2.わたしの片目は虹色
虹色。
成人の儀式で片目の色が変わるこの世界で、それでも虹色というのは珍しいらしい。
わたしの左目が虹色だって言われても、正直ピンとこない。赤でも青でも緑でもない。そんな色があるの?
この世界の記憶を思い返してみたけれど、虹色の瞳なんて出てこなかった。
「レオ、虹色ってどんな色?」
強くて頼もしい親友に聞いてみる。
でもレオは答えない。代わりに腰の袋をごそごそ探り始めた。
やがて黒い布を取り出す。細い革紐のついた、簡易の眼帯だった。
「これをつけろ」
レオの声は低く、有無を言わせない響きがあった。
わたしは素直に眼帯を受け取る。
「なんで眼帯?」
「いいから、つけろ」
レオがこんな口調で話すことは滅多にない。
わたしは黙って眼帯を左目に当て、革紐を頭の後ろで結んだ。
視界は半分になるけど、不思議と落ち着いた。
それに眼帯、なんかかっこよくない?
「似合ってる?」
軽く聞いてみたけど、レオの表情は硬いまま。
「……似合うとかじゃねぇよ」
レオは深くため息をついた。
「イリス、その眼帯は村長と祈祷師が俺に持たせたんだ」
「え?」
「おまえの目の色は変わった色が出るかもしれない。そのときはこれをつけさせろ、って」
村長と祈祷師が?
ということは、わたしが虹色になることを予想していた?
「なんでそんなこと分かったんだろ」
「知らねえよ。でも、あの二人は何か予期してたんだ」
レオの表情は硬いままだ。
そのとき、遠くから人の声が聞こえてきた。
複数人。賑やかな笑い声も混じっている。
「街の連中だ」
レオが小さく舌打ちした。
モノリスはこの星にここ一つしかない。だから国中から毎日、成人の儀を迎える者たちがやってくる。
わたしたちの村は辺境にあるから人数も少ないけど、大抵は大きな集団でやってくる。
岩陰から、十人以上の集団が現れた。
女子が数名と、男子が大半。みんなわたしたちと同じくらいの年齢だ。
服装が違う。わたしたちは革と布の簡素な服だけど、あちらは色とりどりの布地で仕立てた服を着ている。
集団の先頭にいた背の高い男が、こちらに気づいて足を止めた。
「おい、お前ら、もう儀式終わったのか?」
上から目線の口調だ。
こっちが二人しかいないから、田舎者だと見下してるんだろう。
レオは無視して歩こうとしたが、相手が道を塞いだ。
「待てよ。その眼帯、なんだ?」
背の高い男がわたしの顔を覗き込んでくる。
「外してみろよ。何色になったんだ?」
後ろの連中もにやにやしながら近づいてくる。
レオの手が剣の柄に伸びた。
え、待って。血の気が多すぎでしょ。さすが真っ赤な瞳。
ここは社畜の経験値がものを言う場面ね。
わたしは軽く笑って言った。
「こいつと同じ真っ赤になるって見え切ってたのに、薄かったの。恥ずかしいから見せたくないな」
「はっ、薄い赤かよ。ダッせえ」
背の高い男が鼻で笑った。
よし、乗った。
「ほら、見てみる?」
わたしはわざとさっきの魔獣の黒い血のついた髪を、男の鼻先に持っていった。
「うわっ、くせえ!何だその臭い!」
男が顔をしかめて後ずさる。
その瞬間、レオが剣を抜いて飛び上がった。
「ひっ!」
集団の後方で悲鳴が上がる。
レオの剣が一閃。
いつの間にか集団の背後に回り込んでいた犬のバケモノ、魔獣が、真っ二つに切られた。
黒い血が噴き出し、街の連中に降りかかった。
「ぎゃああああ!」
「なんだこれ!」
「臭い臭い臭い!」
女子たちが悲鳴を上げ、男たちも顔を覆って逃げ惑う。
いつのまにあの魔獣が後ろにいたんだろう。
全然気づかなかった。さすがレオ。
レオは剣を振って血を払い、静かに鞘に納めた。
わたしはその隣に立って、街の連中に向かって言った。
「ここは外側よ。気をつけてね」
背の高い男は真っ青な顔で、ぶるぶる震えていた。
「じゃあね」
わたしたちは背を向けて歩き出した。
しばらく歩いて、岩陰に隠れたところで聞いてみた。
「レオ、あの魔獣にいつ気づいたの?」
「ん? あいつらが立ちふさがったとき、近づくのが見えてたから」
そんなときから。やっぱりすごいな。
わたしの感心をよそに、レオがポツンと言った。
「おまえ、変わった戦術だったな」
「変わった戦術?」
「ああ。なんかわざと卑屈に出て、相手を油断させた」
わざと卑屈。たしかにわたしは社畜の経験値で、当たり前のようにそうしてた。自分を下に見せかけて、下じゃないよと笑うようなやり方。
「あー、いや。論点ずらしって技よ」
口ではそう言ったけど、レオの感心したような顔に、なんでかいたたまれない気分になった。
レオが魔獣を倒してくれたから、あいつらは行っちゃっただけだったよね。
レオの真っ直ぐさが、まぶしい。
わたしたちは大きなクレーターの縁を登り、やがて特徴的な形の洞窟の入り口が見えてきた。
「帰るぞ」
レオが先に洞窟に入っていく。
わたしも後に続く。
洞窟は深く、螺旋状に下っていく。
壁には不思議な光を放つ苔が生えていて、松明がなくても道が見える。
途中で道が枝分かれしている箇所がいくつかあった。
そのたびに、矢印で方向や地名の書かれた石板が掲げらている。
さっきの連中もこのうちの道のどこかから来たのだろう。
レオは迷わず進む。わたしはその後をついて歩く。
ずいぶん長い距離を下った。行きは登り続けで大変だったのを記憶の端に思い浮かべる。
やがて空気が柔らかくなり、視界が開けた。
門がある。
そこにはわたしたちの村「ゼロの村」があった。
月の「内側」の世界だ。
わたしは見慣れた、薄い灰色の天井を見上げる。天井は高い。レオがジャンプしても届かないだろう。前世で言えば、10階建てくらいの高さだ。
見張り台の兵士が、こちらを確認して叫ぶ。
門から顔見知りの兵士たちが出てくる。それぞれみんな、左右の目の色が違う。前世だとオッドアイって呼ばれたやつだ。兵士たちだから、赤系が多い。
「戻ったか! ……って、お前ら、随分遅かったじゃないか。何かあったのか?」
レオが答えようとして、言葉に詰まった。代わりに、わたしが軽く手を挙げた。
「ちょっとね。わたしの目が変わった色だった」
兵士はわたしの眼帯を見て、目を細めた。
「まさか、金か? 銀か?」
金や銀は稀な色だと記憶が言っている。でもやっぱり虹色については何も出てこない。
「後で村長に話すわ。先に戻らせて」
「わかった」
兵士たちは道をあけてくれた。
「レオ。いい赤だな」と言う声が後ろから聞こえる。
村の灯が集まる場所へ進むと、人も増えていく。その中を歩くわたしに、視線が集まる。眼帯の黒が、やけに浮く。
「……イリス? その眼帯、どうしたの」
「見せてみてよ」
「金目? 銀目?」
声が重なる。
レオがわたしの前に立った。
「離れろ! 村長のところに行く」
有無を言わさないレオの言葉と真っ赤な目に、ひそひそとしたざわめきが広がった。
村長の家は、村の奥にあった。
案内されて入ると、村長と祈祷師が待っていた。
「戻ったか。レオ、見事な赤だな。おめでとう。そしてイリス」
言いかけた村長の視線が、わたしの左目に向かう。
「やはり眼帯が必要だったか……その布を外しなさい」
ゆっくりと眼帯を外した。
その瞬間、部屋の空気が変わった。祈祷師が杖を取り落とす。
「……七色……? そんな祝福、記録には……ないはず……」
村長は震える声で言った。
「金でも銀でもない。これは……"虹"か。虹色の瞳は伝承の類いだ。実在するはずがない……」
そんなに珍しいの。わたしは二人に向かって言う。
「鏡、見せて」
村長は頷いて、奥の棚から丸い手鏡を取って渡してくれた。
覗き込む。
クリーム色の髪。まだ少女だけど整った顔。黒い右目。
そして――
「……なに、これ」
左目は、一つの色に定まっていなかった。
透明な瞳の中で、光がプリズムのように分解されて、七色に輝いている。角度を変えるたびに、赤、青、緑、黄色が走る。
鮮やかな赤や青や緑が混ざり、光に合わせてゆっくり入れ替わり混ざりあう。
瞳の奥で何かが生きているみたいで、普通じゃないのは一目でわかった。
……これは、たしかに眼帯がいるよね。
思わず息を吸い込んだ。鏡の中の左目だけ、わたしのものじゃないみたいだった。
「イリス、わかっただろう」
村長は深く息をついた。
「お前の目は、普通の色ではないかも知らんと思っておった。だが、虹色とは。世界が、お前を何かに巻き込もうとしている」
レオがわたしの肩を掴んだ。
「イリスはイリスだろ! そんな話、関係ねぇ!」
でも、わたしにはわかっていた。
眼帯を外した虹色の左目は、何かを呼んでいる。遠くで、誰かがわたしを見ているような気がした。
それが何なのかは、まだ言葉にできない。
ただ一つだけわかる。
――わたしの人生は、ここから変わる。




