4.襲来
家に戻る途中、両親が心配そうに待っていた。
「イリス! 無事だったのね!」
母さんが抱きしめてくれる。
「うん。リアを助けられた」
父さんが、わたしの肩に手を置いた。
「よくやった。でも、無茶はするなよ」
「ごめん」
「謝ることはない」
父さんが笑う。
「お前は勇敢だ。それでいい」
三人で並んで歩いた。
夕食の席で、わたしは両親に正直に話すことにした。なんとなく、この父と母にはそうしたほうがいいと思った。嘘は、二人のくれた愛情に応えることにならない気がする。
「父さん、母さん。実は……」
二人が箸を止めて、わたしを見た。
「わたし、なぜか空を飛べた。なんで飛べたかはわからない。でもみんながびっくりするから、この滑走靴が魔道具だってことにしたの」
言いながら、自分が嘘をついたことを告白していることに気づいた。なんだか自分が恥ずかしいような、叱られるようなそんな気持ちで下を向く。ごめんなさい、って言おうと思った。
少し沈黙があった。そして父さんの静かな声がした。
「それは大正解だ」
え……。
わたしは思わず顔を上げた。
父さんがとても穏やかな顔でわたしを見ている。
母さんも頷いた。
「賢いわ、イリス」
二人は優しい顔でほほ笑んでいる。
父さんが続けた。
「うまく話を合わせておいてやる。お前が魔道具を使って飛んだことにしよう」
「……父さん。母さん」
わたしは、じんわりと胸が熱くなった。
前世の親は、決して悪い親じゃなかった。でも、この世界の両親は違う。全肯定してくれる。わたしの嘘さえも、守ってくれる。急に自分の周りに、あったかい安全な居場所が現れた気分になる。
「ありがとう」
そう言うのが精一杯だった。
父さんが真面目な顔になった。
「イリス、お前もレオと一緒に王都兵団へ行くんだろう?」
「……考えてた」
母さんが優しく言った。
「そのほうがいいと思うわ。イリスに、この村は狭すぎる」
父さんが頷いた。
「虹色の瞳を持つお前は、もっと大きな世界で生きるべきだ」
わたしは二人の顔を見た。寂しそうな顔は、していなかった。むしろ、誇らしげだった。
「レオと一緒なら安心だわ」
「そうだな。それに王都兵団には、グレイもいる。あの男がいるなら大丈夫だ」
父さんの言葉に記憶を探ってみる。グレイはレオの叔父さんだ。このゼロの村出身で、強くて頼もしい人。
「わかった。王都へ行く。ありがとう。父さん、母さん、大好きよ」
素直に言えた。
両親は笑顔で頷いた。
「わたしたちもよ、イリス」
「イリス、おまえを愛している」
ふたりの穏やかな声が、しみじみと胸に広がっていく。
成人の儀を迎えて、大人になったらしいけれど、まだまだわたしはこの人たちの子どもでいたい。そう思った。
その夜。あれこれと疲れていて、まだ早い時間にわたしは布団に入った。
うつらうつらと眠りかけに、夢を見た。誰かの声が聞こえる。
「また……忘れて……」
優しい声。でも、誰?
目が覚めかけた、その時――村の見張りの鐘の音がガンガンと鳴ったのが聞こえた。
え!?
ガシャン!
窓ガラスが割れる音がした。わたしは飛び起きた。
窓の外に、三つの目が光っていた。
魔鳥だ。
昼間の、あの魔鳥。仕返しに来たんだ。
「イリス!」
父さんの声が聞こえた。父さんも母さんもまだ起きてたんだろう。扉が開いて、父さんが剣を持って飛び込んでくる。
魔鳥が窓から侵入しようとした。父さんが剣を振るう。魔鳥の爪が、父さんの胸を切り裂いた。
「父さん!」
母さんの悲鳴が聞こえる。
魔鳥がわたしに向かってくる。わたしは滑走靴を掴んだ。履く暇はない。
その時、窓の外から声が響いた。
「イリス、伏せろ!」
レオだ。
母さんがわたしに飛びついて、一緒に床に倒れこんだ。短剣が飛んできて、魔鳥に突き刺さる。魔鳥が悲鳴を上げた。
レオが窓から飛び込んできた。赤い目が光っている。飛びながら剣を振るう。魔鳥が倒れて動かなくなった。
静寂。
わたしは父さんに駆け寄った。
「父さん! 父さん!」
父さんが、かすかに笑った。
「イリス……無事か……」
「うん、無事! だから、父さんも!」
母さんが泣きながら父さんを抱きしめる。
「……イリス……」
父さんの声が、弱くなっていく。
「……イリス……それでいい……」
「父さん!」
父さんの手が、力なく落ちた。
村の墓地に人々が集まっていた。
父さんの葬儀。
灰色の空。簡素な墓標。村長が祈りの言葉を唱えている。
わたしは母さんの隣に立った。
母さんは泣いていない。目だけが乾いたまま開いている。顔も、肩も、動かない。
泣かないんじゃなくて、止まっている。
レオと家族も来ていた。
リアが、わたしを見るなり泣き出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
ちがう。言葉にならなくて、首を横に振る。
謝るなら、わたしだ。
魔鳥が恨んで、仕返しに来た。狙っていたのはわたし。父さんは、わたしを守って死んだ。
『イリス、おまえを愛している』
『……イリス……それでいい……』
父さんの声を、何度も何度も反芻する。
優しくてあったかい、赤い目。
村長の言葉と祈祷師の祈りが終わった。
人々が一人ずつ、墓標の前に花を置いていく。
わたしの番が来た。白い花を握って、墓標の前に立つ。
「父さん……」
やっと声が出たけれど、次が続かない。
ごめんなさい、ありがとう。そんなの、足りない。
花を置いた。
気が付いたら、葬儀は終わっていた。
母さんが、隣に立っている。
「イリス」
母さんの声は穏やかだった。
「あなたは悪くない」
「でも……」
「謝らなくていいの。謝ることじゃないの。責任を背負わないで、イリス」
母さんが、わたしを抱きしめた。
「父さんは、あなたを誇りに思ってた。あなたを守れたことも」
わたしは母さんの胸で、やっと息を乱した。
父さんの声が聞こえる。
『イリス、それでいい』
母さんとふたり、家に戻る。
父さんの椅子だけが、空いている。
空いてるのに、そこだけ重い。
母さんが、お茶を淹れてくれた。
「イリス、あなたは王都へ行くのよね」
「……うん」
母さんは頷いた。
「そう。それがいいわ」
「でも、母さん一人になっちゃう……」
「大丈夫よ。村のみんながいるから」
母さんが、わたしの手を握った。
「思うままに自由に生きなさい。あなたの選んだ道が正しい道よ」
「母さん……」
「あなたには、虹色の瞳がある。その力を、大切にして」
母さんはそこで言葉を切って、立ち上がった。奥の部屋から持ってきたのは――滑走靴。
わたしが、いたたまれなくて奥に仕舞ったものだった。
「これは、父さんがあなたに贈ったもの。持っていきなさい」
「……わかった」
受け取った瞬間、喉の奥がつまった。
父さんの形見。これを履いて、わたしは飛ぶ。
父さんはこのことも「それでいい」って言うだろうか。
夕方、レオが訪ねてきた。
「イリス、大丈夫か?」
レオの真っ赤な左目を見ると、父さんの温かな赤い目を思い出して、すこし自分の硬さがゆるむ。
「うん……なんとか。レオ、助けてくれてありがとう」
命の恩人にちゃんとお礼も言っていなかったことに、いまさら気づいた。
レオはそれには何も答えず、眼帯を差し出した。
「これ、母さんとリアたちが作ってくれた。お前に」
薄茶色の革の眼帯。縁取りにビーズが少し。鈍くきらめいている。
「これは……」
「イリスの父さんへの感謝と、お守りの気持ちだって」
わたしは受け取った。丁寧な縫い目。
リアの小さな手が浮かぶ。あの子、きっと何度も刺してる。
「ありがとう、レオ。リアにも伝えて」
「ああ」
その場で、今までの簡素な眼帯を外して、新しい眼帯をつけた。
「似合う?」
ぎこちない声だったかもしれない。
でもレオは小さく笑った。
「ああ。似合ってるぞ」
それだけでまた少し、胸の奥がほどける。
こういうとき、レオは余計なことを言わない。
「王都に行くんだよね」
「ああ。行く」
「わたしも一緒に行く」
レオは一瞬黙った後、頷いた。
「そうしよう」
わたしは荷物をまとめた。着替え。食料。水筒。剣。そして滑走靴。
母さんが部屋に来た。
「イリス、これも持っていきなさい」
小さな袋。中には乾燥肉と木の実。
「ありがとう、母さん」
母さんが、わたしを抱きしめた。
「大丈夫よ、イリス。大丈夫。あなたは、こんなに、大きくなった」
母さんの声が少し、震えている。
「うん。大丈夫。わたし、もう二度と、奪わせない」
母さんが、わたしの髪を撫でる。何度も。
二人でずっとそうして、お互いの体温を感じていた。
村の広場に見送りの人々が集まっていた。レオの家族もいる。
リアは、また泣きそうな顔だ。
「イリス……ごめんね……」
「リア、謝らないで」
わたしはリアを抱きしめた。
「あなたのせいじゃないから。それに、わたしはあなたを助けられてよかったと思ってる」
わたしの腕の中で、リアが小さく頷く。
母さんが、わたしの前に立った。
「気をつけてね、イリス」
「うん。母さんも、元気でね」
わたしは母さんを抱きしめた。このぬくもりを忘れない。わたしの思いは、いつでもここに戻ってこれる。
村人たちが手を振っている。
「レオ、イリス、頑張れよ!」
「お母さんのことはまかせて。心配はいらないわ」
「王都で活躍しろ!」
「グレイによろしくな!」
わたしたちは手を振り返し、歩き始める。
父さん、行ってきます。




