31.夜の神殿
【サイラス視点】
夜。神殿の外壁は高く、正面から入れば確実に見つかる。
「裏から回る」
グレイが、低く言った。
俺たち三人は、神殿の裏手へ向かった。
ピピが肩の上で、小さく鳴く。
「わかってる。案内しろ」
ピピが飛び立つ。
白い羽が、闇に溶ける。俺たちは、その後を追った。
神殿の裏には、小さな扉があった。使用人用だろう。
レオが扉に触れる。
「鍵がかかってる。壊すか?」
「待て」
俺は、扉の鍵穴に指を当てた。これは魔術の施錠だ。
「契約解除――解錠」
カチリ、と音がした。開いた。
「さすがだな」
グレイが、軽く言った。
「施錠はまだうまくいかない」
素直に白状しておく。
「いいさ。今は要らん」
俺たちは、静かに神殿の中へ入った。
廊下は薄暗い。壁に掛けられた燭台が、わずかな明かりを灯している。
ピピが、先を飛ぶ。
「ピピ、イリスはどこだ」
ピピが、ピピピッと鳴いて、廊下の奥を指す。
「あっちか」
俺たちは、足音を殺して進んだ。
その時――足音が近づいてきた。
見回りだ。
「隠れろ」
グレイが、小さく言った。
俺たちは、柱の影に身を潜めた。
見回りの神官が二人、こちらへ向かってくる。
くそ。見つかるか――
「あの、そちらの方々」
突然、声がした。
明るい、少女の声。
廊下の向こうから、金髪の少女が現れた。
豪奢なドレス。金色の左目。
「聖女様!」
神官たちが、慌てて頭を下げた。
「こんな夜遅くに、どうなさいました」
――聖女か。
「ええと……お客様がいらしたのです」
少女――聖女が、こちらを見た。
しまった。
だが、聖女は笑顔のままだった。
「イリス様のお友だちですね?」
――え?
「そうです。イリス様に、お会いしたくて」
俺は、咄嗟に言葉を返した。
「やっぱり! そうなのですね! イリス様と似たオーラが見えます」
聖女は、明るい笑顔で頷いた。
オーラ?この聖女には何が見えているのか。
「こちらの方々は、わたくしのお客様です」
神官たちに、そう告げる。
「お客様……? しかし、こんな夜遅くに……しかもなんだか怪しげな」
「皆様にはこの方々のオーラがお見えにならないのですか?こんなにはっきりしているのに」
聖女はきょとんとした顔で首を傾げる。
「いや……その……聖女様ほどは、我々は……」
神官たちが目を伏せながらしどろもどろで言う。
「皆様お疲れなのでしょう。大丈夫です。法王様には申し上げません。この方たちは、わたくしが、ご案内いたします」
神官たちは、そそくさと頭を下げて去っていった。
聖女が、こちらへ近づいてくる。
「イリス様のお友だちのみなさま。お待たせしました。わたくしはルミナリアと申します」
キラキラした目で、俺たちを見る。なんとも調子が狂う。
「……ああ」
グレイが低く答える。
聖女ルミナリアが、俺の顔を覗き込むみたいに見上げた。
「まあ! あなた様、絵で見た覇王様とそっくりです!」
――覇王の絵があるのか。
あれにそっくりと言われると妙に不愉快になる。
だがここでは使えそうだ。
「俺は覇王家の末裔だ」
嘘ではない。事実だ。
「まあ! 素晴らしい! 絵をご覧になりますか?」
ルミナリアが、さらに目を輝かせる。
「……今はいい」
俺は、視線を逸らした。
無下にはできない。こいつは、本当に何も疑っていない。
「そうですか。では、イリス様のところへご案内いたします」
ルミナリアが、廊下の奥を指差した。
「どうぞ、こちらです」
俺たちは、ルミナリアの後をついていった。
途中、何度か見回りの神官とすれ違った。
だが、ルミナリアが一緒にいるせいで、誰も止めようとしない。
「聖女様のお客様か」
そう言って、頭を下げて通り過ぎていく。
――これは、楽だ。
やがて、ルミナリアが一つの扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
扉を開ける。
中は、客室だった。
ベッドに、イリスが横たわっている。
「イリス!」
レオが、大きな声を上げた。
ドスッ。鈍い音がした。
「っ!?」
レオが、グレイに腹を殴られて倒れかける。グレイ、本気の拳だ。レオじゃなかったら今ごろ意識がないだろう。
いや、レオじゃなかったら、ここで大声は出さないか。
俺たちは、ベッドに近づいた。
イリスは、目を閉じたまま。
呼吸は浅い。顔色も悪い。
「イリス」
俺は、イリスの額に手を当てた。
熱はない。だが、普通じゃない。
睡眠魔術――いや、薬草によるものか。この甘い香り。
「契約執行――清浄」
部屋の空気を洗った。甘い匂いが消える。
「……天使……会いたい……」
イリスが、うわごとを言った。
――天使。
胸の奥が、ざわついた。
イリスが、天使に。
「イリスを連れて行くぞ」
グレイが、イリスを抱え上げた。
「まあ、どうなさるのですか?」
ルミナリアが、目を丸くした。
「天使に会いたがっている」
俺は、ルミナリアを見て言った。
「ここよりもふさわしいところ、すぐに会えるところに連れて行かなくてはならない」
嘘だ。完全にではないが、嘘だ。
「まあ! 素晴らしいです!」
ルミナリアが、目を輝かせた。
「わたくしも、ご一緒いたします!」
――え。
「いや、おまえは……」
「わたくしも、天使様に会いたいのです!」
ルミナリアは、キラキラした目のまま言った。
――まずい。
だが、ルミナリアはもう、自分のマントを羽織っていた。
「さあ、参りましょう!」
俺は、小さくため息をついた。
――良心が、痛む。
ルミナリアの案内で、俺たちは神殿を出た。
途中、誰にも止められなかった。
外に出ると、夜の冷たい空気が肌に触れた。
「ここまででいい」
グレイが、ルミナリアに言った。
「ありがとう。もう戻れ」
「いいえ」
ルミナリアは、首を横に振った。
「わたくしも、天使様に会いたいのです」
「だが……」
「お願いします!」
ルミナリアの目が、真剣だった。
疑うことを知らない、純粋な目。
「……わかった」
グレイが、折れた。
グレイは、イリスを抱えたまま歩き出す。
腕の中のイリスを、絶対に離さない。
俺は、ピピを肩に乗せた。
「よくやった、ピピ」
小さく言って、頭を撫でる。
ピピが、ピピッと嬉しそうに鳴いた。
俺たちは、兵舎へ向かった。
ルミナリアが、後をついてくる。
イリスは、グレイの腕の中で、まだうわごとを言っている。
「……天使……」
その声が、俺の胸に刺さる。
――イリス。
――おまえは、何を求めている。
俺は、前を向いたまま歩いた。
右目の奥が、わずかに疼く。




