36.故郷の村
ゼロの村の門をくぐった途端、あちこちから人が出てきた。畑の手を止めた人、桶を抱えたままの人、子どもまで走ってくる。
「イリスだ!」
「レオも!」
「グレイまで!」
呼ぶ声が重なって、足が止まった。思い切り深呼吸する。ここは、知ってる場所だ。
人だかりを割って、大柄な男が駆けてきた。レオのお父さんだ。息が切れてるのに勢いは落ちない。
「レオ! グレイ! 帰ってきたか!」
レオの肩を叩き、次にグレイを見る。視線が柔らかい。
「来るなら連絡しろ」
「任務だ。連絡はできなかった」
グレイが短く返した。
男は一拍置いてから、すぐ頷いた。
「そうか。なら仕方ねえ」
それだけ言って、笑顔になる。
「今夜は泊まるんだな」
「ああ。朝に出る」
「よし。入れ入れ!」
その声の後ろから、別の声が飛んできた。
「イリス!」
母さんが走ってきた。息を切らしてるのに、目だけはまっすぐこっちを見ている。
「母さん!」
わたしは馬から降りて、母さんに抱きついた。母さんも迷いなく抱きしめ返してくれる。腕が温かい。背中を二回、軽く叩かれた。
「おかえり、イリス」
「ただいま」
母さんが少し離れて、わたしの顔を確かめるみたいに見た。
「元気そうね」
「うん」
それ以上はいらなかった。言い足すと崩れそうで、頷くだけにした。
---
夜はレオの家で夕食になった。
大きなテーブルに料理が並ぶ。煮込みの匂い、焼いた肉、パン。湯気が立って、家の中が一気ににぎやかになる。
レオの家族、わたしの母さん、リディアとルミナリア、サイラスとグレイ。座る場所が足りなくて椅子が増えた。
ピピはテーブルの端にちょこんと乗っている。首をかしげて、皿のほうを見ている。
「わあ、小鳥!」
声を上げたのはリアだった。レオの妹。あのとき攫われた子だ。ちゃんと笑ってる。それだけで、ほっとした。
「ピピっていうの。魔鳥だけど大丈夫。兵団のお役目のある小鳥よ。触ってもいいよ」
リアがそっと手を伸ばす。急に掴まない。ちゃんと距離を測ってる。
「ピピ、かわいい!」
「ピピピッ」
ピピが鳴いて、指先にくちばしを軽く寄せた。リアが息を止めてから、ぱっと笑う。
サイラスは黙ったまま、見守ってる。
レオのお母さんが料理を運びながら、リディアとルミナリアに笑いかけた。
「綺麗なお嬢さんたちだねえ」
二人が揃って頭を下げる。動きが揃いすぎて、少しだけ面白い。
「金色の目……珍しい!」
村人の誰かがルミナリアを見て言った。
「銀の目も珍しいぞ」
今度はグレイへ声が飛ぶ。
「青紫もいるじゃねえか!」
それはサイラスを見ての言葉だった。
「稀色がこんなに集まるなんてな」
「レオも赤目だぞ!覚醒した赤目だ」
レオのお父さんが笑って言う。
「見せてやれ、レオ」
「……いいのか?」
レオが立ち上がって剣を抜いた。ざわっと空気が変わる。子どもが背伸びする。
左目が赤く光り、剣に色が移る。刃が赤く染まった。炎みたいに揺れず、色だけが乗る。
「おお……!」
歓声が上がった。
リアが拍手して、レオが照れた顔で剣を収めた。刃が戻るのを、何人かが名残惜しそうに見ている。
---
食事の途中、母さんが箸を置いて言った。
「ゼロの村は、モノリスに近いのよね」
リディアが手を止める。
「近いのですか?」
「徒歩で数時間」
母さんが答えた。
「だから魔獣も来やすい」
レオのお父さんが続けた。
「外側に出る道が近いからな。通り道になる」
わたしは黙って頷いた。父さんのことが、一瞬よぎる。この村は優しいけど、やさしいだけの場所じゃない。
---
片付けが始まったころ、ルミナリアが椅子にもたれた。背中が少し丸い。さっきまでずっと笑っていたのに、なんだか息が浅い。
「ルミナリア?」
「……少しだけ、苦しいです」
リディアが水を差し出す。ルミナリアは受け取ったが、唇まで運んで止まった。手が震えるほどじゃない。でも、無理をしてるのが見える。
サイラスがその様子を見て、短く言った。
「魔力が溜まっている」
ルミナリアが頷いた。言い訳みたいな顔をしない。
「神殿では毎日、癒しをしていました。こちらに来てから、まだ一度も……」
「やらないとどうなる」
グレイが聞く。声は低いが、責めてはいない。
「溜まります。放っておくと、苦しくなります」
ルミナリアは胸元に手を置いた。押さえつける動きじゃなく、確かめるだけ。
母さんが、小さく言った。
「村には怪我人も病人もいるよ」
レオのお父さんも頷く。
「この時期は多い。助かる」
ルミナリアは姿勢を正した。息を整えるみたいに、肩を一度上げて下ろす。
「……よろしいですか。癒しをさせてください」
リディアがすぐ頷いた。
「お願い。助かる人、たくさんいると思う」
---
それから人が集められた。
包帯を巻いた手。咳が止まらない子。足を引きずる老人。熱を出したまま抱えられてきた幼い子もいた。
列は家の外まで伸びた。こんなにいるのか、と息が詰まる。
ルミナリアは一人ずつ前に呼び、手を取って祈った。言葉は小さい。けれど途中で途切れない。
金の粒が静かに溢れて、触れたところが落ち着いていく。
包帯の下の腫れが引いていくのが分かる人もいる。咳が止まって、子どもが瞬きをしてから笑った。
列は長かった。ルミナリアは止めなかった。
途中で、ルミナリアの顔色が戻った。呼吸も整っていく。肩の重さが抜けるみたいに、背筋がまっすぐになる。
わたしは横で見ていた。
神殿で「毎日」と言っていた意味が、ここでやっと形になった。こうしてずっと、誰かの手を取ってきたんだ。
癒しを受けた誰もが涙を流してお礼を言っていく。
ルミナリアはその言葉を、ただ受け取っていった。
「リディア、魔力が溜まって苦しかったんだろうに。でも言わないで黙ってた」
わたしがそう言うと、グレイが少し考えて言った。
「命令や指示に従うことに慣れすぎると、自分から自由に行動することが難しなる。自由には、意志と決断と、それに欲が要るからな」
欲。聖女には似合わない言葉だとふと思ってしまい、それが彼女を取り巻いてきた鎖だったかもしれないと気づく。
---
夜が更けて、寝る場所が決まった。
「ルミナリアとリディアは、うちに泊まりなさい」
レオのお母さんが言った。
「お世話になります」
リディアが頭を下げる。
ルミナリアも同じように頭を下げた。
「ありがとうございます!」
言い方がさっきより明るい。無理をしてないほうの声だ。
わたしは母さんと家へ戻った。
「イリス、どこで寝る?」
母さんの声に頷きかけて、言葉が止まった。
自分の部屋が浮かぶ。あの夜の空気が一緒に戻ってきそうで、喉の奥が詰まる。
母さんは、わたしの顔を見たまま急かさなかった。
「……自分の部屋で寝る」
言ってから、少し遅れて息を吐いた。
逃げたくない。逃げたら、明日も同じになる気がした。
母さんが小さく頷く。
「じゃあ、一緒に寝ましょう」
家の廊下を歩く。足音が二人分。
扉の前で立ち止まった。指が動かない。
母さんが先に手を伸ばして、扉を開けた。
「ほら」
部屋の匂いは、思ったほど怖くなかった。何も変わっていないのに、少しだけ違って見える。
母さんが灯りをつける。明るさが、壁と床をちゃんとここに戻す。
わたしは自分のベッドを整えた。ずっと母さんが綺麗にしてくれていたのがわかる。
母さんはきっと毎日この部屋を整えていたんだ……。
端を揃える。手が落ち着くまで、ただそれをやる。
母さんは黙って、簡易ベッドを隣に出して支度している。
「……ありがとう。母さん」
母さんは返事の代わりに、わたしの髪に指を通した。
「王都で大変だったでしょう」
母さんが言う。
「……うん」
「でも、ちゃんと戻ってきた」
母さんの手が頭に触れた。確かめるみたいに、ゆっくり。
「怖かったままでも、ちゃんと進んだね」
返事を探して、やめた。今は言うと崩れる。
母さんが隣の布団に入る気配がして、部屋の音が静かになる。
わたしは自分の布団に潜った。
「おやすみ、イリス」
「おやすみ」
目を閉じた。すぐには眠れない。
それでも、扉の向こうへ戻される感じはしなかった。




