第二話
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「おかあ、足の具合はどうだ?」
「そいがぁね、びっくりするくらい良いんだで。こんなこたぁ初めてだよ」
緒医の母――素音はにっこりと笑って、そして寝床の上で、足を少しばかし浮かして見せた。
「神様がうちにも来たんだ。お恵みをうちにもくださったんだ。おいらうれしいなぁ、うれしいなぁ」
緒医は素音に背を向けてそう言った。
「この調子じゃあ、明日にも歩けそうさ。本当にこれは私の足かぇ? ふふっ、信じられないねぇ。とっても嬉しいんだけどもさ、緒医が元気に生きてくれる方がわたしゃ嬉しいねぇ」
あぁ、でもこれで、いろいろ緒医の世話をしてやれる。もしかしたら買い物にも私が行けるようになるかもしれない。
素音は晴れやかな気持ちでいっぱいだった。
「おいらぁは大丈夫さ!」
緒医の声はいつもより大きくて、弾んでいた。素音はカラカラと声を上げて笑うと、何度も頷いた。
「あんたぁは元気よく生きそうだねぇ」
「そうさ、何の心配もねぇさ! おいら、ちょっくら外まで出てくるよ!」
気ぃつけてなぁ、という素音の声を背中で受け止めながら、緒医は走り出した。
両手をめいっぱい広げて、走り続けた。途中、何かに躓きかけたけれど、気にせず無我夢中で走り続けた。風を切るように、真っ直ぐに、緒医は走り続けた。
どうやら、神様は、この世の全ての光をおかあにくださったらしい。
なんて、なんて、ありがてぇことだ。それなのに――――緒医は悲しくて、苦しくて、仕方なかった。
おかあの笑った声を久しぶりに聞いた。でも、おかあの笑った顔を見ることは叶わなかった。笑った顔だけじゃない、これからずっと、自分はおかあの姿を見ることも叶わない。おかあだけじゃない、雨降り後の雫を着た草木や、真っ青な空をゆうゆうと泳ぐ白い魚、一生懸命な小さな虫たちでさえ――――緒医の世界には何もないのだ。
唯一、素音のあの笑い声だけが、緒医とこの世界を繋いでくれている気がした。
――瞬間、緒医の体はグラッと傾く。緒医は足元の何かに躓いて激しくすっ転んだ。緒医はあまりの痛みと衝撃にしばらくの間身悶えた。
「いてて、おいらの世界はひどく広いものになったなぁ。目の前が真っ暗なだけで、こんなにも広く感じるものかぁ?」
緒医の声は、相変わらず弾んでいて、楽しげなものだった。
飛ぶように走っていただけに、思ったよりも痛い。いろいろなところが痛かった。具体的にどこが痛いのかは、さっぱりわからなかったけれど――痛い。とにかく痛い。痛い。
緒医はゴロンとひっくり返って、あるはずの空を見上げた。あたりまえだけれど、そこにあるのは、ただの闇だった。
あーあ。
緒医はため息をついた。
……神様はちょっとばかし、意地悪だなぁ。
緒医は微笑を浮かべながらそう思った。