1章-9 ファマグスタの長い1日 ④
月がその麗しい姿を隠すことで生まれた漆黒の闇の中、二艘の舟がゆるゆると湖水を掻き分け進んでいく。
一艘は不条理を。もう一艘には道理を。全く逆の思惑を乗せた舟は距離を取りながらも同じ方向に向かっていった。
そんな2艘の舟に対し、湖面には先程から厚い霧が重く立ちこめ、それぞれの思惑を乗せた舟を隠すように包み込み始める。
だが、注意してみると霧が不自然に発生しているのが見て取れるだろう。まるで何人からの干渉も拒絶するかのように。霧は白い闇となり舟を、湖面を、墨を刷いたような世界の上を更に深く塗りつぶしていった。
シェハラザードを乗せた舟が出港したのを確認し、気付かれないよう十分な間隔をおいてから港を出て直ぐだった。
辺りを濃霧が立ちこみ、あっという間に白に覆い尽くされてしまった。あたしはずっと聴こえている鈴の音でシェハラザードがどこに居るのか判別が利くが、普通の人は直ぐ方向をみうしなってしまう。
あたしの不安気な様子に気付いたのか、同船しているロイの部下達が心配するなと声を掛けてきて、この霧がロイの仕業であると説明を始めた。
ロイは【火炎】の上級魔道陣である【紅焔】の使い手である。【火炎】が炎その物の形状を変えたりすることでしか威力の調整が利かないのに対し、【紅焔】は炎のほかに熱や光といった炎を形成している他の要素も操ることが出来る。
この為、彼は湖面近くの空気の層を熱で暖めることによってスプリット山脈から吹き降ろす冷たい風を利用し人工的に蒸気霧を発生させ目くらましとした。また熱を操る能力の派生効果として熱を感知することが出来るため、誘拐犯がどこに居るのか把握できるそうだ。
『人間熱感知センサー・・・』思わずそんな感想を思い浮かべてしまった。なんか、ほんと魔法って便利なんだねーとその万能さに嫉妬してしまう。
ちなみに、魔法とは生まれ持った能力も大きく関係してくるのだが、それよりも重要なのが発想力だそうだ。
なので、同じ魔道陣を持っている人でもその属性で何をイメージできるのかによって使える力が大きく変わってくる。
その最たる例はロイの熱感知であったり、モイラの【風脚】から生まれた遠話であるという。
だが、その強力な力ゆえにどうしても戦闘に使用が偏りがちになり、生活や補助的目的での魔法はあまり使用されていないということであった。
そんな風に魔法の講釈を聞いているうちに、誘拐犯たちは湖の中ほどにある島に辿り着いていた。
岩礁に乗りつけ、麻袋に入れていた子供達を抱えあげると、次々に島影にある樹木によって隠された洞窟へと入っていく。
その位置を確認したあと、あたし達は岩礁から少し離れた所に舟を乗りつけ慎重に洞窟へと近づいていき物陰から様子を伺って見る。
入り口付近に居る見張りは二人。それを見てロイが素早くハンドシグナルで周りに指示を出した。
モニカは【風脚】で大気の振動を抑ることで音が伝わらないようにし、魔法が発動したのを確認してから部下二人がそれぞれ狙い済まして弓を射る。そして、あたしとロイは弓が放たれたのと同時に見張りへ攻撃を開始した。
一人は喉に矢が突き刺さり、血の泡を吹いて倒れるのが見える。吐き気をこらえてもう一人を見ると、倒れた仲間を見て動いたことで矢が逸れ左肩に命中していたが、それでも体勢を崩しながらも腰の剣を引き抜いて迎え撃とうとしていた。
それを見たあたしは一歩足を踏み込みグッと加速を付けると、アッパーの要領で下から突き上げるようにして顎に熊手を打ち込む。顎から伝わった強烈な振動により脳震盪をおこし意識を失った見張りを縛りつけ、もう一人の亡骸も一緒に洞窟脇の林の中へ見つからないように隠してから、入り口付近に罠がないことを確認してから洞窟の奥へと忍び込んでいった。
洞窟の奥から生暖かい風が吹いてくるのと対照的に、壁を良く見ると乾燥していることからあまり中が深くないか、もしくはかなり長い時間人が使っているのではないかと推測しながら一歩一歩慎重に進んでいくと、洞窟の先で煌々と明かりが焚かれているのが目に入ったため一旦岩陰に潜み、モイラが先行して様子の確認と潜入している仲間とコンタクトが取れるか確認に向かった。
あたしは壁に背を付けてすぐ動けるように片膝を立てつつ腰を下ろすと、皮袋から水筒を取り出し水で口を湿らせた。
思っていた以上に先程目にした人の死に様が、血の赤さが目から離れず、さっきから胃から込み上げるものが止められない。
自分の心を守る為にもはっきり言って人は殺したくはない。でも、大切なものを守る為に必要ならば人を殺めなければならない。
ここに来る前に覚悟を決めてきたつもりだったのに、実際にその現場に居合わせるとこんなにも気持ちが揺らいでしまっている。
ずっと震えが止まらない手をもう片方の手でグッと押さえつけ、なんとか気持ちを立て直そうとあたしは目を瞑り丹田の氣を意識した。
こんなことで動揺しましたなんて、甘ちょろいこと言ってられない。こうしているあたしより、捕らえられているシェハラザードや子供達の方がもっともっと恐怖を感じているんだから。だから、あたしはこんな事では動じちゃいけないんだ。
と、突然グシャグシャと乱暴に頭を掻き回されることで、あたしは思考の深みから抜け出し隣にいるロイをびっくりして見つめた。
彼はずっとモイラが先行している方向に意識を向けて何事も洩らさぬよう様子を伺っていたが、ただその手だけは意識しているのか無意識の行動なのかわからないが、あたしの頭を乱雑に掻き回し続けていた。
その彼の様子にちょっと唖然としていたが、ふと、自分の心のかかっていた重石がいつの間にか取れていたのに気がつく。やっぱり子供扱いされるのは癪に障るが、でもそんな扱いをしてくれる彼に少し感謝してしまったのだった。
「閣下、クリューガー准尉と連絡が取れました。」
それから2分ぐらい経ってからモイラは戻ってきて、これから先の状況と連絡が取れたという仲間からの情報を地面に絵を書きながら説明をし始めた。
「これから50mほど先に直径80m程の円状の大きな空間が広がっています。この空間と洞窟が繋がっている向きから反対側に合計4つ部屋が作られていて、左から監禁部屋、休憩室、倉庫、そして使用用途不明な部屋となっています。今残っている人員は12人。うち2人は監禁部屋内におり、4名は外で見張りをし、そして残りの6名は休憩室にいます。見張りの4名は2名ずつ分かれ、それぞれ監禁部屋と用途不明な部屋の前に居ますが気になる点が1つあります。この用途不明な部屋にはごく限られたものしか入室を許可されない事から、ここに主犯が居ることは間違いないかと。ただ・・・」
そこでモイラは一度言葉を切ると顔を少し強張らせながら気になる情報があると繋げた。
「准尉がいうには、その部屋の中から妙な魔力の波動を感じるそうです。今までに感じた事の無い種類の。用心に越したことはないかと・・・」
モイラが説明した内容をもう一度皆で認識しあい、改めてお互いの役割を確認する。
本来なら全員で一気に強襲をかけるところであったが、不安要素があるので念のために【再生】ができるロイの部下2人をこのまま潜伏させて助け出した子供達と合流したら真っ先に街へ帰るよう指示を出すと、あたし達はゆっくりと奥へ進んでいった。
その空間は天井に大きな孔が穿たれていて、大地の中から見える降り注ぐような星空があたしの目を魅了した。こんな状況でなければ思わず見蕩れてしまうこの光景を見ながら本当に残念に感じていた。
『もし、この場所が向こうの世界にあったら、間違いなくデートスポットかパワースポット扱いでカップルがわんさか来るんだろうな・・』
ふとそんなことを考えながらも、あたしは神経を研ぎ澄まし辺りの氣の流れを確認する。
事前に説明されたとおり、先ず目視にて4人見張りを確認。木で作られた部屋が4室ありその一番左から鈴の音が聞こえてくる。そして鈴の音の近くに氣の固まりが6つ。その近くにそれよりも大きい氣が2つ。その隣の部屋には確かに6つの気がある。そして、問題の諸悪の根源が居ると思われる部屋―――
あたしはそこの氣を探るとそのおぞましさに思わず顔が青くなった。―――なんだ?!この見てはいけない物を見たような、心臓を直接捕まれたような恐怖は・・・?そして、そのおぞましい氣はその隣にある倉庫からも感じるのだ。
脳内に激しい警報が鳴り響く。これに不用意に近寄ったら―――死ぬ。
あたしは緊張でカラカラになった唇を何度も舐め、ロイの肩をしっかりと掴む。その様子に顔を向けた二人に対し、
「二人とも、あの右2つの部屋には行かない方が良い・・・いや、入っては駄目だ。何でかは説明出来ないけど、あの部屋は相当ヤバイ物がある。」
「―――それは、お前の例の勘か・・・?」
「それがどのことを言っているのか分からないけど、理屈じゃなく感じるんだ。頼む、俺を信じてくれ。」
二人ともじっとあたしの目を見ていたが、ふとモイラは息を吐くと
「これが、閣下が言っていた“良く助けられた勘”ですか。何でも的中率が異常に高いとか。」それを聞いていたロイが大きく頷く。
「ああ・・・、特にこいつが“止めておけ”と言った事はまず外れたことが無い・・・わかった。今回は子供の奪還をしたら一旦撤退しよう。」
それを聞いて、心から安堵するとあたしは改めてシェハラザードが捕らわれている部屋に注意を向けるのであった。