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初恋~いつも彼にドキドキしています。~

作者: 歌月碧威

 元々、私は表にでるのが苦手なタイプだった。

 部活も自分の好きなイラストが描けるイラスト部でインドア。

 だから、目立たずひっそりと普通の中学生活を二年間送り、残りの三年目を迎え始めていた。


 クラスでも目立つことはなく、趣味が同じの友人達とおしゃべりをしたりして過ごしていた。

 ずっとこのままの生活を卒業まで……と思っていた私だったが、すっかり忘れていたことがある。


 桜の咲く季節。真新しい制服に身を包んだ新一年生達が校門を潜る時期になると訪れる部活動発表会。

 文化部も運動部も関係なく、各部活動では新入生の勧誘で賑わう。

 ある程度の人数を集めなければ、廃部または愛好会となってしまう部が出てくるからだ。


 昨年、私が所属するイラスト部では三年の引退と共に部長決めが行われた。

 勿論、誰もやりたいと手を上げる者はおらず。

 結局くじ引きになったんだけれども、見事に『当たり!』と赤いペンで書かれた紙を引いてしまったのが私。


 当時二年は十人もいたのに、どうして引いてしまったのだろうか。

 こんなことにくじ運を使うならば、好きな声優のイベントに当選してほしい。


 引いてしまったのだから仕方がないし、仕事は部室のカギの管理くらいだから簡単だからまぁいいかぁ。

 ……と、高を括っていた私だったけど、実は盲点があったのだ。


 それは『新入生勧誘のための部活動発表』。


 全学年が体育館に集まり、壇上で各部長による部活動の発表がある。

 運動部は部員増員にいそしむために、それぞれユニフォーム姿で新入生にアプローチしたり、同じ文化部グループに在籍している吹奏楽部は演奏して楽しませてくれる。


 イラスト部は特になにもないのが悩みなのだ。

 毎年印刷されたプリントを読むのみで口頭時間が一番多くなってしまう。


 部活動勧誘のために眠れない日々が続いたが、あっという間にやってきてしまった。

 体育館には集まった生徒と先生によって密度が高まっている中、放送部による進行により野球部が部活紹介をしている。


 私は壇上にいるユニフォームを纏った野球部員たちをステージから近い場所にある部長達が待機している席で眺めていた。

 野球部は他の部員を呼び、素振りなどをしている。


 私は胃を押さえながら、顔を握っているプリントへと向けた。

 そこには発表で話す内容が記されている。


 ――憂鬱だ。胃がキリキリして痛い。


 無意識に強く握りしめていたせいか、掴んでいるプリントがぐちゃぐちゃだ。

 左隣りの席が空いていて、そこが野球部の部長の席。

 座席は順番通りなので、次が私の番だ。


「山野さん、顔色悪いけれども大丈夫?」

 隣から囁くような声をかけられたので、私は弾かれたように顔を右手に向ける。

 すると、そこにいたのは剣道部の部長である杉沢大和すぎさわやまと君だった。


 彼は耳が出るくらいまで短く切られた黒檀のような髪に、ガラスのような澄んだ瞳をしている。

 だが、今は眉を下げて瞳を不安定に揺らしていた。


「……大丈夫です」

 クラスが違うけれども、彼のことは知っている。

 幼馴染の真琴まことちゃんが剣道部の女子部長なので、時々応援に行く事もあるし、文化部なので地区大会などは運動部の応援に行くから。

 それに、彼はうちの学校では目立つ部類に入っているし。


 雑誌に掲載されても問題ないくらいに整った容姿もさることながら、人懐っこい明るさで人気者なのだ。


「でも、顔が真青だよ。保健室行く?」

「緊張しているだけだから……」

「緊張。あー、これから発表だもんなぁ。俺も緊張しているよ」

 幸せをかみしめているような笑顔で彼は言ったのを見て、私は絶対に緊張してないなぁと思った。


 どうやらそれが顔に出ていたらしく、「本当に緊張しているよ。だって、この順番だから」と彼に言われてしまう。

 発表の順番はくじで決められたんだけど、私達はちょうど真ん中くらいだ。


「山野さん、ひよこ好きだったよね。これあげるよ」

 彼は屈み込むと、自分の前に置いてある剣道の防具袋につけてあったキーホルダーを取り私へと差し出してくれた。

 剣道部の子達は、荷物が一目でわかるように何かしら目印を付けている子も多い。どうやら、杉沢君はキーホルダーのようだ。


「かわいい」

 私は受け取ると掌の上に乗っている物体を眺める。

 それは、ふわふわとした毛並を持つまん丸い黄色いひよこだった。

 ちょっと間の抜けた顔をしていて愛嬌があり、私は緊張感が去り癒されたため顔が綻んでいく。

 触れれば触り心地の良い毛並にますます和む。


 私はひよこが好き。

 元々は幼馴染の真琴ちゃんが保育園の時に誕生日プレゼントとして、ひよこのヌイグルミをくれたことがきっかけだ。

 そのため、ひよこのグッズを見かけると必ずチェックする。


 ――あれ? でも、どうして私がひよこ好きだって知っていたんだろう。


「少し緊張解けた?」

「……うん。ありがとう」

 私がそう告げると、ちょうど野球部が終わりそうなところだった。


「私の出番だ」

「がんばって」

 私は頷き立ち上がると、ひよこと共に壇上に通じている放送用具などが置かれている部屋へ。

 檀上には両脇の階段を昇ってもいけるが、今回は発表が終わった野球部と短時間で入れ替わるために彼らが終わるまでここで待機しなければならないのだ。


 早鐘のような胸を押さえながら、壇上でスピーチが終わってお辞儀をしている野球部の部長を見た。


 ――いよいよ私の番だ。


 大きく深呼吸していると、「緊張した」と言いながら野球部の部長が私のいる部屋に。


「俺、大丈夫だった?」

「大丈夫だったよ」

 私は返事をすると、「次はイラスト部の紹介です」というアナウンスに従いステージ上へと進んでいく。


 ひよこで和んだけれども、ステージに立つと一気に視線が集中するため、体がこわばってしまう。

 私はプリントとキーホルダーを演台へと置き、深呼吸をしてひよこを撫でる。

 そして、心の中で自己暗示の様に「大丈夫」と繰り返す。


 ――すぐ終わる。誰も私の話は聞いてない。


 話を聞いて貰わなければならないのだが、聞いていると思ってしまうと意識してしまうので逆のことをなるべく考える。


 お辞儀をして唇を開くと、プリントに記されている文字を読んでいく。

 間違えないようにゆっくりと。


 私としては一時間くらい経った気がするが、ほんの五~八分くらいだったのだろう。

 気がつけば、プリントを読み終わりそうになっていた。


「……以上がイラスト部の紹介となります。見学も大歓迎ですので、よかったら四階にある部室を覗いて下さいね」

 一礼をしてステージ脇の部屋へと向かえば、待機している杉沢君の姿があった。


「おつかれ。すごく聞きやすいスピーチだったよ」

 杉沢君は腕を伸ばしてぽんぽんと私の頭を撫でながら屈託なく笑う。

 笑うとかわいいんだなぁと思う彼の笑顔を見て、私はさっきの緊張とは違う胸の高鳴りを感じると同時に顔に血液が集中してしまう。


「あ、ありがとう」

 杉沢君の真っ直ぐな瞳と交わり、私は視線を逸らせなくなってしまったので、ますます鼓動が早くなってしまった。


『次は剣道部の発表です。剣道部は男子と女子に分かれていますが、本校では剣道部として一つの部扱いになっているため両方の発表となります』

 放送部によるアナウンスが聞こえ、杉沢君は「じゃあ、行くよ」と言ってステージへと向かい始める。

 彼の背を見詰めていると黄色い声援が届く。

 あいかわらず、すごい人気だ。


「柚っ!」

「あっ、真琴ちゃん」

 声を掛けられたので弾かれたようにそちらへと顔を向ければ、扉を開けて部屋に入ってきた真琴ちゃんの姿があった。

 剣道着を纏い手には竹刀を持っている。


 彼女の後ろには、同様の格好をしている杉沢君と同じクラスの青山君の姿が。

 真琴ちゃんは女子の部長で青山君は男子の副部長だ。

 剣道部は話し合いの結果、男子の部長が代表をすることになったらしい。


「無事終わってよかったねー」

「うん。真琴ちゃんと青山君は型を見せるんだったよね。頑張って!」

「勿論。ぜんぜん緊張してないからいつも通りやるわ」

「俺は緊張して胃が口からでそう。もうすでに吐きたい」

 青山君は胃を押さえ小刻みに震えている。


 ――たしかに緊張するよね。私もそうだったもん。


 私はステージへと顔を向けた。


「では、男子剣道部・副部長と女子剣道部・部長どうぞ」

 杉沢君は左手にプリントを持ち、右手をこちら側に向けて真琴ちゃんたちを促している。

 彼の声に、真琴ちゃん達は反応し、「よしっ!」と気合を入れた。


「じゃあ、いってくるね」

「うん」

 一度ステージへと足を踏み出そうとした真琴ちゃんが振り返って手を振ったので、私は微笑んで手を振る。

 すると、杉沢君がプリントを落としてし、口元を押さえて顔を真っ赤にさせた。


 ――緊張しているって言っていたもんなぁ。わかるよ、みんなの視線を感じて妙に恥ずかしくなっちゃうんだよね。


「なんだ、あいつ?」

 真琴ちゃんは呟きを漏らしながらステージ上へと出たため、私は彼女の姿を見るため部屋を出る。

 つい十分くらい前までいた自分の席へと戻り、椅子へと腰を落とす。


 ステージ上では打ち合いをしていた。


 ――真琴ちゃん、カッコいいなぁ。


 彼女とは家が隣同士で、保育園からずっと一緒。

 勉強もスポーツもできる彼女は、私の憧れを凝縮したような人だ。


 打ち合いも終わり、「以上を持ちまして剣道部の紹介は終わります」という杉沢君の終了の合図により、三人がお辞儀をする。

 拍手と共に黄色い声も聞こえ、今年の剣道部は入部多そうだなぁと思った。







 +

 +

 +



 部活動発表のお蔭で、新入生による部活の入部も終わり落ち着いた頃。

 私は前からちょっと気になっていた事を真琴ちゃんに話をしていた。


「……え。杉沢の好きな物?」

 隣を歩いている真琴ちゃんが、目を大きく見開き私を見詰めた。

 3時間目の授業が終わって移動や休憩の時間のためか、廊下には友人達とおしゃべりをしている人々の姿がちらほら。

 私のクラスはつい先ほどまで調理室で実習だったため、手にはエプロンや作ったお菓子が入ったトートバッグを持っている。


「ちょっと待って。なんでそんなことを急に……もしかして好きなの!?」

 あの部活動発表の件があってから、気がつけば彼を何度も目で追っている自分がいる。

 時々、廊下などで遭遇すると挨拶をされる事があるけど、その時はドキドキしてしまう。


 ――好きなのか?


 答えはすでに出ている。あの時、私は恋に落ちてしまったのだから。

 でも、認めてしまうのが怖かった。

 どう考えても私と彼では釣り合わないから。


 彼の隣が真琴ちゃんならば……でも、そんな事を考えると胸がもやもやしてしまって仕方がない。


「ごめんね、真琴ちゃん」

「いや、待て。今までの会話でどこに謝る要素があるの?」

「杉沢君の隣に真琴ちゃんが並んでいるのを想像するともやもやするの」

「もうそれ好きじゃん! いつから?」

 私は部活動発表会の時の事を話す。

 ちなみにひよこのキーホルダーは部活の道具を入れるケースに付けている。


「ひよこのキーホルダーねぇ。確かに付けていたわ。キャラと結びつかなかったから覚えている。でも、あいつはどうして柚がひよこ好きだって知っていたの? 偶然なわけ?」

「偶然かも」

「……いや、待って。そういえば、柚のことを聞かれたことがあったかもしれない。柚がひよこのグッズよく持っているけど、ひよこが好きなのかって。いつだったっけ? 去年の地区大会の後だったかも」

「地区大会……」

 そういえば、初めて彼と会話したのは地区大会だったなぁと頭に過ぎる。


「それで好きな物に繋がるのね」

 私は大きく頷いた。

 杉沢君の好きなものがわからないから、何を選んでいいのかわからないため、剣道部という共通点がある真琴ちゃんに聞いてみたのだ。


「あっ、山野さんと十川だ」

 と、突然名前を呼ばれてしまったので、弾かれたように私と真琴ちゃんが前を見れば辞書を持っている青山君の姿が。


「青山じゃん。辞書を持って何してんの?」

「忘れてきたから借りてきたんだよ。でも、良いタイミング! 調理実習だったんだろ? カップケーキくれ」

「ない。二個とも食ったから」

「早いな、十川。山野さんはー?」

「一個食べちゃったけど、もう一個残っているよ」

 トートバッグを広げて、私は取り出す。


 カップケーキは、星柄が印刷されたラッピングシートに包まれている。

 味は各自で決めることができて、私はチョコチップが混ぜられたものを作った。


「どうぞ。形が崩れちゃっているけど……」

「いいの!? ありがとう」

 青山君は顔を輝かせながら受け取ると、「じゃあ、また」と手を振って私達の隣を横切っていく。

 きっと自分のクラスへと戻っていったのだろう。


「ねぇ、柚。渡す相手を間違えてない?」

「……杉沢君には無理だよ。いきなり仲がよくない相手から手作り貰ったら、びっくりするもん。それに、渡すならもう少しちゃん作ったのを渡したいの。形崩れちゃったし……」

「まぁ、柚がそう思うならいいけど。あっ、そうだ。私さ、今度の日曜部活休みだから一緒に雑貨屋でも回ろうよ」

「いいの?」

「勿論。でも、あいつの好きな物はちゃんと自分で聞いておくんだよ」

「うん。頑張る」

「じゃあ、いってらっしゃい!」

「い、今っ!?」

「今。柚、先延ばししちゃうからさ。バッグは私が教室に持って行くから、行ってきなって」

 真琴ちゃんは私からトートバッグを抜くように奪うと手を振って見送る。


 戸惑いながらも私は、つい先ほど青山君が向かった方向へと向かう。

 さっきまで何も異常がなかったのに、急速に喉の渇きや体のこわばりを感じてしまった。部活動発表の時と同じように緊張してしまっている。


 あっという間に杉沢君と青山君のクラスへ到着。

 扉は閉め切られているため、扉を開けて近くの座席の人に彼を呼んで貰おうと思っていた時だった。


「いいじゃん、カップケーキごとき。そんなに感情的になるなって!」

 という青山君の声が聞こえたのは。


 ――カップケーキ?


 私は扉に手をかけたまま首を傾げる。

 そういえば、さっき青山君に渡したなぁと思った。


「山野さんの手作りカップケーキをごときっていうな」

 この声は杉沢君だ。


「お前が山野さんのこと好きなのはわかるけど、カップケーキの一つや二ついいじゃないか!」

 青山君の言葉のせいで、私は扉へと伸ばしていた手に力が加わり、ガタッと教室の扉が音を立ててしまった。

 一瞬で中が静寂に包まれてしまったらしく、扉の外には一切の音が漏れてこなくなってしまう。


 ゆっくりと目の前にある扉が開かれ、教室と私を遮るものがなくなり中が一望できるように。

 教室内にいる生徒の視線が私へと注がれている。


「や、山野さん!? ちょっと待って。このタイミングは……」

 開けてくれたのは、一年の時に同じクラスだった才瀬さんだった。

 才瀬さんはまるでブリキのおもちゃのように、すぐ傍にある机へと顔を向ける。

 すると、そこには杉沢君と青山君の姿が。

 青山君が持っているカップケーキを杉沢君が手を伸ばして取ろうとしていた。


「え。山野さん?」

 杉沢君が目を大きく見開いてこっちを見詰めている。


「あの……」

 頭の中が真っ白になり、どうして良いかわからなくなった私は、身を翻してそのまま廊下を駆けだしていく。

 人々を縫うように避けあてもなく突き進むが、階段を昇ろうとした所で突然手を掴まれ捕えられてしまう。


「あっ!」

 弾かれたように振り返れば、杉沢君の姿があった。

 廊下の端から端までの距離という短い距離なのに私が肩で大きく息をしているのに、彼は息一つ乱れていない。

 ただ、今にも泣きそうな表情をしている。


「待って。お願い、俺の話を聞いて欲しい」

 彼に捕まれた手が熱く、私はぎゅっと目を瞑ってしまう。


「さっきの聞いていたんだよね?」

 問いに対して私は目を開けてゆっくり頷けば、彼は繋いでいる手を離すと頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「こんなはずじゃなかった……あんな風に……」

「ご、ごめんなさい」

「山野さんが謝る理由はどこにもないよ。ただ、俺がちゃんと言いたかっただけだからさ」

「ちゃんと……」

「そう」

 彼は立ち上がると、真っ直ぐな瞳で私を射抜いた。


「俺、前から――」

 杉沢君の言葉よりもまず先に、私が気になったことがあった。


 それは彼も同様だったらしく、二人して一斉に左手へと顔を向ければ、私達と同学年の生徒達が興味津々にこちらを見詰めていたのが視界に入ってしまう。

 廊下にいた人達だけでなく、教室から覗き込んでいる人達の姿もある。


「いや、俺達の事は気にせず。どうぞ、続きを。剣道部の顧問も言っていただろ? ピンチをチャンスに変えろって。これは杉沢のチャンスだ!」

 近くにいた剣道部の男子が促すが、

「気にするに決まっているだろう!」

 と、杉沢君が噛みつくように声を張り上げると、私の方へと体を向けた。


「山野さん。昼休みに話があるんだけど、時間を貰ってもいい?」

「はい」

「給食が終わったら、山野さんのクラスに迎えに行くから」

 私が頷くと同時にチャイムが鳴った。







 +

 +

 +



 全く授業が頭に入らないまま、時間は過ぎあっという間に昼休みになった。

 クラスメイト達に何か言われるかな? と思ったんだけど、みんな触れないでくれていつも通りで嬉しかった。

 杉沢君は約束通り私の教室へと迎えに来てくれ、二人で静かに話が出来るところに移動することに。


 前を歩く杉沢君の後を歩いて行くと、辿りついたのは進路室だった。

 うちの学校の進路室は、高校に関する資料や職種に関する本などが置かれている場所のため、室内の三分の一を資料が占めている。

 入ってすぐに大きな長方形のテーブルがあり、左側は全て本棚だ。


 進路室は基本的には学校にいる時間内は自由に出入りが可能だが、使用している人は一日でも二~三人くらいかもしれない。

 主に放課後に使用されているようだが、今は昼休なので体育館でバスケしたり、教室でおしゃべりをしたりと各々過ごしているので今は誰もいなかった。


「あのさ……さっきはごめん」

 杉沢君が深々と頭を下げたため戸惑ってしまう。


「色々ごめん。廊下での出来事とか……周りから何か言われた?」

「ううん。それは大丈夫」

「そっか、良かった」

 彼はほっと胸をなで下ろした。


「あの後で十川や他の剣道部員がフォローしてくれたらしいんだ」

「真琴ちゃんが……」

 だからクラスの子達も普通にしてくれたのかもしれない。

 真琴ちゃんは友人が多く、女子の運動部同士では横の繋がりもあるようだし。


「実は俺、山野さんにずっと伝えたいことがあって」

「は、はいっ!」

 急に真面目なトーンになった彼の声音に対し、私は姿勢が自然に伸びてしまう。

 彼が伝えたいことは、私が期待しても良い事なのだろうか……?


 静寂が室内を包んでいるせいで、壁に設置されている時計の秒針がやたらと大きく聞こえている。

 それよりも早く感じるのは私の鼓動。


「俺、山野さんのことが好きです」

 言葉として自分の耳に届いた言葉の中で、今までこんなにも感情を揺さぶられた言葉はない。

 世界中でただ一人、杉沢君だけが出来ることだ。


 私も同じ気持ちです。

 彼に伝えたいのに唇が震えてくれない――


「ごめん、急に言われても困るよね」

 悲しそうに告げた杉沢君に胸が痛んだ。

 私が早く返事をしなかったばかりに、彼はきっと誤解をしてしまっている。


「あ、あの!」

 やっと動いた唇が発したのは、不安定な声だった。

 みっともないくらいに震えている。


 今まで経験したことがないレベルの緊張と、思う通りに動けずにいる自分の事が情けなくて泣きたくなった。

 それでも、今伝えないと後悔するから私はゆっくりと言葉を紡いでいく。


「部活動発表会、あの時にひよこ貰って……それで……」

 早く言えよと思われないかな? と思って彼の様子を探るように顔を上げれば、優しげな瞳で私を見守ってくれていた。


「ゆっくりで大丈夫だよ。傍で待っているから」

 その言葉を聞き、私は頷く。


「ひよこが凄く癒されて……緊張はしたけどちゃんと発表できたの。ありがとう。その時に恋に落ちました。私も好きです」

 きっと私の顔は真っ赤だろう。鏡を見なくてもわかる。

 彼の反応が気になって仕方がないんだけど、杉沢君は言葉を発することなく呆然と私を見詰めている。


「杉沢君……?」

「あ、ごめん。信じられなくて。俺、山野さんに存在を認識されているのかすら怪しいかなって思っていたからさ」

「知っているよ。剣道部の応援でよく見ていたから」

「十川の応援でよく来ていてくれたもんなぁ」

「私のこと、いつから……?」

「いつだと思う?」

 問われても全く想像がつかなかったため、私は首を左右に振ると彼は喉で笑った。


「地区大会で俺にタオル渡してくれた時かなぁ」

「あっ……」

 心当たりがあった。

 きっと初めて杉沢君とお話をした時のことだろう。


 地区大会でイラスト部は、剣道部とバレー部の応援担当になったんだけど、その時に私は人の熱気に酔ってしまった。

 そのため、人気のない外へ出て新鮮な空気を吸おうと思えば、ちょうど杉沢君がいたのだ。


 剣道着を纏ったまま膝を抱えて身を丸めるようにし、泣き声を殺し静かに泣いていた彼。

 杉沢君が泣いている理由はすぐに頭に浮かべられた。


 少し前に試合があったんだけど、杉沢君は足を怪我してドクターストップがかかり地区大会を戦えなくなったのだ。

 真琴ちゃんの応援や練習を見てきたので、剣道部は道場が同じため男子も女子もずっと見て来た。

 だから、杉沢君が頑張っているのを知っている。

 誰だって出たかった試合に出られなければ悔しいに決まっている。


 ――そっとしておいた方が良いよね。


 わざわざ人気のない所を選んでいたのだ。

 私は見つからないように身を翻そうとすれば、枝を踏んでバレてしまう羽目に。


 弾かれたように顔を上げた彼は、瞳に涙を浮かべていた。

 私は鞄からタオルを取り出し杉沢君へと差し出せば、彼はきょとんとした表情をしたが、すぐにタオルを受け取り目元に当て、もう片方の手で私の手を掴んだ。

 そのため、私は身動きを取れず。


 どうしよう!? とパニックになる前に、彼がぽつりと弱音を吐き出したので、私はひたすら聞いていた。

 彼が話を終わっても手が離れず。困惑はしたけど、きっと一人でいたくないのかもしれないと思ってずっと傍にいた。


「怪我して試合に出られなくなって、俺はなんでここにいるんだろう? って、虚無感に襲われて沈んじゃってさ。試合に出れるみんなから離れたんだ。そこに君が現れた」

「ごめん」

「一人になりたいのに、一人になりたくなかった。だから、山野さんが来てくれて助かったよ」

 あの時は咄嗟の選択だったけど、彼を傷つけずに済んで良かった。


「黙って弱音を聞いてくれた上に、ずっと見て来たから頑張っているのも知っているって言ってくれて。好きで剣道やっているから、頑張るのが当たり前だったからさ。嬉しかった。それがきっかけでよく十川の応援にくる子から、俺の好きな子に代わったんだよ」

 好きな子という言葉の破壊力。

 私はきっとこれ以上真っ赤にならないだろうというくらいに、顔が熱くて仕方がない。

 休み時間が終わるまで戻ってくれるだろうか……


「こんな俺ですが、これからもよろしくお願いします」

「私のほうこそ、よろしくお願いします」

 お互い仰々しくお辞儀をして、顔を見合わせて笑いあった。




 +

 +

 +


 イラスト部の部室は、空き教室を使わせて貰っている。

 美術室は美術部が使用しているし、イラスト部は空き教室でも問題ないからだ。

 漫画家志望の子はコマ割りをしたり、切り絵が好きな子は切り絵をしたり……基本的にイラスト部はみんな自由。

 ただ、パソコンは部室には無い。そのため、パソコンを使用してイラストを書く子はイラスト部ではなくパソコン部へと入部している。


 今日のイラスト部はもう部活の時間が終わり、教室内には私だけが残っている。

 一人窓際に立ち、外の景色を眺めていた。

 空を真っ赤に近いオレンジが塗りつぶし、巣へ戻っていくカラスの黒い影とのコントラストが美しい。


「ごめん、柚!」

 扉が開く音と共に、焦りを含んだ声が届く。

 まだまだ慣れることはない彼の声は、私の体温を上げてくれる。


「大丈夫だよ」

 そう口にしながら振り返れば、お付き合いしている彼氏の杉沢君の姿があった。

 走って来てくれたらしく、大きく肩で息をしている。


「先生に捕まってプリントのコピーを手伝っていたから遅くなった」

「ううん。私の方こそ、部活が終わるのを待っていて貰って……」

「それは全然。俺が柚と帰りたかったからだし」

 杉沢君は教室に入ると、私の傍にやってきた。


 彼と付き合うことになり、最初は学年がざわざわしていたけど、今はすっかり落ち着いて平穏な日々を過ごしている。

 不安はあった。人気者の彼と私では釣り合わないから……


 でも、想像していたような呼び出しなどは全くない。

 杉沢君の気持ちを知っていた剣道部男子と真琴ちゃん達が予防線を張ってくれたり、フォローしてくれたりしたお蔭で何事もないのだ。


「柚。なにを見ているの? 陸上部?」

「陸上部……?」

 ずっと空を見ていたので、全く見てなかった下へと視線を向ければグラウンドが広がった。

 そろそろ日が暮れるので陸上部がハードルなどの片づけをしている。


「みんな片付けしているね。桃ちゃんもいる……あっ、気づいてくれた!」

 友達の桃ちゃんが視線に気づいたようで顔を上げて、大きくこちらに手を振っている。

 それに私も答えるように手を振った。


「友達?」

「うん。小学校が一緒だったの」

「柚のこと、また一つ知れたな」

 そう言って屈託なく彼は笑う。


 きっとまだお互い知らないことがいっぱいあるだろう。

 でも、少しずつ知っていくのが今はすごく嬉しい。


「俺達もそろそろ帰ろうか。鍵を閉めて職員室だったよな」

「うん」

 私は机に向かうと上に置いてあった鞄を取るために手を伸ばしかけたが、「柚」と声をかけられたので振り返った。

 すると、唇に軽く何かが触れたのを感じる。

 ほんの一瞬の出来事によって、私は頭が真っ白になってしまう。


「……え?」

 目を大きくパチパチと瞬きすれば、夕日に負けないくらいに真っ赤になった杉沢君の姿が。

 視線を彷徨わせて恥ずかしそうにしている。

 彼を見て、やっぱりそうなんだと認識した瞬間、一気に血液が沸騰したかのように熱くなってしまう。


 私は腕を伸ばして自分の唇に触れた後、彼の腕を両手で掴んでつま先立ちになった。

 そして、彼の頬に唇を当てる。


「……お返し。唇はまだ無理でした」

「ふ、不意打ちはだめだって」

 動揺している彼を見て、私と同じなんだなぁと感じる。


 いつか、緊張しないで出来る時は来るのだろうか?

 初めての恋の上に初めてのお付き合いなので、いつもどきどきしっぱなしだから全く想像は出来ない。

 ただ一つだけ強く思うのは、ずっと杉沢君の傍にいたいなぁってことだ。







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