18.洞窟の魔獣
二日後の早朝、わたしたちは王都の門を出た。
先頭はグレイ。その後ろにわたしとサイラス。しんがりにレオ。四人の足音だけが街道に並ぶ。
グレイは歩きながら地図を広げ、指先で一点を押さえた。
「報告が上がってる場所が、ここだ。旅人が消えたのは街道沿い。王都から半日」
指が、森の縁にかかる。
「森の奥に洞窟がある。巣の可能性が高い」
「洞窟か」
レオが短く言った。
「相手は旅人を誘い込む。助けを求める声、宝の話……人の言葉でな」
グレイが顔だけ振り向く。
「油断するな。知恵持ちより上だ」
わたしたちは黙って頷いた。
昼過ぎ、森の手前でグレイが足を止めた。
「この辺りだ」
街道の脇に、木々が重なって薄暗い帯ができている。中は見えない。空気そのものが重い。
「いつ襲われてもおかしくない」
グレイが剣に手を置く。
レオが抜刀し、サイラスが杖を握る。わたしは背中の木槍に手をかけた。滑走靴は起動済み。足裏が少し軽くなる。
森へ入る。
枯れ葉が積もっていて、踏むたびに音が出る。出したくないのに出る。
「静かに」
グレイが小さく言った。
歩幅を揃える。呼吸まで合わせるみたいに。
しばらく進むと、木々が途切れた。大きな岩肌に、穴が空いている。
洞窟の入口。
中は暗い。奥行きが分からない。
「あれか」
レオが呟く。
「入る」
グレイが即断する。
「罠に注意。俺が先頭だ。ついてこい」
洞窟へ踏み込む。
思ったより広い。壁に、淡く発つ苔があって、足元がぎりぎり見える。
グレイが松明を灯した。火が揺れて、岩の凹凸が浮き出る。見えない場所が減るだけで、体が少し楽になる。
「進むぞ」
奥へ進むほど、地面が下っていく。湿気が増し、空気が冷える。
そのとき。
「……助けて……」
か細い声。女の声だ。
足が止まりそうになる。胸の奥が変なふうに引っ張られる。
「……助けて……誰か……」
奥からだ。はっきり聞こえる。
「聞こえたな」
グレイは速度を落とさない。
「罠だ」
「本当に人だったら――」
レオが言いかける。
「ここに人を置く相手だ。分けるな」
グレイの声が低い。
「騙されるな。進む」
わかってる。わかってるのに、声が刺さる。助けて、って言い方が、うまい。
レオが、わたしの横に半歩だけ寄った。剣先は前へ。わたしの進む位置だけが、少し守られる形になる。
「イリス。見るな。前だけ」
小さい声。聞こえるのは、わたしだけに。
サイラスがわたしの肩に触れた。指先だけ。
「大丈夫か」
「……うん」
返事を短くして、歩いた。
最奥に、広い空間があった。
天井が高い。壁一面に淡い苔が広がり、部屋全体がぼんやり明るい。真ん中に――立っている。
人の形。
でも、人じゃない。
灰色の肌。細長い手足。縦に並んだ三つの目。
魔獣。
そいつが、こちらに向けて口角を上げた。
「ようこそ」
流暢な人の言葉。男の声。周囲に他の気配はない。なのに、安心できない。
「貴様が旅人を襲っている魔獣か」
グレイが剣を構える。
「襲う?」
魔獣は肩をすくめた。
「野蛮だな。私は招いているだけだ」
「招待?」
「そう。この洞窟へ。休める場所へ」
三つの目が、わたしたちを舐めるように見て――わたしの左目で止まった。
「虹目。虹目だ」
魔獣が愉しそうに言う。
背中がぞわっとした。見られてないはずなのに、見られているみたいで。
「お前たち、疲れているだろう。戦いに、旅に」
声が柔らかい。丁寧だ。気づくと、耳がそっちに寄りそうになる。
「もう戦わなくていい。もう苦しまなくていい」
言葉が、妙に温かい。そこに座れば終わる、と言われているみたいで――
「イリス!」
レオの声が、頭を叩いた。
「騙されるな! こいつは敵だ!」
レオの赤い左目が、真っ直ぐ魔獣を射抜く。さっきより強い。わたしの目を見られたことに、腹を立ててるみたいに。
「敵は敵。倒すだけだ!」
レオが飛び出した。
「なんと単純な」
魔獣は軽く体を傾ける。
レオの剣が空を切った。すれもしない。
「そんなに急ぐな。話をしよう。私はお前たちの敵ではない」
「嘘をつくな!」
レオがもう一度斬りかかる。魔獣はまた避ける。避け方が、軽い。
「サイラス、イリス、援護しろ!」
グレイが叫ぶ。
サイラスの詠唱が響いた。
「契約執行――拘束」
光の鎖が、魔獣の足元に――届かない。
魔獣が、ふっと消えた。
「え――」
次の瞬間、部屋の反対側に立っている。移動じゃない。最初からそこにいたみたいに自然だ。
「魔術か。面白い」
魔獣が笑う。
「だが、私には通じない」
わたしは浮く。床を蹴り、天井近くまで上がる。槍を構えて投げた。一直線――
魔獣が腕を伸ばし、槍を掴んだ。
木が軋む音がした。軽く握っただけなのに。
「ただの木か」
魔獣はつまらなそうに投げ捨てる。
「もっと良い武器を、私は持っている」
腰から取り出したのは、黒い槍だった。
細身で長い。穂先が鋭い。見た瞬間、背中がぞわっとする。
「これはグングニル。竜王の槍だ」
竜王。
言葉が、頭の中で引っかかった。
「本当かどうか怪しいな」
グレイが低く言う。
「なぜ貴様がそんなものを持つ」
「拾ったのだ。遠い昔に」
魔獣は楽しげに槍を構える。
「さあ、お前たちの力を見せてみろ」
黒い槍が投げられた。
空気が裂ける音がした。速い。まっすぐ。
「避けろ!」
グレイの声で、わたしたちは散った。槍が壁に当たる――落ちる、と思った瞬間。
槍がふっと浮き、弧を描いて魔獣の手に戻った。
「戻って……くる……」
レオが呟く。
「そうだ。投げた者の元へ必ず戻る」
魔獣が得意げに言った。
レオの視線が、槍に吸い寄せられているのが分かった。
「あの槍、手に入れよう」
レオが言った。
「レオ、今は――」
サイラスが止めようとする。
でもレオはもう踏み込んでいた。
「竜王の槍、俺がもらう!」
「ほう。欲しいのか」
魔獣が笑う。
「なら取ってみろ」
再び槍が飛ぶ。レオは剣で弾いた。手首が持っていかれそうになる。
「ち……速い」
槍は軌道を変え、戻る。
そのとき魔獣が、もう一本取り出した。
同じ形。同じ黒。
二本?
どっちがどっちだ。
魔獣が投げる。レオが弾き、すぐ左手で槍を掴んだ。
「よし――!」
次の瞬間、レオが槍を取り落とした。
「ぐ……っ」
わたしとサイラスが駆け寄る。レオの手のひらが赤黒く腫れている。
「毒か」
サイラスが即座に確認する。
「……大丈夫だ」
レオが歯を食いしばる。
「利き手じゃない。動ける」
魔獣が笑った。
「どうだ? まだ欲しいか?」
「ああ。絶対に手に入れる」
レオの目が燃えてる。
そして、言った。
「その槍は、イリスのためにある」
わたしのため?
そんな話、したことない。なのに、レオは迷ってない顔をしてる。
「よし」
グレイが一歩前へ出た。
「作戦を変える。目標はグングニルを奪うことだ」
銀の左目が鋭くなる。
「レオ、お前は下がって治せ」
「でも――」
「命令だ」
レオが唇を噛んで下がる。
「サイラス、イリス。俺と来い」
「はい」
サイラスが即答する。
わたしは、槍なんて欲しくない。だけど、ここでぐずぐずしてたら足が引っ張る。
「イリス」
グレイが短く呼んだ。
「……はい」
魔獣が黒い槍を構え直す。
「来るがいい」
グレイが先陣を切って踏み込んだ。剣が、一直線に魔獣へ迫る。




