44.ピピの帰還
【サイラス視点】
「翼をやろうか」
覇王の問いに、俺は答えを選べない。
翼を得れば、金の雲の中、星の海へ行ける。イリスのところへ行ける。
だが、人でなくなる。戻れない。イリスにそれを背負わせたくない。
答えを出せないまま、時間だけが過ぎていく。
覇王は急かさない。玉座に座ったまま、俺を見ている。黒い瞳が静かで、何も映さない。待つ気があるのか、興味がないのか。どちらとも取れる。
そのとき――
「ピピピッ!」
高い声が響いた。
見上げると、白い小鳥が飛んでいる。
「ピピ!?」
ピピが俺の肩に止まった。爪が服を掴む感触。軽い体重。間違いない。
足に、何か結ばれている。紙だ。
「……手紙!」
紙を外して、広げた。
文字が並んでいる。急いで書いたのか、少し傾いている。
『サイラス
無事だよ。ルミナリアも一緒。
竜王と天使に会った。星の海では時間の経ち方が違うみたいで、まだ数時間のつもりだったのに、その間に内殻では数日経ってるらしい。
それと、天使がいないと、やがて内殻が暗闇になるって聞いた。
できるだけ早く帰る。大丈夫だから心配しないで待っていてね。
グレイとレオによろしく。母さんにも。
「大好き」って伝えて。
イリス』
息が、楽になった。
無事だ。
イリスも、ルミナリアも。
肩の力が抜ける。座り込みたい気持ちを押さえ、握っていた杖に力をこめて立ち直す。
「大好き」……これは母親にか、それともグレイとレオ宛か。
俺にでは、なさそうだ。
覇王が、問う。
「魔鳥か?」
「ああ、そうだ。手紙を運んでくれた。イリスからの」
「……イリスから?なぜ魔鳥が。魔鳥は星の海へは行けない」
「この鳥は俺の魔力を得て、モノリスで祝福を受けたらしい」
覇王がピピの目を覗き込む。
三つの目の真ん中が、俺の左目と同じ青紫になっていることに気づいたらしい。
「魔鳥でも、人の魔力に染まれば、祝福を受けることができるのか……」
覇王はじっとピピを見つめ呟いた。
ピピは、俺の髪の中へ逃れるように潜り込む。
覇王の目が、俺に戻る。
「天使は、来るのか」
手紙を読み返す。天使のこと――会ったとは書いてある。だが、来るとは書いていない。
「さあ? わからない。書いてない」
覇王の表情が、変わった。
落胆――そう見えた。
目が伏せられて、口元が固くなる。一瞬だけ、人間みたいに見えた。孤独な人間に。
「……もう千年も、会っていない」
覇王が呟いた。
千年。
想像できない時間だ。
俺の人生の何倍も、何十倍も。
待ち続けて、千年。
覇王が顔を上げた。表情は元に戻っている。感情を消している。
玉座に深く座りなおして言った。
「翼の話は、保留でいいな」
「ああ」
俺は頷いた。
「だが、もし何かわかったら――天使のことが――ピピを飛ばす」
覇王の目が、少しだけ開いた。
「……そうか」
声が、低い。だが、柔らかかった。
「ありがたい」
たしかにそう言った。
感謝の言葉を聞くとは思わなかった。この男が、誰かに頭を下げる様子も想像できない。だが、今の声には、それに近いものがあった。
俺は、手紙をたたんで、ピピを肩に乗せたまま立ち上がった。
「王都へ戻る」
「そうか」
覇王は止めなかった。
城を出る。
来た道を戻る。
帰り道も、魔獣には遭わなかった。
三日もかからず王都に着いた。
兵舎に戻ると、グレイとレオがいた。
訓練場の隅で、二人とも立ったまま話していた。グレイは腕を組み、レオは剣の手入れをしている。
「サイラス!」
レオが顔を上げた。
「よし。無事だな」
グレイが短く言った。
「ああ。ピピが来た」
ピピが俺の髪から顔を出し、ピピピッと鳴く。俺は、手紙を取り出した。
「イリスから」
二人の動きが止まった。
グレイが一歩前に出る。レオが剣を置いて、こちらへ近づいた。
「読んでくれ」
グレイが言った。
俺は、声に出して読んだ。
無事なこと。
ルミナリアも一緒なこと。
竜王と天使に会ったこと。
時間の流れが違うこと。
内殻の危機のこと。
早く帰ること。
「大好き」もちゃんと読んだ。
読み終えたとき、レオが大きく息を吐いた。
「……よかった」
肩の力が抜けるのが見えた。レオは拳を握って、もう一度息を吐く。
グレイは、黙っていた。
だが、目が少しだけ細くなった。安堵の形だ。組んでいた腕を解いて、壁に背中を預けた。
「時間が違うのか」
グレイが呟いた。視線を手紙に落としたまま、言葉を継ぐ。
「それと、内殻の危機……天使がいないと、暗闇になる」
レオが、手紙を見つめた。眉をひそめている。
「それ、本当なのか?」
「覇王も同じことを言っていた」
グレイの目が、俺を見た。銀の瞳が、俺の瞳の中に言葉の意味を探すように、見てくる。
「……そうか」
グレイは腕を組み直した。考える仕草だ。
「天使が戻れば、光も戻るのか」
「たぶん、そうだ」
「じゃあ、イリスが天使を連れて帰ってくるのか?」
レオが聞いた。期待を込めた声だった。
俺は、首を横に振った。
「わからない。手紙には書いてない」
「……そうか」
レオは、少し困った顔をした。剣を拾い上げて、また手入れの布を手に取る。だが、動きが止まっている。
「でも、イリスは帰ってくるんだよな」
「ああ」
「なら、待つしかない」
グレイが壁から背を離して言った。いつもの冷静な声だ。
「待つしかない」
俺もそう言った。
ピピが、俺の肩で小さく鳴いた。
「ピピピッ」
レオが、ピピを見て笑った。さっきまでの緊張が解けたような、素直な笑顔だった。
「ピピも無事でよかった!手紙、ありがとな」
グレイが、ピピに指を差し出した。ピピが首を傾げて、指先をつついた。グレイの口元がわずかに緩む。
「……イリスを、信じよう」
グレイが、静かに言った。
レオが頷いた。剣を鞘に収める音が、訓練場に響く。
「ああ」
俺も、頷いた。
手紙を、もう一度たたんだ。
イリスの字が、紙の中に消える。
ふとグレイが言う。
「覇王はおまえをすんなり返したのだな」
俺は覇王との会話を、できるだけ端折ることなく二人に伝えた。
レオが驚いて叫ぶように言う。
「翼をくれようとしたのか!?」
俺は黙って頷く。
グレイは俺の肩にぽんと手を置いて言う。
「よく断った。レオだったら……今ごろは翼を得て、人でなくなってたな」
たしかに。
「そうかも」レオが頭をかいている。
「でももし翼をもらってたら、イリスが悲しい顔をしそうだ」
「そうだな」
グレイがレオを見て言った。銀の目が優しい。
だがすぐに俺に目を戻して言う。
「覇王は、おまえに魔力で染めてもらおうとしなかったか?」
そう言われて初めて俺はその可能性に気づいた。
「何も言わなかった……だが、あり得たな。ピピのようになれば、自分で金の雲のなかへ行けると考えていたかもしれない」
「サイラスの魔力で染めきれるのか、そこは微妙だがな。考慮には、入れておけ」
グレイの言葉に頷く。
千年、会えずに待つ孤独。なんでも試そうと思うかもしれない。
「今は、イリスを、待つ」
俺はそれだけ言った。
待とう。
イリスが帰ってくるまで。




