5話 ルナ
修正中
それから食事を済ませた俺たちは互いの目の前に水だけを残し、出会ってから数時間。
ようやく自己紹介をした。
「私の名前はルナ。もう随分ここで一人暮らししてるんだ」
ややふっくらとした胸の上に片手を置き、出会った時のように解いてある金の長髪が揺れる。
こちらを見つめている紺碧の瞳には、今では凛とした力強さしか感じない。
「え、えーと....。天童春人って言います......」
「......え、それだけ?」
『実はその....俺―――別の世界から来まして』
(って、そんなん言えるかああああ!!!!)
たどたどしく自分の名前だけを告げる俺に、彼女がツッコミを入れてきた後。
キリっとした顔で真実を告げる俺の幻を振り払いながら、内心で叫んだ。
どう説明すればいいのか。
どこを省いてどこまで話せるのか。
頭の中はもう混乱状態。
「テンドー? って珍しい名前だね。あんまり聞いたことないや」
「あ、いや。春人の方が名前で、天童が名字なんだよ....です」
乱れた思考で少し定番のような疑問に普段通り答えてしまった俺は、語尾で補正する。
「ふぅーん。それじゃあハルトくん。君はなんで――湖にいたの?」
今までとなんら変わらない口調で話し始めたのも束の間。
急に変化した彼女の表情と声色に、俺は椅子に座りながらもたじろいでしまった。
”急に”、と言ってもこれが普通なんだ。
逆にさっきまでがおかしかった。
だって俺は――――。
「何か事情があるみたいだけど。私の水浴びを覗いたんだから....事と次第によっては」
(そうですよねー! 怒ってて当然だよ!)
異世界転移事情があろうと、裸を見てしまった事実は決して変わらない。
内面で頭を抱えながら、実際には冷や汗をかきまくっている俺を他所に、喋るのを止めた彼女はおもむろに右手の人差し指を立てた。
そして、そんな彼女の白い指の上には――。
『火』が灯っている。
それはとても綺麗で、なんて澄んだ色をしているのか。
見張る瞳に炎を映しながら、心奪われていると――。
「拷問されても仕方ないよ?」
「........あ」
指をこちらに向け、灯していた火を俺の顔の前まで近づけてくる少女。
その表情は笑っているが――どこか怖い。
また、揺れ動いた炎も彼女の意識とリンクしているのか。
その色はより赤くなったようにも感じる。
完全に忘れ去っていた言葉。
それは一瞬にして感動を消し、緊張感を滾らせた。
しかも俺の持っている”拷問”のイメージは、”隠し事などを吐かない者に対する暴挙”だ。
理由を説明しても、それが納得のいくものでなければ俺は。
拷問されるらしい......。
右や左、上下に目を彷徨わせた後、テーブルに置かれた水に視線を止めた。
「じ、実はその......」
やや俯きながら歯切れの悪い籠った声を漏らすと、コップに入っている水に少し波紋が広がる。
「俺にもよく、わからないんだ」
不安が溢れるのを抑えながらそれでも彼女に届くよう、できる限りはっきりと呟く。
ここで嘘を言っても仕方がない。
今できるのは正直に己の身に起きた事象を伝えること。
そう思い話したんだ....けど。
「....はあ?」
恐る恐る顔を上げた先に待っていたのは、少しの怒気を纏った表情に、細められた青い瞳。
その視界を遮るようにより一層近づけられた炎は心なしか、先ほどよりも若干大きくなっている気がする。
「い、いや、もちろん! 湖に行ったのは俺の意志なんだけど! そ、その......」
俺は慌てて両手を上げ、不足した部分を加える。
そして、顔面に感じる熱を他所に、視線を彷徨わせながら続く言葉を探した。
「め、目を覚ましたらなぜかあの近くにいてさ。どうしてあそこで眠っていたのか、どうやってこの世界に来たのか。........全くわからないんだ」
「....なるほど」
話すにつれ下がっていく手と声の張り。
最後にはもう、俯いていた。
その説明に納得してくれたのか。
目の前の火は遠ざかり、ちらりと窺える彼女の表情も少し落ち着いた様子だ。
とりあえずはこれで――――。
「つまり、”水浴びを覗いた”のは自分の意志だと?」
「..........へ?」
手元に戻った炎を見つめてそう呟く彼女の顔からはもう何も読み取れない。
なんだ?
どうしてそうなる?
てかそんなに炎大きかったっけ?
なんでそんな――――。
そこで気付いたのはさっきの自分の言葉だ。
――湖に行ったのは俺の意志なんだけど!
「や、待って! 違う違う!! ”湖に行った”ってだけが俺の意志で! 別に覗くために向かったとかではなくて! 森の中を彷徨ってたらなんか....辿り着いたっていうか......」
さっきとは比にならない焦りで両腕を前に突き出し、溢れ出る汗を背中に感じながら弁明を繰り返した。
「じゃあ何してたのさ?」
「な、何って....。水を飲んで、一休みして」
「私が水浴びしてるところで?」
「い、いや! そうしてたのはもう少し離れた所だったんだけど....」
「じゃあなんであそこに来たわけ?」
「そ、それは......」
(だ、だめだ! 話せば話すほど逃げ道がなくなっていく......!!)
彼女の連続攻撃にいつの間にか手を膝の上に置き、テーブルを見つめる格好になっていた俺。
心の中も実際にも冷や汗は止まらず、完全に手詰まりだった。
「ちゃんと服も置いてたし。水浴びしてるかもって思わなかったわけ?」
「いや、だから。えっと......」
――水球体に夢中で気付くのが遅れました。
この一言が言えたらどんなに楽か。
この世界の水浴びの仕方が水球体に入るだとは予想外だ。
予想外過ぎる。
それを口にしてしまえば、この世界の住人ではないことがバレてしまうかもしれない。
どうすればいい?
なんて言い訳をすれば?
ここはもう――――。
(話すしかない......のか?)
彼女の炎で周囲の温度が上がったせいか、緊張の現れか、大粒の汗が頬を滴り落ちる。
俺は生唾を呑み、膝の上の拳を一握りした。
――俺は、別の異世界から来たんだ。
「お――――」
「はぁぁぁ」
顔を上げ絞り出そうとした俺の声は、彼女の大きな溜息によってかき消される。
その反応に俺が驚いていると、彼女は言葉を続けた。
「わかったよ」
「え? な、何が?」
「君が故意に覗きをしたんじゃないってこと」
(な、なんで急に....)
突然のことでまだよくわからない俺は素直に聞いてみるしかなかった。
どうしてだか定かではないが、彼女は許してくれたらしい。
「うん。あ、ありが――」
「でも」
感謝は大事だ。
そう思い、紡いだ言葉もまた遮られる。
そしてその声質には聞き覚えがあった。
今日、彼女が発した二、三言目くらいだったか。
やや低く重たい声。
「次はないからね?」
表面上は笑顔を纏っているが、彼女の周りには内面から滲み出ている黒いオーラが見える。
そして右手にまだあった火を、握りつぶして消滅させた。
「は......はい」
唖然としていた俺はただただ......。
――返事しかできませんでした。
「今日はとりあえずここを使って。少し埃っぽいかもしれないけど、我慢してね」
「う、うん。ありがとう....ございます」
その後、案内されたのは一番奥にある部屋――物置だ。
ただ物置というには思ったよりも物は少なく。
そしてなぜか....ベッドがある。
それでも物置として使われているだけあって、シーツや枕は少し埃を被っているようだけど。
野宿に比べれば十分すぎる設備だ。
部屋の諸々の説明を終えた家主は「それじゃ、おやすみ」と言って部屋を出ていった。
俺もそれに答え、扉が閉まるまで入り口を見つめた後。
部屋の中央にぶら下がっている明かりを消して、前のめりにベッドへと倒れ込んだ。
沈むベッドは僅かな軋みを立てながら、俺の体重を易々と支えきり、その反動でゆっくりと一定の高さまで戻る。
静まり返った部屋には窓から入る青い光だけが満ちていた。
「あーー、俺。これからどうなるんだろう......」
その柔らかさは元の世界のものを連想させ、突っ伏していた顔を横に向けて呟く。
ここは【異世界】。
それは覆らない事実だ。
2120年の現在。
科学の躍進に多大な貢献をしてきた日本を知らないなんて人はまずいない。
ましてや国の概念がないなんてことがありえない。
「領地....って。ほんと、ラノベかよ......」
中世ヨーロッパ風の建物に、貴族などの身分制度。
ラノベではよくある話だ。
すっと右手を顔の前に持ってくると、その掌を見つめた。
「俺にも魔法....使えるのかな?」
既にこの世界に来ていくつもの奇跡を目の当たりにしている。
水塊の創造や炎の操作。
そんな現象を前にして、楽しみじゃないと言ったら嘘になるが。
魔法を使える期待1割、これからのことへの不安9割。
といったところか。
「はぁぁ。よくラノベの主人公たちはあんなわくわくしてられるな....」
軽く嘆息した後、そんな風に感心していると、視界が霞み始めた。
疲れが眠気を誘ったのか次第に瞼も重くなり、意識は夢の中へと落ちた。
そして......。
――俺は夢を見た。
聞こえてくるのは水の音。
続いて、風に揺れる葉擦れ音も加わる。
そして匂い。
自然豊かな森の香り。
(懐かしい? あれ? これって――――)
視界が開けると。
そこは小さな池があり、周囲には巨大な樹々が立ち並ぶ場所。
映像は少しぼやけているものの、周りにあるそれが何なのかはすぐにわかった。
(また......杉?)
大好きだった祖父の家の裏手にあった杉の樹。
今日、目覚めた場所にもあった杉の樹。
――じゃあ、これは?
(なんか懐かしいような? え、でもこんなとこあったっけ?)
その樹はどことなとなく祖父の裏山にあったものに似ている。
今日目にしたものよりも遥かに大きく太い。
――長寿の貫禄。
しかし、俺の記憶の中にはこんな場所は見当たらない。
そのまま視線を右往左往していると、視界の隅で何かが光った気がした。
瞬時にそちらへと目線をやったが――何もない。
再び反対側の端で輝きを感じて、視線を移してみてもそこには何も――見当たらない。
首を傾げるように視界を斜めにし、考え込んでいると――。
――――――ぶ。
(........え?)
――――――じょうぶ。
(大......丈夫?)
聞こえてくるのはそんな言葉だった。
そして最後に――――。
――――――もう少し。
(もう少し? ....って何が――――!!)
突如、俺は――落下した。
正確に言うとその感覚が全身を襲ったのだ。
下方に広がる暗い闇を一瞥した後、俺は頭上に遠ざかるさっきの景色を見つめた。
(待って! まだ!)
次の瞬間――――。
ドンッ!
という、鈍い音と痛みが脳に伝わってきた。
修正中
読んでいただきありがとうございます。