6話 違和感
修正中
「......い、痛い」
どうやら本当に落下したらしい。
ベッドに下半身をやや残しつつ顔から床に落ちた俺は、頬の形状を少しばかり変化させていた。
「ねぇ」
「......ふぇ?」
と、そんな状態で耳に入ってきたのは聞き慣れない女性の声。
その声に返事をするのと同時に目をしっかり開くと、目の前には誰かの脚があった。
母さん? と、まだ寝ぼけた頭で思いつつ、そのままの体勢で視線を上にずらすと、そこにいたのは――。
白を主体にした服を纏った見知らぬ女の子。
なびく髪は金色で、大きい瞳は青い色。
それらは素朴な服装に良く映えている。
そんな少女は腕を組んで堂々と立ち、目元はやや....。
――――吊り上がってる?
「もうとっくに朝なんだけど。一体何回起こしたと思ってるわけ?」
「え....。あー、えーと。ご、ごめん....なさい」
若干怒り気味の彼女に何とも言えない気持ちで謝罪した後、俺はゆっくりと立ち上がって部屋の様子を見回した。
「......そっか」
そこはいつもの自室ではない見慣れない部屋。
少し埃っぽくて、多くの木箱が置いてある。
開けてある窓からは太陽の光が差し込み、少し肌寒い風がカーテンを揺らしていた。
――――ない。
昨日――――。
爆発に巻き込まれて。
熊に追いかけられて。
水で頬を叩かれて。
炎で尋問された。
その出来事はすべて。
――――夢じゃない。
ここは【異世界】だ。
それを彷彿とさせるように、目の前にいる昨日知り合ったばかりの女の子――ルナという少女の左上空には布が浮いていた。
それはたぶん、昨日俺が下敷きにして眠った――掛け布団。
おそらく俺を起こそうと魔法で引っ張り上げたのか。
だから俺はベッドから――落ちた。
(........あれ?)
全て現実だったと再確認し落ち込むように顔を下げた俺は、ふと何かを忘れている気がした。
(なんだっけ? なにか、ゆ――)
「それじゃ行くよ」
手を軽く口に当てて考えていると、出かかった記憶を遮るように彼女の言葉が飛んできた。
「え? 行くって....どこに?」
既に扉に向かって歩き始めていた少女はそんな俺の質問に、朝日を浴びて輝く金の髪を翻しながら振り返って答える。
「――――イニツィオ村」
昨日通ってきた山道とは違い、ある程度整備された彼女の家から一直線に伸びる道を、俺はリュックを背負い焼き立てのパンを片手に歩いていた。
左右には樹が立ち並び、まさにあの”奇妙な小屋”の為だけに作られたような一本道だ。
俺のやや前を歩く少女は既に朝食を済ませていたらしく、今は一応手ぶらだ。
「あ、ありがとう。わざわざ焼いてもらって」
「別に。すぐできるし、なんてことないよ」
「た、確かに......」
食事のお礼を言って返ってきた彼女の言葉に、俺は手元のパンを見つめながら納得してしまった。
彼女の言う通り、それはあっという間だった。
昨晩と同様に炎を操りパンを包み込むと、ほんの一瞬で出来上がり。
焼き加減も最高。
パン自体も実に美味しい。
その時の俺の反応が良かったのか、彼女の顔が少し綻んだように思えた。
今では怒りも消え去り、機嫌がいいらしい。
ただ、そこで少し気になったのは――。
調理に使用された火は、彼女自身が出したものではない、ということだ。
昨日は全然気付かなかったのだが、どうやら瓶のようなものに保管してあるものを扱うらしい。
(そういえば湖でも、水を吸い上げてたよな......)
もしかすると、この世界の魔法は――――。
(俺が思ってるのとは、少し違うのかもしれない......)
それでも村に持っていくという大量の荷物を、今日もこうして重力装置も使わずに浮かせて運べるなら、それはかなり便利なものだけど。
”一応手ぶら”というその理由を眺めながら、そんなことを考えていると不意に――。
「ん? わぁ!!」
「何!? どうしたの!?」
妙な振動が体に加わった。
俺のその突然の驚きに、前を歩く少女は相当な速度で振り返り、周囲を警戒するような体勢になっている。
「あ......いや、ごめん。何でもない」
「はぁぁ。ならいいけど。あんまりびっくりさせないでよ」
「う、うん。気を付けます」
そんな”ちょっとした大事”のようになってしまい、勘違いだと伝えると彼女は軽く嘆息した後、目を細めて注意してくる。
止まってしまった歩みをお互いにすぐに再開させたのだが。
何事もなかったように進んでいく金髪の少女に対し、俺は右手で左手首を覆い、非常に強くなった心臓の鼓動を全身で感じていた。
(アラーム消すの忘れてたああああ!!!!)
そう。
さっきの振動――それはWDのバイブだ。
昨日の起床時に設定していたものが、そのまま同じ時刻ということで発動してしまったらしい。
(早く解除しないと、また鳴っちゃうよ........あ。そう言えば......)
咄嗟に止めたWDのアラーム画面を表示させ、”停止”を選択する。
昨日の湖以降、全く使用していなかったWD。
普段ならありえない程の時間を空けて、操作している今。
俺は昨日のあれを思い出していた。
(あんな画像......保存した覚えないんだけどなぁ)
アラームの画面を閉じて、次に開いたのは画像フォルダ。
俺の探し物は、昨日の湖でなぜか表示された――BLの画像である。
逃げる際にも思ったことだが、本当にあの画像に関しては心当たりが全くない。
友達も恋人もいない俺には、”誰かの悪戯で入れられた”ということも決して起こらない。
そうなると......。
――なんで?
全く理由がわからないまま全画像分スクロールしてみると――。
(あれ? ないな....。昨日はあれからデバイスに触ってないし、消した覚えもないんだけど......。まぁいっか)
昨日のそれらしい物はどこにも見つからなかった。
つまり、なぜか俺のデバイスに保存されていた画像は、またなぜか消えてしまっているということになる。
不可解なことではあるが、元々見つけ次第消去するつもりだったので、特に問題はないかなと俺は思った。
そう思いつつも多少は気になるあの画像を探していると――。
「それで?」
「!! はい!?」
急に来た彼女の問いかけに、俺は体をびくつかせながら慌ててスクリーンを閉じた。
彼女はそんな俺の様子を不思議そうに傾げて見つめている。
「今何か――」
「な、なんでもない!! な、何....?」
「何って。あれから何か思い出した?」
「あ、あーー。いや、何も......」
正確に言うと思い出せないのとは違う。
今の俺は昨日彼女に伝えたように、”全くわからない”という状態だ。
おそらく彼女は昨日の話から、俺が”記憶喪失になっている”とでも思っているんだろう。
今はその方が色々と詮索されずに済み――――。
「そう言えば、昨日湖で会った時。ニホンとか言ってたよね? そこは故郷とかじゃないの? 村によく来る行商人とかに聞けばもしかしたら――」
「いや! それがその......。な、なんというか、ぱっと出てきた言葉で! だ、だから俺にもよくわかんないかなー........なんて」
「......ふーん。そっかぁ」
都合がいいと安心したのも束の間。
昨日の質問が仇となってしまったらしい。
完全に挙動不審な動作で言い訳をする俺に、彼女は納得してくれたものの、昨日同様に大量の冷や汗が溢れていた。
(元の世界の言葉は、なるべく使わないようにしよう......)
それからしばらくお互いに話すこともなく、無言のまま歩き続けることに。
(これから......どうしたらいいんだろう........)
そうして今悩んでいるのは、”今後の生活”についてだ。
俺は、この世界の知識をほとんど持ち合わせていない。
さらに重要なことは、”お金”を一切持っていないことだ。
まさかWDに補充してある電子マネーが使えるとは思えないし....。
そうなると、それを得るためにはこの世界で働くしかない。
まだ高校生でバイトだってしたことないのに....。
しかもここは【異世界】だ。
元の世界とは違うとんでもない仕事だってあるかもしれない。
もしそこでヘマでもしたら――――。
(奴隷行きなんてこともあるんじゃ....)
少々震えながら出てきた予想を、頭を高速に振って吹き飛ばす。
昨晩は前を歩く優しい女の子のご厚意のおかげで、食事も寝床も与えてもらったが。
今こうして近隣の村に向かっているということは。
(それも終わりってことだよな....)
元々”今日は”という約束だったのだから仕方ない....と言えばそうだけど。
少し期待もしていた。
許してもらったことで、「このままこの家で住まない?」みたいな展開があるのでは......と。
――そんなに甘くないよね。
チート能力を授かって、強敵倒して大金ゲット!
豪華な屋敷に、綺麗で可愛い女の子たちのハーレム天国!
そんなラノベ展開は現実じゃ絶対にありえない。
(まぁ....。可愛い女の子なら、今目の前にいるんだけど......)
そう思い、頬をやや染めながら目線を動かした先にいるのは。
今も俺の前を歩いている、太陽の光でより一層輝きを増す金色の髪を有した――。
(あれ? なんだろう......。なんか)
――――違和感?
彼女と出会って今に至るまで。
特に何ともなかったのに、突然何か引っ掛かるものがある。
ただ、それがどんなことに対するものなのか自分でも見当がつかない。
(昨日....初めて会った時から何も変わってないよな? 膝枕してもらったまま起きて......)
あれ?
俺が最初に彼女を目にしたのは――――。
「おーい。こっち。そのまま行くとー」
「ん? っ!!」
俺は考え込み過ぎていたせいで、彼女の忠告に全く反応できなかった。
そして俺は――泥の水溜まりへとダイブした。
「っぷ! あはははは!!」
「わ、笑いすぎでしょ......」
俺の全身は泥水に染まり、頭から足先まで真っ茶色になっている。
「ご、ごめんね。まさかあんなに大きな水溜まりに気付かないなんて思わなくてさ」
「いや....それは完全に俺の不注意だからいいんだけどさ」
幸いにも背負っていたリュックは、俺が転ぶ前に彼女が外してくれたらしく無事だった。
身に着けていたWDも水にも汚れにも強いため、平気だと思う。
問題は....。
――――衣服だ。
なぜリュックだけを助け、俺を助けてくれなかったのかはよくわからないけど。
「とりあえず村に着いたら服をどうにかしないとね。お金とか持ってる?」
「い、いや....持ってない......です」
「うーん。まぁ半分は私のせいだし。村に着いたら先に服をなんとかしよう」
「あ、ありがとう....?」
(半分? それって、やっぱりわざと俺を助けな――)
「あ! ほら、あれがイニツィオ村だよ」
彼女の言葉は明らかに怪しかったが、今はさて置き。
彼女が指さす方向、道の正面に目を向けるとそこには――。
「......壁?」
視界の先に捉えたのは、灰色の壁。
随分と進んできた今の道は、彼女の家から続く一本道とは違い道幅が広い。
しかしここにも左右に樹々が連なっているため、はっきりとは見えないが、かなり大きいと思う。
予想していたものとは異なった村の様子に、少々不安を抱きつつ歩みを進めること――十数分。
ようやく辿り着いたのは――とてつもなく巨大な壁だった。
それは先ほど想像した以上に高々とそびえ立ち、左右を見ても共に果てが見えない。
そんな奇妙な外壁を口を開けながら見上げていると、自分たちの番になった。
列に並び待っていたのは、今わかる限りここしかないと思われる村への”入り口”の順番だ。
「よかったぁー。今日はボルおじさんが当番の日でー」
「おー! ルナちゃんじゃねーか! そんなに俺に会いたかったのかい?」
「違いますぅー。まぁ合ってなくはないんだけどさ。ボルおじさんじゃなくて、グイスさんの時だと入るの大変だから....。せっかくここまで来たのに引き返さなきゃいけないし」
「あー。あの野郎は村長に色目使ってっからなぁ。......ん? このきたねぇ奴は誰だ?」
前に並んでいた少女は俺のことを忘れたかのように、慣れた口調で門番と話し始めた。
そんな彼女の話し相手――ボルという男性は、彼女とは対極の日に焼けた肌で、肩から剥き出しになっている太く逞しい腕と、顎に携えた膨大な髭が印象的だ。
完全に俺を蚊帳の外にして話し込んでいたのに、急に振られてしかも”汚い”呼ばわりは少々困る。
――まぁ実際に汚いんだけど。
「あ、えっと。春人って言います。その――」
「さっき来る途中で水溜まりで転ばせちゃ――転んじゃってさ。青果店で水を借りようと思ってるんだ」
(......おい)
俺は彼女の失言を聞き逃さなかった。
今のは決定的だ。
先ほどの転倒で俺だけを助けなかったのはやはりわざと。
俺は目を細くして睨んでいると、手続きを終えた彼女はこちらに振り返った。
「よし! じゃあとりあえず、最初に青果店に行こう。......ん? どうしたの?」
「いや別に....。それで青果店? そんなところに行って何するの?」
「さっき言ったじゃん。最初に服をなんとかするって」
「それだったら服屋とかじゃなくて?」
「まぁ来ればわかるよ」
「は、はぁ....?」
俺は彼女の行き先に少々疑問を抱きつつ、検問の人に軽く頭を下げながら彼女に続いて村の中へと足を踏み入れた。
そうして訪れた初めての――”異世界の村”。
そこは外壁と同様に、俺の想像とは全く異なるものだった。
修正中
読んでいただきありがとうございます!