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喋る犬の飼い方~フツーの恋の短編集より  作者: 真夜航洋


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3/10

第3話 「裏切りの応酬」


 今、私はあの日のことを思い出している。

 地元の保健所で開かれた保護犬譲渡会。広場には多数の保護犬がいて、柵で囲ったサークルの隅には生後五か月のポテがいたっけ。

 あなたはずっとビクビクおどおどしている子犬だった。


「はーい。みんな、ご飯だよ」


 保健所の人が皿を並べていくと、ワンコたちが我先に走って来る。

 あなたもヨチヨチと歩き出したけど、ほかの犬に飛び越され追い越され、あげくに踏んづけられてしまってた。

 まだ小5だった私は思う。


(なんか…トロい犬)


 ようやく餌置き場にたどり着いたときには、お皿は全て占領されていた。

 みんながガツガツ食べるのをぽかんと見ているあなた。

 そして、諦めたようにまた隅っこに戻る。

 私は母親に言った。


「ママ、あの子飼いたい!」

「ホントにこんなとこの犬でいいの?ペットショップで血統書付きの…」

「あの子がいい!」




 窓の外からは初夏の日差しと蝉の鳴き声。

 当時の私とポテを映した写真を手に取る。


「子供心に思ったの。この子は私と似てる。他人を押しのける人生より、争わない生き方をする犬だって」


 ポテは部屋の隅で畏まっている。


「奪うくらいなら、奪われる方を選ぶ」

「…えへ、えへへ」


 後ずさりするポテ。


「…でも、あなたは私の期待を裏切った」


 私はテレビ台の裏から、ボロボロになった靴下やリモコン、それに犬用のレインコートを取り出す。


「奪い過ぎだっつうの!」


「で、出来心でんがな。これなんか歯ごたえええもんやから、ついつい噛んでまうねん。堪忍や」


 “POTE”と書かれた雨合羽を、申し訳なさそうに私に差し出す。


「…なあ、ねーちゃん。まえまえから聞こう思てんけど、わしってなんで“ポテ”いう名前なん?」

「ぎく」

「え、なになに?そのリアクション。聞いたらマズイことなんか?」 

 

 ポテがその場でぐるぐる回り出した。

 これは犬一般に見られる不安行動である。


「あれは、ポテやんがうちに来たばかりの頃でした…」

 

 私は遠い目をして、また別の日のことを思い出す。




 近所の動物病院の受付で、母がぐったりしているあなたを抱きしめていた。

 私は診断の申し込みをしにいく。


「あの、すみません。うちのワンコなんですけど、ずっと下痢が止まらなくて…」

「ワンちゃんね。じゃ、これにお名前を書いて待っててね」


 受診表を差し出されたけど、小5の私には荷が重かった。


「ねえ、ママ。これ、どうしよう?」

 と、母に「犬の名前」という欄を示す。

「あら、困ったわね。あの、この子まだ名前が決まってないんですけど…」

「ああ…それでは便宜上、適当に“ポチ”とでも書いといて下さい」

「あ、はい。ママ手が離せないから、あなたポチって書いといて」



 

「でもこのとき、初めての動物病院に動揺してて…『ポチ』って書いたつもりが『ポテ』になってしまったのよ」

「…」

「それでまあ、それっきり…」


 私の話をポテは愕然と聞いている。


「う、嘘やろ?」

「あ、朝ドラの時間だ」


 壊れたテレビのリモコンをとって、テレビをつける。


「なんで?なんで、そのあと正式名考えへんかったん?なあ」


 ポテはすねたように、私の背中を前足でゴシゴシこする。


「名前ってさあ、一生もんやねんで。ほかにもっとあるはずやん。デコピンとかベッケンバウアー略してベツクとか、可愛い系やったら、ゆず君とかさあ」


「ほら、この女優さん初主演なんだって。大抜擢だよね。応援したくなるわあ」

 などと話を濁して、ポテの嘆きをやり過ごす。


「このお、裏切者!」

「あ、そこ。ちょーど痒かったのよねえ」

 ポテやんは、痒い所に手が届くワンコだなあ。



 

 『喋る犬の飼い方③ いい意味で、期待を裏切り合いましょう』

  



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