39.ゼロの村へ戻る
【サイラス視点】
金色の雲は、何も変わらず揺れている。
イリスも、ルミナリアも、ピピも、見えない。
俺は杖を握り直した。
風の流れ、魔力の残滓、匂い。
何か掴めるはずだと思った。
でも、金色の雲の下は空っぽだった。
触れない。引っかからない。
それが、いちばん腹が立った。
俺にもっと魔力があったら、ルミナリアのように飛べたのだろうか……。
――ピピ。
小さな体。白い羽。
いつも肩にいた、あいつ。
治癒魔術をかけたとき、あいつの核が俺の魔力を吸った。
それで、変わった。
今度は、モノリスで目の色が変わった。
俺と同じ、青紫に。
――まるで、家族みたいだ。
そう思った瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「サイラス」
グレイの声が、俺を現実に引き戻した。
「戻るぞ」
「……戻る?」
レオが、信じられないという顔をした。
「イリスを置いていくのか!?」
「成人の儀を終えた娘を連れて、外殻で夜にする気か」
グレイの声は、低く、硬い。
「商会の娘を預かった以上、帰すまでが任務だ」
「でも!」
「レオ」
グレイが、レオの肩を掴んだ。
「イリスは、必ず戻ってくる。俺たちは、任務を完遂する。それが、イリスのためだ」
レオが、唇を噛んだ。
俺は、何も言えなかった。
グレイの言うことは、正しい。
任務を放棄することはできない。
でも――
――ピピがいれば、増援をすぐに呼べた。
そう思った瞬間、後悔が喉の奥に張り付いた。
ピピは、伝書鳥だ。
俺が「行け」と言わなければ、ここにいた。
増援を呼ぶこともできた。
でも、俺は送った。
イリスとルミナリアを追わせた。
――正しい判断だったのか?
答えは出ない。
「……わかった」
レオが、小さく言った。
「戻ろう」
リディアは、何も言わなかった。
ただ、俯いたまま。
その横顔を見て、俺は気づいた。
――彼女は、自分のせいだと思っている。
成人の儀のために、ここへ来た。
だから、イリスたちが危険に晒された。
そう思っているのだろう。
でも、違う。
イリスは、自分の意志で飛んだ。
ルミナリアも、自分の意志で追いかけた。
誰のせいでもない。
――でも、それを言葉にする資格が、俺にあるのか?
俺たちは、洞窟へ向かった。
誰も、言葉を発しない。
レオが何度も振り返って雲を見ようとするのを、グレイが手で止める。
静かな道。
重い足取り。
螺旋状の道を下りながら、俺は考え続けた。
イリスは、大丈夫なのか。
ルミナリアは、無事なのか。
ピピは――
そのとき、リディアが小さく息を吸う音が聞こえた。
振り向くと、彼女は俯いたまま歩いている。
――泣いている?
いや、泣いてはいない。
でも、目が潤んでいる。
必死に堪えている顔だった。
レオも、それに気づいた。
「リディア?」
レオが、立ち止まった。
「リディア?大丈夫?」
泣きそうな子に返事を強いるんじゃない、レオ。喋れるわけない。
「もしかして、自分のせいとか思ってる?」
レオがど直球で聞く。
リディアが、顔を逸らす。
「違うよ!」
レオが、大きな声で言った。
「あんたのせいじゃない!」
レオが、リディアの肩を掴んだ。
「でも……わたしの、成人の儀で……」
リディアの声が、震えながらやっと言葉になった。
「違う! そうじゃない!」
レオが、さらに近づいた。
顔が、近い。
くっつきそうなくらい、近い。言葉じゃなく距離で押すのは、相手によっては折れる。今のリディアは折れないが——
「イリスは、あそこに行きたがってたんだ!」
レオが、熱く語る。
「だから、俺たちも行こうとした。イリスが行けたのは、大正解なんだよ!」
リディアが押されている。レオの言葉は飾りはないし、押しが強すぎるが、その分全部本音だ。
「リディアのおかげなんだ!」
レオの声が、洞窟に響く。
「ただ……俺は置いてけぼりになった。それが悔しいだけだ!」
レオが、リディアの肩を強く掴んだ。お嬢様になんてことをする。
でもリディアは逃げようとはしていない。
「リディアのせいとか、全然関係ないだろ!?」
そのとき、奥から魔獣の気配がした。
グレイが、無言で剣を抜いた。
一閃。
魔獣が倒れる音が、短く響いた。
レオが気づいていないわけはないが、グレイにやらせておけとでも思ったのか。
「わかった?」
レオが、リディアの顔をさらに覗き込む。
リディアの顔が、真っ赤になった。
「わ、わかった、レオ」
リディアが、小さく言った。
「わかったわ」
「ほんとに?」
「本当よ」
リディアは、また顔を背けた。
耳まで赤い。
レオは、ようやく気づいた。
「あ……」
レオも、顔が赤くなった。
「わ、悪い……」
グレイが、ため息をついた。
「行くぞ」
俺は、何も言わなかった。
リディアの罪悪感が薄れるならそれに越したことはない。
俺も考え続けてしまう。
イリスは、大丈夫なのか。
ルミナリアは、無事なのか。
ピピは――
答えは出ない。
ただ、祈るしかない。
やがて、ゼロの村の門が見えてきた。
門番が、こちらを見て怪訝な顔をした。
「レオ!? グレイ!? ……イリスは?」
「説明する。イリスの母親を呼んでくれ」
グレイが、短く言った。
しばらくして、イリスの母親が駆けてきた。
「イリスは?」
最初の言葉が、それだった。
グレイが、事情を説明した。
金色の雲のこと。
イリスが吸い込まれたこと。
ルミナリアとピピも追いかけたこと。
イリスの母親は、静かに聞いていた。
そして――
「……そうですか」
驚いた様子はあった。
でも、取り乱さなかった。
「大丈夫」
母親は、微笑んだ。
「あの子が、帰ってこなかったことはありません」
その言葉が、俺の胸に刺さった。
「信じてやってください」
母親は、俺たちを見た。
優しい目だった。
俺は、取り乱す言葉を待っていた。
怒鳴り声でも泣き声でもいい。
だが、来なかった。
その静けさが、逆に怖かった。
その夜、俺たちはゼロの村に泊まった。
翌朝、リディアを王都へ送ることになった。
馬車に乗り込む前、リディアが小さく言った。
「……ありがとう」
グレイは黙ってリディアの頭に手を置いて軽くなでた。
「親父さんが待ってる。帰るぞ」
リディアは、何も言わなかった。
ただ、頷いただけ。
馬車が動き出した。
俺は、窓の外を見た。
ゼロの村が、遠ざかっていく。
イリスの母親が、見送っているのが見えた。
――イリス。
行きと同じく向かいに座ったリディアが俺の顔を見て言う。
「サイラス……右目が……」
あれの色が出ているのか。
そうか。あいつなら、行き方をもっと知っているかもしれない。
悪い予感じゃない。合図だ。
覇王。会いに行く。




