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48.私のアイリス

【天使視点】


 星の海を、仰向けになって浮いていた。


 翼を広げたまま、力を抜いている。落ちることはない。

 星が、視界いっぱいに広がっている。


 どこまでも続く、夜と星。


 静かだ。

 音がない。

 呼吸の音すら、吸い込まれて消える。


 ――アイリスじゃなくて、イリスを見てほしい。今のわたしを。


 あの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。


 聞こえてくる。

 アイリスの声が。

 震えていた声が。

 涙を堪えていた声が。


 やっと会えたのに。

 何百年も待って、やっと会えたのに。


 泣かせてしまった。


 私は、何をしているのだろう。

 何を、求めているのだろう。


 手を、目の前に上げた。

 指を、開いて、閉じる。


 つないだ手のぬくもりを、思い出す。


 温かかった。

 小さな手だった。

 でも、しっかりと握り返してくれた。


 一緒に飛んだ。

 星の海を。


 あの時間が、永遠に続けばよかった。

 金色のもやに、辿り着かなければよかった。


 でも、終わった。

 アイリスは、去った。


 アイリスがいなければ――また、ひとりだ。


 目を閉じた。

 記憶が、浮かんでくる。


 赤い髪のアイリスが、笑っている。


 草原に座って、花を摘んでいた。

 赤い花。青い花。白い花。

 小さな手で、一つ一つ丁寧に集めて、束にしていた。


 「アマレリオン、見て!こんなにたくさん!」


 明るい声。弾むような笑顔。

 花束を抱えて、駆け寄ってくる。


 私は、膝をついて、その花束を受け取った。


 「きれいだね」


 「でしょう?あなたにあげる!」


 虹色の左目が、生きる喜びに輝いていた。

 赤い髪が、風に揺れている。


 その笑顔が、今も目に焼き付いている。


 ――あの日々は、短かったけれど、変わらずに鮮やかに思い出せる。


 長い銀髪のアイリスが、人々を癒している。


 巫女のように白い衣をまとって。

 神殿の中で、怪我人や病人に手を置いている。


 優しく、魔力を流す。

 金色の光が、手のひらから溢れる。


 「アマレリオン、この子も元気になったわ」


 穏やかな声。柔らかな微笑み。


 子どもが、笑顔で走っていく。

 母親が、頭を下げる。


 アイリスは、静かに微笑んで、また次の人へ向かう。


 虹色の左目が、静かに私を見つめた。


 「疲れただろう。少し休んだらどうだ?」


 私が言うと、アイリスは首を横に振った。


 「まだ大丈夫。もう少し、続けるわ」


 ――その優しさと清らな香りが、私は好きだった。


 緑の短い髪のアイリスが、弓を射ている。


 訓練場で、的に向かって矢を放つ。

 シュッ、という音。

 的の中心を、正確に射抜く。


 「アマレリオン、見た?」


 得意げな声。誇らしげな笑み。


 虹色の左目が、輝いて私を見ていた。


 「見ていたよ。上手だね」


 「もっと褒めて!」


 アイリスが、笑いながら駆け寄ってくる。


 私は、その頭を撫でた。


 「とても上手だ。誰よりも」


 アイリスが、嬉しそうに笑う。


 ――その元気のあふれる笑顔も、いつか消えた。


 青い髪のアイリスが、私の腕の中にいた。


 息が、浅い。

 体が、冷たくなっていく。


 「アマレリオン……」


 やっと、やっと、私の名を呼んだ。


 最期のときに。


 ずっと、忘れていた。

 ずっと、思い出さなかった。


 それでも私は、そばにいた。

 見守っていた。


 そして、最期に。


 虹色の左目が、私を見た。


 「アマレリオン……ごめんなさい」


 「謝らなくていい」


 私は、アイリスを抱きしめた。


 「次に巡り合うときは、きっと……」


 そう言って、目を閉じた。


 虹色の左目が、光を失った。


 あの声を、忘れない。

 忘れられない。


 ――アマレリオン。


 どのアイリスも、私の名を呼んだ。


 虹色の左目で、私を見て、私の名を呼んだ。


 私は、呼び続けていた。


 アイリス。

 アイリス。

 アイリス。


 いつ生まれてくるのか。

 いつまた会えるのか。


 わからないまま。


 待った。


 何百年も。

 何千年も。


 時間だけが、過ぎていく。


 人の世界は、変わっていく。

 王朝が生まれ、滅びる。

 街が栄え、廃れる。


 それでも、私は待った。


 そして、虹色の左目が、また生まれた。


 私の中で、何かが反応した。


 アイリスだ。

 アイリスが、生まれた。


 私は、すぐに探した。


 でも、また忘れているようだった。


 私のことも。

 アイリスだということも。


 ――また、同じだった。


 私は、少し、待つことに疲れていたのだろう。


 望みを持ち続けることは、人の命よりも、儚いことかもしれない。


 希望は、何度も砕かれる。

 それでも、持ち続けなければならない。


 それが、どれほど辛いことか。


 今のアイリスは、私に触れても、私のことを思い出さない。


 それでも、私を求めてくれた。


 「思い出せなくても、あなたが好き」


 そう言ってくれた。

 涙を流しながら。


 我慢していたのに。

 触れないでおこうと思っていたのに。


 思わず、触れてしまった。


 手を、繋いでしまった。


 ――私は、何が欲しいのだろう。


 アイリスの幸せ。


 そう思っていた。

 そう思っているはずだった。


 でも、違う。


 私は、自分の痛みばかり強く意識している。


 アイリスが、他の男たちのことを話すとき。


 グレイ。

 レオ。

 サイラス。


 その名前を聞くたびに、胸が痛んだ。

 嫉妬していた。

 明らかに、嫉妬していた。


 手紙を出したい、と言ったとき。

 心配している、と言ったとき。


 私よりも、彼らを選んでいる。

 それが、つらかった。


 アイリスは、私よりも、内殻へ戻ることを選んだ。

 それだけだ。

 それだけのことだ。


 ――なのに、なぜこんなに苦しいのだろう。


 目を開けた。

 星が、また見える。


 変わらない。

 何も変わらない。


 ただ、私だけが、ここにいる。


 ――そういえば。


 アイリスは、不思議なことを言っていた。


 蒼珠で暮らしていた、と。

 佐原あやめ、という名で。

 そして、事故に遭って、ここへ生まれ変わってきたのだと。


 そんなことが、あるのだろうか。


 蒼珠には、今、人はほとんどいない。

 神が新しく生み出した世界。

 これから増えるかもしれないが。


 アイリスは、あそこで暮らしていた?

 どういうことなのだろうか。


 ふいに、声が頭の中に響いた。


『おいで』


 セレノヴァルクだ。


 行く気にならない。

 まだ、ここにいたい。

 浮いていたい。

 何も考えたくない。


 再度、声が響いた。


『おいで。アマレリオン』


 名を呼ばれた。

 仕方ない。

 翼を動かして、体を起こした。


 竜王の城へ向かう。

 飛びながら、考える。


 ――またあの二人に、見せつけられるのだろうか。


 憂鬱だ。

 セレノヴァルクは、あの聖女に、自らの色ばかりか、真名まで与えていた。

 セレノヴァルク。

 さらに、愛称で呼ぶようにねだっていた。

 セレン、と。


 あんなセレノヴァルクは、珍しい。

 長い時の巡りの中で、初めて見た。


 いつも一人で、誰にも心を開かない。

 自由を重んじ、束縛を嫌う。


 それが、あの聖女には、心を開いて欲を見せている。


 アイリスが一緒にいるときであれば、からかってやれるものを。

 今は、とてもそんな気持ちにはなれなかった。


 城が、見えてきた。

 白い石の宮殿。

 星の光を反射して、輝いている。


 私は、ゆっくりと降りた。


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