16.兵士たちの食卓
試験が終わったあと、わたしたちはそのまま食堂へ流れ込んだ。足は勝手に軽いのに、胃だけは空っぽで鳴りそうだった。
扉を開けた瞬間、空気が跳ねた。
「来たぞ!」
「新入り!」
「合格おめでとう!」
あちこちのテーブルから声が飛ぶ。兵士たちが立ち上がって、わたしたちを囲む。悪意のない圧。距離が近い。
「レオ、さっきの速さ、何だよ」
「村で毎日やってただけです」
「毎日であれになるのかよ……天才っているんだな」
レオは照れた顔で頭をかく。周りが笑う。笑われてるのに、嫌な感じがしない。ここは、そういう笑い方をする。
サイラスのほうにも人だかりができた。今度は魔導士っぽい連中だ。手元の杖や札が似てる。
「契約執行って、どう組む?」
「術式の骨組みだけでも!」
「……説明は難しい」
サイラスは困ったように視線を落とした。断られてるのに、相手は引かない。たぶん、興奮してる。
そして――わたしにも来た。
「イリス、目!」
「もう一回見せてくれ!」
「飛ぶのもすげえ!」
わたしは眼帯に手をやって、外した。隠す動作じゃなく、見せる動作になるのが自分でも分かる。
顔が近い。
「おお……」
「本当に……」
そこへ女兵士の声が飛ぶ。
「ほら、近い! 覗き込みすぎ! 新入りが引く!」
周りが「すまんすまん」と笑って距離を戻す。助かった。わたしは眼帯を軽く握り直して、息を整えた。
「座れ座れ。飯だ」
長テーブルに押し込まれるみたいに座る。給仕が肉の煮込みとパン、野菜のスープを運んできた。湯気が立ってる。匂いだけで腹が鳴る。
「いただきます」
一口目で分かる。うまい。試験のあとの飯って、ずるい。
「なあ、レオ。副団長の甥なんだって?」
「はい」
「納得だ。あの踏み込み、育ちが出てる」
レオは「そうかな」と言いながら、嬉しそうにパンをちぎった。
「サイラスはどこで学んだ?」
「……研究施設にいた」
「へえ。実戦は?」
「……ある」
質問が続くのに、サイラスは逃げない。短く答えて、食べる。わたしはその横顔を見て、少しだけ安心した。
そのとき、食堂の入り口がざわついた。
黒いローブ。痩せた男。
エドワード。
空気が一段だけ冷える。本人だけが気づいてない顔で歩いてくる。
「やあ、サイラス。合格したと聞いた。おめでとう」
明るい声。中身のない明るさ。
「何の用だ」
サイラスが言う。
「君たち、知っておいたほうがいいと思ってね」
エドワードは周りを見回した。
「そいつは研究を盗まれたと言い張って、追い出されたんだ。信用していいのか?」
食堂の音が薄くなる。視線がサイラスに集まる。
レオが椅子を鳴らして立ち上がった。
「おい!」
「レオ」
サイラスがレオの腕を掴む。
「いい。放っておけ」
でもレオは止まれない。
「さっきの魔術見ただろ! 本物だった!」
エドワードが肩をすくめる。
「魔術が使えることと、信用できることは別だよ」
そこで、がっしりした兵士が口を開いた。さっきレオと模擬戦をした男だ。
「過去は知らねえ」
声が太い。
「俺たちが見たのは試験だ。あれは本物だった」
「盗んでできるなら俺もやる」
「命預ける場で見るのは、結局そこだろ」
次々に声が乗る。エドワードの顔が歪む。
「君たちは分かってない……」
その言葉に、別の声が割り込んだ。
「分かってるさ」
グレイが立っていた。テーブルの端から、ゆっくり前に出る。視線が一点に集まると、場が整う。
「兵団は実力で見る。それだけだ」
グレイの左目が、エドワードを真っ直ぐ捉えた。
「エドワード。お前、魔導部隊だったな」
「……ええ」
「なら分かるはずだ。サイラスの魔術が、どれだけのものか」
エドワードは言葉を失う。
「過去の話を振り回すのは、見苦しいぞ」
それで終わりかと思った。けれど、グレイは一拍おいて続けた。
「ただな、エドワード。お前の水の魔術も、何人も助けてきた。俺は知ってる」
食堂が静まる。エドワードが驚いた顔をした。周りも同じ顔になる。
「力があるやつ同士なら分かるだろ。だったら相手を認めて褒めとけ」
どこからか笑いが漏れ、すぐ広がった。
「出た、褒めとけ!」
「銀狼のやつ!」
空気が一気に戻る。肩を叩く音が混じる。
「ほら、握手しろよ」
「同じ部隊だろ、どうせ」
サイラスが立った。エドワードの前まで行く。
「お前の水魔法はたいしたものだと思う。今度教えてくれ。術式に組み込みたい」
サイラスの口元が、ほんの少しだけ緩む。見間違いじゃない程度に。
「……なんで」
エドワードが小さく言う。
模擬戦の兵士が笑った。
「当たり前だろ。どっちも本物だからだ」
エドワードの喉が動く。
「……分かった。教えてやる」
ぎこちなさは残ったままでも、場が前へ進む音がした。
わたしはその様子を見ながら、自分の腹の中を見つけてしまった。さっき、エドワードが言い負かされたとき、少しだけ気分がよかった。
サイラスは、絶対そんなことを望んだりしない。「ざまぁ」に喜んだのはわたし自身だ。自分が……恥ずかしい。
グレイが隣に座る。
「イリスも、よくやったな。眼帯だったとはな」
「……うん」
グレイの笑顔を見て、なんだかちょっと泣きそうな気持ちになった。
え? 慌てて顔をぬぐう。
「虹色の瞳を見せる決断、簡単じゃなかっただろう」
「あ、うん……」
グレイの声が、優しい。
「でも、お前は選んだ。それが大事だ」
わたしは、グレイを見た。
銀色の髪。銀色の左目。
「ん? どうした?」
「わたし、また、自分が、恥ずかしくなって」
なんとか言葉にする。
グレイは、黙って聞いてくれる。
「さっき、エドワードがグレイに言い負かされたようになって、そのときその……いい気味だって、思っちゃって」
恥ずかしい。こんなこと言うの。でも、グレイなら聞いてくれる。
「イリス」グレイはふっと息を緩める。
「おまえはそうやって、逃げずに強くなるやつなんだな。尊敬する」
グレイがじっとわたしを見る。光を反射して銀色に輝く目。
え……。吸い込まれそう。
わたしは慌てて視線を逸らした。
「あ、褒めとけってやつだ!」
わたしが言うと、グレイは軽く笑った。そして逸らしたわたしの目を覗き込んでくる。
「疲れてるんだろ。ゆっくり食え」
笑うグレイの息が頬にかかる。
近い。近いよ、グレイ!
「う、うん……」
わたしは、パンに手を伸ばして顔を離す。
一口かじった。
「ここのパン、うまいだろ。粉とか酵母が違うらしいぞ」
噛むほどに味が膨らむ美味しいパン。
「言えるなら大丈夫だ。逃げないやつは、伸びる」
ふいにグレイはそう言って、同じ皿に手を伸ばす。わたしがはっと顔を上げるとなんでもない顔で言う。
「食え」
うん。美味しい。
「そういえば配属、そろそろ来るはずだ」
言った途端、食堂の扉が開いた。
ダルジード団長が入ってくる。兵士たちが一斉に立ち、拳を胸に当てた。
「座れ」
団長が短く言うと、場が一息で落ち着いた。
団長はわたしたちのテーブルへ来る。
「レオ。サイラス。イリス」
「はい」
わたしたちはもう一度立ち上がった。
「配属を告げる。お前たちは特別編成部隊だ」
「特別編成部隊?」
レオが聞き返す。
「三人一組で動く独立部隊。指揮官は――グレイ」
グレイが目を丸くした。
「俺が?」
「お前が適任だ」
団長の視線がわたしたちを順に走る。
「レオの戦闘、サイラスの魔術、イリスの飛行。まとめて使うには柔軟な指揮が要る」
団長の赤紫の目が、グレイを見る。
「こいつら三人まとめたよりも、強いやつじゃなくては務まらない」
「承知」
グレイが拳を胸に当てる。わたしたちも同じ動きをする。
「明日から訓練を始める」
団長はそれだけ言って去っていった。
残った空気が、少し遅れてざわつく。
「三人で動けるのか!」
レオが笑う。
「助かる」
サイラスが短く言う。
わたしも頷いた。
「うん。一緒にやろう」
グレイが、わたしたちの頭に手を置く。軽く、順番に。
「よろしくな」
大きくて温かい手だった。




