19.竜王の槍グングニル
グレイが踏み込んだ。
床を蹴る音がひとつ。次の瞬間、剣が魔獣の懐へ滑り込む。魔獣は黒い槍――グングニルで受けた。
金属がぶつかる音が、洞窟に跳ね返る。
「サイラス!」
サイラスが杖を振り上げる。
「契約執行――拘束」
淡い鎖が、魔獣の腕を狙って伸びる。
けれど魔獣は、身を翻すだけで外した。
「遅い」
魔獣が笑うように言って、槍を投げた。狙いはサイラス。一直線。逃げ場がない角度。
「サイラス!」
考える前に、体が落ちた。
わたしは空中から急降下して、サイラスを押し倒した。石の床に転がる。槍が頭上をかすめ、背後の岩に刺さる音がした。
「イリス……」
「平気?」
サイラスを起こした、その瞬間。
別の槍が飛んだ。
「くっ!」
グレイが剣で弾く。弾いたのに、腕に痺れが残ったみたいに剣先が揺れた。
魔獣は、戻ってきたグングニルを当たり前のように受け取る。投げて戻して、受け取って、また投げる。息継ぎがない。
「囮の槍とグングニルを使い分けている」
サイラスが低く言った。
「グングニルは当てる。囮は動かす」
「じゃあ……どうするの」
声が少し擦れた。
「手放させる」
グレイが短く言う。
「囮を使わせて、その隙に奪う」
「でも、奪うって……」
そこで、レオが前へ出た。
左手を一度握って、すぐ開いた。腫れは引いてない。痛みをごまかすみたいな動き。
「俺に任せろ」
「無理するな!」
言ったのは、わたし。声が強く出た。
「する」
レオは軽く笑った。いつもの調子のまま、目だけが真っ直ぐだ。
「あいつは俺を狙う。……狙わせる」
その言い方が、妙にまっすぐで。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
グレイが息を吐いた。迷ったのは一瞬だけ。
「……やれ。ただし合図で引け」
「おう」
レオが剣を構える。
「行くぞ!」
レオが突っ込んだ。
「また来たか、単純な小僧」
魔獣が笑う。
「グングニルが欲しいんだろう?」
黒い槍を掲げる。
「取ってみろ」
投げた。
レオへ、真っ直ぐ――と思ったのに、途中で槍が、するりと向きを変えた。
来る。こっちだ。
魔獣の三つの目が、わたしを見ていた。まるで最初から決めていたみたいに。
「虹目……」
舌の上で転がすみたいに言う。
「その左目を、もっと見せろ」
「イリス!」
レオの叫びで、わたしは跳ね上がった。槍が足元をかすめる。冷たい線が通った気がして、背筋が硬くなる。
そして槍は、当然みたいに魔獣の手へ戻った。
心臓が騒がしい。指が震える。いまの、遅れてたら――
「ふふ。いい反応だ」
魔獣が楽しそうに言う。
「虹目の子は、やはり飽きない」
レオが、わたしの前に半歩だけ出た。庇うというほどじゃない。でも、その位置が、なぜか頼もしい。
「次はどうする?」
レオがもう一度詰める。
魔獣が囮の槍を投げる。レオが弾いた、その隙に――魔獣の手にグングニルが残った。
「今だ!」
グレイの声。
サイラスが杖を振る。
「契約執行――破砕」
「くっ!」
魔獣は避けたけれど、動きが止まった。ほんの一拍。
「イリス、行け!」
わたしは急降下した。魔獣の手へ、指を伸ばす。奪う。掴む。それだけ。
三つの目が、わたしを捉えた。
視線の圧で、息がつっかえる。伸ばした指先が、ほんの少しだけ遅れた。
――その遅れを、待ってたみたいに。
「甘い」
鎖が裂けた。
魔獣は至近距離から、グングニルを投げた。
近い。速い。目が追いつかない。
「イリス!」
レオの声が遠い。
わたしは反射で目を閉じ――
誰かが、前に立った。
グレイだ。
剣が槍を弾く。弾いたのに押し込まれて、足がわずかに流れる。岩が削れる音がした。
追い槍が来た。
グレイがもう一度弾こうとして――腕をかすめた。
次の瞬間、皮膚の色が変わった。レオの手に出た腫れと、同じ赤黒さ。
「グレイ!」
グレイが腕を押さえる。剣を握る手が小刻みに震えている。
「副団長!」
サイラスが駆け寄る。
「大丈夫だ。問題ない」
グレイは言い切った。声は平ら。でも、腕が言うことを聞いてない。
胸が詰まる。
わたしのせいだ。迷った。怖がった。その一拍で――グレイが傷ついた。
「どうだ、小娘」
魔獣の声が洞窟に落ちる。
「お前の迷いが、仲間を傷つけた。お前が手を伸ばすのを躊躇ったからだ」
言い返せない。言葉が出ない。体も動かない。
――そのとき。
「黙れ!」
レオの声が、空気を裂いた。
レオの赤い左目が、燃えている。いつもの熱さじゃない。怒りが、そのまま前へ出ている。
レオが剣を構えた。
剣が、赤く染まった。
「レオ……?」
サイラスが息を置いて言う。
「剣が……」
赤い色が、刃にまとわりつくみたいに揺れる。熱を帯びた気配。
「赤目の力か」
魔獣が呟いた。
「面白い。だが――虹目ほどではない」
そう言って、魔獣の目が一瞬わたしに戻る。ぞくりとした。
魔獣がグングニルを構える。
「来い。その力、試してやろう」
レオが突っ込んだ。
剣が迫る。魔獣が受ける。金属音。
でも今度は、押している。
レオの剣が、グングニルを押し返している。
「なに……!?」
魔獣の声が揺れた。
レオが吠える。
「イリスに手を出すな!」
その声に、背中の奥が熱くなる。
レオの一撃が、グングニルを弾き飛ばした。
黒い槍が、空中を舞う。
「今だ、イリス!」
グレイの声。腕を押さえながら、それでも叫ぶ。
わたしは一瞬だけ足が止まり――すぐに踏み切った。
守ってもらった。道を開いてもらった。
ここで止まったら、また同じだ。
わたしは飛んだ。槍へ向かって手を伸ばす。
掴んだ。
グングニルが手の中に収まった瞬間、左目の奥がかっと熱くなった。
穂先が、虹色になった。
透明な刃の中で、プリズムみたいに色が分かれて見える。角度を少し変えるだけで、赤や青や緑や黄が、きらりと入れ替わる。
「……虹目の……」
魔獣が、うっとりしたみたいな声を出した。
「それだ。それが欲しかった……戻れ、グングニル!」
でも、槍は動かない。わたしの手から離れない。
わたしは構えた。
「行くよ」
空中から、魔獣へ。
魔獣が避ける。わたしは軌道を変える。滑走靴の感覚がいつもと違う。体が迷わない。狙いがずれない。
槍が、わたしの動きにぴたりとついてくる。
わたしは、魔獣の脇腹へ投げつけた。
刺さった。
「ぐあああああ!」
魔獣が叫び、膝をつき、倒れた。灰色の体の裂け目から、黒い血が滲む。
わたしは着地する。
グングニルがふわりと浮いて、わたしの手へ戻ってきた。戻るべき場所を知ってるみたいに。
「やった……」
声が震える。手も震える。
でも、逃げなかった。
わたしは、選んだ。
⸻
その瞬間。
どこかの、誰も知らない場所で。
星みたいな瞳が、一度だけ瞬いた。
「……グングニルが、虹の力を得たようだね」
深く穏やかな声が、星の海に落ちる。
――竜王の声だった。




