1.社畜OLが転生したら十五歳の成人の儀だった
新連載スタートです。よろしくお願いします。
わたし、死んだ。
何かが気になって、赤信号なのに気づかずそのまま走って、ダンプに轢かれた。
佐原あやめ。27歳。アラサー。社畜OL。
それが今、見たことのない世界で、見たことのないバケモノと対峙してる。
バケモノは犬みたいな形をしてる。ただしデカい。大型犬の倍くらいある。
しかも目が三つ。縦に並んでる!口は耳の後ろまで裂けていて、歯がありえないくらい詰まってる。
「いやっ。無理無理無理!! 来ないで!!」
岩をがつんと蹴った音が近づく。逃げる余裕なんてない。なんなの、ここは地獄!?
バケモノがわたしを目掛けて跳んでくる。そのとき、横から何かが突っ込んできた。
「イリス! 下がれ!」
その声が耳に入った瞬間、頭の奥の何かが開いて、記憶が一気になだれこんでくる。
この世界で"イリス"として生きてきた記憶だ。アラサー社畜じゃない、十五歳のわたし。社畜が前世で、こっちの世界に転生したらしい。
まじか。頭がぐわんぐわんする。
目の前の若い男の名前が、自然に出てきた。
「……レオ……?」
そうわたしがつぶやいた瞬間、レオは剣を振ってバケモノを切った。
ぐはっ。思いっきり返り血を浴びた。しかも黒い血。
この血の臭いや感触で、わたしはここが妄想でも夢でもないと実感する。そして、地獄でもなさそうだ。
「イリス、だから下がれって言っただろ」
レオは剣をぬぐいながら言う。長身、銀色の短い髪、黒い目。髪色以外は、わたしが知ってる地球の人間たちと違和感はない。
そうだ、彼はレオ。わたしの幼馴染で親友。同じ十五歳だけど、剣の腕は大人たちを凌ぐ。強いヤツ。
思い出したら、頼もしさが溢れてきた。
この世界の十五歳は、前世だと二十歳に近い感じだ。十八歳くらいかな。少年というよりも若者といったほうが合ってる。
わたしも顔についた黒い血を拭いて頭を振る。そうだった。あのバケモノは「魔獣」。危ない危ない。
「レオ、ありがとう! 助かった。なんか頭が忙しくて」
レオは特に訝しむ様子もない。軽く笑って言う。
「おまえが急にぼーっとするのはいつものことだ」
そうなの? そんな気もするけど、あまり自分のことはよく思い出せない。自覚が足りないだけかもしれないけど。
たしか、わたしは目の色は黒、髪の色はクリーム色。「ミルクティー色」ってやつ!
そんな色にしたかったけど、次の休日にやろうとか、落ち着いたら考えようとか、そうやって何度も後回しにして、結局、手を伸ばさなかった色。
今、憧れの髪色なんだ、わたし。嬉しい。
「行くぞ」
レオが灰色の岩だらけの道を、わたしの後ろ側に向かって歩く。その背を追ってわたしも振り向いて歩き出す。
顔をあげて、わたしはすぐにまた足を止めた。
「なに、これ」
岩だらけで建物はおろか木も草もない荒野の地平線、目の前の空にあったのは、大きな青い星だった。
星には、ところどころ白い雲に覆われた海まで見える。
実物を見るのは初めてだけど、わたしはこれを知っている。
「地球だ……」
呆然と呟いた。この世界のイリスの記憶にもこれはない。地球が目の前にある、だったら今いるのは月面!?
前世の地球が目の前に存在していて、わたしはそれを見ている。
あの地球には、わたしの知ってる人たちがいまも住んでいるのだろうか。
がしっと腕をつかまれて、我にかえる。
「イリス、行くと言ってる」
レオに引きずられるように歩き始める。
わたしの腕を持って歩いたまま、レオが言った。
「蒼珠、思ったよりデカい」
そうだった。この世界では、地球のことは「蒼珠」と呼ぶんだった。わたしも頷いて言う。
「ほんと大きい。それにすごく綺麗」
レオが大きく頷いた。
わたしたちは普段、この星――月かもしれないこの星の「内側」で暮らしてる。今日は「外側」に出て、初めて地球――蒼珠を見る日だった。
なぜなら今日は「成人の儀」。十五歳で成人を迎えた者は、外側に出て蒼珠を初めて見ることになる。
蒼珠の大きさと美しさは聞いていたけれど、これほどの迫力とは思わなかった。この世界ではもちろん、前世でも初めての体験だ。これはすごい。
いつまでも見ていたいけれど、レオに腕を引かれるように歩いて行く。
地面はあたり一面、でこぼことした岩しかない。やっぱりここは月面なのか。でも不自由なく動けて、呼吸も普通にできる。この世界ではそういうものらしい。
わたしたちは村で言われてきたとおり、上に浮いて光っている目印を探して歩く。モノリスは、その真下にあるはずだ。
「浮いている光」はすぐにわかった。遠くからでも見える高い位置に、金色の雲みたいなものが滞っていた。
光の雲を目印に、やがて大きなクレーターの坂を下ると、岩肌の影になるように、黒くて四角い板のような物が立っているのが見えた。
黒い板のような物は大きくはない。わたしの身長より低いくらい。表面はツルツルしていて、文字も何も書かれていない。この岩だらけの地には明らかに異質な存在だ。
頭上高くでは、金色の雲が小さく揺れ続けている。
そしてわたしはこの黒い板のことを知っている。名前を口に出してみる。
「これが"モノリス"ね」
そう、モノリスと呼ばれる物だ。知ってはいたが、見るのは初めてだ。
レオは黙って頷き、モノリスに両手を添えて目をつぶった。レオがモノリスに触れた瞬間、空気が震えたような気がした。
わたしは一歩下がり、見守る。
しばらくそのままの時間が過ぎる。
やがてレオは軽くまぶたに力を入れた後、モノリスから手を離した。目を閉じたまま、わたしの方を向いた。
そして静かにそのまぶたを開く。
レオの右目は元の黒いまま。でも左目の瞳は、真っ赤な色に変わっていた。
「イリス、俺の左目は何色だ?」
少し不安そうにレオが聞く。
わたしは大きな声で答える。
「赤。真っ赤!」
わたしの言葉に、レオは笑顔になった。
「戦士の色だ」
「やったね、レオ」
そう、赤は戦う者の色。モノリスがレオの瞳に与えた色が、レオが望むものと同じだったことが嬉しい。誰より強いレオにふさわしい赤だ。
「よし。次はおまえだ、イリス」
そう言われ、わたしもモノリスに近づく。
このモノリスに触れると、片目の色が変わる。それがこの世界で「大人」になるということだ。
何色になるか。レオほど真っ赤じゃなくても、やっぱり赤がいい。
赤は戦い系の適性。青は頭脳系。緑は生命系。
間の色や、珍しい色もあるらしいけど、だいたいがこのどれかだ。
モノリスに触ると適性に応じた色の瞳に変わる。それがこの世界で「成人になる」ということ。
そんなことを考えながら、わたしはモノリスに両手を触れる。目を閉じて、心の中で祈りの言葉を唱えた。
(神よ、どうか祝福を。この身につきづきしき色を、わが目にたまわらんことを)
左目の奥が熱くなる。
思わずまぶたに力が入る。
やがて、熱が収まった。
さっきレオがしたように、目を閉じたままレオのほうを向き、そっと目を開けた。
「何色になった?」
わたしの目を見たレオは、一瞬固まった。
「え、驚いてる? なにか変な色?」
あるいは色が変わってないとか。
「レオー。なんか言って!」
レオの顔から血の気が引いていた。
「……イリス、おまえの左目は……虹色だ」
その声は、レオがこれまでに出したことのないほど硬かった。




