6.アーゼの街
ゼロの村を出て、三日が過ぎた。
草原。森。草原。
見上げれば灰色の天井みたいな空で、朝と夜の差だけが、なんとなくわかる程度。
景色だけ切り取ったら、同じところをぐるぐる歩いてるみたいなのに。
不思議と、退屈はしなかった。
レオと話しながら歩く。
時々、魔獣が出る。犬みたいなのが多いけど、うさぎが大きくなったみたいなのや、可愛くないリスみたいなのもいた。
共通点はひとつ。縦に並んだ三つの目。
強さは、まだそこまでじゃない。
厄介なのは数だ。増えると面倒。でも――
レオの剣と、わたしの飛ぶやつで、なんとかなる。
飛ぶのも、少しずつ慣れてきた。
油断するとバランスを持っていかれるけど、前よりは戻せる。
「イリス、あれが見えるか?」
レオが前を指差した。丘の上に、街が見えた。
「あれが、アーゼの街だ」
地図を確認して、レオが言う。
「そこで一泊して、また進む」
「どんな街なの?」
「丘の上にある、自然豊かな街らしい。人々は穏やかで、商業も盛んだって聞いてる」
へえ、やっと“街”っぽいところ。
宿場町ばっかりだったから、ちょっと楽しみ――だったのに。
丘を登って、街の入り口が見えたところで。
わたしは立ち止まった。
「ねえ……なんか変じゃない?」
静かすぎる。
建物はある。道も整ってる。なのに、人の気配がない。
窓は閉ざされ、扉も固く閉じられている。
風鈴の音ひとつ、犬の鳴き声ひとつしない。
「聞いていた雰囲気と全然違うな」
レオも眉をひそめた。
わたしたちは慎重に街へ入った。手が勝手に剣に行く。
石畳の道。両側に並ぶ家々。……誰もいない。
「宿屋を探そう」
レオの言葉に頷いて歩き回る。
でも、開いている店も、人影もなかった。
「まるで廃墟ね」
少し大きな建物が見えた。看板に「宿」の文字。
「ここだ」
扉の前で足を止める。レオが慎重に押す。鍵はかかっていなかった。
中は薄暗くて、埃っぽい匂いがした。
「誰かいますか?」
返事はない。
「とりあえず、ここで一泊しよう」
「そうだね。他に選択肢もない」
荷物を置いた、その時。
外で、何かが動いた。
「レオ」
「ああ」
わたしたちは剣を抜いて外へ出た。
路地から、魔獣が出てきた。
初めて見る形。猪みたいな胴体に、やっぱり縦に三つの目。
「街中にまでいやがる」
レオが剣を構える。魔獣が突っ込んできた。
レオが前に出て、一匹を斬る。倒れる音が石畳に響く。
もう一匹が、わたしへ向きを変えた。
滑走靴を起動する。地面を蹴って、体が浮いた。
剣を振り下ろす。背中に刃が入る。黒い血が噴き出して、魔獣が沈んだ。
「やっぱり、飛べると強いな」
レオが息を整えながら言う。
「まあね」
……って言ったけど、内心はまだドキドキしてる。
街の中で戦うの、落ち着かない。
そのとき、視線を感じた。
路地の影から、小さな人影。子どもだ。
「ねえ、大丈夫?」
声をかけた瞬間、子どもはビクッとして走り去った。
「待て! 危ないぞ!」
レオが叫ぶ。わたしたちは追いかけた。
子どもは路地を抜け、古い建物の中に滑り込む。
わたしたちも中へ。
薄暗い部屋。奥に、子どもが隠れている。
そして――その前に、誰かが立っていた。
長い黒髪を後ろで結んだ、美形の男。わたしたちより少し上くらい。
左目は青紫。鋭く、冷たい。
「何の用だ」
声も冷たい。
わたしは一瞬、言葉が詰まった。
「あ、ごめん。驚かせるつもりはなかったの」
レオが一歩前に出る。
「この街は危険だ。眷属がいる」
男は表情を変えずに答える。
「……知っている」
感情がない。ほんとにない。
「お前たちも、早く逃げたほうがいい」
「逃げない」
即答だった。
「なんで? この街、人もいないし、魔獣だらけじゃない」
レオも聞く。
「その魔獣の中に、なぜ居座る? 他の住人はほとんどいないのに」
男は少し間を置いてから、言った。
「……関係ない」
わたしが何か言い返そうとしたけど、レオが手で止める。
「わかった。事情には踏み込まない。でも俺たちはここで一泊する。宿屋に泊まる予定だ」
男は、黙って頷いた。
「好きにしろ」
そう言って、男は子どもの手を取り、部屋の奥へ消えた。
わたしたちは顔を見合わせる。
「なに、あの人」
「わからん。でも事情がありそうだ。……とりあえず宿に戻ろう」
宿へ戻る途中、また魔獣が出た。二匹。
倒したけど、息が上がる。
「この街、魔獣が多すぎるわ」
「ああ。何か理由があるはずだ」
宿の一階の食堂に座る。
荷物から乾燥肉と木の実を出して、簡単に食べる。
「明日、早めに出よう」
「うん。この街、長居する場所じゃない」
そう言った瞬間、扉が開いた。
さっきの男だ。こちらを見て一瞬止まり、意を決したように近づいてきた。
「……話がある」
「何?」
レオが聞く。
男は椅子に座り、わたしたちの顔を見た。
「お前たち、魔獣と戦える」
「まあね」
わたしが答えると、男はまっすぐ言った。
「契約をしたい」
契約? いきなり?
「この街には、魔獣の巣がある。街の北側、廃墟になった教会だ。そこにリーダー格の魔獣がいる」
「リーダー?」
レオが身を乗り出す。
「ああ。知恵のある魔獣だ」
青紫の目に、一瞬だけ何かが走った。
「そいつが指揮を執って、街を襲っている」
「あなた、詳しいのね」
「……観察していた」
声が、どこか遠い。
「リーダーを倒せば、他の魔獣も散らばる。街は少しは安全になる」
「それで、わたしたちにそいつを倒せって?」
男は頷く。
「報酬は出す。魔道具、情報、金。何でもいい。お前たちと共に旅をして力を貸すのでもいい」
レオが、じっと男を見る。
「おまえは何者だ?」
男は少し間を置いて答えた。
「サイラス。魔導士だ」
魔導士。そんな職があるんだ。
サイラスは自分の左目を指さした。青紫。
「頭脳系の適性だ。戦闘は得意じゃない。だから、お前たちの力が必要だ」
青紫の瞳は初めて見た。村にもいなかったし、道中でも見なかった。
珍しい色――たぶん。
レオが腕を組む。
「なんで、お前がそんなことを? この街から逃げればいいだろう」
サイラスの表情が、わずかに揺れた。
「……逃げられない理由がある」
「どんな?」
わたしの問いに、サイラスは一瞬黙る。
でもすぐ顔を上げた。
「言えない」
冷たく言い切る。
「ただ、リーダーを倒す必要がある。それだけだ」
わたしは一瞬だけ、王都へ急ぐべき?って思った。
でも、すぐ打ち消した。
この街を見てしまった。
子どもがいる。怯えて隠れてる。
わたしはレオを見る。
レオも、わたしを見る。
言葉はいらなかった。
「いいよ」
わたしが言った。
「その魔獣、倒そう」
サイラスが少し驚いた顔をした。戸惑いが混じる。
「……報酬は?」
「いらないわ」
わたしはサイラスを見つめた。
「この街、放っておけないでしょ。子どももいるしね」
サイラスの青紫が、わたしをまっすぐ見る。
「……わからない」
「何が?」
「お前たちが、何を考えているのか」
首を振る。
「普通、見返りなしに動かない」
「見返りはあるわ。魔獣を倒す。それがわたしたちの目的」
サイラスは黙った。
しばらくして、口を開く。
「……明日、案内する。リーダーの居場所を教える」
「うん」
サイラスは立ち上がり、扉へ向かった。
「夜明けに、ここで待ち合わせだ」
扉に手をかけたまま、背中越しに小さく言う。
「……ありがとう」
その声は、さっきまでのどれより柔らかかった。
すぐに扉が閉まり、足音が遠ざかる。
わたしとレオは顔を見合わせた。
「なんか、変なやつだな」
「うん。でも、悪い人じゃなさそう」
レオが小さく頷いた。
「明日、頑張るか」
「うん」
食堂の静けさが、街の静けさと同じで、逆に落ち着かない。
夜明けに向けて準備をしながら、わたしは一度だけ窓の外を見た。
丘の上の街は、眠っているみたいに黙っていた。




