8.鐘が鳴る
魔獣のリーダーが倒れた瞬間、地下室の空気がふっと軽くなった。
さっきまで、息を吸うのにも引っかかりがあったのに。
わたしたち三人はその場で立ち止まって、荒い呼吸を整える。
剣先を下げても、手がまだ震えていた。
「やったな!」
レオが剣を軽く振って、赤い目を細めた。言葉が跳ねる。いつものレオだ。
わたしも声を返そうとしたのに、最初に出たのは息だった。
「……うん」
喉に詰まってたものがほどけて、肩が落ちる。
追い払えた。ほんとに。
わたしはサイラスを見る。
サイラスは杖を持ったまま、倒れたリーダーから目を離していない。顔はいつもどおり整ってるのに、目だけが固い。
でも――さっきの魔術。
「サイラス。いまの、エンフォース……すごかった。魔術って、あんなふうに使うの?」
聞きながら、自分の声がちょっと浮いてる気がした。戦いのあとのテンションって、変になる。
サイラスはようやくこちらを見て、
「……ああ」
短い。終わり。
終わり!?
わたしは思わずレオのほうを見た。レオは「だよな」と言いたげに肩をすくめてる。
気を取り直して、もう一歩だけ踏み込む。
「魔術って、わたしにもできるかな」
わたしの声に、レオの視線がちらっと動いた。たぶん同じこと考えたことある顔。
サイラスは迷いなく言った。
「無理だな。今まで発動したことがないなら、いまさら出てこない」
ばっさり。
言い方が冷たいというより、ただ“結果だけ”を並べてる感じ。
「……ちっ」
わたしが小さく舌打ちすると、サイラスの視線が一瞬だけ揺れた。
「おまえは飛べる。それでいい」
その一言だけ、少しだけ角が丸い気がした。
わたしは返事を飲み込んで、剣を鞘に戻す。
「行くぞ。まだやることがある」
サイラスが階段へ向かった。
わたしたちは慌てて後ろにつく。
教会の外へ出ると、空が明るくなっていた。
街の石畳が、朝の色に変わりはじめている。
サイラスは教会の尖塔を見上げた。
「鐘を鳴らす」
「鐘?」
わたしが聞くと、サイラスは目線を外さないまま答えた。
「ずっと鳴らせなかった。魔獣が去った合図だ。街の人々が戻ってくる」
なるほど。
言葉は少ないのに、ちゃんと目的がある。
サイラスが教会の中へ戻り、上へ上へと階段を登り始めた。
わたしたちも続く。息はまだ整いきってなくて、階段が地味にきつい。
鐘楼に着くと、立派な鐘がそこにあった。
思ってたより大きい。これ、ほんとに鳴るの?
サイラスが綱を掴む。
「手伝え」
命令っぽいのに、どこか必死さが混じっている気がした。
レオが先に綱へ手を伸ばし、わたしも並ぶ。
「せーの!」
レオの合図で、三人で一斉に引いた。
がぁん――
空気が震えた。
耳の奥に、ずん、と重い音が残る。
がぁん、がぁん、がぁん。
わたしたちは何度も綱を引く。
鐘の音が、丘の上から広がっていく。街の外へ、さらに外へ。
戻ってきて、って言うかわりに、音で呼んでるみたいだった。
最後にもう一度引いて、綱を離す。
鐘の余韻が、ゆっくり薄くなっていく。まだ耳の奥で鳴っている気がした。
「これで、いい」
サイラスが言った。
それだけで、少しだけ肩が下がる。
鐘楼を降りて、わたしたちは街の広場へ向かった。
そこで、待った。
しばらくすると――街の入り口に人影が見えた。
一人。もう一人。ぽつり、ぽつりと増えていく。
老人、女性、子ども。
みんな、足を止めながら、確かめるように街を見ている。
「……本当に、魔獣が去ったのか?」
老人が声を絞り出す。
「ああ」
サイラスが答えた。
「リーダーを倒した。もう、魔獣は来ない」
そこから先は、一気だった。
「本当か!」
「助かった!」
「鐘を鳴らそう!」
「男たちも、直に気がついて戻ってくる!」
歓声が上がる。
子どもが走り出して、女性たちが泣きながら抱き合っている。
さっきまで死んだみたいだった街が、やっと息をし始めた。
そのざわめきの端で、わたしは気づく。
建物の陰から、小さな子が出てきた。昨日、サイラスと一緒にいた子。
その後ろに、もっと小さな子たち。五人、六人……十人近い。
みんな痩せていて、服が汚れている。目だけが大きい。
その先頭の少女が、サイラスに駆け寄った。
「サイラス……終わったの?」
「ああ」
サイラスが頷く。
「もう、魔獣は来ない」
次の瞬間、子どもたちが一斉にサイラスへしがみついた。
サイラスは固まった。ほんの一拍。どうしていいかわからない顔。
それから、ぎこちなく子どもたちの頭に手を置いた。撫でる、というより、確認するみたいに。
わたしはレオのほうを見る。レオもわたしを見ている。
言葉は要らなかった。
この人、守ってたんだ。
魔獣だらけの街で、一人で。だから逃げなかった。
広場の人々が、子どもたちに気づいて近づいてくる。
「サイラス、お前が魔獣を……」
男が言いかけたところで、サイラスが首を振った。
「俺じゃない。こいつらだ。契約を果たしてくれた」
サイラスが、わたしたちを指した。
人々の視線が、わたしたちに集まる。
「ありがとう!」
「本当に、ありがとう!」
頭を下げられて、わたしは居心地が悪くなる。
剣で戦ったのに、こういう場面がいちばん汗をかく。
「いや、サイラスと三人でやっただけだよ」
わたしが言うと、レオも続けた。
「それに、俺たちは旅の途中だ。通り道で、ちょうどぶつかっただけだ」
でも、人々は笑顔のまま、わたしたちの手を握る。
温かい。ひとの手って、こういう温度なんだなって思ってしまう。
サイラスが子どもたちに何か短く言った。
子どもたちは頷いて、広場の大人たちのほうへ走っていく。
抱きしめられて、泣いて、また泣いて。街がざわざわとほどけていく。
サイラスが言った。
「この子たちを、頼む」
少しだけ声が低い。
「親を魔獣に殺された子たちだ。俺が匿っていた」
前に出てきた女性が、迷いなく頷いた。
「わかったわ。私たちが面倒を見る。……もう、大丈夫よ」
子どもたちの背中に手が添えられる。
その瞬間、サイラスの顔がほんのわずかだけ緩んだ気がした。気のせいかもしれない。でも、見えた。
サイラスが小さく頷き、こちらへ向き直る。
「行くぞ」
「え?」
わたしが聞くと、サイラスは当たり前みたいに言う。
「王都へ行くんだろ」
青紫の左目が、静かにこちらを捉えている。
「俺も行く。おまえたちとの契約だ」
「契約?」
レオが聞き返す。
「ああ。魔獣のリーダーを倒す契約は果たされた。報酬として、王都まで同行する」
声は変わらず平坦なのに、言ってる内容は強引だ。
わたしはレオを見る。
レオは一瞬だけ眉を上げて、それから「まあ、そうなるか」みたいな顔になる。
わたしはサイラスに向けて笑顔で言う。
「契約なら仕方ないよね。一緒に行こう」
レオも頷いた。
「契約だものな。三人なら、もっと強い」
サイラスは少し驚いたような顔をした。それから、一拍置いて小さく頷く。
「そうだ……契約だ」
言いながら、自分に言い聞かせてるみたいだった。
街の人々に見送られて、わたしたちはアーゼの街を出た。
振り返ると、広場がまだざわざわしている。
子どもたちが手を振っている。声も飛んでくる。
サイラスは振り返らなかった。
「王都まで、どれくらいかかる?」
レオの横顔に目をやって、言う。
「順調に行けば、五日」
レオが地図を確かめながら答えた。
「五日か……」
長い。だけど、昨日までの二人旅とも違う。
「ああ。でも、三人なら大丈夫だ」
レオは前を見たまま言う。
サイラスは何も言わない。口数は増えないまま、ちゃんと同じ方向を見ている。
耳の奥で、さっきの鐘がまだ鳴ってる気がした。
終わった合図。始まりの合図。
わたしは眼帯の端に指を添えて、歩く速度を少しだけ上げた。




