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白影医学研究所三重密室殺人事件《その2》


 今回の名探偵審問は京都駅前にある貸しビルの一室にて行われることとなった。


 基本的に名探偵審問は場所を選ばない。審問の結果は裁判と異なり、法的効力はない。ただ、名探偵の推理と審問の内容は実際の裁判で重要な資料として扱われる。つまり、ほとんどの場合ここでの結果がそのまま裁判の結果となることが多いのだ。


 故に秋野静祢はさぞ気を張っていることだろう、と俺は予想していた。しかし、控室にいた彼女はどこか他人事のような顔で今回の審問に臨んでいた。


「この審問は有罪率100%なんて云われているけれど、諦めちゃいけないよ。気持ちで負けたら相手の思うつぼだ」

「はあ。わかりました」

「大丈夫。こちらにはちゃんと策がある。君はきっと無罪放免となるはずさ」

「はあ。それはどうも」


 俺は引きつった笑みを浮かべて背後にいる麻耶華を振り返った。

「刑事たちに散々詰められて、きっと自暴自棄になっているのよ」

「だが、こんな調子では話にならない」

 医師が患者を助けようにも、患者が治そうという意思がなければ治療が奏功しないのと同様、被告人には自分が無罪だという主張をする意思を持っていてもらわないと名探偵であってもどうしようもない。


 控室を出てから俺は深いため息をついた。

「とはいえ、名探偵審問において陪審の役割っていうのは有罪の認定をするためのお飾りの役職なんだけれどね」

 

 普通の陪審制度とは違い、名探偵審問において陪審はひとりだ。さらにいえば、あくまで有罪の認定をするためだけの役割だと見なされている。よって無罪の認定をした場合、その根拠を明確に提示する必要すらあるのだ。


「そもそも彼女が無罪であるかどうか、千夜先生には分かっているんですか」

「彼女は無罪だよ。状況から見てそれは明らかじゃないか」

「……ほとんどの人は真逆のことを云っていますが」

「三重の密室ね。馬鹿ばかしい」

「そうですね。『哲学者の密室』を思い出します」


 殺人事件において現場を密室にするメリットはいくつかある。そのうちのひとつが特定の人物に容疑を向ける、というものだ。部屋を出入りすることの可能な人物を限定することで、容疑者の範囲を操る。今回の場合、博士を殺すことができるのは研究室内で眠っていた静祢ひとりということだった。


「だが、殺人を犯して現場ですやすや眠っているような犯人がいるはずもない」

「そのあたりをどのように説明するつもりでしょうかね。龍賀っていう名探偵は」


 龍賀寅丸。新進気鋭の名探偵で、今もっとも熱い若手との噂であった。なんでも高名な法学者である龍賀雄一郎の息子であり、本人も将来は裁判官を目指して法科大学院に通っているエリートだとか。名探偵の仕事は裁判官になるまでの修行なのだそうだ。


「要するに親の七光りをかざしているボンボンですか。楽勝なんじゃないですか?」

「お前、たまにすっげー毒舌になるな」

「フハハハハハハ! やっとお会いできましたね、千夜真名探偵!」


 廊下の果てから馬鹿でかい笑い声が聞こえてきて眉をひそめた。

 頭に鉢巻、金ボタンの詰襟、一見するとアレな人に見える。右手には竹刀が握られていた。額が広く、大きな口を開けて笑っている。不気味だ。街で見かけたら絶対に目を合わせないのが吉というタイプの人種。


「僕が龍賀寅丸です。ハハハ! ヨロシク願います! ハッハハ!」

「……どうも」

 右手を差し出してきたので渋々握手に応じた。強烈な力で握りしめられたが、本人に悪意はないらしい。顔をしかめる。


「まさかあの名探偵と対決できるなんて! 光栄ですよまったく」

「対決? なにをいってるんだ」

「とぼけないでください! あなたがタダ馬鹿みたいに席に坐って有罪の認可を出すために、交通費+礼金のためだけにこの審問に臨んだなんて誰も信じていませんよ! この出来レース、といったら語弊があるか。あくまで正式な裁判を円滑に進めるための通過儀礼、有罪率100%なんて揶揄される審問を、少しでも盛り上げていただけるなら僕としては大歓迎でしてね」


 こいつ少し足りてないんじゃないか。

 俺は本気でそう思った。


「秋野静祢は無罪だ。お前の推理が静祢を犯人だとするものなのは事前の通達で知っている。浅はかだったな」

「ハハハ! そうこなくっちゃ。三重密室、結構! アレを破る方法があなたにはあるというのですね。是非とも聞かせていただきたいものだ」

「ここじゃあ云えねえなあ」

「もっともです。もっとも! なら、インクエストで!」


 そう云って高笑いをしながら龍賀は立ち去った。なんとも暑苦しい奴だ。


「あんな馬鹿なら余裕ですよね、センセ?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて麻耶華がこちらを見た。

「さあな。アレがあいつの……本性ならな」



 名探偵審問には決まった形式と云うものはない。ただ、必ず立ち会わなければならない役割の人間がいる。ひとつは名探偵委員会の会員。これは立会人であり、名探偵の推理に誤りがないかを判定する人物。次に名探偵。これはいわずもがな。次に事件関係者。今回のように名探偵があらかじめ犯人が誰なのかを周知していた場合は犯人のひとりだけでも十分だが、通常は事件関係者全員を集める。今回も念のために全員に来てもらっている。

 そして陪審員。委員会と名探偵の癒着を防ぐ、という名目で中立な第三者にこの役目を担ってもらう。故に陪審は名探偵であっても委員会の人間であってもダメなのだ。


 七三に髪をわけたスーツの男が部屋に入って来た俺に頭を下げた。


「はじめまして。名探偵委員会の間壁と申します。以後お見知りおきを」

「あー、うん」


 差し出された名刺を無造作にポケットに突っ込むと間壁は少し口元を歪ませた。

「そろそろ審問を開始しますので所定の席にお坐り下さい」

「あいよ」

 玄矢木事件の背景を知ってから俺は連盟ひいては名探偵委員会に対して敵愾心を抱いていた。この男も敵だ。愛想よくする必要はない。


 俺の後ろをトコトコとカバンを抱えた麻耶華がついてくる。いざとなればサポートをするとか云っていたが、あてにはできない。本来、名探偵は孤独なのだ。


「センセ、意気込みの方は?」

「そのセンセっていうのやめろ。サブイボが立つ」

「なら、千夜先生。策はあるとかおっしゃっていましたが、その策とは?」

「まあ、見てな。そのうち分かる」


 間壁が部屋の中央に立って、左右に分かれた俺と龍賀を見た。

 部屋の後方には探偵審問の傍聴者たちがパイプ椅子に坐っている。裁判と同じく、探偵審問も公開が原則となっている。これだけ大勢の人が狭い部屋に集まっているというのに、静かだった。


「ゴホン。えーっと、それではこれより名探偵審問――インクエストを始めたいと思います。今回の事件はF県の山奥部に立地する白影医学研究所にて起こった殺人事件であります。被害者はそこの所長であり医学博士の白影風太郎氏、五十八歳。後頭部を殴打されて頭がい骨陥没、脳挫傷が死因となりました。即死です。室内から鉄パイプが発見され、それに付着している血痕は被害者の血液型と一致しました。よって、この鉄パイプが凶器であるとみられています。また、現場となった研究室は密室でありました。その密室内には研究所に滞在していた秋野静祢さんがおりました。目下、彼女が殺人事件の犯人であると見なされております。そこでまずは彼女の口から事件当時になにが起こったのか、説明していただくのが良いと思うのですが、異議はありますか?」


 長口舌をふるい、俺と龍賀に目線を向ける間壁。俺は手をヒラヒラと振って意義がないことを示した。


「異議! なしッ!」と腕組みをした龍賀がそう怒鳴った。

 一々うるさいやつだ。


 別室から呼び出されて入室してきた静祢はまるで迷子のようにおどおどとしていた。自分がこの場にいる理由も良く分かっていない、といった感じだ。普段は白衣を着ているらしいが、今日はセーターにジーンズと云った出で立ちである。


「静祢さん。あなたと被害者の関係について聞かせてもらえますか」

「え、あの、わたしは白影先生の助手、になるはずでした。あそこで働かせてもらう予定になっていたんです」

「つまり、あそこに来たのはつい最近のことだと」

「はい。遠い親戚だったんです。わたしと先生は」

「ふむ。聞いた話によると、元々は被害者に借金の申し入れをしにきたそうですね」


 俺は机を叩いて立ち上がった。

「おい! 事件の話を聞くために彼女を呼んだんだろうが。誰が印象操作しろっていったよ」

「……失礼。では静祢さん。事件の日のことをお聞かせください」


 まったく油断も隙もあったもんじゃない。推定無罪が聞いてあきれる世界が探偵審問では起こる。ここでは推定有罪、犯人と指摘された人物は100%有罪なので滅茶苦茶をやりに来る。公平な扱いなど望むべくもない。

 だが、なんでもありをやろうってなら結局強いのは俺なんだよ。


「あの日の午後四時、博士に研究室に来るように誘われました。話したいことがあるから、と。きっと助手として雇うかどうかの話なんだろうな、と思いました。博士は部屋に入ると応接セットにかけるようにわたしに勧め、コーヒーを用意してくれました。あの部屋のキャビネットの中に電気ケトルとインスタントコーヒーがあるんです。博士の用意してくれたコーヒーを口にして、それからとりとめもない雑談がしばらく続きました。十分くらい、でしょうか。中々本題に入らないな、と思っていると眠気が少しずつやってきました。わたしは医療に従事していた人間なので、それが薬の作用によるものだと感覚的に察しました。そして、それがおそらく博士の淹れたコーヒーに含まれていたことも。博士は一度もカップに口をつけなかったのです」

「なるほど。あなたは睡眠薬を盛られたわけですね。それで眠ってしまった」

「はい。立ち上がろうという気力もわかないほど、強烈な眠気でした。博士の目的が分からず、ひどくおそろしかったのを覚えています。そして目が覚めると、すでに博士は亡くなっていて、再さんや万桜さんが怖い顔をしてわたしを見下ろしていました」


 あまりにも単純な話であった。それだけに矛盾を探すのは難しいだろう。さて、龍賀はどうやって彼女を有罪に持っていくつもりだ。


 静祢の話が終わり、龍賀が席を立った。

「この事件……密室殺人ということですが、すれっからしの皆さんからすればアホくさい密室トリックなんてものには飽き飽きしているでしょうし、興味もないでしょう。より注目すべきなのは、なぜ犯人は密室をつくったのか? そこにあるのです! 都筑道夫先生もおっしゃっていた通り! つまりそこが分かれば犯人も自明のものとなる!」

 龍賀は目を輝かせて静祢を見た。

「では、いくつか静祢さんに質問です!」

「は、はい」

「まず、博士とあなたが研究室に向かう途中にある扉、この扉に閂は掛けましたか!」

「いえ。わたしも博士も掛けていません」

「研究室に入る際、博士はカードキーを使いましたか!」

「いえ。博士はカードキーを使いませんでした。その時に研究室のドアにロックは掛かっていなかったのです」


 これは俺にとっても重要な情報であったので耳をそばだてた。龍賀は質問を続ける。

「なるほど。次に研究所内の防犯カメラについてお聞きします。あの防犯カメラは撮影した映像がいつまで保存されているのでしょうか」

「一日、八時間ごとに保存した映像を削除するように設定しています。そうしないとデータが膨大な量になりますから」

「つまり午前8時になると、それまで記録していた午前0時から八時間分の記録が消去されるわけですね」

「その通りです」

「映像には午後四時五分にあなたと博士が廊下を通っていく姿が残されていました。ああ、再さんたちが警察に提出するためにそれまでの映像を消去せずに残しておいてくれたんですね。午後四時からまた新しく映像の撮影がスタートしたわけです。ところで、あなたは先刻午後四時という時間をはっきりと記憶していましたね」

「え、ええ。四時をちょっと過ぎたあたりだったな、と思っていましたので」

「つまり、あなたは自分と博士が研究室に向かう姿が防犯カメラの映像に残っていることを知っていたのですね」


 これは答えさせてはいけない!

 俺が異議を申し出る前に静祢は龍賀の質問の意図を解さぬまま「その通りです」となんでもないことのように認めた。


 くそ、遅かった。


 というか、いつの間にか龍賀の口調が落ち着いたものになっている。先刻までの胴間声が嘘のようだ。


 そう思った矢先、

「よっく分かりました! ありがとうございます!」

 と龍賀は大声で返事をした。


「大変でしたねえ! 静祢さん。同情しますよ。計画的な殺人じゃない。僕は最初から確信していました。あの三重密室は焦るあなたの気持ちの表れだったのですね。あなたは博士に薬を盛られた、そのことに気づいたあなたは身の危険を覚えて咄嗟に鉄パイプで博士を撲殺してしまう。ああ、鉄パイプが元々研究室内にあったものなのは確認済みです。ご安心を。事前に用意した凶器ではないですね。そこからも分かる。あなたはうっかり博士を殺してしまった! 薬の効果で眠気が少しずつ自分の意識を閉ざしていく。しかし、このまま部屋を飛び出していくわけにはいかない。なぜなら時刻は午後四時を回ったばかり、このまま出ていくと防犯カメラに返り血を浴びた自分が映り、その映像が午前0時になるまで残ってしまう。最善の策は博士の遺体の発見を0時以降にまで遅らせ、午前0時になる直前に部屋を出ていくことだった。それなら自分の姿の映った映像は0時に消去されるから残らない。そこで屍体の発見を遅らせる為にあなたは扉に閂を掛け、研究室に内側からロックをした。こうすることで誰かが研究室に来るのを防ごうと思ったのですね。しかし、残念なことに再さんたちが不審を抱き、ドアをぶち破ってまで部屋に入ってきてしまった。その結果、屍体は発見され、あなたの計画はパーになったのですね!」


 屍体の発見を遅らせるため。

 これもまた、現場を密室にする動機になる。龍賀の説明はそれなりに説得力があった。手段、動機、機会、そのすべてに無理がない。龍賀という男はやはり言動ほど馬鹿ではないらしい。

 

 龍賀は「これで僕の推理は終わりです」と云って着席した。傍聴人たちも一気呵成に語られた事件の《真相》に頷いている。無理がない。静祢の話を正面から否定せず、むしろ睡眠薬を盛られたという話を効果的に犯行動機に絡めている。


 ――やってくれるぜ。だが、その程度で詰め切ったと思うのは甘い。


 俺はゆっくりと立ち上がった。


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