他の家を襲った闖入者たちは、平穏に暮らしていた家族が始めから奴隷であったかのように随分手荒に扱っていた。あまりに異様な光景を目にして少女が足を止めると、背中を槍の柄で小突かれた。鎖で長く連なった手錠には既に近所の住民達がつながれていた。
錠に連なる見慣れた人たちの顔が泣いたり叫んだり激怒したり絶望したりしている。子供は鎖につながれなかった。代わりに赤子を持たされたり略奪品を持たされたりしている。言うまでもなくタリアはアコを抱き鎖につながれた母に寄り添っていた。
「これに乗れ。」
そうして指差された先には頑丈そうで深淵な闇を湛えた馬車のような、しかし中に入ると内側からは出られないであろう乗り物があった。母と離れたくない思いもあったが馬車の中の疲れきった少年達の顔を見て抵抗をあきらめる事にした。
タリアは雪を見ていた。夕方に降り始めたこれは警告だったのだろうかと言う気さえして、ただ呆然と堅固な鉄格子越しに巨大な馬車からの風景を見ていた。アコが泣き止まない。夢なのかもしれないと思えてきたその時、ガキを黙らせろ、と窓の外から怒鳴り声が飛び込んできた。アコは怒号に驚き静かになった。馬車の中の子供達は死んでしまったようにしかし暖かさを保つために寄り添いながらじっと座っている。実際に寒さと攫われる時の暴力で数人死んでいた。泣き疲れてぐったりとした少年の目が闇の中で月光を湛えて光っている。馬車の揺れに同調して動くその光点は何ら意思を湛えてはいない気がする。見ていてはいけない気がしたのでタリアは再び外を眺めた。
大人たちは馬車に乗せられることなく歩かされている、ある人は着の身着のままで、ある人は半裸で、ある人は泥や血ににまみれて。時折馬車から子供の遺体が捨てられる。そのたびに嗚咽と憎しみの呪詛が聞こえてくる。次第に呪詛の連鎖が大きくなるが、従わざるを得ない両親たちはうな垂れつつただ歩く事が人生の目的であるかのように歩行に集中しているように見える。そんないままで見た事もない顔をしている人たちが、数日前までただの優しかったおばさんや厳しいおじさんだった人たちである事を見せ付けられる。夢じゃない。そう思わされタリアの頬を泪がつたった。気付くとアコは静かになっていたが吐息を聞いて安心した。
自分が寝ていた事に気付くと馬車が止まっていることにハッとした。小さな鉄格子から日の光が差し込んでいる。寒さに耐えられなかった塊があったが気付かないフリをした。なんとか寒さをしのいだ子供達は相変わらず寄り添っている。肌が触れ合っていると家族を思い出せた。体温を家族の温もりに変えて心細さをしのいでいると荒っぽい音を立てて扉が開いた。子供達の怯えた目が音源に向く。
「めしだ。」
と言う声とともに冷たく固いパンが投げ入れられた。ノソノソと小さな影がそれをむさぼる。アコの幼い顎には固すぎるのでタリアがよく噛んで与える。空腹を満たすと誰かが
「ここで到着なのかな。」
と誰に言うでもなく呟いた。馬車全体が沈黙に包まれる。もう一晩この冷たい箱の中で過ごすのはアコにとって危険なように思えたのでタリアは決意した。格子窓の外を見るとそこは見知らぬ風景で幼い頃にみた領主様の町への道とも違って思えた。彼女はまだ目的地までは時間がかかることを悟り、近くを通った大人に声をかけた。
「すいません。」
奴隷の少女に声をかけられることなど初めてだったので傭兵はうろたえた。傭兵には元来柄の悪い人間が多いので子供に声をかけられるようなことは滅多になく、ましてや奴隷の子とに声をかけられるなどかつてなかった。本来怒号で帰すべき所にもかかわらず思わず出た言葉は
「どうした?」
しまったと思ったが返事をしてしまった。
「何人か凍えてしまいそうな子がいるからなにか羽織る物をもらえませんか?」
ああ、と曖昧に頷き傭兵長のコルチに話してみた。
「案外お前も優しい奴なんだな。」
と揶揄したがコルチは直接少女のところに行った。
タリアはどうなるのかドキドキしながら待っていた。殴られるかもしれない。殺されるかもしれない。でもこのまま無視されても次の夜を小さなアコは越えられないだろう。そう覚悟していた。
「お前か。」
格子窓の外から聞こえてきたのは前に聞いたことのある声だった。外を見ると声の主は自分の家を襲った男だった。恐怖と怒りがない交ぜになったような最悪の気分で黙ってその顔を見た。
「何でお前らに毛布をくれてやら無きゃならんのだ。あと二晩そこで我慢してりゃ良いんだ。食い物だけでもくれてやってるんだから文句言うな。」
コルチはそう突き放した。タリアは最悪な気分だったが少しのあいだ眼をつぶり気を取り直して
「でも、私たちを殺す気はないんでしょう?殺すんならこんな馬車に乗せる必要はないもの。布切れ数枚くれればみんな生き残れるのよ?たくさん生き残った方がいいでしょう?」
そうまくし立てた。その夜、馬車には毛布が投げ込まれた。