第1章3話.魔眼
Moon最外部・とある施設。
警報機が鳴り響く中、白壁で覆われた通路を1つの人影が通り過ぎた。その影の後ろを滑るよう大きくて丸い物体が走る。2つの影は颯爽と通路を駆け抜けるが、先を行く影が曲がり角の手前で突然、急ブレーキをかけ止まった。通路の壁に背中をつけ、角の端から静かに先をのぞき込む。
そこにはいたのは頭から足の先まですっぽりと布で身を包みこんだ2人の白装束。2人の顔の位置あたりには、五角形の盾の中にUの字形になった三日月を1本の柱が貫いている、何とも奇抜なマークが刺繍されていた。手元には手を出せる穴が空いており、2人とも杖のような細長い棒を持っていた。
「侵入者め、どこに行った?」
「Eブロックに現れたんだ、まだこのAブロックまで上がってきていないはずなんだが……」
2人の顔は完全に隠れているはずなのだが、まるで見えているかのようにキョロキョロと左右を見渡して、潜り込んだ侵入者の話をしていた。言葉の端々に焦りが見え、その侵入者がなかなか捕まらない様子が伺えた。
「おいお前たち、侵入者がCブロックに現れたとの報告が入った。向かうぞ!」
そこへもう1人、同じ白装束をまとった人物が現れて2人を連れて走っていく。それから間もなくして警報機の音が止んだ。
「――――はあぁ~~! 何とかダミーの方に行ってくれたわね」
話に聞き耳を立てていた侵入者本人は足音がしなくなったのを確認すると、その場に座り込んで息を吐く。軽口ながらも、どこか大人特有の妖艶さを醸し出した女性の声だった。
「私もう動けなーい、動きたくなーい」
『せっかくAブロックまで登ってきたんだ、ワガママを言うなよハニー』
両膝を抱えて丸くなり、ワガママを言う彼女。
そのすぐ横で機械のような駆動音を鳴らす大きな物体が、駄々をこねる彼女をたしなめた。低く渋い男性の声だが、人間の肉声とは違って人工的な声質だった。
「だぁって~潜るの大変だったし~、上がるのも大変だったし~」
『俺も一緒に行っただろう。それにコレを運ぶのは骨が折れるんだぜ?』
そう言って大きな物体は少し屈み、その上に縛りつけてある物を見せつける。それは大人1人分ぐらいの大きさの筒状ガラスケースだった。中は黄金に輝く液体で満たされている。
「なーに言ってんの、疲れないくせに……。大体、このブロックの解析も終わってないっていうのに、無闇やたらに動く方が得策じゃないわ」
両手をヒラヒラさせて自分たちの置かれた状況を説明する彼女。やる気なしの諦めモードに男の声は呆れるが、お構いなしに話を続けた。どうせこの言葉を聞けば機嫌は直るだろうと思ったからだ。
『――その解析がもし終わってる、と言ったら?』
「うっそマジで!? んもぅ、それならそうと早く言いなさいよ、ダーリン。大好きよッ!」
想定していた通り彼女の機嫌は1発で直り、大きな物体をバシッと叩いて抱きついた。
突然の事だったので、抱きつかれた方は危うく受け止め損ないそうになる。
『おいおい、あんまり大声を出してはしゃぐんじゃない。見つかってしま』
瞬間、彼女たちのいるブロックで再びけたたましい警告音が鳴り響いた。
呆気に取られた2人はお互いを見合わせた後、ゆっくりと通路に目を移した。
そこにあったのは天井から飛び出した1つの監視カメラだった。今度は壁に穴が空き、別の監視カメラが顔を出す。1つ、また1つとカメラは増えて行き、最終的には壁や天井の至る場所からおびただしい数の監視カメラが全てこちらにレンズを向けていた。
「見つかっちゃったじゃない! ダーリン、緊急脱出用ポット格納庫で検索!」
『はぁ、了解。――――検索完了、ナビゲートを開始する』
この状況に流石の彼女も慌てるかと思いきや、的確な指示を出すほどの冷静さを見せた。
男の声は見つかった原因が誰にあるなどといった無粋な事は言わず、理不尽な怒られ方をされた事に対しても文句が無い。まるでいつもの事のようにやれやれといった感じで命令に従い、格納庫の検索を終えて先行し始める。
警告音のせいでほとんど掻き消されていたが、後に続いた彼女はスキップしながら揚々と鼻歌を歌っていた。
「ダーリン、そっちはどうー?」
『もう少しだ、ハニー』
格納庫に到着した2人は、ポッドの起動準備を行っていた。彼女は外にあるコントロールパネルをいじりながら、ポッドの方に向かって大声で尋ねる。
格納庫の中には3つのポッドが並んでおり、その1番手前のポッドの扉が開かれていた。梯子と足場が設けられた搭乗口には電子パネルがあり、そこから伸びた数本のコードが大きな物体へと繋がっている。画面は光速に近いスピードで目まぐるしく変わってゆき、不可解な文字列が飛び交う。コードと繋がっているため動く事は出来なかったが、男の声は下で作業を続ける彼女に向かって答えを返した。目で追えないほど素早く動いていた画面が、横長の枠の隅で棒線が点滅を繰り返すページで止まる。
『ハニー、座標はどうする?』
「適当でいいわ。どうせすぐ向かえないだろうし」
『そういうのが1番困るんだが……暗号化はするのか?』
「それを私に訊く?」
『愚問だったな、すまん』
「暗号化に加えてAランクのプロテクトをかけてくれるなら許してア・ゲ・ル♪」
『俺をナメないでいただきたい。本当は最上級SSSランクプロテクトをお望みなのだろう、女王様?』
「あら、よく分かったわね。さすがダーリン♪」
『それほどでもないさ。さぁて、やるかな!』
暗号化された文字列が枠に打ち込まれ、作業が再開される。そのスピードは先ほどより格段に早く、オーバーヒートを起こして壊れてしまいそうな勢いだった。
『よし』
煙が出そうになる寸前で画面のスピードは段々と遅くなってゆき、プツンという音と共に電源が落とされる。繋がっていたコードが全て外れ、ポッドの扉が堅く閉ざされた。
自由に動けるようになった男の声は足場から下を覗いて彼女の様子を確認する。
『完了だ、ハニー』
「こっちも……これで、よし!」
作業が完了した事を伝えると同時に彼女の方もパネルの中でも一際大きなボタンを押した。
ブザー音が鳴り、ポッドの1番奥にあるハッチが音を立てながら開き始める。
空気が外に向かって流れ出そうとするが、ハッチのそばに設置してあった機械から水のように透明な膜が撃ち出され全体を覆った。
開かれたハッチの向こう側には広大な星空と青々と輝く惑星。2つが丁度中心で分かれており、宇宙の壮大な光景を作り出していた。彼女はその光景を見てウットリとする。
「綺麗ね」
『ああ。それにしても、さすがだな』
「これくらい朝飯前よ、だって私はてんさ」
「いたぞ、侵入者だッ!」
格納庫に1つしかない出入り口の方から声を上げる数人の白装束。
せっかくの雰囲気をブチ壊された彼女が不機嫌そうに顔を向ける。
出入り口に固まり、侵入者の逃げ場を塞いだ彼らは手に持っている杖を一斉に振りかざした。するといくつもの白い光弾が空中に現れ、彼女に向かって襲いかかった。
「フフフ、ざーんねーん♪」
危機的状況であるにも関わらず、その場から1歩も動かずにただ不敵な笑みを浮かべる彼女。余裕なのには理由がある。何故なら彼女には有能で忠実な騎士がいたからだ。
瞬間、大岩でも落ちてきたかのような衝撃を伴って両者の間に割って入ったのは、あの大きな物体。大きくて青色に輝く1つ目をグルンと動かし、自分と彼女の正面に青色の半透明な六角形の壁を展開した。
放たれた光弾がその障壁に衝突すると、その全て無効化される。
ピンチに駆けつけるその姿はまさに騎士。
「なっ……!」
『殺らせねぇよ。俺の大切なお姫様はな』
「私って女王なの? それとも姫なの?」
『ハニーはどっちが好きなんだ?』
「どっちも好きだけど、1つじゃ物足りないわ」
『フッ、だろうな』
連続射出される光弾を全て防ぎながら悠長に会話を楽しむ2人。
1度だけ光弾が軌道を変えて障壁の無い左右から攻めてみたものの、当たる瞬間に別の障壁が現れて防がれる。おまけに上部と後方にも障壁の展開を許してしまい、絶対防御を完成させてしまったのだ。
それにしても見事な眼中にないっぷりである。時々、笑い声さえ聞こえてくる始末だ。
その余裕過ぎる態度が癪に触ったのか、白装束たちの闘争心をさらに燃え上がらせてしまった。
「ぬうぅ~ッ! 何をしている!! 最大出力だ、最大出力で攻撃しろ!!」
『おっと、ちょっとマズいぞハニー。頼んだ』
「オ~ケ~♪ それでは、いってみましょう! 確立は3分の1、果たして貴方は見つけ出す事が出来るのか!? 1名様、地球へごあーんなーい♪」
司会者の如き高らかな謳い文句を言い放った彼女は、ポッドの射出ボタンを押した。
地面が揺れたかと思ったらポッドのシステムが起動し、外装が輝き始めて動き出す。しかしそれは1つではない、3つ全てが一斉にだ。Moon内の空気を逃がさないよう作り出された透明な膜をすり抜け、宇宙へと放り出される。赤い炎に包まれて、それぞれが別の方向へ落ちていく。
行きつく場所は違えど、落下した先がどこなのかは誰が見ても一目瞭然だった。3つの光の行き先は惑星地球、そしてその星に存在するただ1つの大地、名はGaia。
★☆★☆★
1時間前・Gaia・極東の豪遊都市ジャルバ。
都市の中心に密集して作られた巨大カジノが、明かり1つない周辺の荒野を照らしていた。
空には砕かれた事により地球との引力バランスが崩れ、より大地に近づいた大きな月と人類の英知を集結させて完成した巨大人工衛星のMoon。
天から降り注ぐ黄と白の光は、とあるビルの屋上で街の様子を眺めていた人物の姿をはっきりと映し出した。闇に溶けそうな漆黒の髪と瞳、背中に大きな一つ目の刺繍入りコートを着たその男性は、冬ならば白い水蒸気に昇華しそうなほど暖かい溜息を吐く。若く整った顔立ちに大人と変わらない身長、細そうに見えて以外と肩幅があり、良い体格をした人物だった。
彼は服の内側から小さくて丸い端末を取り出して指で弾く。弾かれた端末は空中で分裂し、小窓ほどのホログラム画面が現れた。指先で画面を操作していゆき、1つの項目を選択する。ホログラムが消え、1つに戻った端末を耳の中に入れた。
『はぁ~い』
3コール鳴る手前で音が途切れ、端末から声が聞こえた。相手は女性を思わせるような艶やかさを帯びた口調だったが、その声は間違いなく男性の物である。その相反する2つの特徴が融合してしまった結果、1番適切な言葉は何かと考えると、それは“不気味”だった。
その不気味な声をダイレクトに聞いているのだ、男の眉間にしわが寄るのも無理はない。
「俺だ」
街の賑わいに目を向けながら言う男。若々しい声だが、随分と落ち着いた声だった。口元にはマイクも何もないというのに声は向こうに届いているようだ。
『ア~ラ、オキナちゃんじゃない。どうしたの?』
“オキナ”と呼ばれた男は正面を見て目を細めた。目線の先にはここより少し離れた場所にあるビル。現在位置よりももっと高い高層ビルだった。
「依頼の確認を頼む、ミロン」
“ミロン”と呼ばれた彼女(?)は少し黙った後に言葉を繋げた。
『今回の依頼のターゲットはディール商会の総裁トーマス・ディールよ。慈善事業に力を入れてきた企業として有名だったけど、最近財政難に陥ったらしくてとうとう武器商に手を出しちゃったらしいワ』
「マフィアの本分である武器商に手を出したがために目を付けられた、か」
『ンフ♪ 美味しそうな獲物を横からかすめ取っていくようなイケナイ子は、オシオキされて当然よねぇ?』
「やめろ気色悪い。お前に耳元で囁かれると背筋がゾワッとするんだよ」
『乙女に向かって気色悪いとは何よッ!? 大体アンタは』
面倒な事になる前にオキナは耳にはめ込んだ端末を軽く叩いて容赦無く通信を切り、取り外して懐にしまった。次に小型の望遠鏡を取り出し、ビルの裏口の様子を伺う。
「――ここから裏口まで約300メートル。見張りは……3人か」
彼はそう呟くといつの間にか片手に持っていた、右目部分だけくり貫かれた黒い仮面を顔に装着する。仮面の左側には金色の瞳が描かれていた。
虚空いっぱいに両手を広げると淡い夜風がショートカットの黒髪とコートを揺らした。雲1つ無い晴れ渡った空から月の薄黄色とMoonの白色の2色の光が世界を照らす。
「さぁ、物語の始まりだ」
ビルの端から両足を揃えて1歩前に飛ぶ。建物の間の暗闇がそれを迎え入れた。
ディール商会・本社裏口。
錆びれたオレンジ色の外灯の下で手にマシンガンを持った黒服の男が3人、裏口を守りつつ周囲の警備を行っていた。時々、目配せをして異常が無いかを確認し、それぞれがまた自分の持ち場へと戻っていく。
通路は3つ、左右と正面のT字路だ。裏口の真上にしか街灯はなく、月とMoonの光すら届かない路地裏の先は人間の視力では暗闇としか例えようのない視界の悪さだった。
物音1つない静寂の世界。ネズミの足音も聞こえないそんな夜に、それは突然訪れた。
「ぐあっ!」
「!」
右側の通路を担当していた男が短い悲鳴を上げる。
他の通路の2人が声のした方へ振り返ると、そこには額に1本の短剣が突き刺さって死んでいる男の姿があった。
「し、侵入者だ! お前、中に行って応援を呼べ!」
「は、はい!」
ただなぬら気配を感じ、左側の通路にいた男に命令を下す。
それに従い、裏口の方へと走り始めた瞬間、今度は左側の通路からワイヤーらしきものが伸びてきて男の喉に巻き付いた。
「うぐっ、あああああああああ――――あぁあ――あ゛!!」
男は何とかして解こうと試みるが、たるんでいたワイヤーがピンッと張ってしまい、体制が保てずに倒れてしまう。首元を押さえたまま悲鳴と共にズルズルと闇の中へと呑み込まれ、完全に姿が見えなくなった途端に声は消えてしまった。
「くっ、そおおおおおおおッ!!」
最後に残った男は仲間が消えていった通路に向けて銃を乱射する。
だが襲ってきた相手が死んだとは思っていなかった。何故なら銃弾が命中した時の音が全て無機物に当たった時のそればかりだったからだ。
周囲から聞こえてくる物音に耳を澄ます。排水口から滴り落ちる水、吹き抜ける静かな風、そして遠くから駆け足で近づいてくる足音。正面からだ。
男は顔に恐怖の色を浮かべながら、震える手で正面の通路に銃口を向けた。
「――!」
暗闇から現れたオキナ目掛けて銃弾を放つ男。
弾丸は服を掠めるはするものの、当たらない。確かに自分は相手に向けて攻撃をしているはずなのに、まるで弾の方が避けてるみたいだった。不思議な光景に男はますます混乱する。
狼狽えて攻撃が途切れた一瞬の間をかいくぐり、オキナは通路の両壁を蹴って飛んだ。
「うわ、うわあああああ!」
自分目掛けて落ちてくるオキナに向けて男は錯乱混じりに銃を乱射するが、やはり銃弾は周囲の建造物や排水口にしか命中した様子しかない。
「う゛っ!!」
モタモタしている間に斜め上から降ってきた膝蹴りが顔面にクリーンヒットし、男は倒れた。続け様に口の中に異物を押しこまれる感覚が彼を襲う。それが何なのを確かめるため眼を開く。
確かめるなんて行為しなければ楽に逝けたものを、とオキナは思った。
その瞳が映したのは、自分の上に馬乗りになった悪魔の姿と悪魔の仮面に空いた黒い右目に映った自分の姿。そして最期に、自分の口の中に銃口が押し込まれている光景だった。
「!!!」
サイレンサー付きの銃と言う物は便利で、風船が弾けた時よりも小さな音で1つの命を消す事が出来る。無論、距離の関係もあるのだろうが、裏路地で空き缶が転がった音を誰も気にとめないように、それはその夜鳴った『1つの小さな音』で片づけられてしまうのだ。
オキナは立ち上がると、膝蹴りを食らわせた時の衝撃で吹き飛んだ男のカードキーを血だまりの中から拾い上げる。血の付いたカードキーを片手で振って、裏口の近くに付いているカードリーダーに差し込んだ。
小さなランプが赤から緑に変わると、カードリーダーの下に0から9までが描かれた液晶画面が現れた。
カードキーを抜き取るとへし折って後ろへ投げ捨て、懐から1枚の白くて小さなメモ書きを取り出した。
「えーっと番号は、3608524719と」
10桁の暗証番号を入力し終えると緑のランプが消え、裏口のロックが解除される音がした。
「流石、ミロンだな」
暗証番号の書いたメモ書きを片手で丸めると、左手首に仕込んであったライターを器用に点けた。メモに火をつけて外に投げ捨ててから扉の中へと入っていった。
破壊されたオレンジの外灯が火花を散らし、メモに点けられた小さな炎も除々にその光を失っていった。
ディール商会・1階のとある小部屋。
つり下げられた1つの白電球が白壁の部屋全体を淡く照らしていた。部屋の奥には数々の種類を揃えた酒が戸棚に並び、その手前にある長机には大音量でロックミュージックを鳴らすオーディオが置いてあった。壁にはダーツ盤が設置されて、音楽をのぞけばバーさながらの光景である。
長机の他にももう1つ円卓があり、4人の男たちがそれぞれ対角線上に座っていた。円卓の上には酒と山積みになったトランプがあり、男たちは自分の手札と睨み合いを続けている。全員の手札が揃い、一斉に円卓の上に置いた。
「チッ、またワンペアか」
「ツーペアッス、運ないっスね~」
「――フラッシュ」
「残念だったな、俺はフルハウス」
出入り口側を背にして座っている首飾りをした白人の男は、そう言って机に置いてある金をかき集め、ポケットへとしまった。
「そういえばさっき、何か裏口の方で音がしなかったか?」
右隣に座っている片目に傷のある肌の色が他の3人よりも黒い男が誰にという訳でもなく尋ねる。
「ええ、確かに銃声みたいなもんが聞こえたっスね」
部屋の1番奥側に座っている首飾りの男と同じ白人の、まだ若い男が自分の手札を苦い顔で見つめながら答えた。
「大方、ネズミでも見つけたのであろう」
左隣に座っている着物の細身で黄色の肌をした男が落ち着いた雰囲気で言った。
「まぁ、何かあったとしても外の奴らよりかは私たち用心棒の方がずっと役に立つだろから心配はねぇだろ」
首飾りの男は一通り自分の手札を眺めてからノーチェンジのままカードを伏せ、そう言って笑う。その言葉を聞いて他の3人も口元を緩ませた。
この豪遊都市ジャルバはGaia一と言って良いほど治安の悪い街であり、犯罪が日常茶飯事化していた。当然、警察が全てを処理出来るはずもなく、自分の身は自分で守れ、というのがこの街での暗黙のルールとなっていた。豪遊都市と呼ばれる由縁である巨大カジノを中心に建設されたこの街に目を付ける会社は少なくはない。
そこでジャルバに事業をかまえる会社のほとんどが彼らのような用心棒を雇っているのだ。会社を守る代わりに報酬を貰う、このシンプルなスタイルが評判を呼び、力に自信がある者が用心棒に転身するという話は珍しい事ではなかった。
力や権力を持った者がのし上がり、弱い者は一生日の目を見る事が許されない。弱者を虐げ、強者が生き残る弱肉強食の世界。それが一般人からは見えないジャルバの闇の部分であった。
「そういえば、魔眼の話って聞いた事あるか?」
首飾りの男は他の3人がまだ手札と睨めっこをしているのを見て、それをニヤニヤと眺めつつ、腕を組んで話し始めた。男の言葉に両脇の2人は眉をピクッと動かす。
「魔眼? なんっスか、それ?」
唯一、若い男だけが聞き覚えがないといった表情で首を傾げつつ、1枚の手札を捨てる。
その言葉に3人は唖然とした顔で口を開け、若い男の方を見た。周囲の反応に気付いた彼は逆に驚き、1人1人と顔を見合わせた。首飾りの男は小さく息を吐いた。
「そうか、お前はまだ用心棒になってまだ間もないから知らなくて当然か」
「魔眼っつーのは、俺たちのような用心棒の間じゃ有名な奴の話さ」
片目に傷のある黒人が手札を伏せ、片手を上げて言葉を繋げた。
「奴、て事は人間なんスか?」
いつの間にか全員がトランプをテーブルに伏せ、話に聞き入っていた。
「人間らしいが……化物みたいなものだ」
細身の男はアゴに手を当てて、少し渋ってからそう言った。
「――?」
「噂によると黒い服に黒い仮面とどこまでも黒い姿をしていて、奴を見たほとんどの者が殺されるらしい」
「プッ、そんなお強いお方の通称がどうして“魔眼”なんスか?」
あまりにも信憑性の低い情報に、魔眼を知らない若い男は肩を震わせながら尋ねた。首飾りの男は手招きをして3人にもっと近くに寄るよう促す。
「どうやらソイツは……月光を持ってる、らしいんだ」
その言葉を聞いた途端、4人が一斉に吹き出した。あまりのおかしさに、若い男は椅子ごと後ろへ倒れそうになる。
「月光って! Gaiaにとっては絶滅器具種的な奴がそんじょそこらにいる訳ないじゃないっスかー!」
「だよなぁー! この話はいつ聞いても笑えるよ、ははははは!!」
男たちが馬鹿にしたような笑い方をするのには訳がある。月光、という言葉が原因だ。
月光、数百年前に破壊された月の破片である月の石という鉱石が地上に降り注ぎ、その鉱石の放つエネルギーを浴びて突然変異した人間が持つ力の総称である。月光を持った人間は様々な力を行使する事ができ、中には強大な力を持つ者もいた。
しかしその力の危険性故に地球政府によって厳しく管理され続け、Moon完成後はMoonの管理下へと移行したのだ。なので、現在ほとんどの月光を持った人間はMoonで暮らしているというのが世間の一般常識となっている。
故にその魔眼と呼ばれる人物がGaiaに実在している事実自体が疑わしく、ましてや月光持ちであるという情報はあまりにも荒唐無稽であり、信じろという方が無理な話であった。
しかし、そんな笑談で終わろうとしていた話は、すぐさま笑えない話へとその姿を変貌させる。
「ははははは――――は?」
若い男は笑いすぎて涙目になった目元を拭い、正面を見る。
明かりがなければ闇に紛れてしまいそうなほど真っ黒なコートに身を包んだ人物が1人。首飾りの男の肩越しに映る出入り口付近に両腕と頭を力無くダラんとさせて、いつの間にか立っていた。まるで突然忍び寄る影のように音も無く、この世の者ではない幽霊のように気配無く、目視するまでその存在がそこにある事に気づけなかった。
背筋が氷河を当てられたかの如く冷たくなる。何も知らなければ、こんな背筋が凍るような思いはしなくてもすんだ。しかし彼はつい数秒前に知ってしまったのだ。黒き衣と仮面をまとった殺し屋オキナ。通称、魔眼。
魔眼が銃を持った右腕だけをゆっくりと上げる。若い男はあまりの恐怖に喉を詰まらせ、呼吸が出来ないでいた。
「ま、まままま、まが!」
「? どうし、だッ!?」
首飾りの男は若い男の様子がおかしい事に気付き、後ろを振り返ろうとした次の瞬間、頭を撃ち抜かれていた。
間髪入れない素早い攻撃に、3人は何が起こったのか分からず、ただ呆然とその光景を見ている事しか出来なかった。両脇の2人もようやく敵の存在に気付くが、相手のその姿に戦慄を覚える。
オキナがうなだれていた顔を上げた刹那、部屋の中を無数の刃が通り過ぎたかのような恐怖が走り抜け、その後に3人の体はようやく震えから解かれた。
「誰だてめ゛!!」
目に傷のある黒人が真っ先に立ち上がって腰に携えてある銃に手を伸ばそうとした瞬間、彼の頭は本来あるべき位置にはなく吹き飛ばされていた。
オキナの手には首飾りの男を殺した銃ではなく、両手持ちのショットガンが握られており、黒人の首の付け根を正確に撃ち抜いていた。
先ほどまで一緒にポーカーを楽しんでいた仲間の頭部が、自分の足下に転がっている惨劇を目にし、用心棒になって間もない若い男は初めて死の恐怖を感じた。
一方、細身の男は生まれた一瞬の隙を逃すまいと、円卓を奥の方へと倒して若い男を隠し、自分は椅子ごと後ろに倒れて地面を転がった。
ショットガンが男に狙いを定めるが、地面に一定間隔の穴が開けられるだけで命中する事はない。
「でぇやぁあああ!」
細身の男は回転していた体を捻って低い姿勢で止まると、突進と同時に腰に携えてあった長刀を抜き放ち、切りかかった。
ショットガンを仕舞い、降り懸かる凶刃をまるで舞うかのように避けるオキナ。避け続けている途中、懐からまた銃を取り出すと何もない壁に向けて1発の弾丸を放った。
円卓の影に隠れている若い男は震える手で黒人の頭をどかし、急いでマシンガンの準備をしていた。
「で、でき、ぐがッ!」
ようやくマシンガンの準備が整った男が、円卓の後ろから顔を出して狙いを定めようとした瞬間、壁に向かって放ってあった弾丸が跳ね返り、頭部の右斜め上に命中した。
「チェストオォォォォ!!」
細身の男はオキナの脳天めがけて得物を振り下ろす。
しかし銃をしまうのと同時に取り出した小刀によって、攻撃は防がれてしまう。2人の間にぶつかり合う甲高い金属音が連続で鳴り響く。両者一歩も引かない攻防だった。
「チッ!」
埒があかないと思ったのか男は焦り、一端距離を置こうと後ろに飛んだ。だがその一瞬の判断がミスを招く。
「――なっ!?」
男が後ろに飛んだのとほぼ同時に、オキナは右手首に仕掛けてあったワイヤーを放ち、男の首に巻き付ける。そのワイヤーを両手で掴み、力一杯に引いた。
「ぐっ、おおおお!」
男になす術は無くワイヤーに翻弄された体は、オーディオが置いてある長机と酒が並べてある戸棚の方へ放り投げられた。
部屋全体に響きわたっていたロックミュージックがパタリと止む。激しい戦いだったのにも関わらず、長机と戸棚以外は壊れておらず、銃による弾痕はオキナの放った一発のみだった。それよりも至る所に飛び散った血液の方が印象として強い。
オキナはワイヤーを引いて手首に収めると、首飾りの男の服を物色し始めた。
「――お、これだ」
唐突に声を上げたオキナは男の胸ポケットから見えているカードに手を伸ばす。
「コレが無いとエレベーター使えなくて面倒なんだよな~」
彼が見つけたのはこのビルのエレベーターキーであった。部屋の惨事に似合わない気の抜けた声で独り言を言い、カードを抜き取って立ち上がった。カードを指で弾きながら軽い足取りで出入り口へと向う。
部屋を後にしようとする彼の後ろで、1つの影が静かに動いた。その正体は瓦礫の下敷きになっていた細身の男だった。彼は投げ飛ばされた衝撃で気絶していただけであり、オキナが物色している間に瓦礫の中から這い出ていたのである。
男は額から血を流しながらも自分の得物である長刀を地面から拾い上げ、なるべく音を立てないよう静かにオキナの死角である真後ろにつく。長刀には少しばかりのヒビが入っていたか、まだ十分に人を殺傷できる代物であった。血走った目を見開き、口元に勝利を確信した笑みを浮かべながら男は真っ直ぐにその一撃を振り下ろした。
「う゛っ……!」
短い断末魔と共に新たな血飛沫が部屋を染める。しかしその声の主はオキナではない、細身の男の方だ。
完全な死角からの攻撃。それなのにも関わらず、先に攻撃したのはオキナの方だった。
彼は顔も向ける事なく、右手で取り出した銃を肩の上に置き、1発の弾を放っていた。その1発が丁度ヒビの入っていた箇所に当たって長刀を破壊し、その弾道のまま男の大きく開いた口の中へと吸い込まれていったのだ。
彼は何も言わず銃をしまうと部屋を後にした。ユラユラと電球が揺れる部屋の中、何かが倒れる音だけが最後に鈍く響いた。
その男はディール商会ビル最上階の大きな部屋にいた。
壁には豪勢な赤と金の装飾が施され、商談などの席でよく見かける対になったソファと長机が、男の座っているデスクの前にあった。左側の壁は一面ガラス張りであり、眠る事を知らないカジノの光が夜の街を一層煌びやかにしていた。
男の風貌は金髪に整えた髭と青い瞳、外見からして年齢は三十代から四十代あたりの中年だった。しかし中年と言っても引き締まった体に薄茶色のスーツがよく似合う、いわゆるナイスミドルというやつである。
彼は火のついた葉巻を片手に持ちながら、デスク上のホログラム画面を無言のまま見つめる。眉間にシワを寄せたその表情は、酷く思い悩んでいるようだった。
時計の針が動く度に刻む規則的な音だけが延々と部屋の中で木霊し、時間だけがただただ過ぎ去ろうとしていた。すると不意に正面の大扉が音を立てて開き始めた。
「!」
軋みながらも開かれていく大扉。男はノックも無しに開いた扉に違和感を覚え、ホログラム画面を閉じて葉巻をもみ消した。
「夜分遅くに、どーも」
「――!」
開いた扉の奥から現れたのはオキナだった。
右目だけ空いた黒い仮面に赤い飛沫痕のあるコート、という異様な姿を目にした男はとっさの判断からデスクの引き出し裏に設置してあるボタンに手を伸ばそうとする。
「おっと! 両手は椅子の上に……」
しかしボタンを押すよりも早く、右手に持っていた銃を男に向けるオキナ。右脇腹あたりを負傷したのか、左手でその部分を押さえていた。
身動きがとれなくなった男はデスク下に伸ばしていた手をゆっくりと引っ込め、促されたように両手を椅子の肘掛けに置いた。
「ディール商会、総裁のトーマス・ディールだな」
オキナは銃の照準を男に合わせたまま動きだし、商談席を横切ってデスクの前で止まる。お互いの顔がはっきりと見える至近距離、といっても一方は仮面で顔を隠しているため、確認しようにも出来ないのであるが。
「いかにも、私の名はトーマス・ディールだが……そういう君はドコのダレだい?」
男は投げかけられた問いに答える。彼が今回のターゲットであるトーマス・ディールその人であった。
しかしそのトーマスはなんと自分の額に銃口が向けられている状況なのにも関わらず、逆に質問を投げ返したのである。
「別にドコのダレだっていいだろ? まぁ強いて言うならば“今日の物語の主役”ってトコロだ」
「自分で自分を主役だと主張するのか。大した自信だな」
トーマスは皮肉を込めて言い、鼻で笑う。動じないその姿勢はさすが総裁、と言った所だった。
しかしそんな彼の態度を見て、オキナは違和感を覚える。銃を突きつけられているという日常とは無縁の異常状態であるにも関わらず、動揺の色1つ見せないのは逆におかしくはないか、という事だ。まるで静かな湖面のように穏やかだ。
「どうして俺が来たのかは訊かないんだな」
それにもう1つ違和感はある。経験上、常人ならば予期せぬ来訪者が来た場合、まずはその予期せぬ来訪者に“何者か”を問う。これは聞かれたからよしとする。
だが常人ならば次にこう思うはずだ“何故やって来たのか”。銃を突き付けられている時点で殺しに来ているのは明白なのだが、人間というものは理由がなければ納得しない生き物であるため、その訳を知りたがるはずなのだ。何故、自分が殺されなければならないのか、これから死ぬ奴に話しても無意味だといつも思うのだが、それが普通の人間だ。
しかしこの男にはその2問目が無い。これは明らかに何かある。
「私はこれでもこの会社のトップだ。自分の行いには責任を持っているつもりだよ、主役君」
トーマスは相変わらず椅子に腰掛けたまま、銃口を向けるオキナを睨んで笑った。
なるほど、察してくれたのか。流石は総裁と呼ばれるだけの事はある。強気な態度やほんのりと感じるカリスマ性は確かに企業のトップにふさわしい人物像だ。
「潔い事で何よりだ。それじゃあ最後に、1つだけ質問がある」
「――なんだね?」
「“ツクヨミ”という言葉に聞き覚えはあるか?」
今までの軽い口調とは打って変わり、落ち着いた、そして若干の凄みを含めた言い方で尋ねた。静かな脅し、と言うのが1番的を射た表現だと思われる。
(ツクヨミ……?)
目線をそらして考える素振りをみせる。トーマスの額から一筋の汗が流れた。
「あ、ああ、知っているよ」
しかし彼はすぐに目線を戻し、笑顔でその問いに答えた。
「ほ、本当な――――!?」
まさかの答えに冷静さを失ったオキナは身を乗り出して追及しようとする。しかし自分の背後に何かの気配を感じ、言葉を中断したのだが遅かった。
一瞬の隙を見逃したりするほどトーマスは鈍い男ではない。彼は生まれた隙を利用して、両腕をのせている椅子の右肘掛けの先を指先で軽く叩く。すると商談席にある長机の中心から一瞬の内に機械銃が現れ、自身を殺しにきた男の背中に照準を合わせた。
(隙を見せたな、馬鹿めッ! その機械銃は自動照準に加え、照準設定から弾の発射まで1秒もかからないMoon製の機械銃だ。貴様は振り向くこともままならず死)
1発の銃声が鳴り、オキナの体が揺らいだ。
勝利を確信したトーマスは安堵の溜息を吐き、首元のシャツのボタンを1つ外した。つい先日、多額の金をはたいて強化したセキュリティがこんなに早く役立つとはと考えつつ、悪どい笑みを浮かべる。
そんな彼にとってはただの、そして一般的なイメージでしかない殺し屋“だった”物の後ろから現れた機械銃は――――破壊されていた。
「!!」
夢を見ているのかと思った。それほど目の前で起こった現象は不可解であり、理解に苦しむ物だったからだ。この耳に聞えた銃声は確かに1発だけ。その銃弾1発だけで確実にこの殺し屋を殺ったと思っていた。
なのに殺されたはずの人間は身体を傾けたまま相変わらず額に銃を向けて立っている。そのまま動かない。奴は倒れない。
(ま、まさか……!)
オキナが脇腹を押さえていた左手をスッと取り出すと、その手にはもう一丁の銃が握られていた。
つまりはこういう事だ。彼はあらかじめ部屋に入る前から左手で銃を持ち隠し、わざわざ機械銃の照準に入るトーマスの前まで移動した。そして現れた機械銃の攻撃よりも早く銃の引き金を引き、コートを突き破った弾丸が機械銃を破壊したのだ。
だがそんな事は不可能に近い。たとえ卓越した反射神経を兼ね備え、幾重もの偶然が重なったとしていても限りなく不可能に近いのだ。第一、いくら反射神経が良くても、人間の神経では対応出来ないよう早さを計算して作られた機械銃である。それに偶然もこれだけ重なってしまっては成功する確率が天文学的数字と化してしまい、それはまさに奇跡と呼ばれる現象に昇華してしまうのだ。
つまりは最初から機械銃の存在と性能を見破っていなければ出来ない芸当という事であり、もしそれが本当ならばトーマスの敗北は戦う前からすでに決着していたと言う事になるのだ。
「ああ」
彼はこの時、今日ここにきた来訪者が、ただの来訪者でない事に気が付いた。
ヒントはいくらでもあった。新しく雇った4人の用心棒、Moonから取り寄せた最新式のセキュリティシステム、それを突破してここに来たのだ。普通の殺し屋のはずがない。しかし、残念ながら気が付くのがあまりにも遅すぎた。
「お前も……」
オキナはフリーになった左手で黒髪をかきあげる。その下から現れたのは黄金。先ほどまでは確かに夜のような漆黒の色だった瞳が、まるで満月であるが如く金色に輝いていた。
落胆と憂いに沈んだ瞳が、すでに遊べなくなった玩具を見るような冷たい視線を向ける。
持ち前の察しの良さが災いし、それが何を意味しているのかトーマスは理解してしまった。用済み、分かりやすく言えば“死の宣告”である。
「知らないんだな」
「ば、ば、ばけも゛ッ!」
脱力した腕が弾丸を発射した衝撃で大きな円を描く。顔に返り血が跳ねたが、気にせずに銃を腰のホルダーに戻した。
トーマス“だった”物の額の弾痕から一筋の血が流れる。
物言わなくなった人形に、オキナはやれやれと首を振った。
「はぁ……」
酷く落ち込んだ様子で踵を返すと扉の方へと向かう。部屋を出る1歩手前で一通り中を見通した後、自分が殺したターゲットを一瞥して彼は足早に部屋を出た。
ディール商会・屋上。
オキナは屋上の隅の方に寄り、少し肌寒い風にコートをなびかせながら空を見上げる。仮面を外し取って懐からミロンと連絡を取り合っていた端末を取り出した。1回叩くとポンと音と共に光り、首筋が凝ったのか首を回しつつ耳の中に端末を入れた。
『はぁ~い、ごぉめんなさいね~今日はもういっぱいなのよ~』
また3コールもしないうちに相手が出る。ドスの利いた男の声であるのにも関わらずまるで乙女のような口調、相手はまたミロンだった。
彼女は酔っ払っているらしく先ほどよりも声のトーンが1段高くてとても陽気だった。1段高いと言ってもやはり男の声、不気味さがより一層強まっただけである。
オキナが顔をしかめたのは言うまでもない。
「俺だ」
『なんだオキナちゃんか。早かったじゃない』
ミロンは相手が誰なのか分かった瞬間、上機嫌だった軽口を止めて素面に戻ったような落ち着いた口調に変わった。向こう側からは彼女の他にも人が大勢いるようで、ガヤガヤと度々雑音が入り交じっている。言葉の最後にちょっと待ってと付け加えたので数秒の間待っていると、ガチャンと扉が閉まる音と共に雑音はピタリと止んだ。
外に移動したな、と思った。
『――それで、結果はどうだったのかしら?』
それから間もなくしてライターを点火した音が聞こえ、一呼吸置いてから彼女は問いかけてきた。
「依頼は果たしたが、ダメだった」
ふぅ、と彼女が向こう側から深く息を吐いた。
オキナは相変わらず空を見上げてMoonと月を交互に眺める。今日はやけに月の方が輝いて見えるな、と思った。
『アンタも大変ね。もういっそのコト、諦めちゃったらどう?』
「怒るぞ」
冗談混じりの提案をするが、答えた彼の声は明らかに怒気を含んでいた。無論、言い方からして冗談なのは分かっているため、こちらも本気にはしない。ただ少し冗談が過ぎているだけだ。
『分かってるわよ。けど、アンタのやってるコトってホント地道よねぇ』
「それでもいつドコに手がかりがあるか分からないだろ? だから俺は――――ん?」
自分の信念について力説し始めようとしていたオキナは、Moonの方で何か光ったのに気づいて目を向けた。
(何だ? アレ……)
『? どうしたのよ?』
彼女の問いかけを無視し、オキナは夜空に目を凝らす。
Moonの方角に3つの星のような光が見えた。Moon自体の発光が邪魔をしてその小さな光を見失いそうになったため、額に横一文字に手を置いて影を作る。
3つの内2つは頭上を通って西の方へと消えていったが、残りの1つの光は消える事なく、逆に輝きを増しながらこちらへ向かってきているのがのが分かった。黄金の尾を引き赤い炎まとったそれは魔物の唸り声のような低い音を発する。段々と近づいてくるその物体が流星や隕石の類じゃないと直感的にそう感じた。
(Moonからの廃棄物?……いや、宇宙船だ!)
『ちょっと、聞いてるの!? もしもーし、オキナちゃあーーあああああああああ!!??』
直感で危険を感じ取ったオキナはとっさの判断でビルの縁にしがみ付いた。彼の予想通り地面が揺れ始め、地上の方で人々が騒ぎだした。
もの凄い速度で落下してきた宇宙船は、街のすぐ近くにある荒野へとついに墜落した。墜落の衝撃がより大きな地響きとなり、街全体を大きく揺れ動かした。
『火ィ! 火が服の中にいいぃぃぃッ! アチ、アチ、アッチ゛イィィィ!!』
耳に取り付けっぱなしの端末からはミロンが1人で何か騒いでいる様子が伺えたが、今はそれどころではなかった。
揺れが完全に治まり、安全を確認してからオキナは立ち上がって落下地点を見た。この場所からだと運良く、その一帯を見渡す事が出来そうだった。
炎と黒雲が立ち上り、辺りは焼け野原と化している。
夜の間であっても明かりの絶えないジャルバがさらに明るく、光り輝く。大勢の人々の動揺と混乱。
だがそんな声は一切耳に入ってこない。なんてったってこんな事は初めてだったからだ。事件が日常茶飯事かしているジャルバといえど、Moonからの贈り物なんて前代未聞。
突然、Moonから飛来してきた黄金の尾を引く宇宙船。
明日の新聞の一面が十中八九何になるのかを予想しつつ、何か新しい事が始まったと、オキナは感じていた。