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10.運命の人

 大きな涙の粒が、彼の頬を伝って落ちた。


「え、あ、待って」


 声が先に出た。

 理由はわからないのに、「この人を泣かせたらだめだ」って思ってしまう。


「泣かないで。どうして……?」


 彼は答えない。

 ただ、わたしを見ている。


 その視線に、胸のどこかの結び目が勝手にほどけていく。怖いくらい、自然に。


「あのさ……わたしたち、どこかで会ったよね?」


 言ってから自分で引いた。なにその口説き文句。違う、違うんだけど。

 でも、本当に“会った気がした”。


「わたしはイリス。……佐原(さわら)あやめっていうの」


 ……なんで前世の名前まで出した、わたし。


 彼は少しだけ表情を動かした。

 その一瞬で、胸が熱くなって、息の仕方を忘れた。


 立ち上がる。白い服がゆるく揺れる。動きまで綺麗で、困る。

 彼が、わたしに手を差し出した。


 近づいてしまう。勝手に。

 心臓がうるさい。うるさすぎる。


 ――わたし、この人に会うためにこの世界に来た。

 そんな考えが、頭の中で“事実”みたいに座ってしまう。


 彼の指先へ、わたしの指が伸びる。


 触れる――


契約執行(エンフォース)――縛鎖(チェイン)


 サイラスの声が、背後から叩きつけられた。


「え!?」


 光の鎖が、彼の体に巻きつく。よろめいた。


 次の瞬間、銀色の刃が振り下ろされた。


「レオ!? やめて!」


 叫んだ。足も動いた。

 でも、間に合わない。


 レオの剣が、彼の肩を裂いた。

 赤いものが散って、白い服に滲んだ。


「やめてって言ってるでしょ!」


 駆け寄ろうとしたところで、


「イリス、動くな!」


 サイラスの声が、今度は鎖みたいにわたしを止めた。


「何するの! 彼は――」


 喉が震える。なんで。なんでこんなことに。


「それは魔獣だ」


 サイラスは淡々と言った。冷たくて、でも迷いがない。


「魔獣? 何言って――」


「よく見ろ」


 レオが、剣を構えたまま言う。


 わたしは、彼を見た。


 彼の輪郭が揺らいでいる。

 湖を囲っていた“やわらかいもの”も、ほどけるみたいに薄くなっていく。


 そして――


 髪の色が落ちた。金から白金が、黒へ。

 服に滲んだ赤も黒へ。

 目の色が歪んで、増えた。縦に並ぶ、三つの目。

 上半身は人に似ているのに、下は魚みたいで、獣みたいで。


「……うそ、でしょ」


 魔獣だ。

 三つの目がわたしを見る。そこだけは、さっきの彼と同じで――腹が立つくらい、優しい顔をして。


 魔獣は何も言わず、音も立てずに湖へ飛び込んだ。

 水面が波紋を描いて、すぐ静かになった。


 そこにはもう、何もいない。


 わたしは、立ったまま固まっていた。


「イリス」


 レオが肩に触れる。たぶん心配してる手。


「大丈夫か?」


「……大丈夫じゃない」


 膝が折れて、そのまま座り込んだ。


「なんなの、あれ……」


 サイラスが結界の縁を見ながら言う。


「幻覚を見せる魔獣だ。相手の無意識を読んで、“いちばん惹かれる姿”を見せる」


「いちばん、惹かれる……」


「お前が見ていたのは、お前の心が作った像だ」


 わたしの心が、作った?


 髪の色。目の色。泣き方。立ち上がる所作。

 あの笑顔――


「……彼が、幻……」


 レオが口元だけで笑った。


「お前、もしかして魔獣に一目惚れしたのか」


「やめて!」


 頭を抱える。熱い。顔が熱い。恥ずかしさで燃える。


 運命の人とか……転生してきた理由とか……本気で思ったのに……。


「魔獣だったな」レオが追い打ちする。


「うるさい!」


 サイラスが補足するみたいに続けた。


「結界の中だけで効く。外から見れば、お前は魔獣に話しかけていた」


「見てたの!?」


「ああ。お前が手を伸ばした。だから術を放った」


 サイラスの声はいつも通りなのに、内容だけがやたら怖い。


「……ありがとう、なのかな」


「礼を言え。触れたら喰われていたぞ」


 喰われていた。

 わたしは、あのまま――。


 ぞっとして、湖に背を向けた。


「もういい。黒歴史は沈んだ。沈んだことにする」


「都合いいな」レオが言って、少し笑った。


「行くぞ」


 サイラスが先に歩き出す。


 わたしたちは結界を越えて、森へ戻った。




 道へ戻るまでの間、わたしはずっと口が重かった。

 頭の中でさっきの姿が勝手に再生される。最悪だ。鮮明すぎる。


 森を抜けて、やっと道に出る。

 遠くから、レオの声。


「勝手に先に行くなよ」


「……反省してます」


 サイラスにも言われそうで、先に言った。

 サイラスは何も言わなかった。たぶんそれが答え。


 歩きながら、さっき途切れた話が戻ってくる。


「ねえ、続き、聞いていい?」


 サイラスの横顔を見る。


「続き?」


「裏切られた話」


 サイラスは一拍置いてから、短く頷いた。


「……ああ」


 道は王都へ向かって、ゆるやかに続く。


「魔導士の集団に所属していた。王都の外れの研究施設だ」


 淡々としている。感情をしまう癖みたいに。


「そこで契約魔術を研究していた。魔術を言語化し、体系化する」


「それって、サイラスが使ってるやつ?」とレオ。


「ああ。契約執行エンフォースの体系は全部、俺が作った」


「すごいじゃない」思わず言った。


 サイラスは視線を前に置いたまま、少しだけ声を落とす。


「……それが仇になった」


「盗まれたって言ってたよね」


 サイラスの指が、杖を握り直す。きつく。


「仲間がいた。俺より二つ年上で、優秀だった。……信じていた」


 過去形が、重い。


「ある日、研究の記録が消えた。設計図も、術式の草案も、全部」


 レオが顔をしかめる。


「消えた、って……」


「数日後、そいつが俺の研究を“自分の名前”で発表した」


 サイラスはそこで言葉を切って、吐く息を一つ。


「抗議した。だが証拠がない。記録は消されていた。上層部はそいつの味方をした」


 怒りの爆発じゃない。

 もっと嫌なやつ。芯のところが冷える感じ。


「追い出された。居場所がなくなった」


 わたしは、しばらく言葉を探した。

 綺麗な慰めが出てきそうで、嫌だった。


「……サイラス」


「何だ」


「裏切られたってことは、先に信頼したってことよね」


 サイラスの足が一瞬だけ止まる。

 レオも、黙る。


「信じたから、裏切られた、っていうのは……相手の都合じゃん」


 サイラスは何も言わない。

 だから、続けた。


「わたしたちのことも、今すぐ信じろって言わない。でも……」


 少しだけ間を置く。


「もし疑うなら、ちゃんと疑っていい。隠さないから」


 レオが頷いた。


「俺も。裏切るくらいなら、最初から言う」


 サイラスは、しばらく黙ってから、


「……考えておく」


 それだけ言って、歩き出した。


 拒絶じゃない。

 そのくらいは、わかる。


「うん。十分」


 わたしはそう返して、前を見た。




 しばらく進むと、レオが指をさした。


「おい、見えてきたぞ」


 顔を上げる。


 遠くに、巨大な石造りの門。

 門の向こうに、建物が密集している。王都だ。


「……着いたんだ」


 成人の儀があって。

 父さんがいなくなって。

 レオと約束して、アーゼで魔獣と戦って、サイラスが増えて。

 湖で“運命の人”まで出てきて――しかも魔獣で。


 ここまで来て、ようやく実感が追いつく。


 王都だ。


「行くぞ」


 サイラスが言う。


「うん」


 わたしたちは門へ向かって歩き出した。


 そのとき、門の前に人影が見えた。

 立っている。待っているみたいに。こっちを見ている。


 ……なんで?


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