26.なにが真実か
頭の中が、まとまらない。
リディアの夢が、何度も割り込んでくる。
「黒い王が……嘘を……真実を……入れ替わる」
「虹色の方は、惑わされてはいけません」
黒い王。――それは、この男のことだと思った。
玉座にいる、覇王と呼ばれる男。
けれど、いま目の前で語られている言葉は、嘘には聞こえない。
この男がそう聞かせているだけなのかもしれない。そう思う自分もいる。
何が本当で、何が嘘なのか。左目の熱だけが、ずっと途切れない。
覇王が、ゆっくりと視線を戻した。
「天使を知っているか?」
広間に落ちたその言葉で、左目がどくんと鳴った。
「神話に……」
わたしはそう答えた。
「ああ。神話、か」
覇王は玉座に腰を下ろし、淡々と続ける。
「かつて天使は、人のために在った。……ずっと、な。天井に明かりを与えた。この世界の天井が明るさを変えるのも、天使の力だ」
神官が言っていたのと同じだ。
「それが、どうした」
レオが剣を構えたまま言う。
覇王の表情が、ほんの少し硬くなる。
「だが、竜王が隠した。――失われた」
「竜王?」
サイラスの声が低い。
「ああ。竜王が天使を自分のものにした。人々から奪い、どこかへ隠したと言われている」
言い方に、棘が混じる。
「なぜだ」
サイラスが問う。
覇王は一拍おいてから答えた。
「さあな。竜王の気まぐれか、それとも……」
「それとも?」
グレイが促す。
覇王がこちらを見た。
「……天使を独り占めしたいのだろう」
引っかかった。
声の端に、わずかな欠けがある。怒りとも違う、乾いたもの。
レオが先に切り込んだ。
「それで、お前は何がしたい」
覇王が立ち上がる。
「人は、天使を取り戻せる」
「天使を?」
レオが眉をひそめる。
「ああ。たとえば天使の力で、おまえたちが困っている魔獣を、人から離すことも可能だ」
覇王の視線が、わたしに止まった。
「虹色の瞳を持つ者。天使が探している色を持つおまえなら、天使と会える」
覇王が、こちらへ手を伸ばす。
「竜王のところへ行け。天使を連れ戻せ。人の世のために」
「待て」
グレイが、すっと前に入った。覇王とわたしの間を切るように。
「お前の言葉を、どこまで信じればいい」
「信じなくてもいい」
覇王はグレイを見たまま、平然と言う。
「だが、虹色の瞳を持つ者はいずれ天使と出会う。それは避けられない」
覇王の目が、もう一度わたしに戻る。
「ならば竜王のところへ行け。真実を知れ」
「真実……」
「ああ。お前が忘れていること。お前が探していること。全て、竜王が知っている」
左目の熱が、言葉に合わせて脈を打つ。忘れていること。探していること。
頭の奥で、声がした。
「また……忘れて……」
わたしは覇王を見上げた。
「竜王は、どこにいるの?」
覇王が、口の端を上げる。
「星の海だ」
「星の海?」
「ああ。この世界の果て。蒼い珠が最も美しく見える場所」
覇王がまっすぐ前を指を差す。
「そこに、竜王の宮殿がある」
そのときサイラスが一歩前へ出た。
「待て。お前は本当に、人のために天使を取り戻したいのか」
覇王がサイラスを見る。
「疑り深いな」
「当然だ」
サイラスは睨んだまま引かない。
覇王は視線を遠くへ流し、短く息を吐いた。妙に甘い残り方をする吐息だった。
沈黙が伸びたあと、覇王が静かに言う。
「わかった。白状する。……私も天使に会いたい」
今度は、嘘ではない気がした。
覇王は、天使に会いたがっている。
でもサイラスは止まらない。
「証拠がないものを簡単に信じるわけにはいかない」
覇王は薄く笑った。
「証拠か。――お前の祖先は、かつて覇王家の者だったようだ」
覇王家?
そんな家が、あったの?
覇王は続ける。
「今は血が薄まり散ってしまった」
そしてサイラスへ手をかざした。
「証拠を見せよう」
その瞬間。
サイラスの右目が、黒く輝き始めた。
「人の血など薄まるものだが……おまえは濃く出ているな」
「サイラス! 右目が!」
レオが叫ぶ。
「……左じゃない」
グレイが呆然とする。
サイラスの右目は色としては黒いままだ。けれど、覇王の瞳みたいに、宝石のような硬い輝きが宿っている。
サイラスが右目を押さえる。
「成人の儀じゃないのに……何をした」
「ただ、眠っていた血を呼び起こしただけだ」
覇王が微笑む。
「お前の力が増す。喜べ」
「……迷惑だ」
サイラスが吐き捨てる。
覇王は楽しそうに口角を上げた。
「そのうち慣れる。感情が高ぶった時、力を使う時、右目が輝くだろう」
サイラスは食い下がる。
「俺の右目をおまえの力で変えただけだ。おまえが天使に会いたがっているという証拠にはならない」
覇王はとうとう声を立てて笑った。
「おまえはよいな。名は……サイラスか。覚えておく」
サイラスは憮然としている。
右目は黒いダイヤみたいに硬く光り、左目の青紫と並んでしまった。
――綺麗だった。
口にしたら、サイラスの眉間がさらに寄るだけだろうけれど。
覇王が、玉座に戻る。
いろんなことを言われて、なにが真実なのかわからなくなってきた。
魔獣は覇王の眷属ではない。
天使はかつて人のために在った。
竜王が天使を隠した。
天使には魔獣と人を離せる力がある。
覇王も天使に会いたがっている。
サイラスは覇王家の血を引いている。
わたしは天使に会える。
竜王は星の海にいる。
どこかに嘘があって、どこかに真実があるのだろう。
いまは、全部いったん抱えるしかない。
「さて。お前たちに、もう一つ教えておこう」
まだあるの。
「何だ」
グレイが言う。
「魔獣は私の眷属ではない。ただ、この世界に生まれてくるものだ」
「それは、さっき聞いた」
レオが噛みつくように返す。
「ああ。だが――最近、魔獣が増えている」
覇王の表情が変わる。軽さが消える。
「誰かが、魔獣を呼び寄せている」
「誰が?」
サイラスが問う。
「さあな。だが、それは私ではない」
覇王が、わたしを見た。
「竜王のところへ行け。そうすれば、全てがわかる」
黒い瞳が、ひときわ強く輝いた。
その瞬間、左目が激しく脈動する。
「あ、あ……」
わたしは目を押さえて、膝をついた。
「おまえ、イリスに何をした!」
レオの声が遠い。
覇王の声だけが、耳に残る。
「竜王のところへ行け」
床が沈んだ。身体が下へ引かれる。
そのまま、意識が切れた。
⸻
目が覚めた時、誰かの背中だった。大きな肩に、頬が当たっている。
「あ、わたし……」
「気づいたか」
グレイの声。
肩の向こうの景色で分かった。ここはもう城の広間じゃない。洞窟の通路だ。
「イリス、大丈夫か!?」
横からレオの声がする。
「うん……」
左目がまだ熱い。
わたしは無意識に、その熱いところをグレイの首に寄せた。冷えた肌が、少しだけ楽にしてくれる。
「眠れ、イリス。もう大丈夫だ」
グレイの声に、「ん」とだけ返した。
そして、わたしはまた眠った。




