1・呼び出し
それは、僕の、いちばん古い記憶。
姉さんが幼い僕を抱きしめ、耳元で、そっと囁いた。
「じゃあ、行ってくる。先に行って待ってるから」
そう言って出かけて行った。そして姉さんとは、それっきりだ。
恒星間移民船カイロス。それが僕たちの船だった。
移民船と名乗ってはいるけど、実際は難民船に近い。戦禍を逃れるために亜光速で飛び続け、減速に移る前に姉さんの乗った小型船を放り出したのだ。
カイロスの進行方向上に、大気と水のある惑星が存在する事は判っていた。先行して、その惑星の調査に赴いたのが姉さんってワケだ。
姉さんの調査によって呼吸可能な大気と水。そして一部地域に偏ってはいる物の植生と、そして地上には僕たちと同じ地球起源の人間の姿も確認できた。
その情報を送信し、姉さんは地上へと降りたそうだ。
言語文化も、カイロスの移民達と同じ日本語を使っているから、コミュニケーションで困る事はない。ただ、文明は退行し、文化的には、かなり異なる方向に進んでいるので、移民後は衝突を避ける必要がある……地上に降りた姉さんは報告で、そう綴っていた。
異なる方向に進んだ文化……住人達は精霊を信仰し、王都のあちこちには精霊王と称される巨大な神像が奉られている。
何故か、神像の周りからは水が湧き出し、豊かな植生を造り出している。『凄く不思議な像だ』って姉さんは語ってた。
だから、カイロスは、その惑星に向かった……というか、僅かでも水と大気が在れば、そこで妥協するつもりだったんだ。だから、この惑星エレメントは大当たりを引いたとも言える。
辿り着いてみて思う。呼吸できる大気がある。開拓船が墜ちた場所は、砂漠が広がるばかりではあるが、枯れる事もなく水が湧き出す聖域……オアシスもある。
確かに、この惑星は、大当たりの惑星だった。
……でも、カイロスは墜ちたんだ。
前髪しかない幸運の神カイロス。その幸運は、居住可能を見つけた事で使い切ってしまったようだ。
減速用推進剤の不足を補うための大気制動中、船体の損傷が拡大し分解したんだ。
戦禍から逃げ出す際に、カイロスは被弾していた。その被弾箇所が、大気制動による空気抵抗と空力加熱に耐えきれなかったんだそうだ。
多数の死者が出たけど、僕は奇跡的に助かった。
全身に酷い大火傷を負っていたそうだけど、今は痕すら残ってない。
精霊が僕を……いや、カイロスの生き残り達を認めてくれたんだ。おかげで、僕たちは精霊の加護を受けられる精霊使いとなったわけだ。
幸運の神カイロスは死んじゃったけど、この惑星にいた神様が僕たちを助けてくれたんだ。
当時のおぼろげな記憶を辿ってみると、ルカが僕を抱きしめ、顔をくしゃくしゃにして泣いてたっけ。
ルカは移民達の中で僕の姉みたいなモンだ。みたいなモンって事で、姉さんとは違い血は繋がってないんだけどね。でも、色々と面倒見てもらってたよ。
僕が、この惑星に来た事で精霊の加護が得られたように、ルカも精霊の加護が得られたんだ。
そのおかげで、五つ年上だったルカと僕は外見的に同い年に見えるんだよな……といっても、精霊無関係でルカが幼く見えるだけかも知れないけどね。
つまり、この惑星には冗談ではなく、本当に精霊が存在するんだ。
そして僕は今、ドンガラだけになったカイロスの中で、全身で精霊を感じている。
日中、カイロスの周りは常に精霊が活性化している。
この惑星の日差しは、肌を文字通り焦がすほど強烈だ。その強烈な日差しが精霊を活性化させる。さらに太陽光で加熱された船穀の発する熱まで、精霊はエネルギーとして使えるのだ。
そうして活性化した精霊は、今日もカイロスの船穀の分解に勤しんでいるわけである。
もっとも、カイロスの船穀は、精霊達にとっても手強い相手みたいだけどね。この船穀を分解するには、精霊石を用い、精霊に更なる力を与えてやる必要がある。
精霊石。石なんて言うけど金属で、人体には無害だが太陽光や熱の比ではないほど、精霊を活性化させる……つまり力を与えるんだ。
一度に得られるエネルギーにこそ上限はあるが、事実上、無限のエネルギーを放出する不思議な金属である。
この精霊石。親指の爪ぐらいの大きさだけど、僕も持ってたりする。そして、精霊王の中には、直径一メートル前後の精霊石が収まっている。
精霊を活性化させる神像……だから精霊王って呼ばれてるんだと思う。
僕が住んでいるオアシスにも、精霊王は居るよ。
深緑の精霊王リーフ。王都を捨てた精霊王の一柱だ。
厳密に言えば、捨てたのは精霊王リーフじゃなくて、リーフを従えた精霊使いなんだけどね。
砂漠の精霊使いイツキ……イツキ様って呼ばないとルカに怒られるんで、僕も基本的にイツキ様って呼んでる。
このイツキ様。僕たちカイロスの生き残りを助けてくれた恩人なんだ。
カイロスが、この惑星に墜ちて、既に十年。内部構造の多くが精霊の風化作用で分解されてしまったけど、それでもカイロスは原形を保っている。
特殊合金の船穀とフレームが、それだけ丈夫って事だ。
深呼吸して、僕は精霊達の声に耳を傾ける。いや、耳を傾けると言うより、感覚を共有して一体化するってのに近い。
目を閉じても……いや、目を開けていても見えない場所までも僕には『視えて』いる。
精霊の分解作用で徐々に朽ちていくカイロスの船穀。そして風によって刻々と姿を変えてゆく砂丘……それが、手に取るように感じられる。
色彩や細部までは判らないが、僕には自分から半径十キロの距離が完全に把握できているのだ。
その一カ所に、不自然なまでに精霊が活性化しているポイントがあった。そのポイントは、人の歩みほどの速さで移動している。
「ルカかな?」
僕は呟く。
僕が時々、こうやってカイロスに足を運んでいる事をルカは知っている。
そして、肌を焦がすほどの強烈な日差しの中でも、精霊に力を与える精霊石を持った精霊使いなら活動できるんだ……だから、僕はカイロスまで足を運べたんだ。
精霊の加護により、焼かれた肌が即、癒される。全身大火傷で処置無しと断じられた僕を、精霊は短時間で完治させた。
それだけの事ができるんだ。文字通り肌を焼く日差しの中でも、精霊使いなら問題なく活動できる。
そしてルカは、僕同様に精霊使いである。
精霊が活性化してるのは、僕の認識可能範囲の、だいぶ内側である。
たぶん、精霊石の力を抑えてカイロスに近づいたものの、暑さに耐えかね精霊の加護に頼ったと。こんな事する者は、ルカぐらいしかいない。
つまり、そこにルカが居ると推測される。
……よし、逃げよう。
僕は決断した。
見つかれば精霊使いとしての修行をサボっていたと、お小言を言われてしまう。でもね、僕が、ここカイロスでやってる精霊との同調も立派な修行なんだよ?
精霊と同調する事で、広範囲を認識する……この技術を磨く事で、僕は姉さんを捜し出せないかって思ってるんだ。
ただ、今のままじゃ全然足らない。
精霊石の発する力は大きさに比例する。
僕の持ってる小さな精霊石。その力を解放すれば認識可能範囲は広がるが、それでも、せいぜい半径数十キロである。
でも、精霊王と契約し、その内に秘めた精霊石の力が使えれば、僕の認識可能範囲は飛躍的に広がると思う。
……とは言っても、精霊王には、ほぼ全てに契約者がいるんだけどね。
そんな事を考えつつ、僕は撤収すべく身を起こした。
ルカの精霊に頼る認識可能範囲は、僕ほど広くない。そして日光で精霊は活性化している。精霊石ほどではないが、焼かれた肌を癒す事もできるし、日よけのフードだって持ってきた。
精霊石の力を解放しなければルカに見つからず、ここから逃げ出す事もできる。結局、リーフの聖域に帰ったらお小言を言われるだろうが、現場を押さえられなければ何とでも言い訳ができるのだ。
……精霊による風化作用が進んでいるから、ここカイロスの中には立ち入るな。そう釘を刺されてるんだ。
でも、僕は精霊と同調する事でカイロスの状態は誰より把握できてる。少なくとも向こう十年はカイロスは原形を保っているはずだ。
足跡が残らないよう気をつけつつ、僕はカイロスから外に出た。
と、唐突に押し倒される。
「クー。見つけたよ?」
クーとは僕の名前である……ルカだった。
仰向けに押し倒された僕に馬乗りになって、ルカは得意そうに笑う。
年の頃は十代半ばを過ぎたあたり。僕と同い年……に見えるが、僕より五つも年上である。
日よけのフードを被ってはいたが、その肌は赤く焼けてしまっていた。が、日陰に入った今、活性化した精霊がルカの肌を癒している気配を感じる。
僕は、精霊と同調し、先程のポイントを探ってみる。
人の歩みほどの速さで、こっちへと向かってきてはいるが、ルカが僕を追いかけるのに他人の手を使うような事をするってのは解せない。
「向こうで動いてるのって誰?」
その言葉に答えず、ルカは僕の握り拳に手を重ねる。
ルカによって、握り込まれた精霊石から力が解放された。
「ドラに精霊石を持たせて歩かせてるだけ」
ドラ……ルカの愛馬である。もっとも二足歩行する砂竜と呼ばれるトカゲで、厳密には馬じゃないんだけどね。
というか、この惑星に厳密な意味での馬はいない。馬ってのは騎乗用動物の総称である。
「危ないなぁ……干物になったらどうする気?」
砂竜は、ここでの日差しにも、ある程度耐えられる。付け加えるなら、ルカの愛馬たるドラは、大精霊の素質があるんだ。
大精霊ってのは、精霊石を体内に取り込み、精霊を扱う能力を獲得した動物の事だね。だから、僕たち精霊使いも、ある意味、大精霊と言えたりする。
ドラは、体内に精霊石を取り込んでないってだけで、精霊自体は扱えるんだ。
もっとも、大半の大精霊がそうであるように、日中の強烈な日差しの中でも問題なく活動できるってレベルでしかないけどさ。
「イツキ様が、クーを大至急呼び戻せって。その『千里眼』で周囲を探って欲しいそうよ。だから、クーとの鬼ごっこに興ずるわけにはいかないの」
そう言いつつ、どこか残念そうに僕から退いた。そして、僕の持つ精霊石の力を使い、ドラへと呼びかける。
「僕の『千里眼』と言われてもねぇ……イツキ様の方が、遠くは『視え』るよ?」
ドラが一気に加速したのを意識しつつ、僕は言ってやる。
イツキ様なら精霊王の持つ精霊石、その力を使えるのだ。遠見の能力は僕なんかの比ではない。
それに精霊王の力を借りずとも、精霊使いとしての技術は、僕の遙か上を行くんだ。僕なんかに頼る必要は無いと思うんだ。
「深緑の精霊王リーフの力を貸すから、クーに周囲を探って欲しい……そう言ってた」
精霊王の力を借りれるなら、話は少し変わってくる。ぶっちゃけ、僕が徹底的に鍛えている精霊使いとしての技術は遠見……ルカの言う『千里眼』なのだ。
使う精霊石が同じならば、僕の方が、より遠くを、より正確に『視る』事ができる。
あと、契約者さえ許せば、精霊王は力を貸してくれるんだ……
ルカに呼ばれたドラがカイロスの中に飛び込んできた。だから、その背に僕は飛び乗る。
精霊王リーフの力を借りて、僕の遠見の技を試せるのだ。
上手くやれば姉さんを見つける事もできるかも知れない。だから、一刻も早く聖域に戻りたかったのだ。
「ドラは、アタシの言う事しか聞かないわよ?」
呆れ気味にルカは言いつつ、僕の後ろへと跨った。
そう。確かにドラは僕の言う事など聞いてくれない。ルカの目がなければ、僕を振り落としていただろう。
コイツは女好きなスケベ砂竜なのだ。