表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/52

25.覇王の城

 覇王の城が近づくにつれて、空気が変わった。


 冷たい。音が吸われる。さっきまで耳に残っていたはずの気配が、すっと消える。


「妙だな」

 グレイが小さく言った。

「魔獣の気配がない」


「さっきまで、あんなにいたのに」

 レオは剣の柄に手を置いたまま、周囲を睨む。


 生存者たちは「多すぎた」と言っていた。なのに、ここだけ空白みたいだ。


 サイラスは何も言わず城を見上げている。肩のピピも、鳴かない。羽をすぼめて、首を縮めていた。


 やがて、入口が見えた。


 巨大な石の扉。表面には、紋様のようなものが刻まれている。文字にも見えるし、ただの模様にも見える。


「……開いている」

 サイラスが言った。


 扉はわずかに開いていた。細い隙間から、暗さだけが覗く。


「罠か?」

 レオが身構える。


「閉める必要がないんだろう」

 グレイは淡々としていた。

「入るのは止めない。出る方だけ選ぶ……そういう作りに見える」


 グレイは剣の柄に親指をかけたまま、しばらく動かなかった。呼吸が一つ、静まる。


 それから扉に手を掛け、ゆっくり押した。


 石が擦れる重い音。扉が開いていく。


 中は——予想と違った。


 外は荒れた岩山みたいだったのに、内部は整っている。床は磨かれた石畳。壁には燭台が並び、青白い炎が揺れている。天井は高く、アーチ状の梁が滑らかに続いていた。


「……豪華だな」

 レオがぼそっと言う。


「魔獣の巣にしては……」

 サイラスの声にも、引っかかりがある。


 装飾品は少ない。なのに、造りそのものが美しい。どこかの貴族の館みたいに、空間が整えられている。


「イリス」

 グレイが振り返った。

「左目はどうだ。何か感じるか」


 左目の熱は、ずっと引かない。城に入ってから、さらに強くなっている。


 熱が指す方向がある。


「……奥です。奥に、何かいます」


「覇王か」

 グレイが短く言う。


「わかりません……でも、います」


 怖いのかどうかも、うまく言えない。ただ、足が勝手に向かう。行かないといけない、という圧だけがある。


 レオが一瞬だけ、わたしを見る。赤い左目。迷いのない顔。


 わたしは言葉の代わりに、グングニルを握り直した。


「行くぞ」

 グレイが先頭に立つ。


 廊下を進む。左右に部屋の扉が並ぶが、どれも閉ざされている。覗く気にもならない。通り過ぎるたびに、グレイが目で確認してくる。わたしは首を横に振る。


 長い廊下の先に、別格の扉が見えた。


 装飾が施され、重厚で、ここだけ空気が硬い。


 ピピがサイラスの髪の中へ潜り、動かなくなった。


「あそこか……」

 レオのつぶやきが、やけに響く。


 扉の前に立つ。


 グレイが剣を抜いた。扉に体を寄せ、そのまま押す。


 驚くほど軽く、扉が開いた。


 中は広間だった。


 天井はさらに高い。シャンデリアみたいな器具が吊られ、青白い明かりで部屋全体が照らされている。


 そして、奥に玉座があった。


 玉座に、一人の男が座っていた。


 男は、こちらを見ても動かない。ただ、じっと見ている。


 漆黒の長い髪。黒いダイヤモンドみたいな瞳。整った顔立ち。年齢は二十代半ばに見える。黒いローブを纏い、覇王——と聞いて想像したものと違う。学者みたいに静かな佇まいだった。


 あれがリディアの言っていた、黒い王?


 髪色と輪郭のせいか、どこかサイラスと似た雰囲気がある。そう思った瞬間、左目の熱がさらに増した。


「……覇王か」

 グレイが剣を下斜めに構える。


 男は、ゆっくり立ち上がった。


「ようこそ」


 声は穏やかだった。


「よく来た。虹色の瞳を持つ者よ」


 男の視線が、まっすぐわたしに向いた。


 足が一歩引ける。背中が硬くなる。


 レオが息をのむ。

「イリス、目が……」


 わたしは自分では見えない。けれど熱は増している。


 サイラスが、淡々と事実だけを言った。

「……色が変わっている。落ち着きがない。見たことがないほどだ」


 熱さが、外にも出ているらしい。


 この人が——わたしが忘れている“誰か”なのか。


「あなたが……覇王なの?」

 わたしは、声を出した。


「覇王、か」


 男が小さく笑う。


「そう呼ばれている。だが、本当の名は違う」


「本当の名……?」


「ああ。だが今は、覇王でいい」


 男が、こちらへ歩き出す。


 レオとサイラスが、わたしの前に出た。


 さらにその前へ、グレイが入る。剣先が上がる。


「動くな」


 男は立ち止まった。

「敵意はない」


「嘘を言うな!」

 レオが声を荒げる。

「お前が魔獣を操って、人々を襲わせてるんだろう!」


 男は首を横に振った。

「違う」


「何が違う!」

 レオが食い下がる。


「俺は魔獣を操ってなどいない。先ほどは、おまえたちのために、入口まわりだけ吹き飛ばしておいたがな」

 男の声は揺れない。

「お前たちは、騙されている」


「騙されている?」

 サイラスが眉を寄せた。

「魔獣は覇王の眷属だろう」


 黒い瞳が、わたしたちを順に見る。最後に、またわたしへ戻る。


「眷属……人間が勝手にそう呼ぶだけだ」


「でも、魔獣が——」

 レオが言いかける。


 男は温度のない声で返した。

「魔獣は、この世に生まれてくるもの。人と同じだ」


「魔獣は人を襲って食べるじゃないか」

 レオが噛みつく。


 男は少し首を傾げる。

「人も獣や魚を襲って食べる。何が違う?」


 レオの口が止まった。言いかけたまま、言葉が出ない。


 グレイは剣先をわずかに下ろす。警戒は解かないまま、問いを置いた。

「魔獣も人も、同じだと?」


「同じ、とは言わない」

 男は即答する。

「魔獣は、人を獲物とする生き物だ。人は、知恵を共有する。形のない想像の世界を、他者と共有できる。魔獣にはできない」


「ではなぜ、お前が魔獣を従えていると言われる」

 サイラスが続けた。


「さあ。俺の知ったことではない」

 男は淡々と言った。

「そういうことにしておくと都合がいい。面白い。そういう者たちが作った話だろう」


 サイラスは引かなかった。

「さっき俺たちが『騙されている』と言った。何も知らないなら、そんな言い方はしない」


 男の視線が、わたしからサイラスへ移る。


 黒い瞳と、サイラスの青紫の左目がぶつかった。


 サイラスの声が落ちる。

「俺たちは、誰に。何に。騙されている?」


 男が、ふっと口元だけを動かした。

「お前は、俺と似ているな。どこかで繋がっているのだろう」


「どういう意味だ」


「そのままだ」

 男は言い切る。

「お前も、嵐から生まれた末の者だ」


「嵐……建国神話か」

 サイラスが言う。


「神話? ああ、そう呼ぶのだな」

 男は静かに返した。

「だが、ただの事実だ」


 言葉が積み上がるのに、地面が安定しない。


 誰が嘘をついているのか。

 何が真実なのか。


 左目の熱だけが、答えを急かしてくるのに、輪郭がつかめない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ