13.ダルジード団長
朝食を片づけて、わたしたちはグレイについて兵団本部へ向かった。
石造りの建物は、近づくほど圧が増す。壁は分厚く、入口は高い。上には王国の紋章が掲げられていた。飾りじゃない。ここは、王都の“力”が出入りする場所だ。
王国紋章は、黒い板が中心に描かれ、その上に金の楕円。これはモノリスだろう。成人の儀で祝福を受けたことを思い出す。わたしの今世はあそこから始まった。
「ついてこい」
グレイが先に歩く。わたしたちは少し遅れて、自然と足並みを揃えた。
入口の兵士が、きっちり敬礼する。
「副団長、おはようございます」
「おはよう」
軽い返事なのに、場が締まる。通り道が、当然みたいにひらける。
中は広かった。石の床が硬い音を返して、天井は高い。廊下の両側に扉が並び、兵士たちが行き交う。走る者はいない。速いのに、乱れていない。
わたしたちを見る視線が、何度か刺さった。
副団長が子どもを三人連れている――それだけで目立つ。
「グレイ、昨日の魔獣は?」
レオが我慢できずに聞く。歩幅が一段上がって、すぐ追いついた。
「倒した。俺の部隊で対処した」
グレイはさらっと言う。
「三体とも?」
「ああ。知恵持ちは厄介だが、数が少なければなんとかなる」
サイラスが、平坦な声を差し込む。
「負傷者は?」
「昨日の偵察隊の二名だけだ。命に別状はない」
グレイが振り返って、ちょっとだけ口元を上げた。
「どうやって倒したか、細かく教えるつもりだったが……自分たちで考えるのも勉強だな」
「ええ!?」
レオが抗議する。グレイは笑って、歩みを止めない。
……まあ、そうだよね。ここは兵団だ。
廊下の奥、突き当たりの扉の前でグレイが立ち止まった。ノックはない。迷いもない。
「ここが作戦室だ」
扉が開く。
部屋の中央に大きなテーブルがあり、地図が広げられていた。壁には武器が並ぶ。剣、槍、弓――それに、見たことのない形の金具や、折りたたまれた器具。戦う道具って、こんなに種類があるんだ。
「すげえ……」
レオの声が、子どもみたいになる。
その視線の先――部屋の奥に男がいた。
四十前後。短く刈り込んだ黒髪。まっすぐな背。鋭い目つき。左目だけ、ワインレッド寄りの鮮やかな紫。
男がこちらを向く。
「グレイ、来たか」
声が低い。無駄がない。
「団長、紹介したいやつらがいる」
グレイが片手を上げた。
団長。
言葉が耳に入った瞬間、背筋が勝手に伸びた。体が覚えてる。前の人生の、会社の会議室の空気。
団長の赤紫の瞳が、わたしたちを順に見て――一瞬、眼帯で止まった。止まっただけ。そこから先は平等に、同じ重さで見てくる。
「お前の甥と、その仲間か」
「そうだ」
レオが一歩前へ出る。
「レオです」
右拳を胸に当てる。迷いのない敬礼。
わたしも同じ動きをなぞった。
「イリスです」
「……サイラスだ」
サイラスは、杖をとん、と床に当てて名乗った。音が小さいのに、妙に残る。
魔導士の礼って、こういう形なのかもしれない。
団長が腕を組んだ。
「俺はダルジード。この王都兵団の団長だ」
名前が落ちてきた。短くて、重い。
「グレイから話は聞いている。成人の儀を終えて、兵団に入りたいと」
「はい!」
レオが即答する。声が真っ直ぐ壁に当たって跳ね返りそうだ。
ダルジードの視線が、わたしとサイラスに移る。
「お前たちも同じか」
「わたしも兵団に入りたいです」
わたしはうなずいた。声が思ったよりはっきり出た。
サイラスは少しだけ間を置いた。
「……俺も」
ダルジードが一度だけうなずく。
「わかった。だが、正式に入団するには試験がある」
「試験?」
レオが聞き返す。
「ああ。実力を見る。それから適性・配属を判断する」
ダルジードが地図を指で叩いた。乾いた音。
「兵団には部隊がある。前衛、後衛、偵察、魔導、補給。どこに配属するかは試験の結果次第だ」
サイラスがすぐ聞く。
「いつ試験を受けられる?」
「明日だ」
即答だった。これも兵団の速度。
「準備はいいか」
言われて、わたしは眼帯の下のまぶたをぎゅっと閉じた。逃げる方向に思考が滑りかけるのを、そこで止める。
「問題ありません」
レオが先に言う。
「大丈夫です」
わたしも続いた。
サイラスは小さくうなずく。
「よし。では明日、訓練場に来い。朝一番だ」
ダルジードは腕を組み直した。
「それまで、好きにしていい。王都を見て回るもよし、訓練するもよし」
「ありがとうございます」
わたしたちは頭を下げた。
グレイが肩で扉を促す。
「じゃあ、出るぞ」
作戦室を出て廊下を歩く。さっきより、人の流れが読める気がした。兵士たちの足運びは速い。けれど音が揃っていて、妙に落ち着く。
「団長、すごい人だね」
わたしが言うと、グレイが短く笑った。
「ああ。ダルジード団長は王都最強の戦士だ」
「最強……」
レオが呟く。その目が、まっすぐ上を向いていた。
サイラスが淡々と聞く。
「赤紫の瞳は珍しいのでは」
「ああ。お前の青紫と同じく、赤紫は稀色だ。戦闘でも頭脳でも、両方の適性を持つ」
レオが感心したように言う。
「だから団長なんだ」
「団長は色で決まらない。稀色は目立つ。だからこそ、結果で黙らせてきた人だ」
グレイの声に、敬意が混じる。
「戦術も戦闘も一流だ。部下を信頼する。だから兵団がついてくる」
レオが目を輝かせる。サイラスは小さく言った。
「……信頼」
その言葉が、廊下の空気に引っかかって残った。
本部の外へ出る。王都の通りはもう動いている。荷車、露店の呼び声、歩く足音。人の密度が、村とは違う。
「さて、お前たちはどうする」
グレイが聞く。
「俺は訓練する」
レオが即答。
「俺も同じだ」
サイラスも続く。
二人の視線が、わたしに来る。
「わたしは……」
少しだけ迷って、それでも口にした。
「王都を見て回りたい」
「一人で大丈夫か」
「大丈夫」
「わかった。夕方までには宿舎に戻れ」
「はい」
わたしたちはそこで分かれた。
レオとサイラスはグレイと一緒に訓練場へ。わたしは一人で街へ向かう。
石畳を歩く。
露店がずらりと並び、布、香辛料、宝石、武器――色と匂いと音が一気に押し寄せてくる。目が忙しい。鼻も忙しい。
「お嬢さん、いい眼帯だね! もっと可愛いのもあるよ!」
商人が笑いながら声をかけてくる。
「ありがとうございます。でも、これ気に入ってるので」
さらっと返して歩く。こういうやりとり、王都は呼吸みたいに起きるんだ。
しばらく歩くと、広場に出た。
中央に噴水があり、水が高く吹き上がっている。周りに人が集まり、子どもが走り、老人が話し、恋人が手をつないでいた。
平和。
それを眺めていると、指先が少し冷たくなる。ゼロの村の空気が、遠くなる。
母さん、元気かな。手紙を書こう。
噴水の縁に腰を下ろし、空を見上げた。灰色っぽい天井。だけど明るい。
ゼロの村を出てから、いろいろあった。
アーゼの街でサイラスと出会って、知恵持ちの魔獣と戦って、幻覚みたいなものに引っかかった。
そして今、王都にいる。
明日は試験だ。
――わたしは何ができるんだろう。
昨日、グレイに言われた言葉が戻ってくる。
『焦るな。お前はまだ十五だ。これからだ』
そうだよね、と頭では言える。
でも、体のほうはまだ落ち着かない。
もっと魔獣を倒したい。思いだけが先走る。
眼帯に指を当てる。布の感触があるだけで、下の瞳は見えない。見えないのに、存在だけはずっと主張してくる。
虹色の瞳。
天使が探す色?
魔獣の幻覚で見た、あの姿。
金色から白金に揺れる髪。琥珀みたいな目が、最後には白金に変わって――
あれは、わたしの心が作ったものだとサイラスは言った。
無意識に求めていた姿、らしい。
……求めてたって何。
すごく格好よかったのは認める。あれを出してくるあたり、わたしの中の趣味が素直すぎる。恋愛経験ゼロのくせに、趣味だけ一丁前ってどうなの。
そこまで考えたところで、噴水の向こうから人影が近づいてきた。
仕立てのいい服。穏やかな顔つきの年配の男性。左目だけ緑色。
こちらの前で立ち止まると、軽く会釈をする。
「イリスだね? ゼロの村の」
わたしのことを知っている。けれど、わたしはこの人を知らない。
記憶を探っても何も出てこない。
「ええと……どちらさまでしたっけ」
男性は柔らかく笑った。
「私はオルテガという。そこの商会の会頭をしている」
示された先に、「オルテガ商会」の看板が見えた。立派な店構え。広場の顔みたいな場所に、堂々と構えている。
それでも、わたしの中に“知ってる”は浮かばない。
オルテガは、わたしの反応を見て、言葉を続けた。
「それの売主だよ」
指が向いたのは、わたしの足元――滑走靴だった。




