23.リディアの予言と出発準備
出発前夜。わたしは宿舎の部屋で、母さんへの手紙を書いていた。
羽ペンを指でつまんだまま、文のはじまりで止まる。
元気でいること。仲間に恵まれたこと。明日、危険な任務に向かうこと。
どれも書ける。けれど、書いた瞬間に心配させる気がした。
結局、短い近況だけにした。
母さんは、わたしが全部書かなくても、だいたい察してしまう人だ。
ノックが鳴る。
「イリス、お客さんだ」
レオの声。
また神官か。少しだけうんざりして立ち上がる。神殿の人たちは、しつこい。会いたくない。
扉を開けると、レオが困ったような顔で立っていた。隣にサイラスもいる。
「お客さん。オルテガ商会って。知ってるか?」
オルテガ商会!
「うん。この滑走靴を売ってくれた商会。知り合いだから大丈夫」
レオが目に見えて息を抜く。
「念のため、俺たちも一緒に行く」
サイラスが、有無を言わせない口調で言った。
神官の騒ぎのせいか、二人とも少し過保護かもしれない。
わたしはレオとサイラスと並んで廊下を進んだ。歩きながら、わたしはリディアの話をする。予知夢を見る少女のこと。
「それでイリスに滑走靴を」
「うん」
オルテガさんがゼロの村まで来て、父さんに滑走靴を売ってくれた。
足元の靴に目を落とす。助けられた回数を思い出して、喉が少し詰まる。
目を伏せたわたしの肩を、レオがそっと叩いた。
顔を上げて、小さく頷く。大丈夫。
応接室の扉が開いていた。前にグレイが立っている。
わたしたちを見て、黙って中へ入れという合図をした。
中にいたのはオルテガと――やはり、リディア。
なんとなく、そんな気はしていた。
「リディア!」
リディアは相変わらず華奢で、でも凛とした空気をまとっている。
「イリス」
リディアが小さく微笑んだ。けれど、その目の奥には不安がある。
「来てくれたのね。ありがとう。でも、どうしたの? こんな夜に」
オルテガが穏やかに口を開く。
「イリス、悪かったね、突然。リディアがどうしてもと言うので」
「強い夢を見たのです」
リディアが、まっすぐわたしを見る。
「お伝えしなければと」
わたしたちは応接室に座った。レオとサイラスも同席する。
グレイは少し離れて、腕を組んで立っていた。
グレイたちがいるからだろう。リディアは丁寧な言葉遣いで、ゆっくりと話始める。
「昨夜……夢を見ました。とても強く、はっきりとした夢でした」
声が、わずかに震えている。
「黒色の……王が……」
「覇王?」
サイラスが聞いた。
「わかりません。ただ……黒い王、と」
リディアが目を閉じる。
「嘘を……真実を……入れ替わる……」
意味は取りきれないのに、背中が冷える。
「嘘と真実が入れ替わる?」
レオが眉をひそめる。
「はい。虹色の方は……惑わされてはいけない、と」
リディアが目を開け、わたしを見る。
「イリス。あなたは、何かに惑わされる。でも、信じてはいけない、と」
左目が、じんと疼いた。
「それから……」
リディアの声が、さらに小さくなる。
「誰かを……忘れている……」
「誰かを?」
わたしが聞き返す。
「はい。イリスは、誰かを忘れている。大切な……とても大切な……」
リディアが、わたしの手を握った。
「約束を……思い出さなければ……」
約束。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
誰を? 何を忘れている?
思い出そうとすると、指先だけが空を掴むみたいに何もない。
「リディア……」
「すみません。これ以上は……わかりません。断片的で……」
リディアが申し訳なさそうに俯いた。
「でも、とても強い夢だったので。お伝えしなければと思いまして」
「ありがとう、リディア」
わたしはその手を握り返す。
「気をつける」
オルテガとリディアが帰った後も、わたしたちは応接室に残っていた。
グレイに、リディアの予知夢のことを改めて伝える。
「黒色の王……嘘と真実が入れ替わる……」
サイラスが考え込むように呟いた。
「覇王が嘘をつくってことか?」
レオが言う。
「それとも、俺たちが覇王について間違った認識を持っているのか」
グレイが腕を組んだまま言った。
「どちらにせよ、警戒は必要だ」
「イリス」
グレイがわたしを見る。
「左目が何かを感じているなら、それを信じろ。リディアの夢も、お前の瞳も、何かを教えようとしている」
「……わかりました」
わたしは左目に手を当てた。
誰かを忘れている。約束を思い出さなければ。
言葉だけが胸に引っかかって、そこから先へ進めない。
でも、誰を? 何を?
わたしは、何を忘れているの。
翌朝。
わたしたちは兵団本部の前に集まっていた。
グレイ、レオ、サイラス、そしてわたしの四人。
ダルジードが、わたしたちの前に立つ。
「覇王の棲家は外殻、北西の端だ。そこまで三日はかかる」
ダルジードが地図を広げた。
「途中、魔獣の目撃情報が多い地域を通る。油断するな」
「はい」
四人で返す。
「それから……」
ダルジードの赤紫の目が、わたしで止まった。
「イリス。虹色の瞳が何かを感じたら、すぐに報告しろ。無理はするな」
「はい」
「魔獣との戦闘も予想される。体力は温存しろ。それから、これを」
ダルジードが小さな籠を差し出した。
中に、真っ白な小鳥がいる。ふわふわで、シマエナガみたいに丸い。
「伝書鳥だ。報告に使え」
「伝書鳥……?」
「ああ。魔鳥の一種だ。だが、この子は訓練されている」
ダルジードが籠を開ける。小鳥が、ダルジードの手に乗った。
「魔鳥」という言葉に、父を殺したあの魔鳥が浮かんで、胸がひゅっとなる。
けれど、よく見ると――小さいけど、たしかに目が三つある。
それでも。
「可愛い……」
思わず声が漏れた。
小鳥はわたしを見て、ピィピィと鳴く。怖くない。全然、怖くない。
「こんなに可愛いのに、魔鳥なんだ」
「魔獣にも色々いる」
グレイが言った。
「この子は兵団で飼育している。数は少ない。大切に扱え」
「はい」
レオが籠を受け取る。小鳥が、レオの指を軽くつついた。
レオが籠を開けると、小鳥が飛び出して――すぐサイラスの肩に止まった。
「……え?」
サイラスが固まる。
小鳥がサイラスの頬を軽くつついて、ピィピィ鳴いている。
「おい」
サイラスが困った顔になる。
「懐かれたな」
グレイがニヤリと笑う。
「魔鳥は、気に入った相手に懐く。気に入られたようだな」
「……そうか」
サイラスが、なんと言えばいいかわからない顔でじっとしている。
小鳥はピピピピ鳴いて、サイラスの髪に顔を埋めた。
「可愛い! サイラス、似合ってる」
「……似合ってない」
サイラスが小さく言う。でも、小鳥を払いのけたりはしない。
「名前、つけよう!」
レオが言った。
「ピピにしよう。そう鳴いてる」
「ピピ……」
わたしは頷く。
「いいね。ピピ!」
小鳥がピピと鳴いた。気に入ったみたいに。
「じゃあ、ピピはサイラスが預かれ」
グレイが言った。
「……わかった」
サイラスが小さくため息をつく。
それでも、ピピを優しく撫でている。
じっとやりとりを見ていたダルジードが、声を落とす。
「よし。いいな」
わたしたちは、さっと姿勢を正した。
ダルジードが胸に拳を当てて敬礼する。
「無事に帰ってこい」
「はい!」
わたしたちも全員で敬礼した。
王都の北西の門を出る。
草原が広がっている。遠くに山々が見える。あの山を登れば、外殻へ続く道だ。
「三日か……」
レオが呟く。
「長い旅になるな」
王都から外殻へ行く道は遠い。
ゼロの村から外殻へ出る洞窟は、すぐ近くだった。辺境と言われるはずだ。
「休憩は適度に取る」
グレイが言った。
わたしは背中のグングニルに手を当てる。
覇王。外殻に棲む、魔獣を束ねる存在。
そこへ行かなきゃいけない。――そして、誰かを思い出さなくては。
左目が、また熱くなった。
何かが、わたしを呼んでいる。




