1話 プロローグ
一体どうしてーーーーこんなことになってるんだろう。
気を失っていた俺の目に最初に飛び込んできたのはーー大きな胸だった。
全くと言っていいほど女子と関りがなかった俺に、サイズや形の基準なんかわからない・・・・・・けど。
実に素晴らしい。
頭の下には高級羽毛枕のような柔らかい感触があり、花のようなとてもいい香りもする。
目覚めたばかりでまだ意識がはっきりしていない今。
この状況はあまりにも刺激が強い。強すぎる。
また意識が飛びそうーー。
どうにか気を確かに保ちつつ視線を少し傾けてみると、そこには申し訳なさそうにこちらを見下ろしている、可憐な女の子の顔があった。
長く伸びた髪は太陽の光を浴び、見事な金色に輝いている。
肌は雪のように白く、美しい。
さらに瞳は――――。
そうして様々な五感を使って現状を満喫していると、不意に彼女が呟いた。
「君・・・・・・大丈夫??」
――――――――時は少し遡る。
あーーーー懐かしい匂い。
意識が戻りつつある俺は、最初に取り込んだ情報を処理していた。
この匂い・・・・・・どこで嗅いだんだっけ?
最近じゃないな。もっと前に・・・・・・。
あれはそう、確か――。
「杉・・・・・・」
思い出しかけていた懐かしい風景を置き去りに、俺は匂いの正体を口にした。
記憶の再生が止まってしまったのは、何かの光が眩しかったからだ。
俺は右手で光を遮って、仰向けに横たわっていた体をゆっくりと起こした。
「ここ・・・・・・どこだ??」
そこは全く見覚えのない場所。
俺を中心に半径20メートル程の更地になっていて、その周囲には無数の樹々が連なっている。
その青々と生い茂っている具合はどう見てもーー都会のそれじゃない。
俺はゆっくりと立ち上がり、辺りを見回してみたが、ビルや建物らしき物は見当たらなかった。
「これじゃまるで――」
都会とはかけ離れたこの景色を目にして、俺はふと思い出した。
先ほどから鼻を刺激してくる、この杉の匂いを嗅いだ――――”懐かしい場所”を。
俺は東京生まれ東京育ち――と言いたいところだけど、実は生まれも育ちも九州だ。
母親の実家が九州の山の中にあり、独り身になってしまった祖父のためにと、俺が生まれてから12年間、山の麓の町で暮らしていた。
週末には祖父の様子を見に行き、それに同行してはよく一緒に遊んでいた。
そんな母親の実家には大きな門があり、そこから左右に壁が続いている。その門をくぐって敷地に入ると、一人で手入れするには広すぎる庭が待っている。
そこを通り抜けて堂々と建っている大きな城が――――”じいちゃんの家”だった。
「もう、六年も前か・・・・・・。そんなことより」
はっきりと思い出した懐かしい情景を、俺はまた心にしまった。
ここがどこなのか。今はそれが問題だ。
「ーーって、あれ? え・・・・・・な、ない!?」
俺はGPS検索しようとしたが、全く反応がないため首を傾げた。
疑問に思い左手首を見ると、そこにはいつもあるべきものが着いていない。
「なんで!? なんでないの!? 俺、今日着けてたよな!? いやいや。そもそも忘れたことなんてないし!! ーーはぁ、はぁ、ていうか俺、今日ーー何してたんだっけ?」
今朝、家を出るときは間違いなく着けていたそれの行方を捜すため、俺は今日の出来事を思い返す。
【サイエンスフェスティバル】――2100年から始まった日本一の科学祭典のことで、海外からも注目されている世界規模のイベントのことだ。
今年は記念すべき20周年記念祭として、各国から歴代で最多数の科学者たちが集まっている。
正式には5月に催されるものなのだが、今回は親のコネでプレ公開に参加させてもらっていた。
「”無重力スーツ”とか”物質コピー”とか、色々見学して・・・・昼飯を食べて?」
分子構造の発展的解明から――約70年。
この他にも様々な技術が生み出され、今では快適な生活で日々を過ごしている。
「えーと、それから・・・・・・レポートを少しやってたら、思ったよりも時間経っちゃったんだよなぁ。それで最後に――」
ああああああ!!!!!!
記憶を遡り、辿り着いたのは探し物の行方じゃない。
レポートの作業を中断し、最後に何か面白そうな実験ブースはないかなと急いで探していた時、俺は”とあるブース”のプレートに目が留まったんだ。
しかし、そのほんの数秒後。
地揺れとともに一瞬大きなサイレンが鳴り響いたかと思うと、それは別の音で瞬く間にかき消された。
「そうだ、あの時・・・・・・」
警告音だったはずの音は爆発音によって上書きされた。
脳裏に残る最後の記憶は”鼓膜に重く響いたその爆発音”と、”視界を埋め尽くした土煙と爆炎”・・・・・・のみ。
そこからは一切・・・・覚えていない。
それに爆発のせいなのか、最後に見つけた実験ブースがなんだったのか。
記憶が曖昧になっている。
「つまり・・・・俺は爆発に巻き込まれたってこと?」
え? 待って。
それって、もしかして・・・・俺。
――死んだ?
おそらくあの音や爆炎の具合からいって、かなり近くで発生したものだったと思う。
一瞬の記憶しかないけど、あれだけの爆発の中生きていることは・・・・・・難しいかもしれない。
「じゃあここは・・・・・・」
――【死後の世界】?
周りの樹々やこの自然あふれる景色。
鼻をくすぐる杉の香りも全部。
記憶の中の産物なんだろうか・・・・・・?
そうだとしたらなんて忠実に再現しやがるんだ。
ここが天国なのか地獄なのか、どちらなのかは確かめる術がない今、そんなことはどうだっていい。
――いや、よくはないんだけどさ。
とりあえず死んだことには変わりないし・・・・・・。
俺はまだ飲み込み切れない現状を、ぐるぐると回りながら考え続けた。
すると不意に、俺の視界に”あるもの”が飛び込んできた。
「・・・・・・リュック」
発見と同時に停止した体をゆっくりと動かしてそれに近づく。
近距離で確かめても・・・・。
うん。間違いない。
マイリュックだ。
色や形など普段から使用していた、爆発に巻き込まれる寸前まで背負っていた馴染みのあるリュック。
中身を確認するため、俺はしゃがんでそれを開けてみた。
「バイクのキーに、これとこれと・・・・・・・・それから、これも」
その中に入っていた物も、間違いなく自分の物だった。
ただ、最初に探し求めていたあれは入っていない。
「まぁどうせ、死後の世界なら使えない・・・・・・し?」
そう諦めかけた時だ。
俺はリュックの陰に隠れていた、太陽の光を反射する物体を視界に捉えた。
形状はどことなく探し物に近い。
不安と期待の混在する震える手をゆっくりと伸ばし、それを手に取ってみた。
「・・・・・・なんだ。デバイスもちゃんとあるじゃん・・・・」
俺は安堵と同時に肩を撫で下ろした。
最初のGPS検索を試みようとした時から探していたこれは――次世代型携帯機器”WD”。
その名の通り、手首に装着して使用するタイプの装置のこと。
「とりあえず着けて・・・・ん? あれ、なんで電源切れてるんだ? まぁ・・・・いいか」
俺は深く考えずに左手首に装着すると、WDのスイッチを押し起動を試みた。
問題なく動き出したWDの初動操作を完了させ、空中にタッチパネルを表示させる。
「壊れては・・・・いないみたいだな」
電源はもちろんのこと、機能的にも特に壊れている様子はない。
このWDは2070年頃に発明された『空中投影技術”スクリーニングエアー”』が搭載された、初の小型デバイスで、タッチパネルを空中に投影して操作できる。
タッチパネルの出現方法は何種類か存在しているが、大抵の人が”自分で登録した動作”によって表示させるのがほとんどだ。
衝撃にもそこそこ強く、水中にも入れられるほどの防水性を有していて、また太陽光充電もできてしまう。
雲などで日差しが遮られていたとしても、日中であればほとんど問題なく充電することが可能だ。
他にも様々な機能を備えている為、その利便性は計り知れない。
つまり、この状況でもバッテリーに関しては何も心配がいらないということになる。
――上にあるあれが太陽であれば、の話なんだけど・・・・・・。
最後にバッテリー残量を確認したのは、たぶん昼飯を食べ終えた時か。
正確な数値までは思い出せないが、おそらくあまり変化はないはず。
それから俺はとりあえず色々なことを試してみた。
ネット接続、最初に行おうとしたGPSを使った位置検索など――。
結果は・・・・・・そのどれもが機能することはなく。
「やっぱりダメかー。そりゃ死後の世界じゃ電波なんてあるわけないよな・・・・」
不貞腐れたようにそう言いながら腰を下ろした俺は、目覚めた時のように横になって空を見上げた。
「まぁ死後の世界ならそのうちお迎えが来るでしょう。それまで待つしかない・・・・か」
(できれば・・・・。可愛い可愛い天使なんかが来てくれると嬉しいんだけどな)
そうして時間を持て余すこと――15分。
――――30分。
――――1時間。
「誰も来ないじゃん!!」
一向に迎えが来る気配はない。
それどころか、上にある太陽らしきものは徐々に傾き始め、先ほど危惧したこととは裏腹にWDの充電が進んでいた。
普段あまり使わないため忘れていた、”設定”→”充電”の操作から”充電状況”を確認してみても、やはり”太陽光充電中”と表示されていた。
これじゃまるで――本物の太陽だ。
「本当にここは・・・・。死後の世界・・・・なのか?」
胡坐をかいて後ろに手を着きながら、雲を見つめてそう呟く。
実際、この1時間で不可解な点がいくつもでてきた。
まず、昼食を済ませた後に書き始め、爆発の十数分前まで書いていたレポートは、しっかりと書きかけのまま保存されていた。
また、リュックに入れていた朝買った飲みかけのお茶や、昼食の片付けを焦って服に付けてしまった汚れなど、所持品や服装なんかが爆発前の状態と全く同じである。
ここがもし本当に【死後の世界】なのであれば、衣類や手持ちの物をそこまで再現する必要はないはずだ。
まぁ死んだことないからわかんないけどさ。
「それにさっきから・・・・」
しかも死んでいるというならありえないことが俺の体に起きていた。
「腹・・・・減ったなぁ」
爆発に巻き込まれたのが、おそらく16時頃。
あれからどのくらい寝てたのかわからないが、起きてから1時間以上も経っている今現在。元の場所では17時は超えているはずだ。
空腹を感じるということは・・・・。
俺は死んでない?
でもそうなると・・・・・。
ここはどこなんだ?
【死後の世界】じゃないんなら・・・・・・。
ここは――。
「――界?? もしかして、俺――」
掠れる声で紡ぎ出される途中、一瞬息を呑み言葉が詰まる。
そして続く言葉は、密封容器の中で何かが起爆したかのように口から弾け出た。
「異世界転移しちゃってるんじゃないのかああああああ!?」
ここは――――【異世界】
「いやいや、待て待て、落ち着け俺。こんな科学が世界を支配してると言っても過言じゃない現代で、昔流行っていた”非科学的なんでもありなチート主人公のハーレム異世界物語”の世界に迷い込むわけがない!!!!」
【異世界物語】――これは21世紀初期に爆発的に人気を出し、ライトノベル界を席巻したシリーズである。
22世紀になったいまでも一部の層からは熱く支持されていて、俺も中学の頃、そこそこ仲の良かった――と言っても一緒にクラスで浮いてた――クラスメートから薦められて読んだことがあるのだが・・・・・・。
確かに面白かった。
特に俺みたいな非リアな奴には、あのチートみたいな強さで敵を倒し、可愛い女の子とイチャラブハーレムを繰り広げるのには憧れを感じるだろう。
今でも俺の愛読書になっているということは・・・・・・誰も知らない。というか知られてはいけない。
その為、不意に思いついたのが【異世界転移】だったのだ。
「きっとあれだ! ”人体転移”だ! あの爆発はその実験によるもので、それで俺はここに――」
二つ目の予想を瞬時に否定した俺は、次に別の可能性を呟いていた。
――――【人体転移】
”転移”という技術が世界で初めて成功したのが――2083年。
苦悩の末、ようやく成し遂げた歴史に残る偉業だ。
ただしそれは、ある”特定の物”だけだった。
『生命のない物質』
それは車や機材などの輸送や運搬、つまりは物資の流通に多大な変革をもたらした。
さらに”生命のない”と言うことは、言い換えると”生命を無くせば”転送できるということ。
つまり、処理をした”食品”も転送が可能になるということだった。
おそらくこの技術が特に貢献したと思われるのは”貧困地への食物供給”。
初めこそ限られた地域のみだったものの、この技術が開発されてからたった7年で、世界の先進国では一般利用できるようになり、そこからさらに10年かけて全ての貧困地――つまり、全世界で利用が可能となった。
この技術は【物質転移】と呼ばれ、今現在でも多様に使用されている。
しかし問題は――【人体転移】だ。
貧困地へこの技術の供給を進めている最中、さらなる進化を目指した一部の研究者たちは次に、『生命のある物質』の転移、つまり――【人体転移】を目標に研究を開始してしまう。
もちろんその研究は”ある事件”を境に中止となり、そのことから【物質転移装置による人体転移の実験を禁ずる】という世界的規模の規則が提示された。
つまり、あの【サイエンスフェスティバル】の会場にそのような研究を対象にした科学者が参加することはまずない。
「そうだような・・・・・・。それじゃあ一体、俺はどうやってここに・・・・・・」
物質転移の誤作動で飛ばされた?
あの爆発はそれで?
いや、でもそれなら俺は生きていられないんじゃ?
うーん。
現状では判断材料が乏しすぎる・・・・・・。
一度思考を止め、再び辺りを見回しても、やはり未だ人の気配はない。
まだ日は高いが、太陽の傾き具合から正午は過ぎているだろうか。
このままここにいて夜にでもなってしまったら、獣などに襲われる可能性だって十分にあるかもしれない。
火は普段持ち歩いている”電動式ライター”があるから大丈夫だとは思うけど・・・・。
流石にちょっと怖い。
「せめて水くらいは確保しとかないと、まずいよな・・・・・・」
リュックに残っていたお茶は飲みかけだったのもあり、もうほとんど残っていない。
ここが【死後の世界】なのか、それとも何かの弾みで人体転移が成功し飛ばされたどこかなのか・・・・・・。
はたまた――――【異世界】なのか。
それを確かめるためにも、今は少し動いてみるしかないと思った。
もちろん不安がないと言ったら嘘になる。
やや重い腰を上げ、尻に付いた汚れをはたくと、心のもやを振り払うようにリュックを勢いよく左肩へと掛けた。
見据える先は知らない――しかしどこか懐かしい、杉の林。
ゆっくりと歩きだした俺は樹々の入り口で立ち止まり、目の前にそびえる樹を見上げた。
「・・・・・・いってきます」
きっと普通なら物凄く大きく見えるはずのその樹は、なぜか少し小さく感じた。
誰に向けての言葉なのか自分でもわからない。
ただ何となく・・・・言いたくなったんだ。
顔を戻すと、再び林の中の薄暗い先を見据えながら、俺はその一歩を踏み出した。
* * *
これが、この物語の第一歩。
この先に待ち受ける、過酷な真実へと向かって――――。
さらに、リュックの下に隠れていた――白い板。
その板は深々と地面に埋もれ、全体の2割程しか出ていないようだ。
まだ新しそうだが、土の汚れのせいで記されている文字の一部しか読み取ることができない。
『ースNo295 ――――装置 ――――ratus』
読んでいただきありがとうございます。
初めての執筆になりますので、色々と不甲斐ない点が多々出てくると思います。
温かい目で読んでいただけると幸いです。
私も含め皆さんで楽しんでいける作品にしたいと思います!
これからよろしくお願いします!!