47.おかえり、イリス!さよなら、俺の初恋
【レオ視点】
金の雲の下に、俺たち三人はいた。
グレイが腕を組んで空を見上げている。俺は剣の柄に手を置いたまま、落ち着かない気分で足を動かしている。
「ピピを飛ばすか?」
グレイが言った。
「……どうだろうな」
サイラスは、肩に止まっているピピを見た。ピピが首を傾げる。
「時間の流れが違うと、イリスからの手紙にあった。どんな行き違いになるかわからない」
「そうだな。待つか」
グレイが頷いて言った。
俺たちはまた、王都からここへやってきている。
辺境で魔獣が増えていることへの対応、とダルジード団長は命じたけれど、たぶんモノリスの近くに来させてくれたんだと思う。
イリスが戻ってくるときのために。
今日で三日目。魔獣退治の合間に俺たちはここへ顔出す。
イリスが来るかもしれない。来ないかもしれない。でもここに来ずにはいられない。
そのとき――ついに、金の雲が、揺れた。
「あ!」
俺の声に、グレイもサイラスも金の雲を見上げる。
雲の中から、薄茶色の髪の毛が出てきた。
「イリス!」
大きな声で俺は叫んだ。
頭から始まって、肩、体、脚。逆さに雲から出てくる。落ちてくる。速い。
イリスが、降ってくる。
俺よりも一瞬早く、グレイが、動いた。
足が地面を蹴る。跳躍。銀の髪が揺れる。腕を伸ばす。表情が――焦っている。
グレイが焦る!?
珍しい。いつも冷静な銀狼が、焦って本能で動いている。計算じゃない。考えていない。ただ、受け止めようとしている。
俺とおんなじだ。
でも俺よりずっと早くグレイは動いた。
俺は膝にためを作ったまま、跳び上がったグレイを見あげていた。
スローモーションみたいに、見えた。
グレイの腕が、空中でイリスを捉える。
抱きとめた。
そのまま、地面に着地する。膝を曲げて、衝撃を吸収する。イリスを抱いたまま、しゃがみ込む形になった。
グレイが、イリスを抱きしめている。
イリスの顔が、グレイの胸に埋まった。
イリスが、泣いている。声も殺さず泣いている。肩が、震えている。
「よく帰ってきた」
グレイの声が、優しい。
俺とサイラスも、駆け寄った。
「イリス! 怪我は!?」
イリスの顔を覗き込んだ。
イリスが、顔を上げた。目が赤い。涙が止まらない。
「どうした、怪我はしていないか」
グレイが、イリスの体を確かめる。腕、足、背中。慎重に、丁寧に。
イリスは、首を横に振った。
「天使が……返してくれた」
それだけ言って、またしゃくりあげる。
――ああ。
そういうことか。
天使と、別れてきたんだ。だからこんなに泣くほど悲しいんだな。
そう考えたら、なんだか俺の腹のあたりが縮むように痛んだ。
とにかく泣き止んでほしくて、俺は、イリスの頭に手を置いた。
「つらかったな、イリス」
でも、イリスの泣き声は大きくなってしまった。
グレイが、立ち上がった。イリスを抱いたまま。
そして短く言った。
「帰ろう。ゼロの村へ」
---
ゼロの村に着いた。
イリスの泣き声はだんだん小さくなって、今はずいぶん落ち着いたみたいだ。
物見の報せを受けて、イリスの母さんが、家の前に立って待っていた。
「イリス!」
「母さん!」
イリスが、グレイの腕から降りて駆け寄った。
イリスの母さんが、イリスを抱きしめた。
「おかえり、イリス」
声が、震えている。
「ただいま……」
イリスが、また泣いた。
俺たちは、少し離れたところで待った。
母娘の時間を、邪魔しないように。
しばらくして、イリスの母さんがイリスを家の中へ連れて行った。
俺たちも、促されて一緒に中へ入った。
座って、イリスの母さんの淹れてくれたお茶を飲む。
やがてイリスは、すこしずつ、星の海であったことを話してくれた。
金の雲を通って、星の海へ投げ出されるように着いたこと。
竜王と天使に会ったこと。
人が天使を利用して酷使するから、竜王は天使を星の海へ連れてきたこと。
内殻は天使がいないと、いずれ暗闇になること。
天使は、イリスのことをずっと待っていたこと。
でもイリスは、生まれ変わるたびに、忘れていること。
イリスは今の自分を見てほしかったこと。
でも、信じてもらえなかったこと。
イリスの母さんは、黙って聞いていた。
話し終えたとき、静かに言った。
「イリス、自分で選んだのね。つらくても、ちゃんと」
「うん……」
母が、イリスの頭を撫でた。
「父さんは言うわね、きっと。『それでいい』って」
イリスが、小さく笑った。涙が、また流れる。
「内殻のためって、あなたが思う気持ち、わかるわ。わたしやお仲間のみなさんが心配しているから戻ってきてくれたことも嬉しい。でもね」
イリスの母さんが、静かに続けた。
「イリス、みんな、わたしも父さんも、グレイさんたちもみんな、あなたに幸せになってほしいのよ。それだけは忘れないで」
イリスが、頷いた。
そうだよ、イリス。
あんなに泣くほど悲しい別れを選ばせたのが俺らだって思ったら、嬉しいけど複雑だよ。
それでイリスは、幸せなのか?
考えたら、また腹の上のほうが、ちょっと痛む気がした。
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翌日。
隣のイリスの家を再び尋ねた。
イリスは、昨日よりも落ち着いていた。
目は赤いけど、涙は止まっている。
サイラスがイリスの目元に治癒の魔術をかけた。
イリスの顔がすっきりした。
「ありがとう」って、イリスが穏やかにサイラスに言う。
イリスの家の居間で話をする。
「ルミナリアのこと、話してなかったよね」
イリスが言った。
「ルミナリア?」
そういえば、一緒にいない理由をまだ聞いていなかった。
「うん。ルミナリアは、竜王に恋をして……竜王のそばにいることにしたの」
三人とも、黙った。
グレイが、目を細めた。
「聖女が、竜王に」
「アツイな」
思わずそう言ってしまった。
「騙されたり無理矢理とかじゃないんだな?」
サイラスが聞いた。
「うん。どっちかっていうと、ルミナリアが竜王を好きになって、初めて欲しいって言った感じ。それで竜王もほだされたみたいになって」
「聖女……純粋にもほどがある」
サイラスが小さく笑って言う。
「なんとなく、そのときのルミナリアが想像できるな。明るくて真っ直ぐだもんな」
俺が言うと、イリスはなぜか顔を赤らめて、
「レオが想像しているのとは、たぶん違うと思う」と言った。
どんなだったんだ?
「じゃあ、戻ってこないかもしれないな」
グレイが言う。
「神殿、どうするんだろうね」
イリスが、首を傾げた。
「神殿は神殿でなんとかするだろう。癒しの魔力持ちがほかにもたくさんいるはずだ」
グレイの言葉に、イリスが頷く。
それから、イリスはサイラスを見て言った。
「そういえば、サイラスに翼が生えて、人間じゃなくなるところだったって聞いたんだけど」
俺たちはイリスの母さんに、話せる限りのことを説明していたから、それを聞いたのだろう。
サイラスが、そっと目をそらす。
「危なかったよなあ」
俺はサイラスの肩を叩いた。
「やだ、一緒にいられなくなるところだったんだって?」
イリスが、サイラスを見つめる。
「ピピのおかげでなんとか」
サイラスは、肩を竦めた。
「サイラスが人間でもそうじゃなくてもどっちでもいいけど、サイラスが一人ぼっちになるところだったじゃない」
――そこを心配するのか、イリス。
サイラスが人間じゃなくてもいいのか。
俺はちょっと考えたけど、たしかにサイラスが人間じゃなくても、そんなに困らないかもしれないと思った。
サイラスの右目が少し硬く光ったけど、俺は黙っていることにする。
「じゃあ、ピピを覇王のところに飛ばしてあげる?」
そう言ってから少し顔を伏せてイリスが続けた。
「天使は……戻らなかった、って」
そう言ったイリスの目が、なんだか切なそうで、すごくきれいで俺はどきっとした。
グレイが、やたらと低い声で言った。
「天使は……おまえにそんな顔をさせるんだな」
天使が戻らないから、イリスがそんな顔をするんだ。
イリスは、天使と別れたくなかったんだな。そうだよな、あんなに泣いていたんだから。
イリスは、天使のことが、好きなんだ。
ようやく俺は理解した。
同時に、腹の上のほうが痛む理由も、わかってしまった。
イリスが、天使を好きだから、俺は痛いんだ。
俺もイリスのことが、好きだ。
サイラスが、言った。
「……良い報せじゃないものをわざわざ送らなくていい。ピピも覇王のところに、行きたくないだろう」
「ピピピ」
ピピが、小さく鳴いた。
自分の気持ちに気づいたときには、俺の初恋は終わっていた。




