7.知恵のある魔獣
夜明け前。
宿の食堂は、まだ寝起きみたいに静かだった。
テーブルの上には、昨夜の乾燥肉のかけら。
わたしはそれを見つめながら、手首を軽く回す。剣を振る腕。まだ、温まってない。
扉がきい、と開いた。
サイラスが入ってくる。
整った顔は相変わらず無表情。でも――どこか、硬い。肩に力が入ってる感じがする。
そういえば、わたしたち、名乗ってなかった。
「サイラス。わたしはイリス。こっちはレオ」
いまさらだけど、短く言う。
サイラスは一拍置いて、わたしたちを順に見た。
「イリス、レオ。行くぞ」
それだけ。
ほんとに、それだけ。
わたしとレオは顔を見合わせて、立ち上がった。
外へ出ると、街は薄暗いままだった。
灰色の天井が、ほんの少しだけ明るくなり始めている。
サイラスが先頭で歩く。歩幅が一定。迷いがない。
レオが後ろを気にして、わたしはその間に入った。
街の北側へ向かう道は、さらに荒れていた。
崩れかけた建物。割れた窓。倒れた柵。
人が暮らしていたはずなのに、いまは“抜け殻”みたいだ。
「ここは、最初に襲われた場所だ」
サイラスが淡々と言う。
「住民のほとんどが、そのときに逃げた」
レオが周囲を見回す。
「魔獣は?」
「今は巣に戻っている時間だ」
冷静すぎて、逆に怖い。
やがて、大きな建物が見えてきた。
廃墟になった教会。尖塔は崩れ、壁には穴が開いている。
近づくほど、空気が重くなる気がした。
「あれだ。あれが魔獣の巣だ」
サイラスが立ち止まる。
「リーダーは教会の中にいる。おそらく、地下だ」
わたしたちは教会の前で足を止めた。
中から、何かが動く気配。……息を潜めるみたいに。
「入るぞ」
レオが剣を抜く。
わたしも抜く。
サイラスは杖を構えた。魔導士の杖――やっぱり、ちょっと格好いい。
教会の中は暗かった。崩れた石と木材が散らばっている。
奥に、地下へ続く階段。
「あそこだ」
サイラスの指の先。
わたしたちは階段を降りていく。
地下室は、広かった。
壁には、引っかいた跡。何度も、何度も。爪の癖みたいに残ってる。
そして――
奥に、それがいた。
大きい。
これまで見た犬や猪の魔獣より、一回り上。狼みたいな姿。
縦に並んだ三つの目が、わたしたちをじっと見ている。
……襲ってこない。
ただ、見てる。
「……観察してるの?」
レオの声が小さくなる。
「ああ」
サイラスが答える。
「こいつは知恵がある。すぐには動かない」
リーダーが、ゆっくりと体を動かした。
低い唸り。
その瞬間、周りの影から魔獣が現れた。
四匹、五匹……八匹。
「囲まれた!」
レオが剣を構える。
わたしは滑走靴を起動して車輪を出した。いつでも蹴れるように。
魔獣たちが、じりじり近づいてくる。
でも、リーダーだけは動かない。
目が、こっちの“癖”を読もうとしてるみたいで、気持ち悪い。
「イリス、レオ。焦るな」
サイラスの声が割って入る。
「こいつは罠を使う。動きを観察して――」
その途中で、わたしの頭の中にひとつの考えが浮かんだ。
上から行けばいい。
リーダーだけ叩ければ、周りは――
「わたしが上から行く!」
叫んで、地面を蹴った。
「イリス、待て!」
サイラスの声。
でも、もう遅い。体が浮く。左目の奥がじんとする。
リーダーへ向かって――突っ込んだ、その瞬間。
リーダーが、短く吠えた。
合図みたいに。
周りの魔獣が一斉に動く。
天井の梁。そこに、いた。
隠れていた魔獣たちが、わたしへ跳んできた。
「うわっ!」
空中で囲まれる。体勢が崩れる。
バランスが取れない。
噛みつかれた。腕。鋭い痛み。
「やだっ!」
剣を振るう。でも、当たらない。
視界がぐらつく。落ちる――
地面に叩きつけられた。
「イリス!」
レオの声。
魔獣たちが、わたしを囲む。
頭の中が一瞬、白くなる。
その隙を埋めるように、レオが飛び込んできた。
斬って、払って、距離を作る。
サイラスの杖が振られる。魔術が走って、魔獣が吹き飛ぶ。
「下がれ!」
サイラスが叫んだ。
わたしたちは階段のほうへ後退した。
魔獣たちは追ってこない。……追ってこないのが、なおさら嫌だ。
リーダーが、また唸った。
魔獣たちは、すっと元の位置に戻る。まるで、駒みたいに。
わたしたちは階段を駆け上がり、教会の外へ出た。
息が上がる。腕が痛い。噛まれた跡から血が出ている。
「イリス、怪我は?」
レオがわたしの腕を見る。
「大丈夫。浅い」
口ではそう言ったけど、胸のほうが痛かった。
焦って、勝手に飛んで。見事に読まれた。
サイラスがわたしを見る。
青紫の瞳には、怒りじゃなくて――静かな、失望がある。
「だから待てと言った」
声も、静か。
「あの魔獣は罠を使う。お前は昨日飛べるところを見せた。だから天井に仲間を隠していた。お前が飛ぶのを、待っていたんだ」
言い返せない。
わたしは一度、息を飲んで――頭を下げた。
「……ごめんなさい」
サイラスのまばたきが、一度だけ増えた。
「……謝るのか」
「うん。わたしが悪い。サイラスの話、最後まで聞くべきだった」
サイラスは黙る。
レオが、わたしの肩を軽く叩いた。
「次はどうする?」
サイラスが少しだけ考えてから、口を開いた。
「作戦を立て直す」
サイラスは地面に杖先を当て、図を描き始めた。
線が迷わない。こういうときだけ、やけに頼もしい。
「リーダーは知恵がある。罠を使う。だから、こちらも頭を使う」
わたしとレオは、黙って頷く。
「レオは正面で注意を引く。イリスは、リーダーが罠を仕掛けるタイミングを見計らって横から攻撃する。俺は天井の魔獣を魔術で落とす」
「横から?」
「ああ。リーダーは、お前が飛ぶ様子を学習した。次も天井に罠を仕掛けるはずだ」
サイラスが、わたしを見る。
「だから今度は低く飛べ。地上すれすれで回り込め」
……なるほど。
“上”が罠なら、“下”で裏をかく。
「わかった」
「いいか。焦るな。合図を待て」
サイラスの声は、まだ冷たい。でもさっきより、少しだけ現実的だ。
「……やれるか?」
わたしは頷いた。
「うん。今度は、ちゃんと聞く」
サイラスは小さく頷く。
「行くぞ」
もう一度、教会へ入る。
階段を降りる。地下室。
リーダーは、同じ場所にいた。
周りに魔獣たち。待機してる。……待つのが上手い。
レオが前に出る。
「行くぞ!」
剣が走る。魔獣に斬りかかる。
リーダーが吠えた。
魔獣たちがレオを囲む。
でもレオは引かない。踏み込んで、切って、押し返す。
そして――
リーダーが、また短く吠えた。
天井。来る。
その瞬間、サイラスの杖が振られた。
「契約執行――落下」
魔術が炸裂する。
天井から跳んできた魔獣が、地面に叩きつけられた。
「今だ、イリス!」
サイラスの声。
わたしは地面を蹴る。
低く飛ぶ。地上すれすれ。左目の奥がじんとする。
床が近い。怖い。でも――視界はぶれない。
リーダーの横へ回り込む。
三つの目が、こちらを捉える。振り向く。
でも、遅い。
剣を突き立てた瞬間、硬い感触が手に返ってきた。
刃が止まりそうになる。でも、押し込む。
剣が、横腹に刺さった。
「グルァッ――!」
低い叫びが響く。
レオが駆けつける。
とどめの一閃。
大きな身体が、音を立てて倒れた。
周りの魔獣たちが怯む。
そして――一斉に逃げ出した。
教会の外へ。街の外へ。
散り散りに、消えていく。
わたしたちは、その場に立ち尽くしていた。
静かだ。
さっきまでの唸り声が、嘘みたい。
「……やったな」
レオが剣先を下げて、息を吐く。
「うん」
わたしも頷いた。腕の噛み跡がじわっと痛むけど、いまはいい。
サイラスは、倒れたリーダーを見ていた。
「……終わった」
小さくつぶやく。
噛みしめるように。




