世界一素晴らしいストーカーと異常で平凡な男の話
キッチンペーパーに包んで、大きめの平たい皿に置いた豆腐。
その上にまた平たい皿を置いて豆腐をサンドイッチ、さらにその上に重しとなる一キロの砂糖袋を置く。そのまま冷蔵庫に入れておいて、しばらく豆腐から水分を抜く。
そうして豆腐の水分を抜いている間に、大きな鶏ムネ肉を調理。擦り下ろしたニンニクと塩コショウ、それから出汁醤油をビニール袋に入れて揉む。味を染み込ませている間にまた別の作業へ。
ジャガ芋と玉葱を火が通りやすいくらいの大きさに切る。固形スープの素を溶かした水を片手鍋に用意し、ジャガ芋はまだ温まっていないそれに一緒に入れて火をかけ、玉葱は沸騰したそれに加えた。どちらにも火が通ったことを確認して、火を止めて少し冷ましてから豆乳と一緒にミキサーで撹拌。これをまた片手鍋に戻して今度はしっかり冷ましてから冷蔵庫に。
そうこうしている間に、鶏肉にも味が染みているはずだ。
フライパンを熱して、オリーブオイルを投入。それも温まってきたら、袋の中の鶏肉を皮を下にしてフライパンに滑らせた。
始めは強火で皮と肉の表面をカリッと焼いて、旨味を閉じ込めたところで中火と弱火の中間くらいに切り替えて中をじっくり焼く。そろそろ仕上げだ。
冷蔵庫からトマト1つとレモンにカイワレ大根、四分の一サイズのキャベツ、それから真空パックのスモークサーモンとマヨネーズを取り出しておく。
そして水分を程よく抜いた豆腐も忘れない。
キャベツは千切り、トマトは一つ櫛形(半月の形)に切って、もう一つは大体七ミリくらいの輪切り。
豆腐は半丁トマトと同じくらいの大きさ、厚さでスライス。
もう半丁はそれよりも小さく角切り。
真空パックのスモークサーモンは一枚一枚を破らないように手で剥がし、クルクルと巻けば、花のような形になる。
それをお洒落なガラスの平皿に角切りの豆腐とカイワレ大根と一緒に盛り付け、マヨネーズを斜線を幾筋も描いてかけた。隠し味に醤油を垂らす。
レモンを添え、豆腐とスモークサーモンのサラダが完成。
続いて、もう一枚同じ平皿にスライスしたトマトと豆腐を交互に盛り付け、オリーブオイルを垂らし塩を薄く振った。
トマトと豆腐のサラダも完成。
さて、次は鶏肉。
こんがり焼けたそれを切って、乳白色の皿に盛り付ける。千切りのキャベツと櫛形のトマトもそこに盛り付け、3品目も出来上がり。
冷蔵庫で冷ましておいたジャガ芋と玉葱の豆乳スープ改め、ビシソワーズ風スープも盛り付ける。よく冷えてる。
ああそうだ、ご飯を混ぜておかなくては。固くなったご飯より、少しでもふわっと感の残ったものを。
今日の夕食が出来上がりだ。
栄養のバランスは一応考えてる。サーモンと豆腐のサラダ、本当はモッツァレラチーズを使いたかった。でも、水分を抜いた豆腐で代用。
ヘルシーかつ、美味しく。
彼は牛乳アレルギーだ。そのため、最大限に注意を払い作った料理の数々。
「よし、まぁ上出来じゃないかな。」
後は彼の帰りを待つばかり。
***
ガチャ、ガチャリ。
玄関の扉が開いた。私は笑みを浮かべて玄関まで出迎える。
「お帰りなさい。お仕事お疲れ様です。」
彼は多分子供みたいに嬉しそうな顔をしているのであろう私を見て苦笑し、お帰りなさいに答える様に頷いた。
「ご飯出来てますよ。」
彼はまた一つ、頷いた。
***
彼はちゃんといただきますと手を合わせてから、サラダに手を付けた。それを皮切りに私の作った食事を旺盛な食欲で平らげていく。
みるみる減ってゆく料理。作った方も気持ちがいい。
彼はあっという間に食べ終えた。
「ごちそうさま、ありがとう。今日も美味しかったよ。」
「お粗末様でした。それはよかったです。」
私は皿を片付け、シンクに持って行った。
スポンジに洗剤を付け、何度かクシュクシュと手で握って泡を作る。
「たまには皿洗い、僕がやるよ。」
彼が腕捲りしながら台所に入ってきた。
私は台所の入口の方を向く。
「構いませんよ、お疲れでしょう?」
私は彼が帰ってきた時から笑みを浮かべ続けていた。
だって、せっかくお仕事を頑張った彼が疲れを抱えてお家まで帰ってきてくださったのに、ぶすくれた顔で居るわけにはいかないじゃない。
「うーん、確かに疲れてはいるけどね……。」
彼もまた、帰ってきた時からずっと笑顔を浮かべていた。
私の何の含みもない笑みとは違う、苦笑を。
「毎日毎日ご飯を作ってもらって、その上片付けまで任せっぱなし……ってのは、流石に気が引けるよ。」
そんなこと気にする必要ないのになぁ。私は構わず皿を洗い始めた。
「ところで、さ。いつも思うんだけど……君、誰?」
ピクリ。
私の肩は跳ね、作業をしていた手が止まった。
いつか来ると思ってたこの質問。
ずっと、ずっと、もう四ヶ月も待ってた。
嬉しくて、口元は元々の笑顔に変な力が加わり更にいびつに歪む。
ああ。
やはり彼は、私の望む普通のヒト。
容姿も、経歴も、能力も、何もかも、至って普通。
だから好きなの。だから愛せるの。
別に彼が私を好きでいてくれなくてもいい。
気持ち悪い、近付くなと言われれば離れよう。
ご飯を作るのは、ただ彼の健康を心配してのこと。
作ってくれる人が他に居るなら、私は遠くから見守るだけ。
私は彼を愛しているのだ。
***
初めは驚いた。家に帰ると知らない女がいて、しかも栄養バランスから何から完璧な食事を作って待っていたのだから。
「ちょっと貴方の食生活が心配だったので……。あ、嫌だったでしょうか?」
そう言った彼女は常に笑みを浮かべていて、美しかった。
彼女は僕の通った学校や所属していた部活動、就いている職業、家族や親戚、友人の名前なんかも知っていた。(そういえば牛乳アレルギーもだ、何処から漏れた情報だろうか。)
俗に『ストーカー』と呼ばれる犯罪者だった。
大した経歴なんてない、何の特徴もない人生を歩んできたと胸を張って言えるような僕に付き纏う。その雰囲気のあまりの柔らかさ故か、怖いという感情が湧かない。通報したらこっちの良心が痛みそうな気さえする彼女。
結局、そこまで悩むことなく僕は彼女を放置することに決め、その日は彼女の問いを曖昧に笑ってごまかし、ただご飯を作ってくれたことに対する礼だけを言っておいた。
その日限りだと思っていたが、翌日からも彼女は毎日僕の家で夕飯を作り続けた。
ちなみに最初は僕が家の鍵を掛け忘れたのだと思っていたが、どうやら彼女はどうにかして不法侵入していたらしい。
ま、いっか。
そう思ってから四ヶ月だった。
ふと湧いた好奇心に任せ、彼女に正体を尋ねた。
彼女は堪えきれなかったのか、嬉しさを爆発させた笑みを見せた。
テンプレートよろしくいつも同じ、ポスターによくあるような完璧な表情だった彼女。今や彼女は子供のような無邪気な笑みで、そして
「ストーカーの志木巡です。ビックリしました?」
とのたまった。いや、知ってたっつーか普通に分かるよ、こんだけ露骨なら。
思わず苦笑いが漏れた。
彼女はそんな僕の様子を知ってか知らずか、饒舌に喋る。
「友達といたら適度に聞き役話し役と立ち回り、仕事は速過ぎず遅すぎずミスはなし、上司の愚痴を聞き流して酔い潰れたら自宅に送り、落ちてる百円を見つけたら拾ってガッツポーズ。
私、貴方を何度か見かけるうちに一目惚れしたんです。なんてったって、『無個性は最大にして唯一の個性』を地で行く人に初めて出会えたんですから!!貴方は周りが今まで濃ゆい人ばかりで疲れきっていた日常に舞い降りた奇跡なんです!!」
これ、褒められてる?
彼女の中では最高の栄誉を与えられているみたいだけど、喜んでいいのか?
彼女は尚も続けた。
「私は貴方に愛していただこうなんておこがましいことは考えていません。ただ見守り続けるだけで良いのです。もし貴方のためにご飯を用意する方が出来たなら、私はここにご飯を作りには来ないようにします。それまではただの夕飯係だと思っていただいて構いません。もうそれさえも嫌だと言うなら、どうぞおっしゃってください。私は貴方の視界に金輪際現れませんから。」
嬉しそうな口調の自虐的な台詞。
自分がストーカーという犯罪者だと確実に自覚しているそれには純粋な僕への愛しか篭められていなくて、やはり恐ろしさなど感じられない。
それどころか。
綺麗な笑みと無邪気な笑み。
料理が上手いこと。
ただ一心に、見返りを求めず愛してくれる姿。
その全てに愛しさを感じた。
「……志木巡さん、だったよね?」
僕は心からの穏やかな笑みを浮かべていたと思う。
***
大葉とチーズを塩コショウを振った豚のバラ肉で巻いて、爪楊枝で留めて焼く。
こんがり焼けたそれは既にレタスをちぎって乗せている白磁の平皿に盛り付けて、ポン酢を少し垂らしておいて。
あとは味噌を溶くだけにしておいた、中身ワカメと玉葱の薄味味噌汁に仕上げを施し、茹でておいたほうれん草に胡麻ドレッシングを掛けて、買ってきた〆鯖を切って盛り付けておく。
もちろん炊きたてのご飯はちゃんとふっくら混ぜた。
あとはダイニングテーブルに運ぶだけとなった時、私はちらりと時計を見た。
夜七時ちょっと前。そろそろ、だな。
愛しの旦那様が帰ってくる!